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2.『羽根』の誇り(3)
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「互角だな」
厳しく断じてテッツェは剣を振る。目の前に押し寄せて来る兵はクェトロムトの王シーラ、カザドのカザディノ率いる混合軍だが、両者とも主人は後方に控えたままなのか姿を見せず、下級兵を中心として力押しで攻め立てる様は、人の壁を作るかのようだ。それほどまでして守りたいものが背後にいるというよりは、褒賞をちらつかせられて押し出された印象が強い。それでも数が勝る、圧倒的に不利な状況をジーフォ公の膂力と『羽根』の練度で凌いでいる。
「もう少し前へ攻めろ!」
降り出した雨の天幕は声を遮る、それでもジーフォ公の声が響き渡る。
「まだ引くな! 野戦部隊(シーガリオン)に嘲笑われたいか!」
「おう!」「おおうう!」
叱咤に応じて『鉄羽根』がじりじりと戦線を南へ押し下げる。
長引かせたくない戦いだが、結局は物量で競ることになる、とテッツェが冷ややかに考えた瞬間、目の前の兵にわずかに動揺が走った。隙を突いてすぐに数人切り倒すと、今までならすぐにその場を埋めに来たものが、二の足を踏んで視線を泳がせる。
「どうしてあちらに」「どういうことだ」「俺たちは」
必死に剣を振るっているはずの兵士の顔に不安がよぎり、不穏な呟きが雨の隙間を抜いて届く。その中で一際はっきりと、
「アリオ?」
まぎれもないジーフォ公の呆然とした声が響いて、テッツェは数歩踏み込み敵を切り倒した後振り向いた。
「っ!」
南の門が開門されている。門と『鉄羽根』の間を保持していた野戦部隊(シーガリオン)が散開していた陣形を収束させていく。その中央に一団の塊、しかもラズーン内側から歩み出して来るのは全て徒歩、さもあらん、先頭に一人押し立てられているのが、マントを纏っているものの明らかに兵士ではなく民衆でもなく、濡れたドレスに足元を奪われながらよろめく女性の姿だ。
「アリオーっ!!」「公!」
止める間などなかった。止められるはずもなかった。
怒号とともに馬を翻し、まっすぐに女性に駆け寄っていくジーフォ公の後ろ姿が、困惑と不安と怒りに満ちている。
なぜ?なぜ?なぜ?
なぜアリオがここに。周囲の一団は何者だ。しかもラズーン内側から。南門はまだ開かれないはずだ。
視界の端で『鉄羽根』も動揺している。
主人が戦線を放って女の元に駆け寄っている。背後からの奇襲。野戦部隊(シーガリオン)は機動力を生かして背後に広く大きく展開しており、隙を見て『鉄羽根』を追撃して来るクェトロムト・カザド両軍を包み込み左右から押し寄せる策だったから、すぐには収めきれない。シートスの唸り声が聞こえるようだ。
不思議なことに押し寄せる兵士も動揺していた。
南門の開放は予定外、しかも出て来た一団の中にどうやらシーラかカザドがいる様子。背後から野戦部隊(シーガリオン)と『鉄羽根』を討つには兵が少なく、しかも南門が開放されたままなのは、このまま下級兵には『鉄羽根』と消耗戦を強いて切り捨て、後方への退路を確保し、精鋭だけをラズーンに乗り込ませるつもりか。
「アリオーーーーーっっ!!」
ジーフォ公の絶叫に微かに応じるように悲鳴が上がった。びしょ濡れのアリオが突き出されるように放たれて、よろよろと両手を伸ばしつつジーフォ公の元へ駆け寄っていく。
「そういうことか!」
見て取ったテッツェの頭に冷徹な計算が成り立った。
「野戦部隊(シーガリオン)に伝令!」「はっ」
必死にアリオの元へ駆け続けるジーフォ公を視界に命じる。
「すぐさま奴らの背後を取り、南門から入りラズーン内に戦線を戻せ」
さすがに次の一言は胸を突いた。
「ラズーンは落ちた」
伝令兵の顔が青ざめる。
「『鉄羽根』は外側の兵を抑える。野戦部隊(シーガリオン)はラズーンに戻った後、閉門せよ」
「…っっっ」
「復唱っ!」
「野戦部隊(シーガリオン)は南門よりラズーンに戻って閉門、ラズーン内にて戦われたし。『鉄羽根』は門外側にて戦線を保持する」
「…ご武運を、と伝えよ。お前には悪いが、野戦部隊(シーガリオン)とともに死んでくれ、パルス」
「……承りましたっっ!」
飛沫を上げて走り去る配下、見送る彼方に高い悲鳴が響き渡る。
「きゃあああああっっ!」
「アリオーっっっ!!」
ジーフォ公の目の前で、今もうすぐに手が届こうとしたその先で、背後から駆け寄った男に一刀を受け、アリオが崩れ落ちた。叫んだジーフォ公が馬を飛び降り、身を翻す男に襲いかかって倒し、そのまま倒れたアリオに駆け寄り抱え込む。
ラズーンの四大公ともあろうものが、戦線を放り出し、女のために体を投げ出し、雨の泥飛沫に身を埋める。
ジーフォ公が。
「…」
くるりとテッツェは主人に背中を向けた。混乱し動揺し、先ほどの緊張感が薄れ味方も敵もおたおたと曖昧な剣をぶつけ合っている戦場を睥睨する。
くすり、と笑った。
「どこまでいっても、迷惑ばかりかけるお人だ」
小さく呟き、すうっと胸に息を吸い込み、かつてない熱く激しい叫びを上げる。
「死守せよ!!」
びくっと戦場が震えた。
「我らは『羽根』ぞ!! ラズーンを守り、主を守る!! 『羽根』の誇りを示せ!!」
う、ぉおおおおおおお!
