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「おうい、近江」
聞き慣れた声に呼び止められて振り返った。
予定の講義は終わった。不安定なときには、学内にいるのがつらい。さっさと家に帰ってしまおうと思っていた矢先のことだ。
「帰るのか?」
村西がハスキーというよりはガラガラした声で笑っていた。
「ああ」
「どこかのきれーなおねーさんとお出掛け、って気にはならねえのか?」
ひょいと片手に数枚のカードを差し出して見せる。俺はうんざりした。
「やるよ」
「やるよって、オレがもらっても仕方ねえだろ? 全部『近江潤』あてだぞ」
受け取って、村西の手前、目を通して見る。
メールアドレスつきのテレフォンカード、写真つきの薄い手紙、どこかの店のチケットにハートマークつきのメッセージ、コンサートや映画の券とメッセージカード。
俺は携帯電話をもっていない。確かに連絡はこういう方法でしかとれないだろう。
「この中に、お前の気に入った相手っているのか?」
俺は村西の笑っている気のいい目を見返して尋ねた。
「いねえけど、いても、本命がおまえじゃ勝ち目ってものが……あーあ」
俺が名前を確認もせずにゴミ箱に放り込んだのを、相手はあきれ顔で見た。
「もったいねえな」
「興味ない」
「興味ないっても…もったいねえだろ、カード代。売ればいくらかになるぜ」
そっち側のもったいないか、と俺は思わず吹き出した。
「だけど、こっちは断れねえな」
懲りたふうもなく、村西はもう一枚カードを取り出した。
それも見るまでもない、ゴミ箱へ捨てようと手を伸ばした俺に、違う違うと首を振って文面を読み上げた。
「秋野ひかりからだ。部室に来てくれって」
「秋野さん?」
朝の噴水の光景が過り、胸の鼓動がいきなり予想もしていなかった激しさで跳ね上がって、俺はうろたえた。
「何だか、話があるんだってさ、朝のことで」
「朝のこと」
体が見る見る熱くなる。濡れて光っていた桜色の唇が視界に重なって、無意識に唾を飲み込んだ。声が不安定に震えるのを堪える。
「何だ? おい。秋野が趣味だったのか?」
村西がぽかんと口を開けて俺を見る。
「そんなんじゃない」
俺は慌てて否定した。
(そうとも、そんなはずはない)
『恋愛濃度』の『接触』は、身体的なもののはずだ。見ただけでこんな状態になるなんて、聞いていない。けれど、体は勝手にあやしい揺れを生み出し始めている。それを何とかごまかそうとして、俺は向きを変えた。
「わかった、いってくる」
「相手は秋野だぞ、襲われんなよ」
後ろから村西が投げてきた冗談にさえ、一瞬、それでもいい、なんて思ってしまって、俺はくらくらした。
こんな状態のときに気になっている相手に会うなんて自殺行為だ。ここは故郷じゃないし、俺は人間じゃないんだぞ、バカなことするんじゃない。
そう何度も繰り返して向きを変えようとしたけど、気がつけば吸い込まれるように部室に入っていた。
「あ、そこ!」
ごん。
秋野さんの警告は遅かった。俺は、入り口近くの棚から突き出ていた板に思い切り頭をぶつけていた。
「あつつっっ」
額を押さえてうめいていると、
「あいかわらず、でっかいな」
秋野さんが笑いながら、座っていた机から立ち上がって、様子を見に来てくれた。卵形の顔にぽっちりと赤い唇がまるで磁石のように視線を引く。とっさに目を逸らせて答える。
「こんなところに妙なもの置いとかないで下さいよ」
「そこにあるのにぶつかるの、近江ぐらいだろ」
楽しそうにくすくす笑っている。
「百九十はある?」
秋野さんは気づいたふうもなく、俺をひょいとのぞき込み、白くて細い指で俺の額のぶつけたあたりに触れた。じり、と指先で焼き印が押されたような気がして俺は体を引いた。
(『密約』? いや、違う)
初めてのことのはずなのに、そう、感じた。感じた瞬間に、舌打ちするような残念さが滲みかけて、慌てて思考に集中する。
(無視しようとするから、かえって気になるのかな。それとも、こいつの体が反応しやすいとか)
