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16.『下町』(1)
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『塔京』下層部、下町の一画にある小さな事務所。
ぼつぼつ深夜になろうとする時間に、どやどやと入り口から疲れ切った男達がなだれ込んできた。
少しずつ暑くなってくる季節だが、今日は妙に冷える。先頭に立っていたユン・ファローズがうっとうしそうに唸りながらジャンパーを脱ぎ捨てる音がする。
「おう、帰ったぜ」
「おかえりなさい、ファローズさん」
「おかえんなさい」
事務所にあちこちから声が掛かる。『塔京』にしては珍しい、人を受け入れたやりとりだ。
「首尾はどうでした?」
ルインがコーヒーを運んでいく。どさりとソファに腰を落としたファローズが溜め息をついた。連日深夜までの巡視、いくらブルーム直々の指示とは言え、成果の上がらねえ仕事はたまんねえなあ、と呟きながら、もう一度溜め息を重ねた。
「ほんとに『斎京』が仕掛けてくるってのかよ」
「異常なしですか」
「おお」
ルインからコーヒーを受け取ったらしく、少しの沈黙の後、
「これ、お前が淹れたのか?」
「はい」
「………ライヤーはいねえのか?」
「いますよ。味おかしいですか?」
「いや、おかしいっていうかよ」
「………」
妙な雰囲気に、ライヤーは厨房からドアの隙間を透かして表の部屋を覗いた。
ファローズは微妙な顔でカップを凝視している。ルインが周囲を見回すと、戻ってきた面々も落ち着かない顔でカップを半端に握っている。
「おいしくないんですね」
ルインががっくりした顔で唸った。
「いや、その」
「わかりました、淹れ直してもらいますよ………ライヤーくん!」
「はぁい」
やっぱり呼ばれたか、とライヤーは苦笑しながらキッチンから離れた。いい匂いをたてだしたスープの味を確認し、真っ赤なエプロンで手を拭きながら、厨房のドアを開けて顔を出した。
「おぅ、ライヤーぁ、いるんじゃねえか」
「お帰りなさい、ファローズさん」
にこりと笑うと、相手はほっとした顔でカップを差し上げる。
「おい、いつもの淹れてくれ」
「俺も」
「あ、俺も」
周囲が次々手を上げるのに、ルインがうんざりしてカップを集めにかかる。
「別にいいじゃないですか、一度ぐらい僕のやつでも。我慢して下さいよ」
「だってよぉ」
「ねえ?」
「なあ?」
「そりゃあ、ライヤーくんが淹れたのは信じられないぐらい旨いですけどね……あ、僕にもくれる?」
カップを盆ごと渡してきたルインがむくれながらぼやいたが、ライヤーには、に、と笑いながらねだってきた。はい、と受けて、ライヤーは匂いにつられて厨房を覗き込む男達に笑いかける。
「そうだ、みなさん、簡単なものだけど夜食できてますから」
「おお、ありがてえ!」
「助かった~」
「コーヒーの後にお持ちしますね」
「ルインー、お前やれ」
「ええっ、僕が?」
「ったりめだろ、ライヤーはコーヒー淹れんのに忙しいんだ、ちっとはてめぇが働け」
「もう、ファローズさん、酷いなあ……」
ぶつぶつ言いながら、ルインはスープと炒めた飯を皿に盛り分け運んでいく。ざわざわと事務所に温かい食べ物の気配が広がっていくのを背中に、ライヤーは受け取ったカップを一つ一つ掌に包み込んで気配を確かめた。
「これはギルさんの………これはファイクさんの………ベッグさん、ちょっと腰傷めてるな……」
カップにはそれぞれの持ち主の気配が染み込んでいる。オウライカに教え込まれた感覚でそれらを読み取り、必要な量のコーヒーとミルクと砂糖の配分を考える。
『斎京』では紋章を頼りにできるが、こちらではそれが使えない。けれど、紋章は個人の精神の特徴でもあるから、捉えてしまえばこちらで勝手にイメージを振っておくこともできる。
「ルインさん……ん、今夜も収穫なし、か」
詳しい情報を知らされなくても、こうして戻ってきた男達の気配を探れば、彼らの意図や動きはほぼ掴める。
たぶん、この感覚の使い方が『塔京』が『斎京』を恐れる理由の一つなのだろう。こうやって入り込んでしまえば、『斎京』の人間は一人で集団を裏から支配することさえできる。紋章をベースに相手の精神構造を読み込んでおけば、いざとなったらことば一つで相手の出方を操れる。
ましてや、最近『斎京』が『塔京』に戦争を仕掛けてくるというよからぬ噂が立てられていて、『塔京』は見えない部分で次々警戒体制に入っている。『斎京』の力は、理解できない『塔京』にとって脅威と恐怖に他ならない、それを改めて思い知らされた。
そうした中でライヤーがファローズの下に入り込めたのは、ファローズの人の良さもあるが、ライヤー自身がもともと『塔京』ものでもあったというベースのせいだろう。『斎京』育ちだったとしたら、妙なところでぼろを出して、リンチにあっていた可能性さえある。事実、ここ数日『塔京』からどんどん『斎京』系の人間が引き上げていきつつある。荒れてきた『塔京』の気配がきついというだけでなく、安全の保証がなくなってきたのかもしれない。
「問題はない? いや………そうでも、ないな」
ファローズのカップを手に取って、ライヤーは目を細めた。
ぼつぼつ深夜になろうとする時間に、どやどやと入り口から疲れ切った男達がなだれ込んできた。
少しずつ暑くなってくる季節だが、今日は妙に冷える。先頭に立っていたユン・ファローズがうっとうしそうに唸りながらジャンパーを脱ぎ捨てる音がする。
「おう、帰ったぜ」
「おかえりなさい、ファローズさん」
「おかえんなさい」
事務所にあちこちから声が掛かる。『塔京』にしては珍しい、人を受け入れたやりとりだ。
「首尾はどうでした?」
ルインがコーヒーを運んでいく。どさりとソファに腰を落としたファローズが溜め息をついた。連日深夜までの巡視、いくらブルーム直々の指示とは言え、成果の上がらねえ仕事はたまんねえなあ、と呟きながら、もう一度溜め息を重ねた。
「ほんとに『斎京』が仕掛けてくるってのかよ」
「異常なしですか」
「おお」
ルインからコーヒーを受け取ったらしく、少しの沈黙の後、
「これ、お前が淹れたのか?」
「はい」
「………ライヤーはいねえのか?」
「いますよ。味おかしいですか?」
「いや、おかしいっていうかよ」
「………」
妙な雰囲気に、ライヤーは厨房からドアの隙間を透かして表の部屋を覗いた。
ファローズは微妙な顔でカップを凝視している。ルインが周囲を見回すと、戻ってきた面々も落ち着かない顔でカップを半端に握っている。
「おいしくないんですね」
ルインががっくりした顔で唸った。
「いや、その」
「わかりました、淹れ直してもらいますよ………ライヤーくん!」
「はぁい」
やっぱり呼ばれたか、とライヤーは苦笑しながらキッチンから離れた。いい匂いをたてだしたスープの味を確認し、真っ赤なエプロンで手を拭きながら、厨房のドアを開けて顔を出した。
「おぅ、ライヤーぁ、いるんじゃねえか」
「お帰りなさい、ファローズさん」
にこりと笑うと、相手はほっとした顔でカップを差し上げる。
「おい、いつもの淹れてくれ」
「俺も」
「あ、俺も」
周囲が次々手を上げるのに、ルインがうんざりしてカップを集めにかかる。
「別にいいじゃないですか、一度ぐらい僕のやつでも。我慢して下さいよ」
「だってよぉ」
「ねえ?」
「なあ?」
「そりゃあ、ライヤーくんが淹れたのは信じられないぐらい旨いですけどね……あ、僕にもくれる?」
カップを盆ごと渡してきたルインがむくれながらぼやいたが、ライヤーには、に、と笑いながらねだってきた。はい、と受けて、ライヤーは匂いにつられて厨房を覗き込む男達に笑いかける。
「そうだ、みなさん、簡単なものだけど夜食できてますから」
「おお、ありがてえ!」
「助かった~」
「コーヒーの後にお持ちしますね」
「ルインー、お前やれ」
「ええっ、僕が?」
「ったりめだろ、ライヤーはコーヒー淹れんのに忙しいんだ、ちっとはてめぇが働け」
「もう、ファローズさん、酷いなあ……」
ぶつぶつ言いながら、ルインはスープと炒めた飯を皿に盛り分け運んでいく。ざわざわと事務所に温かい食べ物の気配が広がっていくのを背中に、ライヤーは受け取ったカップを一つ一つ掌に包み込んで気配を確かめた。
「これはギルさんの………これはファイクさんの………ベッグさん、ちょっと腰傷めてるな……」
カップにはそれぞれの持ち主の気配が染み込んでいる。オウライカに教え込まれた感覚でそれらを読み取り、必要な量のコーヒーとミルクと砂糖の配分を考える。
『斎京』では紋章を頼りにできるが、こちらではそれが使えない。けれど、紋章は個人の精神の特徴でもあるから、捉えてしまえばこちらで勝手にイメージを振っておくこともできる。
「ルインさん……ん、今夜も収穫なし、か」
詳しい情報を知らされなくても、こうして戻ってきた男達の気配を探れば、彼らの意図や動きはほぼ掴める。
たぶん、この感覚の使い方が『塔京』が『斎京』を恐れる理由の一つなのだろう。こうやって入り込んでしまえば、『斎京』の人間は一人で集団を裏から支配することさえできる。紋章をベースに相手の精神構造を読み込んでおけば、いざとなったらことば一つで相手の出方を操れる。
ましてや、最近『斎京』が『塔京』に戦争を仕掛けてくるというよからぬ噂が立てられていて、『塔京』は見えない部分で次々警戒体制に入っている。『斎京』の力は、理解できない『塔京』にとって脅威と恐怖に他ならない、それを改めて思い知らされた。
そうした中でライヤーがファローズの下に入り込めたのは、ファローズの人の良さもあるが、ライヤー自身がもともと『塔京』ものでもあったというベースのせいだろう。『斎京』育ちだったとしたら、妙なところでぼろを出して、リンチにあっていた可能性さえある。事実、ここ数日『塔京』からどんどん『斎京』系の人間が引き上げていきつつある。荒れてきた『塔京』の気配がきついというだけでなく、安全の保証がなくなってきたのかもしれない。
「問題はない? いや………そうでも、ないな」
ファローズのカップを手に取って、ライヤーは目を細めた。
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