81 / 239
第2章
30
しおりを挟む
伊吹の姿は一瞬、出てくる前に見た押塚まりそっくりに見えた。
京介が買った、暗いグレイに鮮やかな朱赤の糸は口紅と同じ色、ニット帽も揃いの色の、よく見るとセーターの背中、腰のあたりにも同じ糸が編み込まれている。
「……あんなところにも……入ってたんだ」
呟きながらゆっくり歩き出す。
まるで糸が伊吹の腰を抱いてるみたい、そう思って唾を呑む。
ニット帽に包まれた頭と、胸元と、腰の朱赤。
過ったのは伊吹の肌につけたキスマーク。
「そっくり…」
まるで『Brechen』にことよせて大石が伊吹を抱き寄せた、その掌の跡にさえ見えてくる。
空腹と疲労と治り切らない体調で空回りし続ける頭が白く平板に感覚を失う。
何をしてるの。
伊吹はイベントのチラシを丹念に集めているようで、京介の接近には気付かない。いつも通りの静かな横顔に京介の身体の内側がぼろぼろ侵食されていく。
そんなところに居たんだ、僕の所に来ないで?
他の男の腕に抱かれて?
君はどこに出かけるつもりなの、伊吹さん。
目当てのものを見つけたのか、微かに伊吹の唇が綻んだ。甘い曲線に緩む紅、薄く開いたその中に、容赦なく突っ込みたくなってくる。
喉が渇く。
胃が痛む。
どこかに行きそうな気配で伊吹が周囲をくるくる見回して、一つ頷く癖は次の行動を決めたこと、逃がす前にその前に。
身体が全部ぎしぎし鳴って、これ以上は我慢できなくなってきたときに、ようやく声が届く距離まで近付いた。
「……伊吹、さん…?」
「!」
ぎょっとした顔で伊吹は振り向いた。
怯えた背中、見開いた瞳が『さうす』そっくりでぞくりとする。
いつだったろう、くまの首を締めたのは。
同じように締めてしまえばいいのだろうか、あの細い綺麗な首さえも。
「その……格好……」
呟いたのは、攻撃意図を隠す本能的なカムフラージュだったのに、軽く伊吹が体を引いて、京介の動きを誘ってくる。
「来て」
「え、あ」
遅いよ。
空に浮いていた手首を捕えた。
体を竦めて敏感に身構える相手にひんやり嗤う。
でも、いい勘してるよね。
「何もしないよ。それとも………何かしてほしかったの、こんな公衆の面前で」
目を細めると伊吹が息を呑む。
軽蔑した?
それとも恐怖?
どっちでもいい、もう何でもいい、伊吹から奪えるものならば。京介の手に入らないものなら何でも。
「それとも、誰かと待ち合わせなのかな………今日、仕事があったはずだけど?」
優しい声で囁きながら距離を縮めて迫っていく。それは、とためらった顔になる相手に低く嗤う。
「ああ、伝言は聞きました、おばさんの旦那さんの義理のお父さんの妹さんが危篤なんだって?」
伊吹さんは何親等ぐらいまで家族になるのかな。
露骨な嫌みを伊吹は理解している。鋭い視線を嘲笑う。
「で、その人はもう亡くなったの?」
沈黙したままの伊吹に畳み掛ける。
「だから伊吹さんはこんなところでおしゃれして誰かを待ってるわけだ?」
吐き捨てて、けれど頭の中は伊吹をどうやって抱こうかということで一杯で。
愛する方法は知らなくても、傷つける方法なら幾つも知っている。
手首を強く握ってそのままぐいぐい引っ張る。
行き先は決まっている、好き放題に伊吹を蹂躙できるところ。孝が殺され、いつかは京介も、そこで泥沼のような眠りに落とされるしかなくなるのかもしれないけど。
暴き晒して悲鳴を上げさせ、京介の下に組み敷いて、声も出なくなるまで貪って、身動きできないほど粉々にして。
そうしたら君はどこにも行かないでしょう?
大石に抱かれることもないよね?
他の男に笑うこともない。
京介だけのものになる。
「あっ」
伊吹の手から集めていたらしいチラシが落ちて散った。
京介が買った、暗いグレイに鮮やかな朱赤の糸は口紅と同じ色、ニット帽も揃いの色の、よく見るとセーターの背中、腰のあたりにも同じ糸が編み込まれている。
「……あんなところにも……入ってたんだ」
呟きながらゆっくり歩き出す。
まるで糸が伊吹の腰を抱いてるみたい、そう思って唾を呑む。
ニット帽に包まれた頭と、胸元と、腰の朱赤。
過ったのは伊吹の肌につけたキスマーク。
「そっくり…」
まるで『Brechen』にことよせて大石が伊吹を抱き寄せた、その掌の跡にさえ見えてくる。
空腹と疲労と治り切らない体調で空回りし続ける頭が白く平板に感覚を失う。
何をしてるの。
伊吹はイベントのチラシを丹念に集めているようで、京介の接近には気付かない。いつも通りの静かな横顔に京介の身体の内側がぼろぼろ侵食されていく。
そんなところに居たんだ、僕の所に来ないで?
他の男の腕に抱かれて?
