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(出て行くか?)
手紙を封筒に戻しながら、胸の中で自分に尋ねてみる。
(出て行って、それで、どこへ行くんだ?)
『近江潤』が死体になっている、あの湖とか?
悪い冗談だ。
(そんなことをしなくても)
もう大丈夫になったのだ、と秋野さんにいえばいい。回復して元気になったのだから、キスは要らないのだと嘘をつけばいい。
そうして、どこかの路地の片隅で溶け崩れるのを待っていれば、俺は簡単にこの世から姿を消せる。
「ただいまあ、近江、たこ焼きあったよ、あれ?」
ふいにドアが開いて、俺は死ぬほどびっくりした。急いで封筒を隠したが、思いっきり不自然で、おまけに秋野さんの目は鋭い。
「何隠したの? ん?」
首を傾げて、右に左に俺の背中をのぞき込もうとしながら、秋野さんが近づいてくる。
「いや、その」
その目から手紙をかばおうとした俺を、ふいに秋野さんはまじまじと見つめた。
「…何で、泣いてるの?」
「いや、そのっ!」
顔を覆おうとして腕を上げた瞬間、後ろにかばった封筒をあっさりもぎ取られる。
見事なフェイント。
「あーっ、これ! 近江ィ!」
「わ、ごめん、お、俺宛だからって渡されて…!」
しまったと思う間もなかった。
「誰に、と聞くまでもないわな」
秋野さんは眉を寄せた。
「お父さん、あっこから取ったなあ」
「あっこ?」
「うん、同じクラスにいとこがいて、近江に渡してくれって頼んだの」
(普通、頼むか、そんなの?)
俺は思わず崩れそうになってしまった。
「でも、渡し損ねてるっていってたから、その間に取られたんだな。あっこってお父さんに弱いから。小さいころ喘息があって、お父さんによく病院に運びこんでもらってたしな」
(昔からそんなことをしてたのか)
道理で俺が様子がおかしいとわかっても、対応が早かったはずだ。
それだけわかると、それ以上秋野さんは手紙のことについて追求する気はなかったらしい。
「でも、ま、いいか。時間はかかったけど、読んでもらえたんだし」
机の上にたこ焼きを置きながら、にこっと笑って俺を見る。
ずきん、と体の奥が何かに貫かれたみたいに痛んだ。
(違うよな、本当ならそれは)
『近江潤』が読んでいたはずだ。
そして、ひょっとすると、『近江潤』もさっきの俺みたいに、どこかで自分を支えてくれる手を感じてがんばろうと思ったも知れない。
それどころか、『近江潤』が秋野さんの手紙を読んでいたら、自殺しなかったもしれないし、ひょっとしてひょっとすると、『近江潤』も秋野さんに惚れていたかもしれない。
(そのとき、俺はどうなってたんだろう)
無邪気にたこ焼きを広げにかかる秋野さんを、尋ねたくても尋ねられないまま、見つめてしまう。
「さあて、食べよ食べよ。近江、ほんとに食べないの?」
秋野さんが尋ねて、俺はようよう何とか笑みを押し上げた。
「いいです、俺、もう食べられないんです、エネルギーの摂り方が変わったから」
「ふうん、じゃ、おすそわけ、ね」
秋野さんはぺろっと猫みたいに唇のソースをなめてから、俺の口に顔を寄せた。緩やかに唇から広がっていく力の波動。冷えて来ていた手足も体もゆっくりと温めてくれる命のエネルギー。
そのエネルギーの豊かさが、本当は俺のものじゃなかったのかもしれない。
胸が苦しく辛かった。
「おいしかったら、ごちそうさまっていうもんだよ」
唇を離すや否や、秋野さんは生真面目にいった。と思うと、くすくすっと楽しそうに笑って、次のたこ焼きを口にほうり込み、
「でもさ、結構不便だよね、一人の人からしかエネルギーもらえないのって。そうだ、『密約』って、やり直しはきかないの?」
無邪気な問いかけに、崖から突き落とされた気がした。
「俺達はたぶん……でも」
喉がからからになってくる。
「秋野さんは地球人、だから、別に、大丈夫だと思うけど…」
(それって)
秋野さんは実はもううんざりしてきたってことなんだろうか。
俺の衝撃に気づかない様子で、秋野さんはいいことを思いついたという顔になった。
「そうだ。これまで五年間食べてきたから、ひょっとしたら、体が多少変わってて、食べても時間延ばせるかも知れない。そうしたら、あたしに何かあっても大丈夫だよね?」
明るくうれしそうに言い放たれて、海より深く落ち込んだ。
「…うん、じゃあ、食べてみる」
「はい、どうぞ」
『密約』後初めての食べ物。
甘辛い匂いに、むわむわとした熱を放つ、まだらの丸いもの。
見慣れたはずのたこ焼きが、得たいの知れない不気味なものに見えるのを我慢して、俺は口に投げ入れた。もぐもぐもぐ、と口を動かして、何とか飲み下す。
だが、そこまでだった。
「近江?!」
口を押さえてトイレに駆け込んだ俺の背中から、秋野さんがうろたえたように走り寄って来る。吐き戻す。体に入った『異物』を全身が拒否して止まらない。
「ごめん! ごめんね、大丈夫?」
悲鳴じみた声の秋野さんを慰めたい。振り向いて、抱き締めて、笑って。
けれど現実の俺は体を震わせ便器にしがみついている。血の気が引く。エネルギーが一気に消える。『食べ物』が俺の中身を消費していく。喰い尽くされる。
それでも、喘いで必死に息を吸い、体を起こす、振り返る。
「うん、大…」
大丈夫、何でもないよと笑って見せたのは『近江潤』の方だったに違いない。
俺はそのままトイレから出られもせず意識を失ってしまったのだから。
手紙を封筒に戻しながら、胸の中で自分に尋ねてみる。
(出て行って、それで、どこへ行くんだ?)
『近江潤』が死体になっている、あの湖とか?
悪い冗談だ。
(そんなことをしなくても)
もう大丈夫になったのだ、と秋野さんにいえばいい。回復して元気になったのだから、キスは要らないのだと嘘をつけばいい。
そうして、どこかの路地の片隅で溶け崩れるのを待っていれば、俺は簡単にこの世から姿を消せる。
「ただいまあ、近江、たこ焼きあったよ、あれ?」
ふいにドアが開いて、俺は死ぬほどびっくりした。急いで封筒を隠したが、思いっきり不自然で、おまけに秋野さんの目は鋭い。
「何隠したの? ん?」
首を傾げて、右に左に俺の背中をのぞき込もうとしながら、秋野さんが近づいてくる。
「いや、その」
その目から手紙をかばおうとした俺を、ふいに秋野さんはまじまじと見つめた。
「…何で、泣いてるの?」
「いや、そのっ!」
顔を覆おうとして腕を上げた瞬間、後ろにかばった封筒をあっさりもぎ取られる。
見事なフェイント。
「あーっ、これ! 近江ィ!」
「わ、ごめん、お、俺宛だからって渡されて…!」
しまったと思う間もなかった。
「誰に、と聞くまでもないわな」
秋野さんは眉を寄せた。
「お父さん、あっこから取ったなあ」
「あっこ?」
「うん、同じクラスにいとこがいて、近江に渡してくれって頼んだの」
(普通、頼むか、そんなの?)
俺は思わず崩れそうになってしまった。
「でも、渡し損ねてるっていってたから、その間に取られたんだな。あっこってお父さんに弱いから。小さいころ喘息があって、お父さんによく病院に運びこんでもらってたしな」
(昔からそんなことをしてたのか)
道理で俺が様子がおかしいとわかっても、対応が早かったはずだ。
それだけわかると、それ以上秋野さんは手紙のことについて追求する気はなかったらしい。
「でも、ま、いいか。時間はかかったけど、読んでもらえたんだし」
机の上にたこ焼きを置きながら、にこっと笑って俺を見る。
ずきん、と体の奥が何かに貫かれたみたいに痛んだ。
(違うよな、本当ならそれは)
『近江潤』が読んでいたはずだ。
そして、ひょっとすると、『近江潤』もさっきの俺みたいに、どこかで自分を支えてくれる手を感じてがんばろうと思ったも知れない。
それどころか、『近江潤』が秋野さんの手紙を読んでいたら、自殺しなかったもしれないし、ひょっとしてひょっとすると、『近江潤』も秋野さんに惚れていたかもしれない。
(そのとき、俺はどうなってたんだろう)
無邪気にたこ焼きを広げにかかる秋野さんを、尋ねたくても尋ねられないまま、見つめてしまう。
「さあて、食べよ食べよ。近江、ほんとに食べないの?」
秋野さんが尋ねて、俺はようよう何とか笑みを押し上げた。
「いいです、俺、もう食べられないんです、エネルギーの摂り方が変わったから」
「ふうん、じゃ、おすそわけ、ね」
秋野さんはぺろっと猫みたいに唇のソースをなめてから、俺の口に顔を寄せた。緩やかに唇から広がっていく力の波動。冷えて来ていた手足も体もゆっくりと温めてくれる命のエネルギー。
そのエネルギーの豊かさが、本当は俺のものじゃなかったのかもしれない。
胸が苦しく辛かった。
「おいしかったら、ごちそうさまっていうもんだよ」
唇を離すや否や、秋野さんは生真面目にいった。と思うと、くすくすっと楽しそうに笑って、次のたこ焼きを口にほうり込み、
「でもさ、結構不便だよね、一人の人からしかエネルギーもらえないのって。そうだ、『密約』って、やり直しはきかないの?」
無邪気な問いかけに、崖から突き落とされた気がした。
「俺達はたぶん……でも」
喉がからからになってくる。
「秋野さんは地球人、だから、別に、大丈夫だと思うけど…」
(それって)
秋野さんは実はもううんざりしてきたってことなんだろうか。
俺の衝撃に気づかない様子で、秋野さんはいいことを思いついたという顔になった。
「そうだ。これまで五年間食べてきたから、ひょっとしたら、体が多少変わってて、食べても時間延ばせるかも知れない。そうしたら、あたしに何かあっても大丈夫だよね?」
明るくうれしそうに言い放たれて、海より深く落ち込んだ。
「…うん、じゃあ、食べてみる」
「はい、どうぞ」
『密約』後初めての食べ物。
甘辛い匂いに、むわむわとした熱を放つ、まだらの丸いもの。
見慣れたはずのたこ焼きが、得たいの知れない不気味なものに見えるのを我慢して、俺は口に投げ入れた。もぐもぐもぐ、と口を動かして、何とか飲み下す。
だが、そこまでだった。
「近江?!」
口を押さえてトイレに駆け込んだ俺の背中から、秋野さんがうろたえたように走り寄って来る。吐き戻す。体に入った『異物』を全身が拒否して止まらない。
「ごめん! ごめんね、大丈夫?」
悲鳴じみた声の秋野さんを慰めたい。振り向いて、抱き締めて、笑って。
けれど現実の俺は体を震わせ便器にしがみついている。血の気が引く。エネルギーが一気に消える。『食べ物』が俺の中身を消費していく。喰い尽くされる。
それでも、喘いで必死に息を吸い、体を起こす、振り返る。
「うん、大…」
大丈夫、何でもないよと笑って見せたのは『近江潤』の方だったに違いない。
俺はそのままトイレから出られもせず意識を失ってしまったのだから。
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