『闇から見る眼』

segakiyui

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第2章

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 街中をこんな昼間に伊吹と歩くのは久し振りな気がした。
 確かにニット帽に対する反応を見るのもあるけれど、今は伊吹と居られる数分数秒が惜しい気がする。それにどんどん広がりつつある敗北感も知られたくない。
「……」
 ちら、と伊吹を見下ろしては気付かれないように溜め息をつく。
 やっぱり今の伊吹には『Brechen』の方が似合うような気がしてきてならない。何だかそれが、目の前で伊吹を大石に攫われていくように思えるのに。
 駄目、だな。
 伊吹とやりとりしながら、周囲の反応を的確に読んだところで立ち止まる。
 右側にはHPで確認した、このあたりで『Brechen』を扱っている店の入り口が、誘うように開いている。
「あ」
「わかった?」
「10~20代が多いです」
 京介の問いにぱっと顔を綻ばせた伊吹に屈み込む。
「正解」
 ふいに立ち止まり、驚いた顔で少し開いた唇を盗んだ。
「かちょ…っ」
 注目を集める意味はもちろんあるけれど、何よりいずれ大石の耳に入るだろう京介の動きで、大石にささやかな不快さを感じさせてやりたい。自分が愛した女が京介の側に寄り添っていたことを見せつけたい。
「あ、この店入りたいな、いい?」
「あ、あのですね、おい、おい~っ」
 まただ。
 背後から呼び掛けてくる伊吹を放って店内に入りながら、京介は眉をしかめた。
 ずっと見られたい、と思っていた。伊吹に対してだけでなく、自分が見られて暴かれることに興奮していた。
 なのに今、京介は伊吹を引き寄せている自分を、自分の側で笑っている伊吹を見せつけたいと思っている。大輔にも、恵子にも、大石にも、その伸ばしてくる指を振払って叩き落とすために、誰よりも幸福な自分と伊吹を見せてやりたい。
「…課長」
「あ、いい感じ…これ、いいねえ」
 すぐに見つけた『Brechen』はピンスポットに照らされて、他に比べようもない、そう言いたげに飾られている。手に掬い上げた手触りも上々、鳴海工業の技術力はたいしたものだ。
 背後から急いで近寄ってきた伊吹がひたりと背中に寄ってくる、それを肌で感じて気持ちが甘くなる。つんと軽く突かれて、思わずぞくりとしてしまう。半分は意識して、後半分は気持ちのままに声を漏らした。
「ぅんっ」
 ぎょっとした相手を振り返って微笑む。
「何すんの、美並」
 そのまま顔を仰け反るように伊吹の耳元に寄せ、睦言の声で囁く。
「……感じたらどうすんの」
 ちらりと視界の端で伺った店員が、凍りついたように眺めている。相手の視線が合ったのをいいことに、京介は目を細めて笑ってやる。
 見てよ。
 僕は伊吹の思うままで、伊吹は僕を自由にできる。
 そういう関係。
 そういう繋がり。
 ねえ、蕩けるほどの気持ちよさって知ってる、あなた。
 この人に僕がどれほど溶かされているか、見て。
 疼くような感覚で、伊吹に身体を寄せながら店員に微笑む。
 店員の顔が一瞬惚けて、みるみる薄赤く染まった。
 くすくす笑いながら、あんまりからかっても伊吹に引かれるよね、と体を起こす。
「すみません」
 店員を呼んで『Brechen』を購入する旨を伝えた。それでも、伊吹の分まで望んだのは、淡い期待から。伊吹に似合う『Brechen』なんてなければいい、そう思ったのだけど。
 店員はすぐに伊吹のために一揃そろえてきた。
 編み込まれた変わり糸は、伊吹の唇を染めた紅とそっくりな朱赤。
「ああ、いい感じだね」
 やってられない、どうしてここまで揃えてくるの、これじゃまるで。
 甘えて揺れた気持ちが冷やかに凍ってねじれていくのがわかった。
 まるで離れていた間もずっと、伊吹のことを考えていたみたいじゃないか。
 それはきっとそうだろうけど。
「華やかで、お似合いですよ」
 店員の誇らしげな顔に伊吹が微かに眉を寄せる。
「これはまずいかな」
 僕じゃ伊吹をわかってやれない?
 被っていたニット帽を指し示す。
「せっかくのお出かけには、ちょっと寂しい感じもいたします……特別な時にはこちらをお召しになった方が……」
「なるほど、特別な時、ね」
 京介では格が違う、そう嗤われた気がした。
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