『闇から見る眼』

segakiyui

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第2章

32

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「伊吹さん……?」
 唐突に見上げてきた伊吹がぼろぼろ涙を零していて、京介の身体の熱が一気に上がった。
 可愛い。
 もっと、泣かせたい。
 乱れる息で懇願させたい。
 やめて、京介、お願い、と。
「……なに、今さら泣き落とし?」
 目を細めてことばでいたぶる。
「そんなこともできるんだ、伊吹さん」
 手をかけてきたぐらいでごまかされやしない。しっかり掴み直して、その指先が震えているのにくすくす笑った。
「動きたくないなら、いいけど」
 ここから動かない気なんだ? ならいいよ。
 思いついた光景に下半身がまともに反応して嬉しくなる。
「ここで暴いてあげようか」
 ニット帽を引きむしって、乱れた髪ごと頭を抱えてまず唇を貪って。呼吸が止まりかけるまで愛撫して。それからセーター引き剥いで、シャツに手を入れて一気に引き上げて、零れたものを口で含んで。
 どんな声を聞かせてくれるんだろう、そんなことを考えてて、伊吹のことばが聞こえなかった。
「え?」
 掠れた声が低く呟く。
「手を離して」
 何を今さら。
「ほら、行くよ」
 予想外に幼い伊吹の要求に、それほどうろたえて我を失っているのかと思わず苦笑して油断してしまった。そんなことじゃ止まらないのに、と京介が伊吹に背中を向けかけたとたんにくん、と手を引かれ、動きを止めた次の一瞬。
「っあ!」
 伸ばした臑に強烈な一撃を喰らって、激痛に思わず手を放す。
 しまった、相手は伊吹さんだったのに。
 相打ちにすると言ってたほどの人だったから、身動きできなくなるまで気を緩めちゃいけなかったのに。
 舌打ちしながら、逃げ出しただろう相手を追おうと急いで振り向いて顔を上げたのに、伊吹はそのまま、まだ目の前に立っていて呆気にとられた。
「伊吹…」
「余計なお世話だと、言った」
 伊吹は仁王立ちになったまま、淡々と言い捨ててくる。その滑らかな頬に次々落ちる涙が、瞬きもしないで開かれた瞳に不似合いで、けれどたとえようもなく、鮮烈で。
 腰が重くなる。
「何の…まね…」
 声が掠れる。
 ニット帽を脱ぎ捨てるのを、ただ、見愡れた。
「どこまで晒せば信じる?」
 静かな問いかけ。
「…え?」
 意味がわからない。
 風に舞い上がる髪が、一緒に舞う銀杏の葉の中で、揺らめく黒い炎のように伊吹の顔を縁取っている。
 どこかでこういう姿を見た。
 京介はきつく唇を噛む伊吹に目を吸い付けられたまま思う。
 どこだったけ、ほら、何か宗教的な、けれど西洋のマリアさまとかそんなのじゃなくて。
 もっと猛々しくて、もっと鋭くて、もっと胸を抉るほどに削ぎ落とされた綺麗さで。
 阿修羅、像?
 そのことばに思いあたったとたん、伊吹はいきなり『Brechen』のセーターをくるんと巻き上げ脱ぎ捨てた。
「私は、好きだ、と言ったはずだ」
 風に銀杏の葉が鳴って、一層降りしきる黄金の葉が伊吹の周囲を踊り狂う。緩やかに動いた片腕が、空中に円弧を描いて、京介との間も満たした黄色の炎を薙ぎ開く。
「身ぐるみ剥がなきゃ、信じられないのか、京介」
「いぶ…」
 風が止む。
 燃え盛るように激しい感情を浮かべた伊吹の瞳に射抜かれて、ことばよりも何よりも、背筋を無理矢理裂かれるような寒気が走って凍りつく。
 膝を、つきたい。
 跪いて、伊吹の中から突き出される刃に喉から貫かれてしまいたい。
