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80.『遺骸』(1)
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ふいに、ビル群が突き刺さった巨大な生き物を覗き込んでいるライヤーの脳裏に、幼い頃から繰り返し繰り返し見ていた夢が甦った。
薄暗い都市の間を歩いていく。あちらこちら焦げ爛れた建物は、惨いというより、そこに満ちていた意志を失い、空虚でがらんどうな体を骨のように晒している。
気配を感じて見上げても、虚ろに開いた壊れた窓の幾つかを刺し貫く太陽が見えるだけだ。
暑い。
足元から照り返す陽射しは濃密で、黄金の刃でライヤーの体を切り刻み煮え立たせる。
命が怯えるのがわかる、ここに居ては消えてしまうと。この灼熱に耐えて生き延びるには、人の体はあまりにも脆い。
ライヤーは歩き続ける。脚を埋め攫う流紗に必死に抗いながら。
倒れ伏してしまえば簡単だ、すぐに自分の体は無数の砂に食み砕かれ、痛みもろとものしかかる質量に押し潰されて意識がなくなる。その先にあるものをライヤーは信じない。
簡単で単純な結末に、なぜ自分は納得しないのだろう。
夢の中でそう考え続けていた。
なぜここで膝を突いて屈し、天に向かって,或いは地中の神々に懇願しないのだろう、もう終らせてくれ、十分だ、と。
「十分?」
は、と低く嗤った。
「十分なんかじゃない」
唸ったことばが思い出させたのは、切なげな悲鳴を上げつつ仰け反る筋肉質の体。
『もう、ライヤー…っ』
そんな悲鳴など上げない相手は、傲然と崩れ落ちるのを待つ艶やかな花のように『塔京』の頂点に君臨する。
満たしてくれ、と声なき声がライヤーを煽る。
もっと、その熱い命で、痛みを求めてうねるこの躯を満たしてくれ。
含むのは躊躇しないくせに、終った後の額へのキスに震える。広げて奥までと望むくせに、衣服を剥ぎ取る時に怯んだ顔をして一瞬シャツを掴む。
「カークさん」
十分じゃない。全く全然十分じゃない。
「僕はまだあなたを味わい切ってなんかいない」
揺らめいた体を膝に手を突き堪える。肺を吐き出すような荒い呼吸に痛みを感じて顔を歪める。
砂漠に我が身を捨て去ることは容易い、だが砂では彼を満たせない。
だからきっと、それを探しにライヤーはトゥオンの罠に乗り地下へと潜ってきたのだ、そこにカークを満たし切る何かがあるはずだと。
乱れ狂った性愛の宴ではない。極限まで試す快楽の技でもない。豊かな泉ならすぐに満たせる。あるいは鮮やかな緑を思わせる情熱なら在り方そのものを変えることで。だがライヤーは砂漠だ。苛烈な陽射しにただただ灼かれる、命を育む影さえ持たぬ、公明正大に命を消費し続ける砂漠なのだ。
渇いた砂漠が餓えた命にいったい何を与えられるだろう。
黒竜とは一体何なのだ。
なぜ今その体がビル群に標本のように縫い止められている。なぜトゥオンが、人の滅亡を祈って舞う巫女がやってきている。
「諦めなさい、黒竜」
トゥオンの声が微かに響いた。高く低く、波打つようにうねる声音。
「もうここへはライヤーは来ない」
建物を繋ぐ橋、それを寄せるように作られた四阿。
まるで鎖と錠のようじゃないかと気づいた。
地下の水湖に沈む巨大な竜は、その体に無数の都市の残骸を打ち込まれ、水底に縫い止められて身動きできなくなっている。そして、その都市は『天舞う巫女』の金糸に搦めとられ、幾つもの橋に繋がれてそれぞれが崩れぬように固定され、四阿が一つ、橋のつなぎ目に設えられている。そこで『天舞う巫女』は謳っている、諦めよと。
なぜか。
それが人を生かす力であるからだ。
黒竜が人を滅ぼすのなら解放してやればいい。都市の楔を抜き放ち、その崩壊を序曲に地上へ呼び出し、偽りの繁栄に満ちた『塔京』を叩き壊させればいい。
しかし、『天舞う巫女』は黒竜の動きを封じている。抑止力を強めている。
ライヤーの脳裏に突然幾つもの画像が噛み合った。
「ああ…そういうこと」
吐き出す息は安堵だった。
「竜は人を生かすんだね?」
あの岩舞台で背後からやってきた黒竜に呑み込まれたのは、単にイメージの問題ではない。黒竜がそうすることで達せられる目的を教えてくれていたのだ。
竜は巨大なエネルギーの宝庫だ。
だが、そのエネルギーは人の意志を理屈を事情を越えたところで結果する。もっと広大な世界の摂理に沿っている。時にそれは人の世界を破壊するように見える。人の願いを踏みにじるように見える。だが、よくよく見ればわかるはずだ、砕かれていくのは人の世の不条理であり、人の想いの未熟さであると。
竜はエネルギーを放ちつつ、通り過ぎていきながら砕いていく、たとえば黒い檻に閉じ込められて本来の輝きを取り戻せない紅玉の、その真なる自由を取り戻すために。
つまりは、制御出来ない意のままにならない不愉快な力だ、世界を支配しようとする施政者にとっては。人の豊かな才能を余すところなく伸ばそうとする力は、抵抗者を作り、支配を危うくするものだから。
