『闇を闇から』番外編

segakiyui

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『紅蓮』

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「何でだよ」
「………」
 母親は無言で父親に目を向ける。
「何で、好きなところに行っちゃいけねえんだよ」
 高校進学の時、大輔には選択肢はなかった。
「お前は家を継ぐんだ」
「あいつは」
 吐き捨てた大輔に父親は目を逸らせる。いつもいつもそうだ。京介の話になると、大輔は父親の視界から締め出される。
「あいつの方が可愛いのかよ」
「そんなことはない」
「あいつの方が」
 あんたの好きになった女に似てるからかよ。
 呑み込んだことばを一番はっきり言えるのは母親のはずなのに、母親は無言で父親を見るだけだ。

 京介が腹違いだということは、親類の馬鹿のせいで早くに知っていた。言いふらそうとした口さがない同級生を殴ったこともある。
 京介は可愛い。美少年というよりは、ふわりと笑うその顔に広がる頼りなさや、柔らかな物腰や、何より人に訴えかけるような瞳が誰もを魅きつける。それでいて、どこか一本強いところもあって、それが時々零れてはなお気持ちを引き寄せられる。
 対して大輔は可愛くない。男だから、長男だからと張り合うように育てられたせいもあるが、がっしりした体とか濃い眉とかぎゅっと引き結んだ口とか、どこもかしこも大雑把でごつい。
 だからといって、傷つかないわけじゃない。
 様々なことが遮られるときに、京介の影が見え隠れする。ずっと欲しかった天体望遠鏡を京介にこっそりと貸した近所の男とか。それで一緒に星を見ようと京介が誘ったこととか。大輔が焦がれて探した星を京介が先に見つけたこととか。そのくせすぐに飽きてしまって、その天体望遠鏡を放置していたこととか。埃だらけになっていたそれを拭いて返しに行ったのが大輔で、近所の男は礼を言って受け取ってそのまま二度と貸してくれなかったこととか。
 でも、京介が側に居るのがよかった。京介が『ぼけ』に夢中になっていたときはむかついて腹が立って、そんなものより自分を見て欲しかった。

 星を見たかった。
 一番明るく光る星を誰よりはっきり見たかった。
「あ、見つけた、大ちゃん」
 一緒に天体望遠鏡を担いで山に入ったとき、側で嬉しそうな声を上げた京介の白く光る横顔が、逸らせた滑らかな喉が、綻ぶ唇が煌めいて、目を奪われた、ここにあったのか、と。

「大輔」
 きっかけはたぶん、その一言だったのだと思う。
「…何だよ、急に呼び捨てて」
「いいじゃん」
「よくねえよ」
「なんで」
 見遣ってくる京介の瞳は冷たくて綺麗だ。昔からあったその光が、今目の前に躍り出て、きらきらしながら大輔を誘っている。
「兄貴を呼び捨てにすんなよ」
「僕だってもう中学だ」
 微かに胸をそらす仕草、張り詰めて滑らかな身体の曲線にどきりとする。
「いつまでも大ちゃんなんて呼んでられないだろ」
 いつまでも、呼んでられない。
 じゃあ、いつまでも呼ばせてやるさ、大ちゃん、って。
 そう思ったら、何度も夜を過ごしたものが膨れ上がって我慢できなくなった。