 身体が震えて熱くなる。
 これっておかしいんだろうけど。
 もっと、責めてほしい。
 伊吹にもっと叱られて、許しを乞うて、誠実を誓って、自分の全てを伊吹のものにしてほしい。
 細胞の欠片一つ残さずに、伊吹に欲しがって望まれたい。
「……ふ」
 睨みつけられて、蕩けるような気持ちになって、京介はうっとりと目を細めた。
 ああ、このままいっちゃいたい。
「暴きたいんだろう……なら」
 強い声が響き渡って我に返ると、伊吹がジーパンからシャツを引っ張り出すのが見えた。途中でどこかに引っ掛かったらしく、眉をしかめてベルトを外し、ためらいなく前ボタンも外してしまう。
 ちょっと、待ってよ。
 熱が一気に抜け落ちた。
 一体何を?
 視界の端で公園に居る他の人間が凍りつく。
「暴いてやる」
 冷やかに吐き捨てた伊吹がシャツの裾を掴んで、そのまま一気に脱ぎにかかる。肌を滑って捲れ上がる白いシャツ、淡いピンクのブラジャーが一緒に引っ張り上げられて京介が暴くはずの膨らみまで零れかけ、全身の皮膚が粟立った。
「わああっっ!」
 考える間もなかった。必死にジャンパーを脱ぐ。両手に広げて駆け寄って、慌てて半裸の伊吹を包み抱きかかえる。
 何っ、一体何っ。
「何すんの、こんなところでいきなり何っ」
 頭ががんがんして痙攣するように震える体で強くきつく抱き締める。
 僕のものなのに。
 僕だけのものなのに。
 何でこんなところで、こんなに人が見てる中で、しかも僕さえまだ触れてないところを、僕より先に。
「美並…っ、何考えてんの、何する気なの、みんな見てるのに」
 懇願し哀願し、すがりついて頼んで、微かに震えている相手がゆっくり見上げてくる瞳を見返して、その大胆さに気持ちを丸ごと攫われる。
 したたかで、くっきり澄んで。
 呑み込まれる。
「それ、でも、あそこへ、行くより、まし、でしょう?」
 途切れ途切れに呟かれて、ぐ、っと京介の喉が苦しくなる。
 そんなに僕に抱かれるのが嫌なんだ。
 そんなに僕のものになるのは嫌なんだ。
 泣き喚きたくなった次の一瞬、にっこりと笑った伊吹に口を噤む。
「あったかいですよ、京介」
 聞こえたことばが信じられずに目を見開いた。
「『Brechen』のセーターよりずっとあったかい」
 今、伊吹は何を。
「京介の側が、一番あったかい」
 僕の側? 
 『Brechen』のセーターより?
「伊吹、さん…っ」
 僕を、望むと?
 僕を……選ぶと?
「っっ」
 もう、だめ。
 歓喜に壊れそうになった。
 唇を重ね、口を開いて迎えてもらって、どれだけ深く犯してもいいと許されるように無防備に舌を差し出されて。
 ああ。
 助けて、伊吹さん。
 君が欲しくて止まらない。
 このまま君の中に溶け落ちたい。
 抱き締めて、何度もキスして、もっと強く抱き締めて。
 くらくらしながら貪り続ける、伊吹の小さな甘い舌。
「伊吹……っ……いぶ……き…っっ」
「み、なみ、です」
 柔らかく訂正されて、京介の中に最後まで残っていた冷たい芯が蕩け落ちるのがわかった。
「み、なみっ」
 呼ぶたびに甘い声が、甘い息が、甘い温もりが、脳髄を、肺を、心臓を、腰の奥深くをぬめるような熱さで満たして、京介は立っていられなくなる。その京介を、伊吹がしっかり抱き返してくれるから、かろうじて立ち続けて。
 こぼれ落ちた吐息で呼んだ。
 僕の、美並。
 はい。
 空気のように柔らかな声が、無限の未来を教えてくれた。
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