『地球人』で『恋愛濃度』を体験したような仲間なんていないだろうし、と考えて、自分が未曾有の事態というやつに遭遇していると気づく。
(ひょっとして、『密約』の経験自体も違うかもしれない)
意外に、そうだ、『地球』でも発情とか言われている状況ぐらいですむのかもしれない。
(それなら、秋野さん相手なら、ちょっと考えてもいいかも)
そう考えると少し気が楽になって、秋野さんに目を戻した。
「百九十二、あります」
「あたし、百六十だよ」
唇をとがらせる、その仕草が何だかとっても可愛いと思えて、俺はまぜっかえした。
「文句あるんですか?」
「文句つけたら、縮んでくれる?」
「……縮みませんて」
くすくす笑う秋野さんに舞い上がっていた気持ちが一気に冷えた。正体を知っているのかと思ってひやりとしたせいだ。
(そんなことがあるはずはない)
いくら秋野さんが『異常現象』に興味があるといっても、『地球』に既に宇宙人がいて、しかもそいつが目の前にのっそり立っているなんて、さすがに思いつきはしないだろう。
「それより、何ですか、用って」
「んー?」
秋野さんは俺をからかって満足したのか、机に戻って広げていたノートを見ている。それきり、俺のことは忘れてしまったかのようにページをめくる。
「朝のこと、って言ったんでしょう、村西に?」
あんまりそっけなくふるまうんで、つい、側に寄って話しかけると、秋野さんは唐突に顔を上げた。さっきよりずっと距離が近くなったことに気づいたが、もう身を引くことさえできなくなっていた。何だか、秋野さんの磁力にからめとられたみたいだ。
「朝、どうして逃げたの?」
秋野さんはいたずらっぽい目で尋ねてきた。
「逃げた、なんて」
図星をさされて一瞬、ことばに詰まった。
こういうところがこの人は妙に鋭くて困る。
「秋野さんこそ、何をしてたんですか」
ようやく切り返すと、
「うん」
秋野さんはにっこり笑った。邪気のない、澄み切った笑顔だ。
「水と話せないかな、と思ってさ」
さすがにびく、と無意識に体が固まった。やがて体の中心に炎を投げ込まれたような気がしてきた。
ゆらめき、広がる、炎の色は青だ。
青と金の『恋愛濃度』の色。
「SF映画じゃあ、液体型の生命ってあるじゃないか? 小説で水みたいな生命体が書かれている。だからひょっとすると、この地球上にある水の中には、そういう奴がいるのかなっと思ってさ。けど」
くすくすと秋野さんは笑った。
「あの公園の噴水の水はそうじゃなかったみたいだ。それとも、あたしと気が合わなかったのかもしれないな」
揺らめく感覚とは別の衝撃が俺を襲った。
(液体型の、宇宙人と、話そうとしたって?)
秋野さんが今やっているのはまさにそれだといったら、どんな顔をするだろう。
そう思った次の瞬間だった。
「近江?」
「は? あ、んっ!」
自分がまずい位置にいることを忘れていたわけじゃなかったが、液体型宇宙人と話そうとした秋野さんなら、ひょっとして俺のことをわかってくれるんじゃないか、そんな期待が動いたのも確かだった。
その一瞬のすき、拒む間も避ける間もなく、体を起こした秋野さんが跳ねるような早業で、俺の唇を奪っていったのだ。
体を強烈な光が走って、頭の中が真っ白になる。
(今の、今のって)
「よおし!」
俺の狼狽に全く気づかずに、秋野さんは片腕をつきだしてぐっと曲げ、腕の筋肉を誇るような仕草をして上機嫌で喜んだ。
「近江潤のキス、もーらいっ」
体が震えてきた。
頭が熱くなり、それが全身に広がって、震えとともに体の隅々まで駆け巡る。世界がいきなり陽炎の中に放り込まれでもしたように、ぼやぼやと輪郭を失っていく。体の中の青い炎が野火のように全身を走る。
崩れそうになる体を、俺は必死に机にしがみついて支えたが、灼熱の波のようなうねりに体がどんどん飲み込まれていく。
息ができない。
(これが…『密約』…)
「賭けはあたしの勝ちだったなあ。あ、近江にもおごったげるね」
秋野さんがあっさりとそういって、俺は信じられない思いで相手を見た。
(賭け、だって?)