 山に行こう、そう誘った。
 天体望遠鏡を貸してもらうからさ、中学行ったらそんなこともできないだろうし。
「望遠鏡は?」
「それがさ、いいものが見える位置を見つけたから置いてきた」
「え、それ、あの人のだよね」
 怯えた顔をしていた京介が、盗られたらどうするんだよ、そう言いながら駆け上がっていく背中に唾を呑み込んだ。
 山の中腹で薮の中に引きずり込むのは一瞬、戸惑って困惑してパニックになった京介を押し倒して下半身を剥ぐ。何をされるのか察したらしい京介が真っ白な顔で悲鳴を上げる。
 直前に呑ませたコーラに酒を混ぜていた。内緒な、と笑った大輔に、京介は共犯の顔で笑い返した。駆け上がったせいで酔いは一気に回る。ふらつく足下で抵抗する京介の肌の感触が柔らかで温かで、女みたいだ、と思ったとたん、頭の中に自分と父親が重なった。
 腹を殴る、顔を殴る、驚いて凍りつく京介をなおも殴る。赤土に塗れていく身体に煽られた。
 汚してやる、もっととことんまで。
 圧倒的な力で支配したかった。脚を抱え上げ、拒む場所を指で広げて一気に押し込んだ。
「い、や、だぁあ、大ちゃんっっっ」
 高い悲鳴に煽られた。みるみる薄赤く染まっていく顔も、仰け反ってひきつって締め付けてくる身体も、涙を零しながら喘いで、何度も貫くたびにだんだん持ち上がってくるものが、最後に吐き出して赤土をまだらにする、それが半分は京介の流した血で染まって赤いのだとわかっても、気持ちよくて夢中で動いた。

 声も出なくなった相手に注ぎ込んで、それからずたずたになってるのにズボンをはかせて、背中にしょって山を降りる。
 ぐたりとした重みが無性に嬉しかった。燃え上がるような身体が背中で何かを思い出したみたいに時々痙攣する。
「どうして……こんなこと……するの」
 呻き声に囁いてやる。
「たまたまだ」
 ひくり、と身体が強ばって、逃れようとするみたいだったから、そのままケツを握りしめて引き寄せてやる。押し当てられた背中のものが震えている。
「女じゃまずいだろ、で、お前がたまたま居たからな」
「く…ふ…っ」
 堪えかねたような泣き声になったのに、
「お前はゴミだ」
 冷やかに吐き捨てる。
「こんなことされて、気持ちよがって、何度もイきやがって」
 嘲笑う。がたがた震えているくせに、背中から起き上がることさえできない京介が可愛くて気持ちいい。
 思い知らせるようにゆっくり教えてやる。
「あいつがどこかの女と寝てできた子どものくせに。ゴミはゴミ置き場が似合うんだ」
「……え…っ」
 掠れた声が繰り返す。
「う…そ…」
「だから、こんなことでよがるんだよ」
 安心しろ、この先、何度でもよがらせてやる。
「だからこういうときは、大ちゃんって呼べ」
 でないともっと酷いことをしてやる。

 家に戻って高熱を出した京介は、吐き戻し、うなされ、悲鳴を上げては飛び起き、下痢してほとんど何も受け付けなくなった。点滴される京介の側で、大輔がかいがいしく世話を焼き、山の中のきのこを食べた話をでっちあげた。
「馬鹿な」
 そう言ったのは父親で、京介の衣類が何で汚れているのか、身体を浄めて着替えさせた母親がわからなかったはずはなかっただろうが、あいかわらず無言を通し、大輔の言い分はまかり通った。
 父親は大輔に不審の眼を向け出したが負い目があるのか何もせず、母親は傍観者を決め込んでやはり何もせず、すがるものがなくなって心身ともに壊れかけた京介が、大輔の腕に堕ちてきたのはそれほど後でもなかった。

 両親が出かけていなくなれば、大輔は京介を否応なく抱いた。
「どうしてこんなこと…するの…っ」
 納得しきれなくて、貫かれながら京介は何度も尋ねる。
 快感に身体を波打たせながら、大輔の動きに明らかに切なく悦びながら、そんな冷静なことを言う相手が悔しくて、なお手酷く追い詰めながら、切羽詰まっていく自分を感じていた。
「お前は可愛がられてるからな」
 高みを早く通り抜けたくて吐き捨てる。
「何も頑張らなくてもっ何でもできてみんなに好かれてるっ」
 もう、少しだ。
「……俺より、ずっと…っ」
「っ、、」
 京介が跳ね上がる。やがて崩れ落ちて、それでも細めた目で見上げてきた相手に瞳の奥で嘲笑われた気がして、自分がまた膨れ上がるのがわかった。呻く相手に凄みながら、また動き始める。
「すぐに忘れろ」
「……」
 息を弾ませた京介が涙ぐんだ目を閉じる。その汗に濡れた横顔が、ひどく綺麗で。
 こんな状態で、こんなふうに好き勝手されているのに、それでもなお見愡れるほどに鮮やかで。
 対する自分はその相手を貪っているつもりで、その実はただ煽られて腰を振って。
 惨めだった。
 何もかも壊したいほど惨めだった。
「お前は俺の場所を汚す」

