32 / 148
『時を編む人』
しおりを挟む
正子の家にはおばあちゃんが1人居ます。
今はいなくなってしまったお父さんのお母さんに当たる人で、今年で85歳になります。
おばあちゃんは、いつも大抵、縁側の端に座って2本の編み棒を動かして編み物をしています。
お母さんが働きに出ている間、正子はおばあちゃんの側で、おばあちゃんがセーターやベストを編むのを見ています。
時々、そうやって編み物をしているおばあちゃんのところへ、街の人が話をしにやって来ます。側に居る正子は小さいので何もわからないと思うのでしょうか、街の人達は、おばあちゃんの前で、子どものように泣いたり怒ったり笑ったりします。
「あのね、聞いて下さいよ、うちの嫁ときたらね…」
「わけがわからんことだよ、どうしてあいつにばかり、いい仕事が行くのか……」
「孫がようやく歩けてね…」
「どうしよう、おばあちゃん、彼と別れてしまいそうなの…」
その度に、おばあちゃんはにこにこと頷き、相手の人が怒ったり悲しんだりしているのを聴き終えると、こう言います。
「さてさて、どこで絡まったのかねえ」
そうして編んでいる糸を、さも不思議そうに二度三度引っ張って見せるのです。
編み物と街の人の話は、あんまり関係がないように思うのですが、なぜかおばあちゃんがそうすると、しばらくたって同じ人が、必ずにこにこ笑ってやって来ます。
「おばあちゃん、嫁がね、私にプレゼントをくれたんですよ」
「この間は愚痴を言って済まなかった。あの仕事はわしには難しかったよ」
「孫がそりゃあしっかり歩いてね、こけてもちゃんと起き上がるんだよ」
「彼と話し合ったの。しばらく離れて考えてみるの」
ある日のこと。
いつものように正子がおばあちゃんの編み物を見ていると、ふいにおばあちゃんが難しい顔で言いました。
「おや、大変だ。糸がひどく縺れているね。『はさみ』、『はさみ』はどこだい」
『はさみ』と言うのは、おばあちゃんが拾った小さな犬です。おかしな名前をつけるものだと正子もお母さんも笑ったものですが、おばあちゃんは素知らぬ顔で、『はさみ』と呼んでいるのです。
その小さな茶色の犬が、おばあちゃんのことばに答えて、庭の隅から飛び出して来ました。
「『はさみ』や、時の糸が縺れてしまったよ。お前、急いで糸を解して来ておくれ」
おばあちゃんがそう言うと、子犬はわんと吠えて、くるりと向きを変えて走り出しました。
一体何が起きるのでしょう。
正子も慌てて『はさみ』を追って、縁側から飛び降り走り出しました。
『はさみ』は街外れの神社の方へどんどん走っていきます。その後を一所懸命追いながら、正子は自分の横にきらきら光る、そのくせ触ろうとしてもさわれない、不思議な色の糸があるのに気がつきました。
そう言えば、街の様子がどことなく変です。
郵便屋さんのバイクが道の真ん中で止まっています。公園で投げられたボールが宙に浮いたまま、落ちて来ません。子どもが泣きながら手足をばたばたさせているのに、その動きはひどくのんびりです。風に揺れた木の枝がひどく傾いだままたわんでいます。
糸はまっすぐ、神社の中の小さな社に伸びていました。『はさみ』が地面を蹴って社に飛び込み、続いて正子も走りこみました。
「うわあ……」
社の中では、糸が縺れて蜘蛛の巣のようになっていました。その中を『はさみ』があちらこちらで尻尾を振っては飛び回り、その度にシャキンと音がしました。音がすると糸は切れ、床に落ちて真っ直ぐになります。やがて、すべての縺れが切り解かれると、糸はするする寄り集まって、渦巻く大きな糸玉になりました。
それを見届けた『はさみ』は、正子を振り向くと、もう一度吠えて社を飛び出しました。正子も急いで後に続きました。
「おかえり『はさみ』、ありがとう。おかえり、正子」
おばあちゃんが笑って迎えます。その手がもう一度編み物を始めています。
正子はそっと外を見ました。
止まっていた全てのものが、いつの間にかいつものように、動き出しておりました。
終わり
今はいなくなってしまったお父さんのお母さんに当たる人で、今年で85歳になります。
おばあちゃんは、いつも大抵、縁側の端に座って2本の編み棒を動かして編み物をしています。
お母さんが働きに出ている間、正子はおばあちゃんの側で、おばあちゃんがセーターやベストを編むのを見ています。
時々、そうやって編み物をしているおばあちゃんのところへ、街の人が話をしにやって来ます。側に居る正子は小さいので何もわからないと思うのでしょうか、街の人達は、おばあちゃんの前で、子どものように泣いたり怒ったり笑ったりします。
「あのね、聞いて下さいよ、うちの嫁ときたらね…」
