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93.『未来を縛するなかれ』(2)
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「…う……ん……」
目を覚ました。
「……きもち……い……」
吐き出した息に零す。
ぼうっと空を見上げる。
青く澄んだ空だった。
風が渡り、髪の毛を吹き過ぎる。
瞬きする。
のろのろと起き上がり、突いた手を目の前に持ち上げて眺めた。
棒状の五本の塊を繋ぐ一枚の肉。
これということもなく口元へ持っていって噛みついてみる。
「ったっ」
薄赤く滲んだものを舐める。
「……ぺっ」
おいしくなかった。吐き出して、床に散ったそれが急速に乾くのを眺めていると、すぐ側に落ちた影が動いた。
振り返り、青黒い鱗に覆われたものを見つけ、視線を上げる。
巨大な口と眼と角。視界の半分を占める大きな体。
しかし、その体には周囲から伸びた無数の枝が突き刺さっている。
今噛みついた肉から滲んだような赤いものが、突き刺さった部分から流れ落ちている。
「…」
のそのそと体ごと向きを変え、見上げ、見下ろし、周囲を見たくて立ち上がって見回した。
大きな広間だった。尖った岩で作られたような幾重もの円環が空を横切っている。その間に何十本も生えている樹々があって、あるものは緑豊かに茂り、枝葉に瑞々しい透明な雫を乗せて光に輝いている。またあるものは幹まで干涸びて乾き切り、するどく尖った枝が互いを傷つけあうように絡んで、先端は広間の半分を占める巨大な生き物に突き刺さっている。
よく見れば、緑溢れる枝葉から滴る雫が生き物の体に流れると、その下にあった傷が消え、そこにまた別の枯れた枝が刺さる、そういうことを繰り返している。
「………何なの、それ」
尋ねた頃には意識が戻っていた。
「さっきの相手はアンタ?」
ぶるっと頭を振る。
汗に濡れた髪は乾いて、体もすっきりと気持ちがいい。
愛撫に狂うような抱き方をされたのに、体の中は白々と空っぽで、そのあっけなさが奇妙に落ち着く。
「俺に何をしたの?」
抱いた。
「…それはわかってる」
呼んだ。
「…それもわかってる……で、ひょっとすると」
気持ちいいよぉ。
そう叫んで頭を踏みつけられていた過去、泥の中でゴミ捨て場のように抱かれていた光景が、まるでお伽噺の場面のように遠い。
他人のことのようだ。
「……俺の中を掃除した…?」
いろいろ重くなっていた。
「……」
あの体では、ここに入ると真っ逆さまに落ちる。
「?」
言われて初めて足元を見下ろし,さすがにぞっとした。
床ではなかった。吐いた唾が急速に乾いたのではなかった。
単に落ちたのだ。
見下ろせば、ここは天空に吊るされた岩の鳥籠のようだった。網状に彫られた床の下にはただただ薄寒い空間があり、それでも高いとわかるのは、どう見ても『塔京』クラスの都市が掌に囲えるほどの大きさで、点描のように透けてみえるからで。
「…重いと割れちゃうのか…」
じゃあ、アンタは。
言いかけたことばに、生き物、それはおそらく青竜と呼ばれるものだろうが、少し微笑んだようだ。
「見えてるほど重くないんだね」
軽いのだ。
あっさりと白状する。
籠に入れないと浮かび上がってしまうほどに。
「竜は地下に居ると聞いたけど」
地下に留められていた、贄によって。
「……『伽京』は地下に崩落したのではなかった?」
我とともに弾かれた、彼方の空に。
「……いつの話だよ、落ちてこないじゃんか」
空にあるのだ。
「……空?」
天体に刺さって落ちなくなった。
「………穴、か」
ふいにカザルは思い出した。
「だから、穴が空いたのか」
我は軽くなる一方だ。
「……どうして?」
傷が癒えぬ。
「傷?」
カザルは竜を見渡す。
「木の枝が刺さってる、その傷のこと?」
しかり。人が傷つけ人が癒す。しかし、傷つく方が速いので癒しが間に合わない。
「……血を流した分だけ軽くなっていくということ?」
その分だけ、地面を引き裂く。
「………ちょっと待ってよ」
カザルはもう一度眼下を覗き込み、息を呑む。
青竜の尾は鳥籠からはみ出て長く長く伸ばされ、遥か下に続いている。
山を乗せても浮かぶのは本性、遠からずあのあたりも天空へ引きずり上げることになる。
「待ってって! 何、それ、あそこってじゃあ、『塔京』じゃなくて『斎京』ってこと?!」
飛びつき顔を押し付け格子状の隙間から必死に眼を凝らした。
洞窟の中にあった奇妙な岩、あれこそが先端で、と考え、跳ね起きる。
「でも、おかしいでしょ! だってアンタは下に居た、俺が落ちて眼に呑み込まれて!」
ああ、あれは。
青竜は目を細めた。
片目しかなかっただろう?