吠えながら切り進むテッツェに浮き足立っていた『鉄羽根』が応じる。
わああああああああ!
叫びながら切り刻む剣の波を押し抜けていく。
雨が激しく降り注ぐ。
だが、もう温存する必要はない。
「はあっははははあっっ!」
テッツェは高笑いしながら剣を振るった。
後に、ラズーン南門外で行われた戦場には一つの物語が作られた。
婚約者であるジーフォ公を裏切り、敵の甘言に乗って戦線を崩壊させた『西の姫君』アリオ・ラシェット、そのアリオを最後まで欲し望み手に入れようと足掻いた武君ジーフォ公。
泥の中に切り倒されたアリオの表情はなぜかほっとした安堵を浮かべており、彼女を覆い被さるように蹲ったジーフォ公の体は切り刻まれ四肢は砕かれていたが揺るぎもせず、その背中を守るように仁王立ちしたテッツェは無数の槍と矢を受けても倒れなかったと。
愛を知らない女のために、愛しか知らぬ男が散った、と。
厳しく断じてテッツェは剣を振る。目の前に押し寄せて来る兵はクェトロムトの王シーラ、カザドのカザディノ率いる混合軍だが、両者とも主人は後方に控えたままなのか姿を見せず、下級兵を中心として力押しで攻め立てる様は、人の壁を作るかのようだ。それほどまでして守りたいものが背後にいるというよりは、褒賞をちらつかせられて押し出された印象が強い。それでも数が勝る、圧倒的に不利な状況をジーフォ公の膂力と『羽根』の練度で凌いでいる。
「もう少し前へ攻めろ!」
降り出した雨の天幕は声を遮る、それでもジーフォ公の声が響き渡る。
「まだ引くな! 野戦部隊(シーガリオン)に嘲笑われたいか!」
「おう!」「おおうう!」
叱咤に応じて『鉄羽根』がじりじりと戦線を南へ押し下げる。
長引かせたくない戦いだが、結局は物量で競ることになる、とテッツェが冷ややかに考えた瞬間、目の前の兵にわずかに動揺が走った。隙を突いてすぐに数人切り倒すと、今までならすぐにその場を埋めに来たものが、二の足を踏んで視線を泳がせる。
「どうしてあちらに」「どういうことだ」「俺たちは」
必死に剣を振るっているはずの兵士の顔に不安がよぎり、不穏な呟きが雨の隙間を抜いて届く。その中で一際はっきりと、
「アリオ?」
まぎれもないジーフォ公の呆然とした声が響いて、テッツェは数歩踏み込み敵を切り倒した後振り向いた。
「っ!」
南の門が開門されている。門と『鉄羽根』の間を保持していた野戦部隊(シーガリオン)が散開していた陣形を収束させていく。その中央に一団の塊、しかもラズーン内側から歩み出して来るのは全て徒歩、さもあらん、先頭に一人押し立てられているのが、マントを纏っているものの明らかに兵士ではなく民衆でもなく、濡れたドレスに足元を奪われながらよろめく女性の姿だ。
「アリオーっ!!」「公!」
止める間などなかった。止められるはずもなかった。
怒号とともに馬を翻し、まっすぐに女性に駆け寄っていくジーフォ公の後ろ姿が、困惑と不安と怒りに満ちている。
なぜ?なぜ?なぜ?
なぜアリオがここに。周囲の一団は何者だ。しかもラズーン内側から。南門はまだ開かれないはずだ。
視界の端で『鉄羽根』も動揺している。
主人が戦線を放って女の元に駆け寄っている。背後からの奇襲。野戦部隊(シーガリオン)は機動力を生かして背後に広く大きく展開しており、隙を見て『鉄羽根』を追撃して来るクェトロムト・カザド両軍を包み込み左右から押し寄せる策だったから、すぐには収めきれない。シートスの唸り声が聞こえるようだ。
不思議なことに押し寄せる兵士も動揺していた。
南門の開放は予定外、しかも出て来た一団の中にどうやらシーラかカザドがいる様子。背後から野戦部隊(シーガリオン)と『鉄羽根』を討つには兵が少なく、しかも南門が開放されたままなのは、このまま下級兵には『鉄羽根』と消耗戦を強いて切り捨て、後方への退路を確保し、精鋭だけをラズーンに乗り込ませるつもりか。
「アリオーーーーーっっ!!」
ジーフォ公の絶叫に微かに応じるように悲鳴が上がった。びしょ濡れのアリオが突き出されるように放たれて、よろよろと両手を伸ばしつつジーフォ公の元へ駆け寄っていく。
「そういうことか!」
見て取ったテッツェの頭に冷徹な計算が成り立った。
「野戦部隊(シーガリオン)に伝令!」「はっ」
必死にアリオの元へ駆け続けるジーフォ公を視界に命じる。
「すぐさま奴らの背後を取り、南門から入りラズーン内に戦線を戻せ」
さすがに次の一言は胸を突いた。
「ラズーンは落ちた」
伝令兵の顔が青ざめる。
「『鉄羽根』は外側の兵を抑える。野戦部隊(シーガリオン)はラズーンに戻った後、閉門せよ」
「…っっっ」
「復唱っ!」
「野戦部隊(シーガリオン)は南門よりラズーンに戻って閉門、ラズーン内にて戦われたし。『鉄羽根』は門外側にて戦線を保持する」
「…ご武運を、と伝えよ。お前には悪いが、野戦部隊(シーガリオン)とともに死んでくれ、パルス」
「……承りましたっっ!」
飛沫を上げて走り去る配下、見送る彼方に高い悲鳴が響き渡る。
「きゃあああああっっ!」
「アリオーっっっ!!」
ジーフォ公の目の前で、今もうすぐに手が届こうとしたその先で、背後から駆け寄った男に一刀を受け、アリオが崩れ落ちた。叫んだジーフォ公が馬を飛び降り、身を翻す男に襲いかかって倒し、そのまま倒れたアリオに駆け寄り抱え込む。
ラズーンの四大公ともあろうものが、戦線を放り出し、女のために体を投げ出し、雨の泥飛沫に身を埋める。
ジーフォ公が。
「…」
くるりとテッツェは主人に背中を向けた。混乱し動揺し、先ほどの緊張感が薄れ味方も敵もおたおたと曖昧な剣をぶつけ合っている戦場を睥睨する。
くすり、と笑った。
「どこまでいっても、迷惑ばかりかけるお人だ」
小さく呟き、すうっと胸に息を吸い込み、かつてない熱く激しい叫びを上げる。
「死守せよ!!」
びくっと戦場が震えた。
「我らは『羽根』ぞ!! ラズーンを守り、主を守る!! 『羽根』の誇りを示せ!!」
う、ぉおおおおおおお!
吠えながら切り進むテッツェに浮き足立っていた『鉄羽根』が応じる。
わああああああああ!
叫びながら切り刻む剣の波を押し抜けていく。
雨が激しく降り注ぐ。
だが、もう温存する必要はない。
「はあっははははあっっ!」
テッツェは高笑いしながら剣を振るった。
後に、ラズーン南門外で行われた戦場には一つの物語が作られた。
婚約者であるジーフォ公を裏切り、敵の甘言に乗って戦線を崩壊させた『西の姫君』アリオ・ラシェット、そのアリオを最後まで欲し望み手に入れようと足掻いた武君ジーフォ公。
泥の中に切り倒されたアリオの表情はなぜかほっとした安堵を浮かべており、彼女を覆い被さるように蹲ったジーフォ公の体は切り刻まれ四肢は砕かれていたが揺るぎもせず、その背中を守るように仁王立ちしたテッツェは無数の槍と矢を受けても倒れなかったと。
愛を知らない女のために、愛しか知らぬ男が散った、と。
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