 京介を抱くほど飢えていくのがわかって、覚えたやり方で孝も抱いた。
 孝は意外にあっさり堕ちた。一人で寂しかったのか、そういうことに歯止めの効きにくいタイプだったのか、抱いている間はほっとする顔をすることが多くて、それに安心もしたが苛つきもした。
 こんなのじゃない、京介は。
 もっと激しくてもっと明るい一等星、それが光り輝くのは大輔の身体の下だけだ、そう思っては京介に舞い戻る。京介を抱いては苦しくて耐え切れなくなって、どんどんエスカレートして酷い方法を試みようとしてしまう自分が居て、さすがにまずいと思ってからは女に切り替えて。
「もういいだろ」
 それでも時々は京介を抱いた夜、そう吐き捨てられて凍りついた。
「女を抱けるんだから」
 京介の冷笑に切れた。
 一番初めのように殴って自由を奪って犯して。
「むかつくんだよ、なのに、なんでお前はそんなにみんなに好かれるんだっ」
 自分の声が悲鳴に聞こえた。
「なんで俺はお前が気になるんだ!」
 聞いた京介が真っ白な顔で目を見開いて、喉を鳴らして震える。吐きそうなんだ、と気付いた。大輔の愛撫に反応しているのは身体だけのことで、心も気持ちも寄り添ってきているようで、むしろ欠片さえ残っていないと気付いたとたん、大輔の口から叫び声が吹き零れた。
「お前が、好きなんだ!」
「…ぐっ」
 そんな体力さえ残っていなかったはずなのに、跳ね起きた京介がトイレへ駆け込んで吐きまくった。
 その鳥肌を立てて震えている後ろ姿に自分が最低の人間なんだと思い知らされて、それを感じまいとして。
「や…め…っ」
 そこでまた、犯した。

 今度は両親も黙っていなかったが、大輔の方ももう戻れなかった。
 車のブレーキに問題があったのは気付いていた。前日、調子がおかしかった。大輔だから巧みに操って戻ってこれた山道、両親が車を使って町に出るのを黙って見送った。
 細工などしていない。
 ただ故障を指摘しなかっただけだ。
 お前が京介に何をしているか知らないと思っているのか。
 そう冷やかに言い放った父親の声と、やはり無言で大輔を見る母親の目を思い浮かべて、静かな顔で電話を待った。
 運があれば。父親に技量があれば。天に神が居れば。
 両親は無事に戻り、大輔は裁かれ、京介は救われるのだ。
 けれど事故は起こり、両親は死に、会社を継いだ大輔の下で、京介は一生飼い殺しされるはずだった。
 こんなものだ、世界なんて。
 そういう大輔に恵子が知らせた、あなたが何をしたか知っているのよ、と。
 脅されたつもりではない。ただ、同じ感覚を持っている人間は快かった。
 恵子と結婚し、同じ家で京介を抱き、そうした日々をぐずぐずと続けていくはずだったのに、今回もそれを遮ったのは京介だった。
 朝一番で家を出た、そう聞かされたのは前日散々抱いた翌日のことだった。なぜ引き止めなかったと恵子に言い募れば、理由がないでしょう、京介さんには京介さんの考えがあってのことでしょう、そう微笑まれて。
 そんなところまで同じなのかよ。
 苦く笑えば、恵子はしらっとした顔で京ちゃん可愛いんですもの、と言ってのけた。
 つまり恵子は、大輔が京介を抱くのに嫉妬したわけじゃない、大輔だけが京介を抱くのが許せなかったのだ。
 お互いに気持ちを読み取ってしまえば、向かうのは外に出された獲物を誰が狩るかというだけのことだったはずで。

