『パセリがつぶやく』

segakiyui

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台所で、おかあさんが、料理をしている。
 ごとごと、まないたが鳴る。
 切られ、ちぎられ、むしられていく、野菜たち。
 魚、と肉、はばらばらにされて。
 悲鳴が、お皿に、いっぱい。

 まきの病院は、郊外に建てられた小規模な病院だ。
 これといった公的機関の補助もないが、それでもなんとかやっていけてるのは、他の病院に比べて食事療法を重視した治療を行っており、幸いにもそれが効果を上げているところからベッドの稼働率がよく、評判もいいからだ。
「何……これ…」
 まきの病院の管理栄養士、谷望美は、回されてきた入院患者の栄養箋を見て、あきれ声を上げた。ショートカットに大きなくるんとした目を瞬かせて、信じられないという顔で紙をしげしげ覗き込む。
 そこに書かれた処方には、普通の食事よりかなり多くのカロリーが求められているばかりか、そのほとんどを脂肪と糖分で賄うように指示されている。
 「病名……拒食……? 十五歳の女の子ですって? 何考えてんのよ、この井田とかいう医者は…」
 言いながら、望美は栄養箋を手に席を立っていた。エレベーターを使って五階へ、井田のいる内科へと急ぐ。
 「……ったく、新人だろうなあ。拒食患者にカロリーだけ与えればいいってもんじゃないのに……本の上でしか患者をみたことがないんじゃない?」
 痛烈な皮肉を口の中へ戻して、望美は詰め所に入った。
「あ。ちょっと、ちょっと」
 ためらいなく入ってきた望美に、机に向かって事務処理をしていた内科受付があわてて声をかけてきた。
「困ります、ここは、関係者だけしか入れないことになっていて…」
「関係者だわよ、あたしは。栄養部の谷です。井田先生というのはどちらに?」
「え……あ……その…」
 望美を、どう扱ったものか悩む様子の受付の背後から、ため息まじりの声が響いた。
「また、あなた…」
 そちらを向いた望美もうんざりした顔になって、ことばを続けた相手を見る。
「いいかげんにしてもらえないかしらね。こちらは、患者さんで手一杯なんだけど」
 内科の主任看護師、岩崎だ。
 長い髪を器用にナースキャップにまとめた顔は、三十代後半、きびきびした表情が冷ややかなものを含むのは、望美がこうして怒鳴り込むのが一度や二度ではないからだ。
「こっちもいいかげんにしてほしい。こんなメニュー、作れませんから」
 吐き捨てるように言って、望美は栄養箋を詰め所の机の上に放り出した。
 むっとしながらも、さすがに仕事の話だと割り切ったのか、岩崎が手にとってすばやく目を通す。
「あら…」
「でしょ? 拒食の程度がどれぐらいなのかは知らないけど、そんなメニュー、健康な人間でも食べられないわよ。油と砂糖でごてごてになるから。そりゃ、一食分の費用をオーバーしてもいいって言うなら、豪勢な中華料理にでもしてみせるけど?」
「予算の問題を私にもってこないでちょうだい。今、井田先生を呼ぶから。好きなだけ話し合って」
 岩崎は院内放送で井田を呼び出しにかかった。相手のナースキャップに留められた主任の階級ピンを見るともなく見ながら、望美はなおも言い張った。
「もっと事前にチェック出来ないの? 少なくともここは、食事療法がメインの病院なのよ。新人の医者に、情けない栄養箋を出させないでよ」
「看護師を後十人増やしてくれれば考えてもいいわ」
 振り返りながら、岩崎は応じた。望美は肩をすくめた。苦々しい声でやり返す。
「あたしに、予算の話を持ち込まないで」
「来られたわよ」
 岩崎は相手にしなかった。
 あしらわれたのに望美が反撃する間もなく、詰め所に井田が姿を見せた。ひょろりとした優男、白衣が体から浮いてひらひらしている。くるりと詰め所内に視線を走らせ、用がないと見たのか、周囲の看護師に確かめもせず、早々にその場を立ち去ろうとする。
「井田先生?」
「あ、はい」
 望美の声に振り返った井田は、いぶかしげに眉を寄せて望美を見た。
「君は……」
「栄養部の谷です」
「ああ…」
 料理屋か、と井田は微かにつぶやいた。
 どこか小ばかにしたような表情を口元に浮かべ、ゆっくりと望美に向き直る。
「それで?」
「先生の出された、この山野かほ子さんの食事についてお尋ねしたくて伺ったんですけど」
「わざわざどうも。で、どこが?」
立ったまま自分を見つめている望美に、仕方なさそうに詰め所内に戻ってくると、井田は腰を下ろして、下から谷を見上げた。
「このメニューでは作れません」
「どうして?」
「食べられないからです」
「そんなことは、出してみなくちゃわからない」
 ぴくりと頬をひきつらせ、井田は同じように腰を下ろした望美を追って、目を動かした。
「出してみなくてもわかります」
「なぜだね」
 余裕を見せたつもりだろうが、井田の声はいらいらしている。
「おわかりじゃないようですから、言いますけどね。この脂肪量と糖分量でメニューを組むと、朝のパンはバターロールです。もちろんジャムにバターつき、加えて極甘ゼリーにジュース、昼と夜はどんぶり飯、おかずはほとんど油ものになります」
「それが、何か?」
 井田は平然と答えて、望美だけでなく、背後にいた岩崎の目も剥かせた。
「何か、じゃない。患者は拒食なんでしょう? ただでさえ、何も食べたくないっていう人間が、こてこての、甘くて油もの主体の食べものだけを選び抜いたようなモノが、食べられますか?」
 望美はあきれ返った。
