『猫たちの時間+(プラス)』〜『猫たちの時間』14〜

segakiyui

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12.白い朝(1)

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「…えーと…ごめんな?」
「……」
 乗り込んだ車の後部座席で、周一郎は窓の外を眺めている。
 いつの間に夜が明けたのか、確かにおはようございますと周一郎が言うはずで、街の外は朝の光が満ちて眩しかった。
 運転手は高野だった。助手席にはルトが乗っていた。
 いつもの顔ぶれ、事件が終わって周一郎が滝を回収する、いつもの光景。
 なのに、いつもなら「ご無事でようございました」と労りを口にする高野は気づかわしそうな視線でミラーの中から後部座席を見るのに無言だ。ルトも何かを待つように鳴きもしない。
「たぶん…また俺がヘマをしたんだよな?」
 たぶんも何も、周一郎のホテルの部屋から易々と攫われて、詳細はわからないが、きっと周一郎の思惑か仕事か何かを台無しにした可能性がうんと高い。
「…なぜ謝るんです」
 ようやく周一郎が外を眺めたまま応じた。
「何を謝ってるんですか」
「何をって…俺にわかるわけがないだろう…」
 思わずむくれる。
「詳しく知らないんだし」
 付け加えて情けなくなる。
「…じゃあ、何を知っているんです」
 相変わらず窓の外を向いたまま、周一郎が尋ねた。
「……えーと、まず、石路技が『高王ヒカル』だったってこと、だな。俺の作品が好きで?かどうかわからんが、俺の作品を下敷きにしてヒット作を生み出していた、と」
「…そうですね」
「俺のサイン会を『高王ヒカル』のサイン会で潰した理由は、わからんが」
「……あなたをあの電車に乗せないためですよ」
「……は?」
「…あの電車に乗ってたら、あなたは拉致されて、ひょっとしたら殺されていたからです」
「は?」
 俺のサイン会と言うのは、そんなに危険な代物か?
「いや何も殺さなくてもいいだろう。理由はなんだよ」
「………」
 周一郎は答えない。代わりに小さな溜息を漏らす。やがて、
「他には」
 冷ややかに尋ねた。
「あ、うん、他には、だな。お前が誰かに狙われてて、実はそれを知っててあのホテルに泊まってて、けれど俺が泊まることになったから、その…何だな、囮?みたいな役がうまくできなくなった」
「……それで」
「うん、あそこで俺が攫われるはずじゃなかったから……たぶん、鵲だっけ、あいつは別口なんだよな?」
「…」
 かすかな緊張と沈黙が返る。
「ああ、けどそう言えば、あいつ、磯崎弘って、あの電車に乗ってたんじゃないのか?」
「っ!」「ひえっ」
 いきなり相手が振り返って驚いた。
「『誰』のことですか」
「え? あの、ほら、あーそうか、鵲って呼べって言ってたんだっけ、しまった」
 周一郎はくっきりと眉を寄せた。不快そうだ。極めて、かなり、不愉快そうだ。ひょっとすると、この話題そのものが禁忌の術かも知れない。
「いいから、続きを」
「続き?」
「電車に乗っていた、乗ってなかったという続きです」
 綺麗に澄んだ黒曜石のような瞳がサングラスなしでこれほどきらきら光ると、かなり怖いもんなんだなうん。炎系か雷系の魔法でも吐きそうだ、いや、こいつだから氷系か。
「滝さん?」
「いや、ほらあいつ、鵲ってさ、磯崎弘って別名持ってるんだろ? けどホテル出る時に、ロビーかどこかで夫婦者が話しててさ、電車事故の怪我人が、入院してた病院でインフルエンザになって興奮状態になって飛び降りたって言ってるけど、それって病院の責任じゃないのかとか。入宮病院って最近色々人の入れ替えとかでごたついた病院だとか。磯崎弘って言うのは、病院管理の怠慢による被害者じゃないのかとか。ああ…そうだ、思い出した!」
 俺はぽんと手を叩いた。
「朝倉財閥は病院経営にも手を出したとか、お由宇が言ってたが、ひょっとして入宮病院にも関わったりしたのか?」
「……」 
 周一郎は俺の顔をまじまじと眺めた。
 何となく、凄く懐かしい視線だった。一番初めに『猫語を話せるのか』と聞いた時のような表情だった。ことばにはなっていないが、言いたいことはわかる気がする。
 何だろう、『これ』。
 『人』でさえないところが切ない。
 きゅんと来た胸の痛みを振り切り、ことばを継いだ。
「あ、けど、あいつは生きてるし、けど、磯崎弘は死んでるんだよな……あ、あれ? いや、死んでる名前とかも言ってたっけか?」
 そういや鵲はそんなことも言ってた気もする。
「あ、じゃあ意外に全く別口ってわけでもないのか、縁ってのは怖いよな、妙なところで繋がってたりして、わははは…は、は……?」
「………はぁ」
 珍しく周一郎が弱気な顔になった。ぐずぐずと妙な姿勢の崩し方で座席に凭れる。
「? どうした? 気分悪いのか、周一郎?」
「何を…どう言えば…いいのかと、悩みますね」
「は?」
「あなたを……どうやったら、厄介事から遠ざけられるのか」
「ああ、そりゃ、無理だと思う」
 俺は断言した。
「俺自身、成功した覚えがない」
「……高野」
 冷えた声で周一郎が唸って振り向き、ルームミラーの中で微笑む高野を見つける。
「いや、怒ってやるなよ、高野も同意見だろ?」
 俺は笑う。
「散々後始末してくれたもんな?」
「お返事は後ほど。ところで如何致しましょう、ホテルにヘリは手配してありますが、すぐに戻られますか」
 後半は周一郎への問いだった。
「地元所轄には?」
「通してあります」
「迷惑をかけたな」
「ご理解下さっております」
 おおっと、こいつは一般人に関係のない領域の話のようだ。
 だが、周一郎には活気が戻ったし、高野もなぜか楽しそうだし、ルトは助手席を離れて俺の膝の上にやってきたから、尋問は終了したらしい。
「じゃあ、ホテルに戻ったら、俺も家に帰る…」
 言いかけた瞬間に盛大に腹の虫が鳴る。
「ああ、そう言えば、お食事がまだでしたね」
「いいよいいよ、帰ってから食えばいいし」
「いえ、滝様ではなく…」
「高野っ」
 制した声は一瞬遅かったと周一郎も気づいただろう。ちらっと動いた高野の視線で、さすがに鈍い俺でもわかった。
「お前、また飯抜いてるのか!」
 今度は俺が相手を睨みつける。
「いつから食ってねえ、きりきり白状しやがれ」
「正確には昨夜からはお食事だけでなく、一睡もしておられません」
 淡々と高野が告げ口する。
「高野!」「周一郎!」
 同時に響いた声にルトがうるさそうに耳を伏せる。
「お前、23にもなってまだそんな事で高野を心配させてるのか! 何度も言ってるだろうが、ちゃんと寝ろ、ちゃんと飯食え! 俺の厄介事よりお前の生活習慣の方をどうにかしろ!」
「僕はっ…」
 睨み返した周一郎は眩そうに目を細め、薄赤くなりながら窓へと顔を背けた。
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