「……どういうこと…」
これより我が軽くなれば、残る半身を尾が引き上げる。
「……双頭の、竜、か!」
カザルは舌打ちした。
目を覚ました。
「……きもち……い……」
吐き出した息に零す。
ぼうっと空を見上げる。
青く澄んだ空だった。
風が渡り、髪の毛を吹き過ぎる。
瞬きする。
のろのろと起き上がり、突いた手を目の前に持ち上げて眺めた。
棒状の五本の塊を繋ぐ一枚の肉。
これということもなく口元へ持っていって噛みついてみる。
「ったっ」
薄赤く滲んだものを舐める。
「……ぺっ」
おいしくなかった。吐き出して、床に散ったそれが急速に乾くのを眺めていると、すぐ側に落ちた影が動いた。
振り返り、青黒い鱗に覆われたものを見つけ、視線を上げる。
巨大な口と眼と角。視界の半分を占める大きな体。
しかし、その体には周囲から伸びた無数の枝が突き刺さっている。
今噛みついた肉から滲んだような赤いものが、突き刺さった部分から流れ落ちている。
「…」
のそのそと体ごと向きを変え、見上げ、見下ろし、周囲を見たくて立ち上がって見回した。
大きな広間だった。尖った岩で作られたような幾重もの円環が空を横切っている。その間に何十本も生えている樹々があって、あるものは緑豊かに茂り、枝葉に瑞々しい透明な雫を乗せて光に輝いている。またあるものは幹まで干涸びて乾き切り、するどく尖った枝が互いを傷つけあうように絡んで、先端は広間の半分を占める巨大な生き物に突き刺さっている。
よく見れば、緑溢れる枝葉から滴る雫が生き物の体に流れると、その下にあった傷が消え、そこにまた別の枯れた枝が刺さる、そういうことを繰り返している。
「………何なの、それ」
尋ねた頃には意識が戻っていた。
「さっきの相手はアンタ?」
ぶるっと頭を振る。
汗に濡れた髪は乾いて、体もすっきりと気持ちがいい。
愛撫に狂うような抱き方をされたのに、体の中は白々と空っぽで、そのあっけなさが奇妙に落ち着く。
「俺に何をしたの?」
抱いた。
「…それはわかってる」
呼んだ。
「…それもわかってる……で、ひょっとすると」
気持ちいいよぉ。
そう叫んで頭を踏みつけられていた過去、泥の中でゴミ捨て場のように抱かれていた光景が、まるでお伽噺の場面のように遠い。
他人のことのようだ。
「……俺の中を掃除した…?」
いろいろ重くなっていた。
「……」
あの体では、ここに入ると真っ逆さまに落ちる。
「?」
言われて初めて足元を見下ろし,さすがにぞっとした。
床ではなかった。吐いた唾が急速に乾いたのではなかった。
単に落ちたのだ。
見下ろせば、ここは天空に吊るされた岩の鳥籠のようだった。網状に彫られた床の下にはただただ薄寒い空間があり、それでも高いとわかるのは、どう見ても『塔京』クラスの都市が掌に囲えるほどの大きさで、点描のように透けてみえるからで。
「…重いと割れちゃうのか…」
じゃあ、アンタは。
言いかけたことばに、生き物、それはおそらく青竜と呼ばれるものだろうが、少し微笑んだようだ。
「見えてるほど重くないんだね」
軽いのだ。
あっさりと白状する。
籠に入れないと浮かび上がってしまうほどに。
「竜は地下に居ると聞いたけど」
地下に留められていた、贄によって。
「……『伽京』は地下に崩落したのではなかった?」
我とともに弾かれた、彼方の空に。
「……いつの話だよ、落ちてこないじゃんか」
空にあるのだ。
「……空?」
天体に刺さって落ちなくなった。
「………穴、か」
ふいにカザルは思い出した。
「だから、穴が空いたのか」
我は軽くなる一方だ。
「……どうして?」
傷が癒えぬ。
「傷?」
カザルは竜を見渡す。
「木の枝が刺さってる、その傷のこと?」
しかり。人が傷つけ人が癒す。しかし、傷つく方が速いので癒しが間に合わない。
「……血を流した分だけ軽くなっていくということ?」
その分だけ、地面を引き裂く。
「………ちょっと待ってよ」
カザルはもう一度眼下を覗き込み、息を呑む。
青竜の尾は鳥籠からはみ出て長く長く伸ばされ、遥か下に続いている。
山を乗せても浮かぶのは本性、遠からずあのあたりも天空へ引きずり上げることになる。
「待ってって! 何、それ、あそこってじゃあ、『塔京』じゃなくて『斎京』ってこと?!」
飛びつき顔を押し付け格子状の隙間から必死に眼を凝らした。
洞窟の中にあった奇妙な岩、あれこそが先端で、と考え、跳ね起きる。
「でも、おかしいでしょ! だってアンタは下に居た、俺が落ちて眼に呑み込まれて!」
ああ、あれは。
青竜は目を細めた。
片目しかなかっただろう?
「……どういうこと…」
これより我が軽くなれば、残る半身を尾が引き上げる。
「……双頭の、竜、か!」
カザルは舌打ちした。
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