『segakiyui短編集』

segakiyui

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『遺言状』

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 金藤さんの奥さんが亡くなった。
 子ども三人は独立して、他の県に住んでいる。
 大きながらんとした日本家屋に残されたのは、金藤さん、ただ一人。
 映画は邦画、歌は浪花節、テレビは教育テレビかNHK、毎朝子ども達の通学路に立ち、無謀な車に張り合う大声でどなっている、金藤さんは町内一のうるさがただ。
 一度、たまたま金藤さんの家の前に自転車を止めていたら、「人の家の前に自転車を放置するとは何事か」と延々と説教されかけた。
 真っ白の髭と真っ白なごわごわの髪を逆立てて起こりまくる金藤さんをなだめてくれたのが奥さんだった。
 まるで、小さな子どもが甘えてものを尋ねるように、とっても無邪気な可愛らしい様子で、奥さんは金藤さんに問いかけた。
「まあ、いつもずっとこの人が放置していたんですか?」
「いつも、じゃない」
「それじゃあ、二日に一度ぐらいですか?」
「いや、そうじゃない」
「それじゃあ、一週間に一度ぐらいは放置しているんですね、あなたがそんなに怒るんですもの」
「う…うう、もう、いい」
「ああ、そうですか。いいんですって」
 最後に奥さんは私ににっこり笑い、行きなさい、と合図してくれた。
 そんなに結婚に夢は持っていないけど、案外、長年一緒に暮らすっていうのもいいなあ、と思ってしまった。
 なのに、その奥さんが亡くなった。
 残された金藤さんは、ボケ上がるか、あるいは仁王のように怒りまくって手がつけられない人になると町内では噂になっていた。
 ところが、金藤さんはそのどちらでもなく、弔いをすませると、何だか忙しそうに本屋に行ったり、図書館に行ったりしている。
 一体何をしてるんだろう。

「おい、あんた」
 奥さんが亡くなってから二カ月はたったある日、金藤さんに呼び止められた。
「自転車、置いてませんよ」
「そうじゃない。あんたは大学生だな。それなら、これは何と書いてあるのか、読めるか」
 金藤さんはぐいと一枚の半紙を突き出した。そこには黒々とした墨で『炊いた肉』と書かれている。
「は? ………たいたにく……?」
「そうだな? そうしか読めんな? わからん、どういうことだ」
 金藤さんは険しい顔で文字を睨みつけた。きょとんとした私を叱りつけるように、
「ばあさんの遺言状だが意味がわからんのだ。仏壇の中にわしあてに、これだけ書かれてた」
 遺言状に………炊いた肉?
「この一月、この謎を解こうと思って頑張ったがわからん」
「炊いた肉………たいた、にくですか………たいた……にく………あれ?」
 このニュアンス、どっかで聞いたことがあるような?
「あの、ひょっとして、それ……」
 言いかけて気がついた。
 そうか。
 奥さんを亡くして一カ月、金藤さんはこのために忙しく動き回っていたのだ。
 そして、きっと、奥さんのいない寂しさを忘れていたに違いない。
 料理の本をひっくり返したり、見知らぬ人にも尋ねたりしただろう。それまで行ったことのないところへ行って、いろんな人やものに出会っただろう。
『たいたにく』
 それはきっと英語で書かれるはずのものではなかったか。
 くすくす、と奥さんの笑い声が聞こえたような気がした。
『教えないでね。これはわたしがあの人に出した宿題なのよ。これからも一生懸命生きていってくれるように』
 そう、遠い高みでつぶやく声が聞こえた気がした。
 そうだ、きっとこれは応えてはいけない質問なんだ。
 ぺこりと頭を下げた。
「あの、すみません、わかりません、ごめんなさい」
「何だ、近ごろの学生は何も知らんな。もういい」
 金藤さんは不愉快そうに眉をつり上げ、肩を怒らせ背中を向けた。
「わし一人で、何とか読み解いてやる」
 すたすたと家の中に戻って行く金藤さんは、遠からずあの映画にたどり着くだろう。それが含んだ物語に気づくだろう。
 そして、そのとき初めて、奥さんの遺言状はきちんと伝わる。奥さんがどうしてあの一言だけを残したのかも、たぶん、きっと。
 もう一度頭を下げて、なんだかちょっとじんわりしながら自転車をこぎ出した。


                                                                             
                              おわり
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