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望美がかほ子の部屋に入ったのは、昼直後のことだった。
枕元の床頭台には、手のついてない食事のトレーが当然のように置かれてあった。
望美は遠回しに反応を探るという芸当はできない性分だ。ひょいと顔を上げたかほ子に、できるかぎり優しく笑って声をかけた。
「こんにちは、栄養部の谷、といいます。山野かほ子さんですね」
「はい」
栄養部、と聞いたとたんに固くなったかほ子の表情を、望美はどこかで無視してしまった。そのままベッドに近づき、トレーを覗き込みながら尋ねる。
「今日のご飯はどうでした? あれ、手付かずだね。あんまり、おいしそうじゃなかったかなあ?」
望美としては、身近な話題から、食事についてのかほ子の考え方や気持ちを知りたかったのだが、相手は無言で顔を背け、窓の外を見た。固い凍った頬の線、きつく握った枝のような細い手は、布団の上でそのまま干からびていきそうだ。
望美は一つうなずいて、サラダについていた人参をつまみあげた。
そこには、人参の葉を模して、小さなパセリが差し込まれている。調理部ともめたあげく出している一品、手間暇かかるのを承知で目も楽しませようと加えたものだ。
「これ、あたしが考えたんだけど、ね、ちょっと可愛いと思わない?」
声をかけながらかほ子を振り返ったが、かほ子はますます窓の外へ顔を背けた。
ここで怯んじゃいけない、と望美は人参を摘んだまま、かほ子の目の前に体を乗り出した。
「ね、かほ子ちゃん……あっ」
「いやっ!」
ふいに飛んで来たかほ子の細い手が人参を叩き落とすのと、うろたえて望美が身を引くのがほぼ同時だった。
ミニサイズの人参が床に叩きつけられ、柔らかく湯がいてあっただけにべたりと奇妙な形に広がる。差し込んであったパセリだけが、ころころとプラスチックのように部屋の隅に転がった。
望美の脳裏を調理部とやり合ったときの光景が通り過ぎる。
誰もこんなの待ってやしないよ、どうしたって人参は人参さ、そんな特別なメニューじゃない。
そう言われたときの口惜しさが蘇る。
「……どうして、よ」
望美は人参を見たままつぶやいた。
「……どうして、こんなこと、するのよ」
顔を上げると、望美を見つめていたらしいかほ子の脅えたような目があった。その目に一層怒りをかきたてられて、望美は険しい声になった。
「ここまで来るのに、どれだけの手間がかかってると思うのよ。種から植えて収穫して、遠くから運んで店に並べて、献立考えて買い物して、洗って切って飾りつけて。あんたの目の前にあるのは、確かにただの人参でしょうよ。あんたが拒食しているのはあんたの自由よ。でも、たくさんの人がここまで運んできてくれたものを、こんなふうにめちゃくちゃにする権利なんてないじゃない」
かほ子の顔がみるみる強ばった。しまったと思ったが、ことばは望美の唇からあふれて止まらなかった。
「世の中には、いっぱい食べたくても食べられない人だっているんですからね! あんたみたいに至れり尽くせりで、みんなに心配かけてても、平気で食べ物を捨てちゃうような人には想像もつかないほど、ひどいところで生きてる人だっているんだから! あんたは…結局、甘えてるんじゃない!」
「だって…」
かほ子の、骸骨に皮が張りついているような顔が、白く、続いて真っ赤になった。大きく開かれて数倍にも光を増した目が、望美を鋭く射抜く。
「……だって……!」
「かほ子…!」
ことばにならないまま、体を震わせて、かほ子は手元にあった置き時計を投げつけてきた。望美が顔をかばって後じさるのを追うように、ようやく叫びが唇を突く。
「あたし、知らなかったんだもん! あんなに嫌われてるなんて知らなかったんだもん! いっこやチャーにまで嫌われてるなんて…思わなかったんだもん!」
かほ子の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「ディスコなんか行かなきゃよかったんだ! きっと今ごろ、みんな言ってる! みんな、そう思ってるんだ! いなきゃいいのにって! うまれてこなきゃ、よかったのにって!」
「な…なに……」
望美は投げつけられたぬいぐるみを避けながら、必死にかほ子を見た。
真っ青な顔、目だけがぎらぎらと輝いている。今にも崩折れそうな手足が、望美に投げるものを探してベッドの上でうごめいている。乱れた息を吐く唇が白い。
「でも、あたしはここにいるのよ、ここにいるしかないじゃない。なのに、いるなっていうのよ、みんな、だから、だから、あんな声……いやあっ!」
ひくっ、とふいに息を吸い込んだかほ子は、次の瞬間、思い出したくないものを無理に思い出させられたように悲鳴を上げた。手につかんだ本を思いっきり望美に投げつける。本は望美の顔をかすめて、ドアにぶつかった。
「つっ!」
慌てて身を引いた望美はドアに背中を押しつけて、必死に外へ出た。
