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98.『夜を荒らすなかれ』(1)
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左目が熱い。
「…」
オウライカは浅い眠りの中でなくなってしまった左目を瞬く。
『俺、行きたいところがあるんだ』
差し出された蒼銀の簪。
『これ、俺が作ったんだ』
添えられた武骨なもう一本の蒼銀の針。
『……俺、ほんとはここで暮らしたい、あんたの側で、細工物とか作っちゃって』
哀しそうに潤んだ金の瞳。
『俺、あんたが大事です』
祈るような懇願するような声。
『それを守りに置いてくよ』
オウライカの中にうねる闇を気づいていた。
『………あんたの贄は、俺だ』
振り向かないまま出て行く、緑のコート姿。
「…カザル…」
本当は止めたかった、止められなかった、『斎京』のログ・オウライカが。
修練も鍛錬も全て水の泡だ。克己心も制御もどこかへ投げ捨てられていく。
『ああ…』
夢の中で必ず抱いている、名前も顔もない体が喘ぎながら仰け反りながら、オウライカの指先を擦り抜け掌から抜け出そうとするのを強く掴み握りしめる。
『ああ、ああ、あああ…』
甘い悲鳴を響かせながら、紅の衣を開かれ剥き出されて行く肢体に溺れる。
がくりと俯せになっていく顔を覗き込もうとすれば、乱れる髪に横顔さえも隠されて定かでなくなる。
いや一つだけはっきりしていることがある。
これはカザルではない。
カザルのように体は熱くなっていないし、カザルのように汗に濡れてもこない。カザルのように激しく息を吐かないし、カザルのように強く締めつけてもこない。
カザルのように、カザルのように。
カザルの姿を探し求めて、カザルと違う肢体を貫き続けていると、自分の内側がぼろぼろと崩れていくような気がする。
蒼銀の簪はどこへ行った。蒼銀の暗器はどこへやった。
「…ライカ」
お前はどこで何をしている。
「…オウライカ…」
お前を拾ってきたのは俺なのに。
「…ライカっ!」
「っっ!」
どすっ、と物騒な音が耳元で響いて目を開けた。
右目すれすれにぎらりと光る包丁が突き立っている。身動きすると顔を削がれる。顔を動かさないまま、そろそろと視線を上げていく。それでも視界の端で髪の毛が幾筋が切れて舞ったのを感じる。
「…目が覚めた?」
「……ああ」
「そう、よかった」
包丁を突き立てているのは細くて白い指だった。必要以上に力を込めることもなく、確実に急所を貫く確かさで刃物を支えていたミコトが、冷ややかに微笑みながらオウライカの胸に馬乗りになっている。
「畳が傷んだわ」
「そうだな」
「弁償してくれるわよね?」
「もちろんだ」
「なら問題ないわ」
にっこり笑って立ち上がる。そのまま離れようとするのに声をかけた。
「すまないが」
「何?」
艶やかな黒繻子の着物を捌いて振り向く。
「抜いてくれると有難い」
「自分で動けば」
「…寝起きなのか、動きが悪い」
「左へずれて行けばいいのよ」
これは、ばれてるな。
オウライカは溜め息をついた。左半身は動きが悪い、と言うか、ほとんど中身がなくなっているから、右を詰められると動けなくなる。なるほど、ミコトはその分も怒っているわけだ。
「…できないんだ」
「そう」
ミコトは頷いてまた去ろうとする。
「ミコト」
「甘えないで」
「頼む」
「いい加減にしてちょうだい」
振り向いてきりっと睨まれた。
「何よ、飼い主に捨てられた犬ならまだしも、飼い犬に捨てられた主人なんて惨めったらありゃしない」
「カザルのことは」
「あの子のことは話してない。あたしは目の前で寝転がってる腑抜けのことを嗤ってるの」
言い捨てながらも、ミコトは戻ってきて包丁に手をかけ、しばらくしてから言い放った。
「抜けないわ」
「おい」
「レシンさん、呼んでくる」
おかしいわね、そんなに力は入れてなかったんだけど。
照れ隠しにぼやきながら部屋を出て行く細い後ろ姿に、そこまで自分は危うかったのかと、オウライカは溜め息をついた。
「…」
オウライカは浅い眠りの中でなくなってしまった左目を瞬く。
『俺、行きたいところがあるんだ』
差し出された蒼銀の簪。
『これ、俺が作ったんだ』
添えられた武骨なもう一本の蒼銀の針。
『……俺、ほんとはここで暮らしたい、あんたの側で、細工物とか作っちゃって』
哀しそうに潤んだ金の瞳。
『俺、あんたが大事です』
祈るような懇願するような声。
『それを守りに置いてくよ』
オウライカの中にうねる闇を気づいていた。
『………あんたの贄は、俺だ』
振り向かないまま出て行く、緑のコート姿。
「…カザル…」
本当は止めたかった、止められなかった、『斎京』のログ・オウライカが。
修練も鍛錬も全て水の泡だ。克己心も制御もどこかへ投げ捨てられていく。
『ああ…』
夢の中で必ず抱いている、名前も顔もない体が喘ぎながら仰け反りながら、オウライカの指先を擦り抜け掌から抜け出そうとするのを強く掴み握りしめる。
『ああ、ああ、あああ…』
甘い悲鳴を響かせながら、紅の衣を開かれ剥き出されて行く肢体に溺れる。
がくりと俯せになっていく顔を覗き込もうとすれば、乱れる髪に横顔さえも隠されて定かでなくなる。
いや一つだけはっきりしていることがある。
これはカザルではない。
カザルのように体は熱くなっていないし、カザルのように汗に濡れてもこない。カザルのように激しく息を吐かないし、カザルのように強く締めつけてもこない。
カザルのように、カザルのように。
カザルの姿を探し求めて、カザルと違う肢体を貫き続けていると、自分の内側がぼろぼろと崩れていくような気がする。
蒼銀の簪はどこへ行った。蒼銀の暗器はどこへやった。
「…ライカ」
お前はどこで何をしている。
「…オウライカ…」
お前を拾ってきたのは俺なのに。
「…ライカっ!」
「っっ!」
どすっ、と物騒な音が耳元で響いて目を開けた。
右目すれすれにぎらりと光る包丁が突き立っている。身動きすると顔を削がれる。顔を動かさないまま、そろそろと視線を上げていく。それでも視界の端で髪の毛が幾筋が切れて舞ったのを感じる。
「…目が覚めた?」
「……ああ」
「そう、よかった」
包丁を突き立てているのは細くて白い指だった。必要以上に力を込めることもなく、確実に急所を貫く確かさで刃物を支えていたミコトが、冷ややかに微笑みながらオウライカの胸に馬乗りになっている。
「畳が傷んだわ」
「そうだな」
「弁償してくれるわよね?」
「もちろんだ」
「なら問題ないわ」
にっこり笑って立ち上がる。そのまま離れようとするのに声をかけた。
「すまないが」
「何?」
艶やかな黒繻子の着物を捌いて振り向く。
「抜いてくれると有難い」
「自分で動けば」
「…寝起きなのか、動きが悪い」
「左へずれて行けばいいのよ」
これは、ばれてるな。
オウライカは溜め息をついた。左半身は動きが悪い、と言うか、ほとんど中身がなくなっているから、右を詰められると動けなくなる。なるほど、ミコトはその分も怒っているわけだ。
「…できないんだ」
「そう」
ミコトは頷いてまた去ろうとする。
「ミコト」
「甘えないで」
「頼む」
「いい加減にしてちょうだい」
振り向いてきりっと睨まれた。
「何よ、飼い主に捨てられた犬ならまだしも、飼い犬に捨てられた主人なんて惨めったらありゃしない」
「カザルのことは」
「あの子のことは話してない。あたしは目の前で寝転がってる腑抜けのことを嗤ってるの」
言い捨てながらも、ミコトは戻ってきて包丁に手をかけ、しばらくしてから言い放った。
「抜けないわ」
「おい」
「レシンさん、呼んでくる」
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