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『何でもあります、雑貨屋』(2)
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次の日、おじいさんと店が心配で、僕は雑貨屋を訪ねた。
すると、どうだろう。
昨日、あれほど怒って出て行った男が、どこか恥ずかしそうに体をすくめながら、赤い壁掛けをおじいさんに包ませている。
男は僕に気がつくと、小さな声で弁解した。
「いやあ、その、あの、つまりだね、家へ帰ってみると、壁がね、その、茶色に塗られていてね。何でも、『妻』が塗る色を変えたらしいのだ。わしはその、緑がいいと思ったのだが、『妻』はどうしても赤がいいと。壁掛けは『妻』へのプレゼントでね、やはり、もらう人の好みに合わせんと。は、はは」
おじいさんは、丁寧に壁掛けを丸めて包み、男に渡した。
男は壁掛けを抱えると、そそくさと通りの人の中に紛れ込み、すぐに見えなくなった。
不思議なことですね、と僕がおじいさんに話しかけようとした時、男と入れ違いに一人の娘が店に飛び込んで来た。
どこから走って来たのだろう。
短い髪を逆立てるように乱し、頬を赤く染めている。軽く息を切らせながら、勢いよく言った。
「小さな花瓶が欲しいんですけど!」
「どうぞ、ご覧になってください」
おじいさんは店の中へ手を伸ばして言った。
小さな花瓶なら、昨日から幾つかあったはずだ。
そう思った僕は、娘と一緒に店の中を見回して、呆気にとられた。小さな花瓶どころか、花瓶代わりになりそうな、小さな壺さえなくなっているのだ。
代わりに一つ、目についたのは、一抱えもありそうな大きな壺。
娘もすぐそれに気がついた様子で、しばらく考え込んでいたが、やがて決心したように言った。
「いいわ! その大きな壺を下さいな」
「はいはい」
おじいさんはためらうこともなく、壺を大きな柔らかそうな紙に包み始める。
僕はまた心配になった・
この娘さんは、小さな花瓶を買うと言ったのに、こんな大きな壺を買ってどうするんだろう。それに、おじいさんの店から、こんな物をどうやって持って帰る気なんだろう。
「はい、どうぞ」
やがて、おじいさんは壺を包み終えて代金を受け取ると、にっこり笑って娘に言った。娘はさすがに戸惑って、恐る恐るおじいさんに尋ねた。
「あの、宅配便か何かありませんか」
「ありません」
「でも、それじゃあ、この壺をどうしたらいいんでしょう」
「その壺はもうあなたの物ですから、どうぞご自由に」
「でも、あら、そんな…」
娘は困り言った顔になった。
僕は見かねて口を挟んだ。
「あの、もし、良かったら、僕がお宅まで持って行きましょうか」
「え、あなた、ここの店員さん?」
「いえ、客の一人なんですけど……でも、この壺をあなた一人では運べませんよ」
「そうですね、そうだわ、ほんと」
娘は、軽くおじいさんを睨んだが、おじいさんは黙って笑っているだけだ。
仕方なしに、娘はいった。
「じゃあ、すみません。お礼を差し上げますから、運んで下さいますか?」
「いや、お礼なんて……」
僕は、どっこらしょと壺を抱え上げた。お礼なんて要りません、と言いかけて、ふと思い直して娘に尋ねる。
「あの、お礼代わりと言っては変ですが、どうして小さな花瓶の代わりに、こんな大きな壺を買おうと思ったのか、教えてもらえませんか?」
「え、ええ、そうね、そうですね、おかしいわね」
壺を抱えた僕を従えて、娘は途中で花屋に寄った。かすみ草だけ山ほど買って、それを僕と同じように抱えて歩きながら、娘はぽつりぽつりと話した。
ずっと大好きだった人がいたこと。
一ヶ月前、その人に心を打ち明けたこと。
けれども、その人には、別に好きな相手がいたこと。
がっかりして、今日までずっと、部屋の中に一人でいたこと。
今日、ふと気がついて、外を見てみると、とてもいいお天気だったこと。
散歩に出て見て、部屋に花を飾ろうと思いついたこと。
「だから、花を飾るなら、うんとたくさん飾るのも悪くないって思ったんです」
そう言いながら、娘はかすみ草に顔を埋めた。
十分ほど歩いて着いた娘の部屋は、とても小さくてこじんまりしていた。そこへ、僕の運んだ壺を置き、バケツで水を汲み入れて、娘の抱えていたかすみ草を生けると、部屋の中がそれだけで溢れるようだった。
「これじゃあ、ご飯を食べるのも一苦労ね」
僕を見送って笑った娘の目が、微かに涙で濡れているのを、僕は知らないふりをした。
雑貨屋に戻ってくると。相変わらず、おじいさんは店の奥でにこにこしていた。僕にありがとうを言うわけでもなく、ご苦労様と労うこともない。
けれども、そのおじいさんのすぐ近くの棚に、確かにさっきまではなかったはずの、綺麗で可愛い小さな花瓶が載せられていて、僕は引き寄せられるようにそれを手に取った。
今訪れたばかりの娘の部屋に、とてもよく合いそうな桜色のガラス細工。
僕はおじいさんに花瓶を差し出した。
「これ、さっきまでなかったですよね」
「いるものはありますよ」
おじいさんはそう言って、楽しそうに笑った。
「じゃあ、これ下さい」
「はい、どうぞ」
僕はおじいさんにお金を渡し、ガラスの花瓶をそっと抱きかかえて店を出た。
あのかすみ草が枯れる頃、娘の所へ出かけよう。あの大きな壺は、がらんとした僕の部屋にぴったりだし、この花瓶はあの娘の部屋によく合うだろう。
そうして、あの不思議な雑貨屋の二人ですることができたら、どんなにいいだろう。
僕は、もう一度、店を振り返った。
今ではもう、看板を疑ってはいない。
終わり
すると、どうだろう。
昨日、あれほど怒って出て行った男が、どこか恥ずかしそうに体をすくめながら、赤い壁掛けをおじいさんに包ませている。
男は僕に気がつくと、小さな声で弁解した。
「いやあ、その、あの、つまりだね、家へ帰ってみると、壁がね、その、茶色に塗られていてね。何でも、『妻』が塗る色を変えたらしいのだ。わしはその、緑がいいと思ったのだが、『妻』はどうしても赤がいいと。壁掛けは『妻』へのプレゼントでね、やはり、もらう人の好みに合わせんと。は、はは」
おじいさんは、丁寧に壁掛けを丸めて包み、男に渡した。
男は壁掛けを抱えると、そそくさと通りの人の中に紛れ込み、すぐに見えなくなった。
不思議なことですね、と僕がおじいさんに話しかけようとした時、男と入れ違いに一人の娘が店に飛び込んで来た。
どこから走って来たのだろう。
短い髪を逆立てるように乱し、頬を赤く染めている。軽く息を切らせながら、勢いよく言った。
「小さな花瓶が欲しいんですけど!」
「どうぞ、ご覧になってください」
おじいさんは店の中へ手を伸ばして言った。
小さな花瓶なら、昨日から幾つかあったはずだ。
そう思った僕は、娘と一緒に店の中を見回して、呆気にとられた。小さな花瓶どころか、花瓶代わりになりそうな、小さな壺さえなくなっているのだ。
代わりに一つ、目についたのは、一抱えもありそうな大きな壺。
娘もすぐそれに気がついた様子で、しばらく考え込んでいたが、やがて決心したように言った。
「いいわ! その大きな壺を下さいな」
「はいはい」
おじいさんはためらうこともなく、壺を大きな柔らかそうな紙に包み始める。
僕はまた心配になった・
この娘さんは、小さな花瓶を買うと言ったのに、こんな大きな壺を買ってどうするんだろう。それに、おじいさんの店から、こんな物をどうやって持って帰る気なんだろう。
「はい、どうぞ」
やがて、おじいさんは壺を包み終えて代金を受け取ると、にっこり笑って娘に言った。娘はさすがに戸惑って、恐る恐るおじいさんに尋ねた。
「あの、宅配便か何かありませんか」
「ありません」
「でも、それじゃあ、この壺をどうしたらいいんでしょう」
「その壺はもうあなたの物ですから、どうぞご自由に」
「でも、あら、そんな…」
娘は困り言った顔になった。
僕は見かねて口を挟んだ。
「あの、もし、良かったら、僕がお宅まで持って行きましょうか」
「え、あなた、ここの店員さん?」
「いえ、客の一人なんですけど……でも、この壺をあなた一人では運べませんよ」
「そうですね、そうだわ、ほんと」
娘は、軽くおじいさんを睨んだが、おじいさんは黙って笑っているだけだ。
仕方なしに、娘はいった。
「じゃあ、すみません。お礼を差し上げますから、運んで下さいますか?」
「いや、お礼なんて……」
僕は、どっこらしょと壺を抱え上げた。お礼なんて要りません、と言いかけて、ふと思い直して娘に尋ねる。
「あの、お礼代わりと言っては変ですが、どうして小さな花瓶の代わりに、こんな大きな壺を買おうと思ったのか、教えてもらえませんか?」
「え、ええ、そうね、そうですね、おかしいわね」
壺を抱えた僕を従えて、娘は途中で花屋に寄った。かすみ草だけ山ほど買って、それを僕と同じように抱えて歩きながら、娘はぽつりぽつりと話した。
ずっと大好きだった人がいたこと。
一ヶ月前、その人に心を打ち明けたこと。
けれども、その人には、別に好きな相手がいたこと。
がっかりして、今日までずっと、部屋の中に一人でいたこと。
今日、ふと気がついて、外を見てみると、とてもいいお天気だったこと。
散歩に出て見て、部屋に花を飾ろうと思いついたこと。
「だから、花を飾るなら、うんとたくさん飾るのも悪くないって思ったんです」
そう言いながら、娘はかすみ草に顔を埋めた。
十分ほど歩いて着いた娘の部屋は、とても小さくてこじんまりしていた。そこへ、僕の運んだ壺を置き、バケツで水を汲み入れて、娘の抱えていたかすみ草を生けると、部屋の中がそれだけで溢れるようだった。
「これじゃあ、ご飯を食べるのも一苦労ね」
僕を見送って笑った娘の目が、微かに涙で濡れているのを、僕は知らないふりをした。
雑貨屋に戻ってくると。相変わらず、おじいさんは店の奥でにこにこしていた。僕にありがとうを言うわけでもなく、ご苦労様と労うこともない。
けれども、そのおじいさんのすぐ近くの棚に、確かにさっきまではなかったはずの、綺麗で可愛い小さな花瓶が載せられていて、僕は引き寄せられるようにそれを手に取った。
今訪れたばかりの娘の部屋に、とてもよく合いそうな桜色のガラス細工。
僕はおじいさんに花瓶を差し出した。
「これ、さっきまでなかったですよね」
「いるものはありますよ」
おじいさんはそう言って、楽しそうに笑った。
「じゃあ、これ下さい」
「はい、どうぞ」
僕はおじいさんにお金を渡し、ガラスの花瓶をそっと抱きかかえて店を出た。
あのかすみ草が枯れる頃、娘の所へ出かけよう。あの大きな壺は、がらんとした僕の部屋にぴったりだし、この花瓶はあの娘の部屋によく合うだろう。
そうして、あの不思議な雑貨屋の二人ですることができたら、どんなにいいだろう。
僕は、もう一度、店を振り返った。
今ではもう、看板を疑ってはいない。
終わり
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