そこへ田賀がやってきたのだ。
枕元の床頭台には、手のついてない食事のトレーが当然のように置かれてあった。
望美は遠回しに反応を探るという芸当はできない性分だ。ひょいと顔を上げたかほ子に、できるかぎり優しく笑って声をかけた。
「こんにちは、栄養部の谷、といいます。山野かほ子さんですね」
「はい」
栄養部、と聞いたとたんに固くなったかほ子の表情を、望美はどこかで無視してしまった。そのままベッドに近づき、トレーを覗き込みながら尋ねる。
「今日のご飯はどうでした? あれ、手付かずだね。あんまり、おいしそうじゃなかったかなあ?」
望美としては、身近な話題から、食事についてのかほ子の考え方や気持ちを知りたかったのだが、相手は無言で顔を背け、窓の外を見た。固い凍った頬の線、きつく握った枝のような細い手は、布団の上でそのまま干からびていきそうだ。
望美は一つうなずいて、サラダについていた人参をつまみあげた。
そこには、人参の葉を模して、小さなパセリが差し込まれている。調理部ともめたあげく出している一品、手間暇かかるのを承知で目も楽しませようと加えたものだ。
「これ、あたしが考えたんだけど、ね、ちょっと可愛いと思わない?」
声をかけながらかほ子を振り返ったが、かほ子はますます窓の外へ顔を背けた。
ここで怯んじゃいけない、と望美は人参を摘んだまま、かほ子の目の前に体を乗り出した。
「ね、かほ子ちゃん……あっ」
「いやっ!」
ふいに飛んで来たかほ子の細い手が人参を叩き落とすのと、うろたえて望美が身を引くのがほぼ同時だった。
ミニサイズの人参が床に叩きつけられ、柔らかく湯がいてあっただけにべたりと奇妙な形に広がる。差し込んであったパセリだけが、ころころとプラスチックのように部屋の隅に転がった。
望美の脳裏を調理部とやり合ったときの光景が通り過ぎる。
誰もこんなの待ってやしないよ、どうしたって人参は人参さ、そんな特別なメニューじゃない。
そう言われたときの口惜しさが蘇る。
「……どうして、よ」
望美は人参を見たままつぶやいた。
「……どうして、こんなこと、するのよ」
顔を上げると、望美を見つめていたらしいかほ子の脅えたような目があった。その目に一層怒りをかきたてられて、望美は険しい声になった。
「ここまで来るのに、どれだけの手間がかかってると思うのよ。種から植えて収穫して、遠くから運んで店に並べて、献立考えて買い物して、洗って切って飾りつけて。あんたの目の前にあるのは、確かにただの人参でしょうよ。あんたが拒食しているのはあんたの自由よ。でも、たくさんの人がここまで運んできてくれたものを、こんなふうにめちゃくちゃにする権利なんてないじゃない」
かほ子の顔がみるみる強ばった。しまったと思ったが、ことばは望美の唇からあふれて止まらなかった。
「世の中には、いっぱい食べたくても食べられない人だっているんですからね! あんたみたいに至れり尽くせりで、みんなに心配かけてても、平気で食べ物を捨てちゃうような人には想像もつかないほど、ひどいところで生きてる人だっているんだから! あんたは…結局、甘えてるんじゃない!」
「だって…」
かほ子の、骸骨に皮が張りついているような顔が、白く、続いて真っ赤になった。大きく開かれて数倍にも光を増した目が、望美を鋭く射抜く。
「……だって……!」
「かほ子…!」
ことばにならないまま、体を震わせて、かほ子は手元にあった置き時計を投げつけてきた。望美が顔をかばって後じさるのを追うように、ようやく叫びが唇を突く。
「あたし、知らなかったんだもん! あんなに嫌われてるなんて知らなかったんだもん! いっこやチャーにまで嫌われてるなんて…思わなかったんだもん!」
かほ子の目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「ディスコなんか行かなきゃよかったんだ! きっと今ごろ、みんな言ってる! みんな、そう思ってるんだ! いなきゃいいのにって! うまれてこなきゃ、よかったのにって!」
「な…なに……」
望美は投げつけられたぬいぐるみを避けながら、必死にかほ子を見た。
真っ青な顔、目だけがぎらぎらと輝いている。今にも崩折れそうな手足が、望美に投げるものを探してベッドの上でうごめいている。乱れた息を吐く唇が白い。
「でも、あたしはここにいるのよ、ここにいるしかないじゃない。なのに、いるなっていうのよ、みんな、だから、だから、あんな声……いやあっ!」
ひくっ、とふいに息を吸い込んだかほ子は、次の瞬間、思い出したくないものを無理に思い出させられたように悲鳴を上げた。手につかんだ本を思いっきり望美に投げつける。本は望美の顔をかすめて、ドアにぶつかった。
「つっ!」
慌てて身を引いた望美はドアに背中を押しつけて、必死に外へ出た。
そこへ田賀がやってきたのだ。
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