声が声にならない。
今すぐにでもとろけて、原型に戻ってしまうのをこらえるのが精一杯だった。思考も感情も竜巻の中に投げ込まれたようにみるみるかき乱されて、いっそこのまま我を失って倒れた方がましな気さえした。
そんな状態なのに、すぐにでももう一度、秋野さんの唇が欲しくて、その衝動が背骨を貫いて吹き出しそうだ。机から手を放せさえしたら、確実に秋野さんを押し倒している。
「あんたときたら、頭がよくて顔がよくて、ガタイもよくて人もいいのに、女にはやたらと冷たいでしょう。だから、ターゲットになっちゃったんだよ。あ、それとも」
秋野さんはふいと生真面目な顔になって俺を見た。
「ひょっとして、男の方がよかったのかな。それなら、悪かったな、ちょっとまとまったお金がほしくてさ。今すぐ、うがいしてきてもいいよ?」
(違う)
俺はのろのろと首を振った。
(それどころじゃなくて、あんたが、あんたのキスが)
やっぱり声は出なかった。
「女でいいのか。じゃあ、まあちょっとしたアクシデントだと思ってくれるといいかな? これからは気をつけんだよ、かなり狙われてるから。じゃね」
とってもうれしそうに部室を出て行く秋野さんを俺はにらみつけた。振り返りもしない華奢な姿、もし、今俺が背中から襲いかかって抱き締めてしまえば、すぐに全てが手に入れられそうな後ろ姿を。
これから、だって?
あんた、俺にとんでもないことしちまったんだぞ。
俺はがくがく震えてくる体をきつく抱いてへたりこんだ。周囲に起こっている全てのことが、何十倍もの刺激に増幅されて、体の中になだれこんでくる。
だめだ。
秋野さんに『密約』、された。
俺はもつ、だろうか?
聞き慣れた声に呼び止められて振り返った。
予定の講義は終わった。不安定なときには、学内にいるのがつらい。さっさと家に帰ってしまおうと思っていた矢先のことだ。
「帰るのか?」
村西がハスキーというよりはガラガラした声で笑っていた。
「ああ」
「どこかのきれーなおねーさんとお出掛け、って気にはならねえのか?」
ひょいと片手に数枚のカードを差し出して見せる。俺はうんざりした。
「やるよ」
「やるよって、オレがもらっても仕方ねえだろ? 全部『近江潤』あてだぞ」
受け取って、村西の手前、目を通して見る。
メールアドレスつきのテレフォンカード、写真つきの薄い手紙、どこかの店のチケットにハートマークつきのメッセージ、コンサートや映画の券とメッセージカード。
俺は携帯電話をもっていない。確かに連絡はこういう方法でしかとれないだろう。
「この中に、お前の気に入った相手っているのか?」
俺は村西の笑っている気のいい目を見返して尋ねた。
「いねえけど、いても、本命がおまえじゃ勝ち目ってものが……あーあ」
俺が名前を確認もせずにゴミ箱に放り込んだのを、相手はあきれ顔で見た。
「もったいねえな」
「興味ない」
「興味ないっても…もったいねえだろ、カード代。売ればいくらかになるぜ」
そっち側のもったいないか、と俺は思わず吹き出した。
「だけど、こっちは断れねえな」
懲りたふうもなく、村西はもう一枚カードを取り出した。
それも見るまでもない、ゴミ箱へ捨てようと手を伸ばした俺に、違う違うと首を振って文面を読み上げた。
「秋野ひかりからだ。部室に来てくれって」
「秋野さん?」
朝の噴水の光景が過り、胸の鼓動がいきなり予想もしていなかった激しさで跳ね上がって、俺はうろたえた。
「何だか、話があるんだってさ、朝のことで」
「朝のこと」
体が見る見る熱くなる。濡れて光っていた桜色の唇が視界に重なって、無意識に唾を飲み込んだ。声が不安定に震えるのを堪える。
「何だ? おい。秋野が趣味だったのか?」
村西がぽかんと口を開けて俺を見る。
「そんなんじゃない」
俺は慌てて否定した。
(そうとも、そんなはずはない)
『恋愛濃度』の『接触』は、身体的なもののはずだ。見ただけでこんな状態になるなんて、聞いていない。けれど、体は勝手にあやしい揺れを生み出し始めている。それを何とかごまかそうとして、俺は向きを変えた。
「わかった、いってくる」
「相手は秋野だぞ、襲われんなよ」
後ろから村西が投げてきた冗談にさえ、一瞬、それでもいい、なんて思ってしまって、俺はくらくらした。
こんな状態のときに気になっている相手に会うなんて自殺行為だ。ここは故郷じゃないし、俺は人間じゃないんだぞ、バカなことするんじゃない。
そう何度も繰り返して向きを変えようとしたけど、気がつけば吸い込まれるように部室に入っていた。
「あ、そこ!」
ごん。
秋野さんの警告は遅かった。俺は、入り口近くの棚から突き出ていた板に思い切り頭をぶつけていた。
「あつつっっ」
額を押さえてうめいていると、
「あいかわらず、でっかいな」
秋野さんが笑いながら、座っていた机から立ち上がって、様子を見に来てくれた。卵形の顔にぽっちりと赤い唇がまるで磁石のように視線を引く。とっさに目を逸らせて答える。
「こんなところに妙なもの置いとかないで下さいよ」
「そこにあるのにぶつかるの、近江ぐらいだろ」
楽しそうにくすくす笑っている。
「百九十はある?」
秋野さんは気づいたふうもなく、俺をひょいとのぞき込み、白くて細い指で俺の額のぶつけたあたりに触れた。じり、と指先で焼き印が押されたような気がして俺は体を引いた。
(『密約』? いや、違う)
初めてのことのはずなのに、そう、感じた。感じた瞬間に、舌打ちするような残念さが滲みかけて、慌てて思考に集中する。
(無視しようとするから、かえって気になるのかな。それとも、こいつの体が反応しやすいとか)
『地球人』で『恋愛濃度』を体験したような仲間なんていないだろうし、と考えて、自分が未曾有の事態というやつに遭遇していると気づく。
(ひょっとして、『密約』の経験自体も違うかもしれない)
意外に、そうだ、『地球』でも発情とか言われている状況ぐらいですむのかもしれない。
(それなら、秋野さん相手なら、ちょっと考えてもいいかも)
そう考えると少し気が楽になって、秋野さんに目を戻した。
「百九十二、あります」
「あたし、百六十だよ」
唇をとがらせる、その仕草が何だかとっても可愛いと思えて、俺はまぜっかえした。
「文句あるんですか?」
「文句つけたら、縮んでくれる?」
「……縮みませんて」
くすくす笑う秋野さんに舞い上がっていた気持ちが一気に冷えた。正体を知っているのかと思ってひやりとしたせいだ。
(そんなことがあるはずはない)
いくら秋野さんが『異常現象』に興味があるといっても、『地球』に既に宇宙人がいて、しかもそいつが目の前にのっそり立っているなんて、さすがに思いつきはしないだろう。
「それより、何ですか、用って」
「んー?」
秋野さんは俺をからかって満足したのか、机に戻って広げていたノートを見ている。それきり、俺のことは忘れてしまったかのようにページをめくる。
「朝のこと、って言ったんでしょう、村西に?」
あんまりそっけなくふるまうんで、つい、側に寄って話しかけると、秋野さんは唐突に顔を上げた。さっきよりずっと距離が近くなったことに気づいたが、もう身を引くことさえできなくなっていた。何だか、秋野さんの磁力にからめとられたみたいだ。
「朝、どうして逃げたの?」
秋野さんはいたずらっぽい目で尋ねてきた。
「逃げた、なんて」
図星をさされて一瞬、ことばに詰まった。
こういうところがこの人は妙に鋭くて困る。
「秋野さんこそ、何をしてたんですか」
ようやく切り返すと、
「うん」
秋野さんはにっこり笑った。邪気のない、澄み切った笑顔だ。
「水と話せないかな、と思ってさ」
さすがにびく、と無意識に体が固まった。やがて体の中心に炎を投げ込まれたような気がしてきた。
ゆらめき、広がる、炎の色は青だ。
青と金の『恋愛濃度』の色。
「SF映画じゃあ、液体型の生命ってあるじゃないか? 小説で水みたいな生命体が書かれている。だからひょっとすると、この地球上にある水の中には、そういう奴がいるのかなっと思ってさ。けど」
くすくすと秋野さんは笑った。
「あの公園の噴水の水はそうじゃなかったみたいだ。それとも、あたしと気が合わなかったのかもしれないな」
揺らめく感覚とは別の衝撃が俺を襲った。
(液体型の、宇宙人と、話そうとしたって?)