だから、『彼ら』は竜を忌み嫌い、支配しようとし、仕切れずに憎み、自らの守りを砕いてまでも押さえ付けようとしたのだ。
人よ滅べと願うのはいつも、世界の戒律ではない、自分の自由にならない存在を拒む幼い自我だ。
薄暗い都市の間を歩いていく。あちらこちら焦げ爛れた建物は、惨いというより、そこに満ちていた意志を失い、空虚でがらんどうな体を骨のように晒している。
気配を感じて見上げても、虚ろに開いた壊れた窓の幾つかを刺し貫く太陽が見えるだけだ。
暑い。
足元から照り返す陽射しは濃密で、黄金の刃でライヤーの体を切り刻み煮え立たせる。
命が怯えるのがわかる、ここに居ては消えてしまうと。この灼熱に耐えて生き延びるには、人の体はあまりにも脆い。
ライヤーは歩き続ける。脚を埋め攫う流紗に必死に抗いながら。
倒れ伏してしまえば簡単だ、すぐに自分の体は無数の砂に食み砕かれ、痛みもろとものしかかる質量に押し潰されて意識がなくなる。その先にあるものをライヤーは信じない。
簡単で単純な結末に、なぜ自分は納得しないのだろう。
夢の中でそう考え続けていた。
なぜここで膝を突いて屈し、天に向かって,或いは地中の神々に懇願しないのだろう、もう終らせてくれ、十分だ、と。
「十分?」
は、と低く嗤った。
「十分なんかじゃない」
唸ったことばが思い出させたのは、切なげな悲鳴を上げつつ仰け反る筋肉質の体。
『もう、ライヤー…っ』
そんな悲鳴など上げない相手は、傲然と崩れ落ちるのを待つ艶やかな花のように『塔京』の頂点に君臨する。
満たしてくれ、と声なき声がライヤーを煽る。
もっと、その熱い命で、痛みを求めてうねるこの躯を満たしてくれ。
含むのは躊躇しないくせに、終った後の額へのキスに震える。広げて奥までと望むくせに、衣服を剥ぎ取る時に怯んだ顔をして一瞬シャツを掴む。
「カークさん」
十分じゃない。全く全然十分じゃない。
「僕はまだあなたを味わい切ってなんかいない」
揺らめいた体を膝に手を突き堪える。肺を吐き出すような荒い呼吸に痛みを感じて顔を歪める。
砂漠に我が身を捨て去ることは容易い、だが砂では彼を満たせない。
だからきっと、それを探しにライヤーはトゥオンの罠に乗り地下へと潜ってきたのだ、そこにカークを満たし切る何かがあるはずだと。
乱れ狂った性愛の宴ではない。極限まで試す快楽の技でもない。豊かな泉ならすぐに満たせる。あるいは鮮やかな緑を思わせる情熱なら在り方そのものを変えることで。だがライヤーは砂漠だ。苛烈な陽射しにただただ灼かれる、命を育む影さえ持たぬ、公明正大に命を消費し続ける砂漠なのだ。
渇いた砂漠が餓えた命にいったい何を与えられるだろう。
黒竜とは一体何なのだ。
なぜ今その体がビル群に標本のように縫い止められている。なぜトゥオンが、人の滅亡を祈って舞う巫女がやってきている。
「諦めなさい、黒竜」
トゥオンの声が微かに響いた。高く低く、波打つようにうねる声音。
「もうここへはライヤーは来ない」
建物を繋ぐ橋、それを寄せるように作られた四阿。
まるで鎖と錠のようじゃないかと気づいた。
地下の水湖に沈む巨大な竜は、その体に無数の都市の残骸を打ち込まれ、水底に縫い止められて身動きできなくなっている。そして、その都市は『天舞う巫女』の金糸に搦めとられ、幾つもの橋に繋がれてそれぞれが崩れぬように固定され、四阿が一つ、橋のつなぎ目に設えられている。そこで『天舞う巫女』は謳っている、諦めよと。
なぜか。
それが人を生かす力であるからだ。
黒竜が人を滅ぼすのなら解放してやればいい。都市の楔を抜き放ち、その崩壊を序曲に地上へ呼び出し、偽りの繁栄に満ちた『塔京』を叩き壊させればいい。
しかし、『天舞う巫女』は黒竜の動きを封じている。抑止力を強めている。
ライヤーの脳裏に突然幾つもの画像が噛み合った。
「ああ…そういうこと」
吐き出す息は安堵だった。
「竜は人を生かすんだね?」
あの岩舞台で背後からやってきた黒竜に呑み込まれたのは、単にイメージの問題ではない。黒竜がそうすることで達せられる目的を教えてくれていたのだ。
竜は巨大なエネルギーの宝庫だ。
だが、そのエネルギーは人の意志を理屈を事情を越えたところで結果する。もっと広大な世界の摂理に沿っている。時にそれは人の世界を破壊するように見える。人の願いを踏みにじるように見える。だが、よくよく見ればわかるはずだ、砕かれていくのは人の世の不条理であり、人の想いの未熟さであると。
竜はエネルギーを放ちつつ、通り過ぎていきながら砕いていく、たとえば黒い檻に閉じ込められて本来の輝きを取り戻せない紅玉の、その真なる自由を取り戻すために。
つまりは、制御出来ない意のままにならない不愉快な力だ、世界を支配しようとする施政者にとっては。人の豊かな才能を余すところなく伸ばそうとする力は、抵抗者を作り、支配を危うくするものだから。
だから、『彼ら』は竜を忌み嫌い、支配しようとし、仕切れずに憎み、自らの守りを砕いてまでも押さえ付けようとしたのだ。
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