『segakiyui短編集』

segakiyui

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『あなた向きの罠』(4)

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 すうっと爽やかな風が流れ込んで来た。
 青と灰色を基調にしたオフィス・ルーム。
 正面に開け放たれた大きな窓、風はそこから流れてくる。右端に整頓された書類棚とパソコン、FAX、電話がある。左端には木目が美しい机、ゆったりとした黒い革張りの椅子は座り心地が良さそうだ。
 男は窓に歩み寄って、外を見回した。
 緑の豊かな地平、整理区画された近代都市という感じの建物が、太陽を浴びて誇らしげに建っている。道路は混み合うこともなくスムーズに車が流れている。うるさい騒音もない。灰色の空の代わりに、目が痛くなるほどの青空、息苦しい大気の代わりに、信じられないが微かな花の薫りさえする。こうして窓に立っているだけで、体がほぐれ寛いで、さあもうひと頑張り、という気持ちになる。
 理想的なオフィスだな、と男は知らず知らず微笑みながら考えた、その男の鼻先を、不意に強烈な臭いが襲った。
 眉を顰めて臭いの元に目をやる。スラックスがさっきの果汁に濡れたままだ。腐りかけた重いのったりする甘さが、途切れた風に濃く強く立ち上った。
 せっかくの空気が台無しだ。シャワー室でもイメージするか。
 じとじと、足にまとわりつくスラックスを摘み上げながら考え、男はぎくりとした。
 待てよ? 
 どうして、この果実のイメージが残っているんだ?
 まるで、押し付けられたみたいに。
 その答えを探す前に、背後でドアが開く気配がして、男は振り返った。木目のドアが外側からゆっくり押されて開く。開いた暗闇から、すらりと伸びた一本の脚が内側へ入ってくる。黄色のパンプスが絨毯を踏むのを、男は凍りついたように見つめていた。スローモーション、と見えたのは錯覚、次の瞬間きれいな動作で入って来た黄色のワンピースを着た美女は、窓枠を握りしめて立っている男に、どこか不審そうに笑いかけた。
「社長? どうかされましたか?」
 それが自分に向けられたものだと気づくのには、少し時間がかかった。男はぎごちなく笑い返し、美女を見たまま、スラックスを触った。スラックスは濡れても湿ってもいない。
「いや…」
 答えながら、男は急いで頭を働かせた。
 きっと、イメージを移行させる時に、あまり極端な展開にならないように、脳が不自然にならない程度にイメージを残したのだろう。或いは、これも薬としての特性かも知れない。目が覚めたら、会社側に確認しておこう。他に同じ症例があれば、特性として考えられる………。
 男が頭の中をまとめている間に、美女はスリットの入ったタイト・スカートから日焼けした脚をこれ見よがしに見せながらオフィスを横切り、FAXの前で少し状態を屈めた。くっきりと腰のラインが浮かび上がる。男は少し唾を呑んだ。ここのところ、同僚の妻ともご無沙汰だった。夢の中のことを逐一報告することもないだろう。
 やっぱり、隣にシャワー室が要るな。
 男は考えながら、美女に近寄った。FAXを操作して要る美女の真後ろに立ち、声をかけながら、彼女の肩に手を置く。
「ねえ、君…」
「え…」
 待っていたかのように、美しい笑みを見せながら美女が振り返り……男は声にならない悲鳴を上げて飛び退った。
「な…ん……で……す……か………」
 録音の再生音がだんだん遅くなるように、美女の声が間延びしていく。それと同時にどろどろと眼鼻から黄色のワンピースの中身までが絨毯の上に溶けていく。鼻を突く腐敗臭。
 男は混乱した。
 おかしいぞ、こんな事はイメージしていない。
 頭の隅を、再びかつての同僚の影が掠めていく。眠りに落ちる前の光景が、丁寧に引き伸ばされて、もう一度頭の中をよぎっていく。笑った同僚の顔。楽しげな、これ以上の楽しみはないと言いたげな、笑みほころんだ『鼠男』の顔。その口許が、一言一言噛みしめるように動いた。
 インプットしてやってくれ。
 男はその後のことばを想像した。
 謝礼は弾む。
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