「だから、わからん人だな。食べられるかどうか、やってみないとわからんじゃないか。それに、あんたは忘れてるようだから『言ってあげる』が、この患者には、今これだけの栄養が必要なんだ。それとも、何か、拒食の患者には点滴だけしろと言うのか?」
 あからさまな望美の反応に、井田は怒ったようだ。
「誰もそんなこと、言ってやしません。ただ、メニューだけ立派に組んでも、食べられなけりゃ同じだと言ってるんです。大体、あなた、この子の好みとか食べない原因について情報を集めたの? そっちは何にも書いてないけど」
 井田はふいに立ち上がった。カルテを取ってめくりながら戻ってくる。望美に言い聞かせるように声高に内容を読み上げた。
「山野かほ子、十五歳。夏休みが過ぎた頃から食事をするのを嫌がり出した。ダイエットしていた気配はない。家人の知っている範囲では、特にショッキングなこともなかったと言う。男友達、女友達とのトラブルもない。成績は上、来年の入試も特に不安なし。十月ぐらいから部屋にこもり始める。十一月のはじめから食事を完全に取らなくなったため、緊急入院する。好き嫌いは本来なし。家族は父母健在、兄一人」
 どうだ、と言いたげに井田は望美を見た。
 そのあからさまに見下した視線に臆することなく、まっすぐ相手を見つめて返して望美は言い放った。
「それって結局、この子の外側だけじゃない。拒食の原因なんて外部からわからないわ。あなた、一度でもじっくりこの子と話し合ったの? 食べないとどうなるか知ってるのかとか、食べないことを自分はどう考えているのかとか」
 井田がぐっと詰まった顔になる。
 背後で、岩崎が微かな苦笑を浮かべたのは、井田が常日ごろ、「基本を押さえれば患者なんて扱いやすいもんさ。病気が無数にあるわけじゃない」と豪語しており、入院のとき以外は、ろくろく患者と話もしないと有名だったからだ。
「夏休み、家族も気づかない何かがあったんじゃないの? 受験に不安がなかったのは周囲だけで、本人は結構苦しかったんじゃないの? 家族の仲は良かったの? 『栄養士』でもこれぐらいは思いつくわよ」
「だいたい、そういった細かいことのために、看護師がいるんじゃないのか。医者の補佐をするのが看護師だろう。山野さんの情報は、看護師も集めてないんだろう」
 ちかり、と岩崎が目を光らせた。異様に静かな声で、
「看護師にとっても患者は一人じゃありません。先生方がお一人で十人ご覧になっているとおっしゃるなら、私達はこの病棟、満床七十人の患者を見ております。補佐はします、仕事ですから。けれども、カルテを読んで下さらなければ、一々お伝えできない時もありますわ」
 望美が首をすくめた。
 突き刺さるような岩崎の丁寧さに、井田が見る見る赤くなる。
 井田の怒りが爆発しかけた瞬間、それを絶妙のタイミングで岩崎はかわした。
「でも、山野さんの食事については、私達ももう少し情報を集めて、先生にご相談しようと思っていました。出来る限りの情報を集めたいと思いますので、それまで普通食で様子を見ていただけませんか? 入院時から、すぐに情報収集にかからなかったのは、看護師側としても遅い対応でしたわ」
 あいかわらず丁寧な、けれども柔らかな口調で井田をなだめていく。
「…そう、だろう」
 井田は必死に堪えた。
「じゃあ、そういうことで。岩崎さん、頼んだよ」
「はい」
「こういうところだから、大人としての勤め方をしてほしいもんだ、岩崎さんみたいにね」
 ちらりと憎々しげな目を望美に投げて、肩をそびやかし、白衣を翻して出て行く井田を、望美は口を開けて見送った。
「……どっちが大人として、だか。嫌いだな、ああいうタイプ」
「好き嫌いで仕事をしないでちょうだいね。面倒事もお断り。それでなくても手のかかる人間は、患者以外に一杯いるんだから」
 岩崎がため息で応じた。
「あたし、たぬきって苦手」 
「何のこと?」
 しらっとした顔で岩崎は望美のことばを受けた。
「こっちのこと。カルテ見せてください。看護師側の情報っていうのを知っておきたいの」
「待って」
 立ち上がった望美に、岩崎は首を振った。
「ここは現場、看護師の場所よ。あなたにはあなたの仕事があるでしょ? これ以上、物事をややこしくしないで」
 「でも…」
 そんなことを言ってたら、いつまでたっても、医療スタッフなんてチームワークは組めない。そう望美は言いかけたが、岩崎は鳴り始めたナースコールに望美を制して、詰め所を出て行った。
 取り残された望美は、このまま帰るのもしゃくだ、とカルテに向かった。
 山野かほ子。
 一週間前に入院したばかりで、ピンクの表紙のカルテは薄い。取り上げて素早く入院時の状態とその後の経過を読み取る。
 慌ただしく目を走らせるうち、望美は、看護記録の中に他のものより詳しい記録があるのに気がついた。
 食事量と配下膳時の看護師と患者の対応、特に興味をもったもの、拒否したものについて、その食物に対する患者の反応などが、事細かに書かれている。
 それらの記録のサインはいつも同じ看護師名『田賀』となっている。
 気になって、他の患者の記録も見てみると、心臓病の患者にはその日の運動量や投薬時間・方法、家庭での日常動作などが書かれているし、腎臓病患者には病気の知識をどの程度もっているか透析についてはどう考えているかが書かれ、体の状態だけを羅列した他の看護師の記録とは明らかに違っていた。
 この看護師なら、かほ子について、何か考えをもっているかもしれない。
 望美はカルテを戻し、勤務表を確かめて、岩崎が帰ってこない間にと急ぎ足に詰め所を出た。
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