『パセリがつぶやく』

segakiyui

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「田賀さん!」
 望美が怒鳴り込んだ翌日の詰め所。
 田賀は病棟に入ってきた車椅子の少女に声をかけられて複雑な表情になった。
「ゆかりちゃん……」
「ゴメンネ、また来ちゃった」
 舌を小さく出し、軽い調子で片目をつぶって見せながらへへっと笑う。白く透き通ったような肌に切れ長の目が澄んで大きく見える。つややかな長い髪を耳にかけた顔は、また一回り小さくなったようだ。
「今日の入院時聴取、誰かなあ」
「わたしよ」
「田賀さん? 助かっちゃった。初めから知ってるから、はじめの部分、話さなくてもいいでしょ?」
「そうね、でも、退院してからのことはじっくり聞かせてもらいますからねえ」
 ゆかりの明るい声に合わせるように、声を明るくして、田賀は車椅子を押し始めた。前の入院の時よりひどく軽くなった気がして、唇を噛む。その田賀の顔を振り向かないまま、ゆかりが低い声で言う。
「ほんと、田賀さんで助かる。他の人だと、はじめのことも次のことも次の次のことも話さなくちゃいけないでしょ? ああ、ほんとにあたしって、何回も入ってきたんだなあ、って哀しくなるんだ、正直」
「……うん…」
 田賀はゆかりの震えた語尾を受け止めるようにうなずいた。
 ゆかりは、十七歳の心臓病の患者だ。
 十五歳で発病し、再起をかけた手術もゆかりの病気を完治させなかった。それから入退院を繰り返し、今回でもう六度目になる。入るたびに長引いていく入院期間。退院ごとに白くなるゆかりの顔。学校にはほとんど行けていない。
 それだけでなく、ゆかりはこの前の入院で、医師に惨い宣告を受けていた。
『現代の医学では心臓移植以外に手がありません』
 十七歳の青春のまっただ中を、ゆかりは毎日秒で刻まれていく命を抱えて生きている。
 田賀は、今も忘れられない。彼女の病気には心臓移植しか手がないと説明された後、真夜中に一人で起きていたゆかりが言ったことばだ。
『人間に心臓が二つ、あったらなあ』
 ぽつりと言ったことば。
 それは、心臓移植を期待することは技術的な問題だけではなく、誰かの死を待つことでもある。そう考えた末と知れた。
 そのとき、田賀には答えられることばはなかった。
「田賀さん?」
「あ…はい、ごめんなさい」
「あの子、どうしたの?」
 田賀が我に返ると、ゆかりの目は病棟の廊下をゆらゆらと影のように漂って行く少女にとめられていた。
 まだ十三、四歳に見える、やせ細った、まさしく骨と皮の体。ネグリジェがひどく大きく見える。引きずられているスリッパが今にも脱げそうだ。昼近くなって活気づく病棟を眉をしかめて歩いて行く。待合室のソファに腰掛けたとき、ソファが数センチも沈まなかったように見えた。
「病気で食べられないの」
「拒食っていうのね。幾つかな…十五、六」
「よくわかったわね」
「少し小さく見えるらしいわ。あたし、前に食べられなくなったとき、十四、五に見られたもの」
「そう…」
 田賀の知っている範囲で、ゆかりの拒食の情報はない。
 たかが十七年の人生とは言え、患者のすべてを知ることなど到底できない。ましてや、六十年、七十年となると、それは田賀の想像さをはるかに超えたものになる。
 田賀は何回も入院してよく知っていたつもりのゆかりでさえ、まだ知らないことがいっぱいあるのだと、改めて『慣れ』の恐ろしさを思った。

 どうして、みんな、食べられるのかしら。
 命をばりばりがりがり噛み砕いて。
 声が聞こえないのね、痛いっていう声。
 食事時間は嫌い。
 あの夏休みのディスコみたい。
 音の中で、一人でずっと座っている。
 宇宙食になればいい。
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