『ドリーム・ウォーカー』

segakiyui

文字の大きさ
31 / 48

8.パンドラの箱(3)

しおりを挟む
 実は僕から目を逸らせた。目深に被った帽子の下で、あいまいな微笑が消えて厳しい顔になった。プルオーバーパーカーの腕を自分を抱くように引き寄せて、
「誰もわかってくれなかったボク。逃げて隠れたのにズタボロにされたボク。毎日どこかでボクが死んでる。だから叫ぶことにした。思いっきり。火事があるぞーって。ここでとんでもないことが起こってるぞーって」
 実の顔が少し和らいだ。
「ほんのときどき、叫んだ声を聞きつけてくれる人がいる。そしたら、その人にも頼む。できたら、叫んでくれって」
 実はまっすぐに前を見た。
 怯まない顔だった。
 タフな顔だった。
「おまえは、すごい奴だったんだ」
 ぷふっ、と実は吹いた。
「バカヤロー、だよ」
「僕にはムリだ」
「叫べたからいいよ」
「僕は…」
 僕はうつむいた。
 きっと今でも、こんな目にあっても、僕は誰かのためには叫べない。
 怖くて。
 竦んで。
「僕は…だめだ」
 母さん印の僕。
 僕でない僕。
 でも、それ以外の僕は何もない。
「おまえは大丈夫だよ」
 実がふっと優しい目で僕を見た。
「あいつに比べれば」
「あいつ?」
 僕は真っ白な朗の顔を思い出した。
「朗のこと?」
「あいつには、ほんとに、何もないんだ」
 実の目が暗く重くなった。
「あいつの母親のこと、覚えてる?」
「うん」
「あいつが真面目に高校生をやっていると思ってる。確かに朗は高校に通ってるけど、授業を受けてるわけじゃない」
 実は眉をひそめた。
「どういうこと?」
「ボク、街をうろついてるから知ってるんだ」
「…補導、されたって?」
 一歩踏み込んで聞いてみると、実はくすん、と笑った。
「そんなふうに言われてんだ? まあ、今日も警察から帰ってくる途中だったけど」
「違うの?」
「事情聴取。あいつにくっつかれて困ってる奴がいるんだ。で、ちょっと前にそいつに頼まれて朗を追いかけてたんだよ」
 実は疲れたような顔でごろりと寝転がった。
「バカだよなあ、朗。親なんかのために、自分潰しちまって」
「何があったんだ?」
「人を刺した」
 実のことばは妙に浮いて聞こえた。
「カッターじゃなくて、でかいので。奴ともめてたところから、ボク、くっついてビデオ撮ってたんだよね。そしたら、ばたばたっとして、そうなって。あの時間、あいつ塾へ行ってるはずだったのに。もう終わりだよ、明るく元気で『いい子』の朗くんはどこにもいなくなるんだ」
 実はちらりと僕の手を見た。
「それも追加してやったら? 警察は喜ぶだろうな」
 何も答えられないでいると、実はひょいと立ち上がった。
「わかってるだろ」
 僕を高い位置から見下ろして、
「あいつだけが、ああじゃないんだ」
 厳しい声だった。
「…うん」
 僕が母さんを刺さなかったのはたまたまだ。リカを追いかけて殴らなかったのはタイミングだ。父さんに叩かれて反撃しなかったのは、怖さの方が勝っただけのこと、押さえつけられた気持ちが消えたわけじゃない。
「難しい世代、だよな」
 実はひとごとのようにつぶやいた。ゆるやかに目を逸らせ、そのままゆっくり歩き始める。その実の肩に、何かを押さえつけようとするような力が入っていた。
 僕はすぐに立つ気にならなくて、実の後ろ姿を見送っていた。
 朗。頭が良くて、人望もあって、結構ほんとはいい奴で、けれど、今は人を傷つけることなんて何とも思っちゃいない。
 実。小学生のときからいじめ続けられて、誰にも何にもわかってもらえずかばってもらえなかったのに、それでも今日もいじめられてる誰かのために叫んでる。
 僕。あれこれ家の中がうまくいくように考えて自分を押し殺して、気がつけば自分の中に何にもなくなって、生きてるかどうかもよくわからない。
 僕達は何か間違っているんだろうか。
 どうしてこんなに苦しいんだろう。
 ふいに、実が立ち止まった。そのまま、少し上を見上げ、息を吸い込み、はあっと大きなため息をついた。
 すとん。
 いつかの春日のことばが僕の中で大きな何かを落としたように、実の中でも何かの塊が通り抜けて落ちていったように見えた。
 くるりと実は振り返った。
 ハーフパンツのポケットに両手を無理やり突っ込んで、近づかないまま声をかけてきた。
「なあ?」
「え?」
「友達、やらないか、ごっこじゃなくて」
 実はあいまいに笑った。
 胸が、詰まった。
 畜生。
「なあ、どうする?」
「さっさといっちまえ!」
 僕は叫んだ。目の奥が熱くなって、泣きたいのか笑いたいのかわからなかった。
 実はわかったと言いたげに微笑んだ。その笑みは、春日にどこか似ている気がした。
 僕は力を込めて立ち上がった。
「春日に、会ってから!」
 叫び返すと、右手の傷がじん、と痛んだ。
「わかった」
 実はうなずき再び背中を向けた。それから、平和しか知らないみたいに歩いていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...