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7.『欲望を偽るなかれ』(1)
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「あ……ぅ…」
叫び過ぎてひりひり痛い喉から掠れた声を漏らしながら、カザルは急に蔓がぐたりとしたのに気づいた。戒めが緩くなって、胸に吸いついていた花が萎れ、地面に投げ出される。
のろのろと涙で潤んだ視界を必死に見開けば、遠くいつの間にそこまで連れ込まれていたのか、そこは花畑の中央付近、そこへ端から急速に花を散らしつつ走り寄ってくる影がある。
影は巨大で素早かった。大きな車のように、けれどそれよりも生々しい動きでカザルの近くまで来ると、その背中からひらりと飛び降りた者がいる。
「……オウ……ライカ……?」
ちら、とこちらを見遣った相手は一瞬複雑な表情になったが、すぐに苦笑するようないつもの表情になって、右手の指を唇に当てた。人さし指と中指のニ本、口元から何かを引き出すようにそのまままっすぐ立てたまま前へ伸ばす。唇で何か詠唱しているのか、微かに動いた口が止まった、次の瞬間。
どぉんっ!
花畑の一画が炎を上げた。
ざわっ、と怯えたように、あるいは怒ったように花々がまたカザルから離れる。
「範囲を犯すなと言うのはわかっている」
静かなオウライカの声が響いた。
「こちらが不用意に踏み込んだのだ、咎はこちらにあるということも」
誰に話しかけている、と聞くまでもなかった。開いた花が一斉にオウライカの方を見上げて振り返り、じりじりと伸び上がっている。オウライカの後ろでのそりと構えたのは彼を背負って疾走してきたブライアン、警戒を怠らないように控えている姿に殺気が漲っている。
「だが、その者には私の紋章を入れていたはずだ」
花がざわめいた。
「気がつかなかったでは済まさぬぞ」
オウライカの声が低く冷ややかになる。
「気づいていた上で、好き放題振舞って、獲物に夢中になっていたから、私の接近にも気づかなかったのだ」
花が苛立ったように伸び上がろうとした、その矢先、腕をまっすぐに伸ばしたままのオウライカがまた小さくことばを紡いだ。
どっおおんっ!
ざわわわっっ。
今度はさっきより数倍の炎が上がり、花達が悶えるようにうねった。数十本はその場でいきなり萎れて朽ち、地面に崩れ落ちたものさえある。
うっすらと微笑んだオウライカが髪一筋も乱さずに、指をもう一本立てる。
『ひゃああああっ』
悲鳴が花畑を走ったようだった。青い花々が凍りついたように動きを止める。
「野原一面焼かれたいか? カザルから手を引け」
花がみるみる蕾に戻っていく。丈を縮め、蔓をおさめ、毒々しく滴らせていた液を自ら呑み込んで次第に静かにおさまっていく。
その中を漂うようにブライアンがやってきて、花々が蔓を引いたカザルの側に膝をつき、抱き上げてくれた。
「ブライ……アン……」
「もう大丈夫ですよ」
「う……っ」
安堵に思わずしがみついて、カザルは零れた涙を隠す。自分が泣くなんて思ってもいなかった、だが、この異常な世界で自分の能力が何も意味を為さないと思い知らされた恐怖が、体中を震わせる。
「咎の責は私が取ろう」
オウライカの静かな口調に、カザルは顔を上げた。
花畑はまだ完全に静まり返ってはいない。数十本は今にもオウライカを襲いそうに立ち上がったまま、ゆらゆら揺れている。捲り返った花びらは引きちぎれそうにぴりぴりしている。
オウライカがスーツを脱いだ。下は白いカッターシャツにベスト一枚、その両腕を軽く交差させたかと思うと。
「ふんっ」
「っ!」
気合いと同時に、ば、っとオウライカの左腕から鮮血が迸って、カザルは息を呑んだ。
ばたばたばたっ、と音を立てて散る血を振り撒くように、オウライカが片手を花畑の上に回す。重い音で降り落ちてくるそれを、立ち上がった花が次々上向いて受け止める。呑み込んで揺らめいた花から順に猛々しく開いた花びらを閉じ、元の静かな蕾に戻って行く有り様は、まるでオウライカの血が花の怒りを溶かすようだ。
「オウライカさま」
「……このカッターシャツは駄目だな」
「……腕まくりされてからでもよかったのでは」
カザルを膝抱えにしたブライアンの元へ戻ってきたオウライカが軽く溜め息をついて肩を竦める。
「格好が悪い」
「またそんなことを」
苦笑しながらブライアンがポケットから包帯を出す。すると、この状況は予測されていたことらしい。
ちくちくと妙な痛痒さに疼く身体を自分で抱きかかえているカザルを、ブライアンに包帯を巻かれて手当てをすませたオウライカが静かに膝をついて覗き込んでくる。
怒られる。勝手に外へ出て、勝手に酷い目にあって、なのに助けてもらって、あんな怪我までさせちゃって。もうお前なんか要らないってそう言われて放り出される。
「っ……」
新たに泣きそうになったのを必死に堪えて、カザルがブライアンのスーツにしがみつくと、オウライカが不愉快そうに顔をしかめた。額にくっきりと縦皺を寄せ、ブライアンを見上げる。
「なんだ、これは」
「怖かったんでしょう」
「私がいじめたみたいに見えるぞ」
「いきなりあんな光景を見せられれば」
「女子供じゃあるまいし………大丈夫か?」
「……ん」
カザルはうん、平気、と応えようとしたが声にならなかった。何とか絞り出したのは掠れて今にも消えそうな囁きで、それを聞いたオウライカが一層くっきりと眉を寄せてずきりとする。
嫌われたんじゃないか、この人に。
竦む心が今まで感じたことのない不安に浸る。
「………戻ろう」
「説明しておかなくてよろしいんですか」
「……ここは」
つい、と立ち上がったオウライカが投げ捨てたスーツを拾って歩き出そうとし、ブライアンの声に溜め息をついて振り返った。ぱらりと落ちた髪一筋、隙間から覗くような視線の鋭さにカザルの身が竦む。
「『飢峡』と言う」
「……き、きょ……」
それってあの花の名前なの、そう首を傾げてみると、さっきも見せた複雑な顔で見つめ返された。
「………飢えた思いを隠していると引き寄せられる」
ぼそりとした呟きの後、続いたことばにカザルは顔が熱くなった。
「抱いてほしいとか、抱きたいとか、な」
叫び過ぎてひりひり痛い喉から掠れた声を漏らしながら、カザルは急に蔓がぐたりとしたのに気づいた。戒めが緩くなって、胸に吸いついていた花が萎れ、地面に投げ出される。
のろのろと涙で潤んだ視界を必死に見開けば、遠くいつの間にそこまで連れ込まれていたのか、そこは花畑の中央付近、そこへ端から急速に花を散らしつつ走り寄ってくる影がある。
影は巨大で素早かった。大きな車のように、けれどそれよりも生々しい動きでカザルの近くまで来ると、その背中からひらりと飛び降りた者がいる。
「……オウ……ライカ……?」
ちら、とこちらを見遣った相手は一瞬複雑な表情になったが、すぐに苦笑するようないつもの表情になって、右手の指を唇に当てた。人さし指と中指のニ本、口元から何かを引き出すようにそのまままっすぐ立てたまま前へ伸ばす。唇で何か詠唱しているのか、微かに動いた口が止まった、次の瞬間。
どぉんっ!
花畑の一画が炎を上げた。
ざわっ、と怯えたように、あるいは怒ったように花々がまたカザルから離れる。
「範囲を犯すなと言うのはわかっている」
静かなオウライカの声が響いた。
「こちらが不用意に踏み込んだのだ、咎はこちらにあるということも」
誰に話しかけている、と聞くまでもなかった。開いた花が一斉にオウライカの方を見上げて振り返り、じりじりと伸び上がっている。オウライカの後ろでのそりと構えたのは彼を背負って疾走してきたブライアン、警戒を怠らないように控えている姿に殺気が漲っている。
「だが、その者には私の紋章を入れていたはずだ」
花がざわめいた。
「気がつかなかったでは済まさぬぞ」
オウライカの声が低く冷ややかになる。
「気づいていた上で、好き放題振舞って、獲物に夢中になっていたから、私の接近にも気づかなかったのだ」
花が苛立ったように伸び上がろうとした、その矢先、腕をまっすぐに伸ばしたままのオウライカがまた小さくことばを紡いだ。
どっおおんっ!