「わけがわからんことだよ、どうしてあいつにばかり、いい仕事が行くのか……」
「孫がようやく歩けてね…」
「どうしよう、おばあちゃん、彼と別れてしまいそうなの…」
その度に、おばあちゃんはにこにこと頷き、相手の人が怒ったり悲しんだりしているのを聴き終えると、こう言います。
「さてさて、どこで絡まったのかねえ」
そうして編んでいる糸を、さも不思議そうに二度三度引っ張って見せるのです。
編み物と街の人の話は、あんまり関係がないように思うのですが、なぜかおばあちゃんがそうすると、しばらくたって同じ人が、必ずにこにこ笑ってやって来ます。
「おばあちゃん、嫁がね、私にプレゼントをくれたんですよ」
「この間は愚痴を言って済まなかった。あの仕事はわしには難しかったよ」
「孫がそりゃあしっかり歩いてね、こけてもちゃんと起き上がるんだよ」
「彼と話し合ったの。しばらく離れて考えてみるの」
ある日のこと。
いつものように正子がおばあちゃんの編み物を見ていると、ふいにおばあちゃんが難しい顔で言いました。
「おや、大変だ。糸がひどく縺れているね。『はさみ』、『はさみ』はどこだい」
『はさみ』と言うのは、おばあちゃんが拾った小さな犬です。おかしな名前をつけるものだと正子もお母さんも笑ったものですが、おばあちゃんは素知らぬ顔で、『はさみ』と呼んでいるのです。
その小さな茶色の犬が、おばあちゃんのことばに答えて、庭の隅から飛び出して来ました。
「『はさみ』や、時の糸が縺れてしまったよ。お前、急いで糸を解して来ておくれ」
おばあちゃんがそう言うと、子犬はわんと吠えて、くるりと向きを変えて走り出しました。
一体何が起きるのでしょう。
正子も慌てて『はさみ』を追って、縁側から飛び降り走り出しました。
『はさみ』は街外れの神社の方へどんどん走っていきます。その後を一所懸命追いながら、正子は自分の横にきらきら光る、そのくせ触ろうとしてもさわれない、不思議な色の糸があるのに気がつきました。
そう言えば、街の様子がどことなく変です。
郵便屋さんのバイクが道の真ん中で止まっています。公園で投げられたボールが宙に浮いたまま、落ちて来ません。子どもが泣きながら手足をばたばたさせているのに、その動きはひどくのんびりです。風に揺れた木の枝がひどく傾いだままたわんでいます。
糸はまっすぐ、神社の中の小さな社に伸びていました。『はさみ』が地面を蹴って社に飛び込み、続いて正子も走りこみました。
「うわあ……」
社の中では、糸が縺れて蜘蛛の巣のようになっていました。その中を『はさみ』があちらこちらで尻尾を振っては飛び回り、その度にシャキンと音がしました。音がすると糸は切れ、床に落ちて真っ直ぐになります。やがて、すべての縺れが切り解かれると、糸はするする寄り集まって、渦巻く大きな糸玉になりました。
それを見届けた『はさみ』は、正子を振り向くと、もう一度吠えて社を飛び出しました。正子も急いで後に続きました。
「おかえり『はさみ』、ありがとう。おかえり、正子」
おばあちゃんが笑って迎えます。その手がもう一度編み物を始めています。
正子はそっと外を見ました。
止まっていた全てのものが、いつの間にかいつものように、動き出しておりました。
終わり
0
あなたにおすすめの小説
「魔物の討伐で拾われた少年――アイト・グレイモント」
(イェイソン・マヌエル・ジーン)
ファンタジー
魔物の討伐中に見つかった黄金の瞳の少年、アイト・グレイモント。
王宮で育てられながらも、本当の冒険を求める彼は7歳で旅に出る。
風の魔法を操り、師匠と幼なじみの少女リリアと共に世界を巡る中、古代の遺跡で隠された力に触れ——。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」
「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」
私は思わずそう言った。
だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。
***
私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。
お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。
だから父からも煙たがられているのは自覚があった。
しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。
「必ず仕返ししてやろう」って。
そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる