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79.『暗渠』(1)
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地下の湖から駆け上がった黒竜に、ずっぽりと噛みしめられ呑み込まれたと思ったのに、気がつけばライヤーは微かに光る水走る、地下水路を泳いでいた。
周囲はごつごつと尖った面をこちらに向けている岩の壁、水流に乗り損ねて叩きつけられれば、ライヤーの体如き、すり潰された死肉となって撒き散らされるばかりだろう。
水は生温く肌身に触れて染み込むようだ。水中深くを強い水流に押されていくのに、息苦しさの一つもない。
ここに至ってようやく、ライヤーは自分の姿を改めて見た。
濡れた気配のないスーツ姿、岩場をよじ上ったために傷ついたはずの掌も,白くすべすべと滑らかだ。
なるほどね、と苦笑した。
「僕も案外想像力が乏しいな」
水に呑み込まれていても息苦しさがないのは道理、今の自分は精神体という奴で肉の生身ではないのだ。
きっとライヤーの本体は、今頃トゥオンが舞ったあの岩舞台のどこかで倒れ伏したまま、ぴくりともせずに虚ろな目で岩天井を眺めているのだろう。それともトゥオンに蹴り落とされて、薄青色の湖に沈んでいるかもしれない。
「随分、前にも…」
呟いて考え込む。
次元を越えるような体験のせいか、この世ならぬ記憶が立ち上がってくる。
「同じことがあった、よね…?」
あれはいつのことだっただろう。
ライヤーは目を閉じ、内側に積重ねられた記憶の階層を滑り降りる。
そうだ、あの時もライヤーは既に半身肉の体を手放していた。
「人よ滅びよと、そう望んだ女の子」
本当はそういう願いではなかったはずなのに。
トゥオンの黒いおかっぱが脳裏で揺れる。艶やかで愛らしい笑みに翻る昏くて強い意志。
「……よりふし・あかね…」
確かそういう名前だった……ライヤーが見つけた時には既に土に還っていたが。
「……君達はよくやったよ、おおき・そら……みささぎ・もりと……」
神ならぬ手で人類の命を支えようとする企み。
「僕達は『うさぎ』を放棄したのに…君達は『枯れた泉(ラズ・ルーン)』を護り抜こうとした……」
『ななく!』
声に振り返る、閉じた瞼の裏側で。
『無駄だ、ななく!』
「いや、見てみろ…」
ライヤーは目を閉じたまま、頭の中の声に応じる。
「『桜樹』は壊滅したはずだったのに、見ろ、『大樹』がまだ命を再生しているぞ」
まだ命は消えていない。
ライヤーは切なく微笑みつつ、円筒形のガラスに手を差し伸べる。
『だめだ、ななく、「花弁」は破壊されて分散している、まともな再生なんか行えやしない!』
「でも、ほら見てくれ、ここに」
瞼の中で指差した円筒形のガラスの中に、一人の子どもは浮かんでいる。ななくの伸ばした指に気づいたように、瞬いて目を開け、まっすぐななくを見返した瞳に震えた。
「ああ…君は僕そっくりだね…」
いや、正確に言えば、半身人を捨ててしまったななくの中に埋め込まれたBPそっくりに、人を求める瞳をしている、人を愛する宿命を背負っている。
『ななく! もう戻れ、「うさぎ」は』
「『うさぎ』はもう保たない、わかっているだろう?」
その子どもを見た瞬間に決意した。
「離脱しろ。『SORA』の機能は破壊している。太陽系を離れても、もう追撃はないはずだ」
『けれどななく、君は』
「僕はここに残るよ」
微笑みつつ、もう一度円筒形のガラスに手を伸ばす。子どもは呼びかけられたように内側から手を伸ばし、掌をガラスに当てた。澄んだ瞳は暗い灰色、髪の毛は薄い金色、あどけない顔に賢者のような表情をたたえる相手に、ななくもまたガラスの外側から掌を当てる。
「ここに残って、見届ける、人の行く末を」
『ななく、人は同じ間違いをし続けている』
「そうだよね、僕達が間違ったように、何度滅亡の危機に至っても、自分達が正しく最も優れているものだという思い込みを外せない」
耳の通信機から話し続ける声は掠れて苦しげだ。
月基地『うさぎ』が発射出来るポッドを幾つ残していたのか、それを回収できる船がどれほど残っていたのか、ああ、それでなくとも理論は結論を示している、人はもう滅ぶしかないのかもしれないと。繰り返された歴史と同じだ、人の形を保つためには『うさぎ』には絶対数が足りなすぎる。
「せっかく一つの惑星を覆うまで増えたのに…百の個体を保てなくなった時に、あれほど多様性の必要を理解したと思ったのに……人はまた自らの多様性を切り捨てたんだ」
子どもの凝視に謝罪を重ねる。
「ごめんよ、君。大人はいつも愚か過ぎて、君の未来を守り切れなかった。守り切れないのに、君に未来を託そうとする傲慢さを許してくれ」
『桜樹』滅亡の真実に気づいたみささぎ・もりとが、その罪に耐え切れなくて自殺した傷みを思った。
「僕は既に自分で死ねない」
薄く微笑む。
「だから、君の未来に寄り添うよ」
囁きながらガラスに頬を押し付ける。
「君の苦痛に寄り添い、君の重荷を共に背負う。産まれた瞬間に人の未来を背負わされた君を僕が支える………この『ラズ・ルーン』を」
『な…なくうう!!』
耳の奥で絶叫とともに怒号と悲鳴が、脳髄を灼くような爆発音が響いて、傷みに視界が潤んで涙が零れ落ちた。
「そうだ…君に名前をつけよう」
ななくはガラスから顔を離した。濡れたガラスを不思議そうに内側から撫でる子どもに微笑みかける。
「スープ……命の混沌をたたえた体にふさわしいだろう……?」
君は、スープだ。
周囲はごつごつと尖った面をこちらに向けている岩の壁、水流に乗り損ねて叩きつけられれば、ライヤーの体如き、すり潰された死肉となって撒き散らされるばかりだろう。
水は生温く肌身に触れて染み込むようだ。水中深くを強い水流に押されていくのに、息苦しさの一つもない。
ここに至ってようやく、ライヤーは自分の姿を改めて見た。
濡れた気配のないスーツ姿、岩場をよじ上ったために傷ついたはずの掌も,白くすべすべと滑らかだ。
なるほどね、と苦笑した。
「僕も案外想像力が乏しいな」
水に呑み込まれていても息苦しさがないのは道理、今の自分は精神体という奴で肉の生身ではないのだ。
きっとライヤーの本体は、今頃トゥオンが舞ったあの岩舞台のどこかで倒れ伏したまま、ぴくりともせずに虚ろな目で岩天井を眺めているのだろう。それともトゥオンに蹴り落とされて、薄青色の湖に沈んでいるかもしれない。
「随分、前にも…」
呟いて考え込む。
次元を越えるような体験のせいか、この世ならぬ記憶が立ち上がってくる。
「同じことがあった、よね…?」
あれはいつのことだっただろう。
ライヤーは目を閉じ、内側に積重ねられた記憶の階層を滑り降りる。
そうだ、あの時もライヤーは既に半身肉の体を手放していた。
「人よ滅びよと、そう望んだ女の子」
本当はそういう願いではなかったはずなのに。
トゥオンの黒いおかっぱが脳裏で揺れる。艶やかで愛らしい笑みに翻る昏くて強い意志。
「……よりふし・あかね…」
確かそういう名前だった……ライヤーが見つけた時には既に土に還っていたが。
「……君達はよくやったよ、おおき・そら……みささぎ・もりと……」
神ならぬ手で人類の命を支えようとする企み。
「僕達は『うさぎ』を放棄したのに…君達は『枯れた泉(ラズ・ルーン)』を護り抜こうとした……」
『ななく!』
声に振り返る、閉じた瞼の裏側で。
『無駄だ、ななく!』
「いや、見てみろ…」
ライヤーは目を閉じたまま、頭の中の声に応じる。
「『桜樹』は壊滅したはずだったのに、見ろ、『大樹』がまだ命を再生しているぞ」
まだ命は消えていない。
ライヤーは切なく微笑みつつ、円筒形のガラスに手を差し伸べる。
『だめだ、ななく、「花弁」は破壊されて分散している、まともな再生なんか行えやしない!』
「でも、ほら見てくれ、ここに」
瞼の中で指差した円筒形のガラスの中に、一人の子どもは浮かんでいる。ななくの伸ばした指に気づいたように、瞬いて目を開け、まっすぐななくを見返した瞳に震えた。
「ああ…君は僕そっくりだね…」
いや、正確に言えば、半身人を捨ててしまったななくの中に埋め込まれたBPそっくりに、人を求める瞳をしている、人を愛する宿命を背負っている。
『ななく! もう戻れ、「うさぎ」は』
「『うさぎ』はもう保たない、わかっているだろう?」
その子どもを見た瞬間に決意した。
「離脱しろ。『SORA』の機能は破壊している。太陽系を離れても、もう追撃はないはずだ」
『けれどななく、君は』
「僕はここに残るよ」
微笑みつつ、もう一度円筒形のガラスに手を伸ばす。子どもは呼びかけられたように内側から手を伸ばし、掌をガラスに当てた。澄んだ瞳は暗い灰色、髪の毛は薄い金色、あどけない顔に賢者のような表情をたたえる相手に、ななくもまたガラスの外側から掌を当てる。
「ここに残って、見届ける、人の行く末を」
『ななく、人は同じ間違いをし続けている』
「そうだよね、僕達が間違ったように、何度滅亡の危機に至っても、自分達が正しく最も優れているものだという思い込みを外せない」
耳の通信機から話し続ける声は掠れて苦しげだ。
月基地『うさぎ』が発射出来るポッドを幾つ残していたのか、それを回収できる船がどれほど残っていたのか、ああ、それでなくとも理論は結論を示している、人はもう滅ぶしかないのかもしれないと。繰り返された歴史と同じだ、人の形を保つためには『うさぎ』には絶対数が足りなすぎる。
「せっかく一つの惑星を覆うまで増えたのに…百の個体を保てなくなった時に、あれほど多様性の必要を理解したと思ったのに……人はまた自らの多様性を切り捨てたんだ」
子どもの凝視に謝罪を重ねる。
「ごめんよ、君。大人はいつも愚か過ぎて、君の未来を守り切れなかった。守り切れないのに、君に未来を託そうとする傲慢さを許してくれ」
『桜樹』滅亡の真実に気づいたみささぎ・もりとが、その罪に耐え切れなくて自殺した傷みを思った。
「僕は既に自分で死ねない」
薄く微笑む。
「だから、君の未来に寄り添うよ」
囁きながらガラスに頬を押し付ける。
「君の苦痛に寄り添い、君の重荷を共に背負う。産まれた瞬間に人の未来を背負わされた君を僕が支える………この『ラズ・ルーン』を」
『な…なくうう!!』
耳の奥で絶叫とともに怒号と悲鳴が、脳髄を灼くような爆発音が響いて、傷みに視界が潤んで涙が零れ落ちた。
「そうだ…君に名前をつけよう」
ななくはガラスから顔を離した。濡れたガラスを不思議そうに内側から撫でる子どもに微笑みかける。
「スープ……命の混沌をたたえた体にふさわしいだろう……?」
君は、スープだ。
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