ざわわわっっ。
今度はさっきより数倍の炎が上がり、花達が悶えるようにうねった。数十本はその場でいきなり萎れて朽ち、地面に崩れ落ちたものさえある。
うっすらと微笑んだオウライカが髪一筋も乱さずに、指をもう一本立てる。
『ひゃああああっ』
悲鳴が花畑を走ったようだった。青い花々が凍りついたように動きを止める。
「野原一面焼かれたいか? カザルから手を引け」
花がみるみる蕾に戻っていく。丈を縮め、蔓をおさめ、毒々しく滴らせていた液を自ら呑み込んで次第に静かにおさまっていく。
その中を漂うようにブライアンがやってきて、花々が蔓を引いたカザルの側に膝をつき、抱き上げてくれた。
「ブライ……アン……」
「もう大丈夫ですよ」
「う……っ」
安堵に思わずしがみついて、カザルは零れた涙を隠す。自分が泣くなんて思ってもいなかった、だが、この異常な世界で自分の能力が何も意味を為さないと思い知らされた恐怖が、体中を震わせる。
「咎の責は私が取ろう」
オウライカの静かな口調に、カザルは顔を上げた。
花畑はまだ完全に静まり返ってはいない。数十本は今にもオウライカを襲いそうに立ち上がったまま、ゆらゆら揺れている。捲り返った花びらは引きちぎれそうにぴりぴりしている。
オウライカがスーツを脱いだ。下は白いカッターシャツにベスト一枚、その両腕を軽く交差させたかと思うと。
「ふんっ」
「っ!」
気合いと同時に、ば、っとオウライカの左腕から鮮血が迸って、カザルは息を呑んだ。
ばたばたばたっ、と音を立てて散る血を振り撒くように、オウライカが片手を花畑の上に回す。重い音で降り落ちてくるそれを、立ち上がった花が次々上向いて受け止める。呑み込んで揺らめいた花から順に猛々しく開いた花びらを閉じ、元の静かな蕾に戻って行く有り様は、まるでオウライカの血が花の怒りを溶かすようだ。
「オウライカさま」
「……このカッターシャツは駄目だな」
「……腕まくりされてからでもよかったのでは」
カザルを膝抱えにしたブライアンの元へ戻ってきたオウライカが軽く溜め息をついて肩を竦める。
「格好が悪い」
「またそんなことを」
苦笑しながらブライアンがポケットから包帯を出す。すると、この状況は予測されていたことらしい。
ちくちくと妙な痛痒さに疼く身体を自分で抱きかかえているカザルを、ブライアンに包帯を巻かれて手当てをすませたオウライカが静かに膝をついて覗き込んでくる。
怒られる。勝手に外へ出て、勝手に酷い目にあって、なのに助けてもらって、あんな怪我までさせちゃって。もうお前なんか要らないってそう言われて放り出される。
「っ……」
新たに泣きそうになったのを必死に堪えて、カザルがブライアンのスーツにしがみつくと、オウライカが不愉快そうに顔をしかめた。額にくっきりと縦皺を寄せ、ブライアンを見上げる。
「なんだ、これは」
「怖かったんでしょう」
「私がいじめたみたいに見えるぞ」
「いきなりあんな光景を見せられれば」
「女子供じゃあるまいし………大丈夫か?」
「……ん」
カザルはうん、平気、と応えようとしたが声にならなかった。何とか絞り出したのは掠れて今にも消えそうな囁きで、それを聞いたオウライカが一層くっきりと眉を寄せてずきりとする。
嫌われたんじゃないか、この人に。
竦む心が今まで感じたことのない不安に浸る。
「………戻ろう」
「説明しておかなくてよろしいんですか」
「……ここは」
つい、と立ち上がったオウライカが投げ捨てたスーツを拾って歩き出そうとし、ブライアンの声に溜め息をついて振り返った。ぱらりと落ちた髪一筋、隙間から覗くような視線の鋭さにカザルの身が竦む。
「『飢峡』と言う」
「……き、きょ……」
それってあの花の名前なの、そう首を傾げてみると、さっきも見せた複雑な顔で見つめ返された。
「………飢えた思いを隠していると引き寄せられる」
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「抱いてほしいとか、抱きたいとか、な」
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