『闇を闇から』番外編

segakiyui

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『その男』(21)

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 ちりん。
 頭上でまた風鈴が鳴った。
 最近よく、この音が響くようになった。
 あのとき、自分が何を望んでいたのか。
 何を考えてコンビニを襲い、何を望んで女達を供したのか。
 考えかけては急いで吹き飛ばす、そんなことはもう夢の彼方だ、と。
 けれど。
 ちりん。
 音が響く。
 次第にはっきりと。
 それを聞くまいとして、鼻歌まじりで携帯を開き、誘いをかける。
「もしもし……次は朝なんてどう?」
『ええ……でも』
「まだ大丈夫だろ? それに刺激的だよ、いつ誰が来るかわからない」
 携帯の向こうの声は濡れている。
 子どもを流させる薬が手に入ったと大輔がよこした。最中に挿入してやればいいらしい。
 代わりに、自分に迫りつつある警察の手を何とかしろと言ってきている。
「じゃあ、いいね?」
『…わかったわ』
 阿倍野がくすくす笑ったのが不愉快になって携帯を切った。
 大輔にどうにもできないとは言わなかった。
 大輔の周囲からかなりの人間が危険を察して手を引きつつあるとも教えなかった。
 店から脱出してこようとした飯島の直前でガラスの扉を閉めてやった、あの時と同じ顔を大輔もするのだろうか。
 何とかしてやるよ、そう答えて追加条件を出した。
 飯島を消してくれないか。彼から君の秘密が漏れそうなんだ、必死に止めてはいるんだけどね。
 二つ返事で了承した大輔、他に手はなかっただろう。
 転がり落ちていく先は見えている。
 大きな刃が、あるはずがないと思っていた、見えない巨大な運命の車が、自分の上に落ちてきている。
 そう感じて怯えるだろうか、あの大輔でも?
 ちりん。
 揺れているのは刃なのに、どうして風鈴が鳴り続ける?

「伊吹さん」
 廊下で印刷を始めようとする伊吹に声をかける。
「はい?」
「結婚、決まったんだって?」
「…はい」
 薄赤くなった顔で、どこか困惑したように微笑んだ。
「お祝いしなくちゃね……何かおいしいものを奢ろうか」
「そんな」
「いいじゃないか、なんなら」
 真崎くんと一緒にどうかな?
 片目をつぶって誘いをかける。
 好感度はいい。
 誠実さもある。
 警戒される因子はない。
 彼女はまだ何も気づいていない。
「では…今度」
 課長に伝えておきますね。
「よろしく」
「はい」
 ぺこりと頭を下げて、笑い返してくる。
「楽しみにします、赤来課長」

 ちりん。
「うるさい」
 ちりん。
「うるさいぞ」
 ちりん。
「さっさと落ちろ」
 同じように、足を滑らせて、救いようのない奈落へ。
「落ちろ」
 階段を駆け下りながら呟いたことば。
「落ちろ?」
 ああ、そうか。
 ふいに、終わりが見えて、安堵した。

                                おわり
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