秋野さんが今やっているのはまさにそれだといったら、どんな顔をするだろう。
そう思った次の瞬間だった。
「近江?」
「は? あ、んっ!」
自分がまずい位置にいることを忘れていたわけじゃなかったが、液体型宇宙人と話そうとした秋野さんなら、ひょっとして俺のことをわかってくれるんじゃないか、そんな期待が動いたのも確かだった。
その一瞬のすき、拒む間も避ける間もなく、体を起こした秋野さんが跳ねるような早業で、俺の唇を奪っていったのだ。
体を強烈な光が走って、頭の中が真っ白になる。
(今の、今のって)
「よおし!」
俺の狼狽に全く気づかずに、秋野さんは片腕をつきだしてぐっと曲げ、腕の筋肉を誇るような仕草をして上機嫌で喜んだ。
「近江潤のキス、もーらいっ」
体が震えてきた。
頭が熱くなり、それが全身に広がって、震えとともに体の隅々まで駆け巡る。世界がいきなり陽炎の中に放り込まれでもしたように、ぼやぼやと輪郭を失っていく。体の中の青い炎が野火のように全身を走る。
崩れそうになる体を、俺は必死に机にしがみついて支えたが、灼熱の波のようなうねりに体がどんどん飲み込まれていく。
息ができない。
(これが…『密約』…)
「賭けはあたしの勝ちだったなあ。あ、近江にもおごったげるね」
秋野さんがあっさりとそういって、俺は信じられない思いで相手を見た。
(賭け、だって?)
声が声にならない。
今すぐにでもとろけて、原型に戻ってしまうのをこらえるのが精一杯だった。思考も感情も竜巻の中に投げ込まれたようにみるみるかき乱されて、いっそこのまま我を失って倒れた方がましな気さえした。
そんな状態なのに、すぐにでももう一度、秋野さんの唇が欲しくて、その衝動が背骨を貫いて吹き出しそうだ。机から手を放せさえしたら、確実に秋野さんを押し倒している。
「あんたときたら、頭がよくて顔がよくて、ガタイもよくて人もいいのに、女にはやたらと冷たいでしょう。だから、ターゲットになっちゃったんだよ。あ、それとも」
秋野さんはふいと生真面目な顔になって俺を見た。
「ひょっとして、男の方がよかったのかな。それなら、悪かったな、ちょっとまとまったお金がほしくてさ。今すぐ、うがいしてきてもいいよ?」
(違う)
俺はのろのろと首を振った。
(それどころじゃなくて、あんたが、あんたのキスが)
やっぱり声は出なかった。
「女でいいのか。じゃあ、まあちょっとしたアクシデントだと思ってくれるといいかな? これからは気をつけんだよ、かなり狙われてるから。じゃね」
とってもうれしそうに部室を出て行く秋野さんを俺はにらみつけた。振り返りもしない華奢な姿、もし、今俺が背中から襲いかかって抱き締めてしまえば、すぐに全てが手に入れられそうな後ろ姿を。
これから、だって?
あんた、俺にとんでもないことしちまったんだぞ。
俺はがくがく震えてくる体をきつく抱いてへたりこんだ。周囲に起こっている全てのことが、何十倍もの刺激に増幅されて、体の中になだれこんでくる。
だめだ。
秋野さんに『密約』、された。
俺はもつ、だろうか?
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