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9.解ける絆(1)
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歩道に向き合って立っているのは、やっぱりリカと春日だった。
しだいに強さを増してくる風に、リカの長い髪とワンピースの裾が翻っている。それを押さえつけるように、きつく伸ばした手足に力を込めて、リカは春日の前で仁王立ちになっていた。
春日はいつもと変わらない。
薄手の白いサマーセーターに灰色のコットンパンツ、両手はだらりと垂らしている。
「…のよ!」
リカの声が響いた。
足止めされた気がした。
二人からまだ少し離れた距離、それでもリカが振り向けば、すぐに僕に気づく距離だけど、二人ともこちらを見る気配さえない。
「どうして和樹に話したのよ!」
リカがもう一度叫んだ。
「ぼくは何も話してない」
「嘘つき!」
リカはヒステリックな声で遮った。
「和樹知ってたわ! 何もかも知ってた! あんたが話したんでしょ! ひどい! あんたのせいよ! あんたが悪いんだわ! 信用してたのに! 土居さんのこと、誰にも話さないって!」
ばちん、と胸の中で何かが切れた。
知っていた?
春日は土居のことを知っていたのか?
リカと土居のことを知っていて、それでも、僕と平気な顔をして話していたのか?
だから、何もかも見通せたみたいに話せたのか?
母さんのように。
「ぼくは、何も、誰にも話していない」
春日の声はどこか嘘っぽく聞こえた。
風が激しくなって、春日の髪も乱れている。顔の半分を生き物のように流れ動いて、目が見えない、表情も読めない。
「嘘つき! 嘘つき!」
リカは春日のことばなんか聞こえなかったみたいにわめき続けた。
「ひどい! ひどい! ひどい! ひどい!」
壊れたスピーカーが際限なく音量を上げていくように、声はどんどん悲鳴じみたものになっていく。
それに誘われ、かきたてられるように、僕の心の中で転がった真っ黒な箱からも、いろいろなものが飛び出し、砕け散っていく。
真実なんてないんだ。
愛なんてないんだ。
この世界は汚くて、醜くて、きれいなものなんて一つもない。
叫んでいるリカの姿も、なんだかどんどん汚れてしわくちゃになっていくポスターみたいに見えてくる。
「あたしは!」
リカの声は泣いていた。
「あたしは、和樹、好きなの! 和樹が好きだったの!」
春日は応えない。
「和樹にかっこいいGショックあげたかったの! ママにも幸せになってほしかったの! あたし、何にも悪いことなんてしなかった! あたしは悪いことなんてしてない!」
和樹が好きだった。
本当は一番聞きたかったリカのことばだったけど、それはもう、汚れて破れたポスターに畳み込まれてどんどん見えなくなってしまう。
悪いこと、してないんだって。
僕と付き合ってて、ほかの男にも抱かれて、けど、悪いことしてないってリカは言う。
「あんたが和樹にしゃべらなければ、全部うまくいったのよ!」
うまくいった。
リカのお母さんはいい人と結ばれて、夫ができる。リカには新しい父親ができ、僕と付き合い、幸せに暮らす。四方八方丸くおさまろうとしていたのに、どうして邪魔したのかとリカは怒っている。
そのリカに応じる同じ声が、僕の中にも響いていた。
僕は何も見ていない。あなたの中に何があってもいい。
だから、どうぞ、側にいて。
だから、なのか?
だから、僕とリカは魅かれあったのか?
「本当にそうかい?」
風が一際強く吹き渡った。
春日の低い声を、まるで僕にまで届けようとするように。
そして、唐突にぴたりと止まった。
しだいに強さを増してくる風に、リカの長い髪とワンピースの裾が翻っている。それを押さえつけるように、きつく伸ばした手足に力を込めて、リカは春日の前で仁王立ちになっていた。
春日はいつもと変わらない。
薄手の白いサマーセーターに灰色のコットンパンツ、両手はだらりと垂らしている。
「…のよ!」
リカの声が響いた。
足止めされた気がした。
二人からまだ少し離れた距離、それでもリカが振り向けば、すぐに僕に気づく距離だけど、二人ともこちらを見る気配さえない。
「どうして和樹に話したのよ!」
リカがもう一度叫んだ。
「ぼくは何も話してない」
「嘘つき!」
リカはヒステリックな声で遮った。
「和樹知ってたわ! 何もかも知ってた! あんたが話したんでしょ! ひどい! あんたのせいよ! あんたが悪いんだわ! 信用してたのに! 土居さんのこと、誰にも話さないって!」
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知っていた?
春日は土居のことを知っていたのか?
リカと土居のことを知っていて、それでも、僕と平気な顔をして話していたのか?
だから、何もかも見通せたみたいに話せたのか?
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「ぼくは、何も、誰にも話していない」
春日の声はどこか嘘っぽく聞こえた。
風が激しくなって、春日の髪も乱れている。顔の半分を生き物のように流れ動いて、目が見えない、表情も読めない。
「嘘つき! 嘘つき!」
リカは春日のことばなんか聞こえなかったみたいにわめき続けた。
「ひどい! ひどい! ひどい! ひどい!」
壊れたスピーカーが際限なく音量を上げていくように、声はどんどん悲鳴じみたものになっていく。
それに誘われ、かきたてられるように、僕の心の中で転がった真っ黒な箱からも、いろいろなものが飛び出し、砕け散っていく。
真実なんてないんだ。
愛なんてないんだ。
この世界は汚くて、醜くて、きれいなものなんて一つもない。
叫んでいるリカの姿も、なんだかどんどん汚れてしわくちゃになっていくポスターみたいに見えてくる。
「あたしは!」
リカの声は泣いていた。
「あたしは、和樹、好きなの! 和樹が好きだったの!」
春日は応えない。
「和樹にかっこいいGショックあげたかったの! ママにも幸せになってほしかったの! あたし、何にも悪いことなんてしなかった! あたしは悪いことなんてしてない!」
和樹が好きだった。
本当は一番聞きたかったリカのことばだったけど、それはもう、汚れて破れたポスターに畳み込まれてどんどん見えなくなってしまう。
悪いこと、してないんだって。
僕と付き合ってて、ほかの男にも抱かれて、けど、悪いことしてないってリカは言う。
「あんたが和樹にしゃべらなければ、全部うまくいったのよ!」
うまくいった。
リカのお母さんはいい人と結ばれて、夫ができる。リカには新しい父親ができ、僕と付き合い、幸せに暮らす。四方八方丸くおさまろうとしていたのに、どうして邪魔したのかとリカは怒っている。
そのリカに応じる同じ声が、僕の中にも響いていた。
僕は何も見ていない。あなたの中に何があってもいい。
だから、どうぞ、側にいて。
だから、なのか?
だから、僕とリカは魅かれあったのか?
「本当にそうかい?」
風が一際強く吹き渡った。
春日の低い声を、まるで僕にまで届けようとするように。
そして、唐突にぴたりと止まった。
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