君はどこに出かけるつもりなの、伊吹さん。
目当てのものを見つけたのか、微かに伊吹の唇が綻んだ。甘い曲線に緩む紅、薄く開いたその中に、容赦なく突っ込みたくなってくる。
喉が渇く。
胃が痛む。
どこかに行きそうな気配で伊吹が周囲をくるくる見回して、一つ頷く癖は次の行動を決めたこと、逃がす前にその前に。
身体が全部ぎしぎし鳴って、これ以上は我慢できなくなってきたときに、ようやく声が届く距離まで近付いた。
「……伊吹、さん…?」
「!」
ぎょっとした顔で伊吹は振り向いた。
怯えた背中、見開いた瞳が『さうす』そっくりでぞくりとする。
いつだったろう、くまの首を締めたのは。
同じように締めてしまえばいいのだろうか、あの細い綺麗な首さえも。
「その……格好……」
呟いたのは、攻撃意図を隠す本能的なカムフラージュだったのに、軽く伊吹が体を引いて、京介の動きを誘ってくる。
「来て」
「え、あ」
遅いよ。
空に浮いていた手首を捕えた。
体を竦めて敏感に身構える相手にひんやり嗤う。
でも、いい勘してるよね。
「何もしないよ。それとも………何かしてほしかったの、こんな公衆の面前で」
目を細めると伊吹が息を呑む。
軽蔑した?
それとも恐怖?
どっちでもいい、もう何でもいい、伊吹から奪えるものならば。京介の手に入らないものなら何でも。
「それとも、誰かと待ち合わせなのかな………今日、仕事があったはずだけど?」
優しい声で囁きながら距離を縮めて迫っていく。それは、とためらった顔になる相手に低く嗤う。
「ああ、伝言は聞きました、おばさんの旦那さんの義理のお父さんの妹さんが危篤なんだって?」
伊吹さんは何親等ぐらいまで家族になるのかな。
露骨な嫌みを伊吹は理解している。鋭い視線を嘲笑う。
「で、その人はもう亡くなったの?」
沈黙したままの伊吹に畳み掛ける。
「だから伊吹さんはこんなところでおしゃれして誰かを待ってるわけだ?」
吐き捨てて、けれど頭の中は伊吹をどうやって抱こうかということで一杯で。
愛する方法は知らなくても、傷つける方法なら幾つも知っている。
手首を強く握ってそのままぐいぐい引っ張る。
行き先は決まっている、好き放題に伊吹を蹂躙できるところ。孝が殺され、いつかは京介も、そこで泥沼のような眠りに落とされるしかなくなるのかもしれないけど。
暴き晒して悲鳴を上げさせ、京介の下に組み敷いて、声も出なくなるまで貪って、身動きできないほど粉々にして。
そうしたら君はどこにも行かないでしょう?
大石に抱かれることもないよね?
他の男に笑うこともない。
京介だけのものになる。
「あっ」
伊吹の手から集めていたらしいチラシが落ちて散った。
0
あなたにおすすめの小説
ワイルド・プロポーズ
藤谷 郁
恋愛
北見瑤子。もうすぐ30歳。
総合ショッピングセンター『ウイステリア』財務部経理課主任。
生真面目で細かくて、その上、女の魅力ゼロ。男いらずの独身主義者と噂される枯れ女に、ある日突然見合い話が舞い込んだ。
私は決して独身主義者ではない。ただ、怖いだけ――
見合い写真を開くと、理想どおりの男性が微笑んでいた。
ドキドキしながら、紳士で穏やかで優しそうな彼、嶺倉京史に会いに行くが…
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。
俺と結婚、しよ?」
兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。
昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。
それから猪狩の猛追撃が!?
相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。
でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。
そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。
愛川雛乃 あいかわひなの 26
ごく普通の地方銀行員
某着せ替え人形のような見た目で可愛い
おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み
真面目で努力家なのに、
なぜかよくない噂を立てられる苦労人
×
岡藤猪狩 おかふじいかり 36
警察官でSIT所属のエリート
泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長
でも、雛乃には……?
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
東野君の特別
藤谷 郁
恋愛
大学受験のため名古屋の叔母宅を訪れた佐奈(さな)は、ご近所の喫茶店『東野珈琲店』で、爽やかで優しい東野(あずまの)君に出会う。
「春になったらまたおいで。キャンパスを案内する」
約束してくれた彼は、佐奈の志望するA大の学生だった。初めてづくしの大学生活に戸惑いながらも、少しずつ成長していく佐奈。
大好きな東野君に導かれて……
※過去作を全年齢向けに改稿済
※エブリスタさまにも投稿します
2人のあなたに愛されて ~歪んだ溺愛と密かな溺愛~
けいこ
恋愛
「柚葉ちゃん。僕と付き合ってほしい。ずっと君のことが好きだったんだ」
片思いだった若きイケメン社長からの突然の告白。
嘘みたいに深い愛情を注がれ、毎日ドキドキの日々を過ごしてる。
「僕の奥さんは柚葉しかいない。どんなことがあっても、一生君を幸せにするから。嘘じゃないよ。絶対に君を離さない」
結婚も決まって幸せ過ぎる私の目の前に現れたのは、もう1人のあなた。
大好きな彼の双子の弟。
第一印象は最悪――
なのに、信じられない裏切りによって天国から地獄に突き落とされた私を、あなたは不器用に包み込んでくれる。
愛情、裏切り、偽装恋愛、同居……そして、結婚。
あんなに穏やかだったはずの日常が、突然、嵐に巻き込まれたかのように目まぐるしく動き出す――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる