『ハレルヤ・ボイス』

segakiyui

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「そう、だよな…何で、芸能界に…」
 素直なもので、自分の声が一気に沈んだ。それを必死に引き立てようとした。
 笙子が側にいて二人だけだと思うせいか、傷の痛みのせいか、それとも辛い気持ちのせいか、揺れる心をコントロールするのが手一杯だ。
「私も始めはデビューするつもりはありませんでした。けれど、その話があってから、父母の間でいさかいが絶えなくなりました」
 笙子は柔らかく、けれどまた、寂しそうに笑った。
「母は才能を伸ばすことが人生のすべてに優先すると考えていましたし、父は政界に不利なできごとを引き起こすことを恐れていました。そうした父と母は、やがて互いに別の人間、愛する人を持つようになったんです。……私の家は、もうばらばらでした」
 淡々と話す笙子の目には、さっきのような涙はなかった。白い頬を染めることもなく、声を荒げることもなく、ただ起こったことをありのままに話すだけだ、と決めているような冷静さで話を続けていく。
「…十一のときでした。宮城のおじいさまが急なご病気で倒れられました。私は少しでもおじいさまが楽になればいいと思って、枕元で毎日歌を歌いました。精一杯、すべてがよくなるようにと願いを込めた歌でした。おじいさまは全快されました、でも…」
「でも?」
 笙子は瞳を上げて中谷を見つめた。
 ふいに、中谷は気がついた。冷静だと見えたのは、笙子が心を殺してしまっているせいだ、と。
 自分の感情をつぶしてしまっているから、悲惨な状況も静かに話せる。中谷が行き場がなくて辛かった子ども時代を、一遍の物語のように話せるように。
(辛い思い出に心を閉ざしてしまってる、だから、こんなに静かな目をしてるんだ)
 自分もまた、同じような目をしていただろうか、高岡の前に座ったとき。
 明日、いや今ここで死んでも何も変わらないと、高岡に無言で死を突きつけていたのだろうか。
 だから高岡は、死にたがってる自分に、死に場所を探す仕事を与えてくれたのだろうか。
 死に場所を探すことで生きていけることもあると、静かに諭してくれていたのだろうか。
 中谷はそっと手を握り直した。続くことばは予想できた。怯んでいる笙子の支えになりたかった。身動き取れなくなっている苦しみを、自分も笙子の手から吸い取って、何か別のものに置き換えてやりたかった。
「その夜……父母は自殺しました」
 笙子は虚ろな顔で微笑した。
 中谷は強く笙子の手を握った。
 笙子が力を得たように、こっくりと幼いうなずきかたをする。
「おじいさまのお見舞いの帰り、私はとても幸福でした。自分の歌が人の命を救ったのだと誇らしかった。でも」
 笙子は唇を噛んだ。
「でも、それは、救いの声ではなかったのです。人を裁く声……断罪する声でした」
 ほほ笑んだ笙子の唇に、涙がこぼれ落ちた。次々と流れ落ちる涙、痛々しいほどきれいな微笑を浮かべているのに。
「父には負い目がありました。愛人のために、おじいさまのお金を使い込んでいたのです。父は車で海に飛び込みました。母にも負い目がありました。愛人との間に子どもができていて、その子どもを跡取りにしたいと考えていたのです」
 笙子の眉は切なく寄った。
 実の両親が自分を見捨てたということだけでも辛いだろうに、その先にまだ苦痛がある。それを笙子は見据えている。そう気がついて、中谷の胸に激しい痛みが走った。
「けれど、二人とも、今すぐどうこうしようという気はなかった。二人とも死ぬ気なんかまったくなかったのです。でも、それなのに、私の歌を聴いて……自分で自分を裁いてしまった」
 笙子は他人事のように淡々と話し続けた。
 だが、中谷には、笙子の内側で起こっていることが手に取るようにわかる。
(自分が自分であることを、一番近い存在、自分を育ててくれたものに拒まれて)
 それは、自殺の強要に他ならない。
(ひょっとして、笙子の歌が、人を自殺に追い込むというのは…)
 ふいとある考えが中谷の胸に広がった。
「私の声は『ハレルヤ・ボイス』なんかじゃない。人を裁く声、なんです。心に負い目を持っている人間は、私の歌を聴いて自分を厳しく裁いてしまう……私は周囲から疎まれました。歌を歌わなければそんなことは起きないのに、私がいることだけで、何か弱みを握られているような気がする、と言われました。私を引き取ってくれたおじいさまも、こうまで話題になるくらいなら、家とのつながりを切ってデビューさせた方がいいだろうとおっしゃられて……だから、キィが付き添ってくれることになりました」
 笙子はほう、とまたため息をついた。同時に、中谷は、いつか笙子が自分の歌を人を裁く歌だと言った、そのことばの意味を理解した。
 そして、それに対して、キィが強く反発した理由も。
「私には……他に生きて行くところが…なかったんです……たくさんの人を自殺させても……私はここにしか居られない…そうです、きっと、それが、正しい」
 笙子は苦しそうにほほ笑んだ。
「でも、もし、あなたが死んでいたなら……今度こそ、私は自分を許せなかったでしょう。生きていてくださって、ありがとうございました」
 ずきり、と形容し難い痛みが胸の底を貫いて、中谷はことばを失った。
 笙子の生い立ちを聞いた今となっては、彼女が必死に歌にしがみつこうとしたわけもわかる。自分の歌を聴いて自殺するものが出ようと、それでも歌を止められなかったのは、本当は自分が生きていくためだったとわかってもいたのだ。
 だから、より一層、笙子は歌を歌い続ける、自分の命が危険にさらされても。
 それは中谷自身の姿でもある。
 だからこそ今、中谷は笙子が何を求めているのかがわかる。
 何を言ってほしいのか、中谷にはわかっている。
「俺は、大丈夫だから」
 ほほ笑みを凍りつかせたままの笙子に、中谷は噛みしめるように言った。そのことばはいつか深雪に伝えようとしていたことばでもあった。
 けれど、言えないうちに、中谷は深雪を逝かせてしまった。
(だからこそ)
 そう、今度こそ。
「俺は……大丈夫だから」
 笙子の顔が初めてくしゃくしゃに乱れて崩れていく。緊張しきっていた顔が、年相応の不安と希望に揺れる子どものものに戻っていく。
 中谷はその笙子の体を引き寄せながら、低い声でささやいた。
「…俺の側に…ずっといてくれ」
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