 なのに。
 京介は自分で帰ってきた。
 しかも伴侶にするという一人の女を引き連れて。

 京介が光を放つ一等星なら、この女は何もかもを呑み込むブラックホールのようだった。
 覗き込んだが最後、深淵に引きずり込まれ、その底で重力の闇に砕かれる。
 しかも、その女の前で贄のように自分の身を捧げている京介ときたら、背後の闇を得てなお一層鮮やかに真紅のコロナを揺らめかせる、妖しいまでの巨星になって輝いていた。
 女は大輔にだまされなかった。
 周囲の誰もが快活な体育会系の誠実な青年だと保証した大輔の、奥深くまで見抜いてきた。
 ブラックホールの引力に、大輔の表層が否応なく剥ぎ取られて晒されていく。見えているより遥かに巨大な質量と凄まじい圧力の前に引き寄せられて粉砕される、その恐怖に竦みながら、ふと、その前に屈したい、そう思ったのはなぜだろう。
 京介が清冽な明るい一等星としてだけではなく、人の運命を狂わせる魔性の星としての光を帯びて輝くことができたように、大輔もまた、星を追い掛け見上げ続ける欲望塗れの男ではなくて、その底で圧倒的な力に支配されながら宇宙の真理に近付ける悦びに喘ぐことができるのではないかと、そんな歓喜が脳裏を掠めて、震えた。
 京介を餌に近付いて、すげなく撥ね付けられて逃げ去っていく自分。
 ぞくぞくした。ぎりぎりに、追い詰められているのがわかる。息が弾む。
 懇親会とは名ばかりの、女を捕らえるためのホテルの一室に戻って、乱れた呼吸のままに風呂場に飛び込む。恵子では駄目だ。足りない。熱が、深さが、闇が足りない。
 あの女に入れたら。
 京介が快く漂っている、あの空間を侵せたら。

 家に戻っても、何度も何度もそれを思う。
 こうして思い出そうとしているのに、静かな表情しか思いつかない。乱れた顔が想像できない。そして、一瞬でもそれを浮かべかけると、その前に京介の冷笑が立ち塞がる。その京介にまた煽られる。
 炎に焼かれているような感覚で、夜中に携帯を鳴らした。
 掠れた声が響いて息を呑む。
「色っぽい声だな、京介……風邪でも引いたのか」
 違うだろう。今、あの女と寝ていたんだろう。
「それとも、寂しいのか……慰めてやろうか、え、今ここで」
 あの女に何を教えられたのか、見せてみろ。
「呼べよ、大ちゃんって」
 拒む声に煽られる。
「もっとって言ってみろよ、あの時みたいに」
 どんな快楽を味わったんだ。
「取り出してみろよ」
 教えろ。
「張り詰めてんだろ、わかってるんだぞ」
 口ごもる京介に熱くなる。
「男だもんな、我慢できないときはあるさ、だからあれだけ何度も欲しがったんだろ」
 今そこで、何をしていた。
「相手をしてやるぜ、取り出せよ、気持ちいいように煽ってやる」
 覚えた声を聞かせろ。
「窮まった声しやがって。そうやっていつも煽ってくるんだよな」
 それほど、いいのか。
 甘い吐息が回線を伝わってきて思わず触れた。
「なんだ……まじにその気になったのか」
 あの女に包まれた部分を想像する。
「もう触ってんのか、ええ」
 どこまで許してるんだ。
「どんな感じなんだ……京介」

『あぁ…』

 背筋を駆け上がったのは寒気。
 なんて声。
「京介……どこだ…」
 身体が熱い。指がもどかしい。けれど、次の瞬間。

『伊吹さんが付けた、キスマークのところ』

 凄まじい喪失感。
『聞こえた、大輔』
 くす、と吐息が笑う。
『僕を煽るのは、あんたじゃないんだ』
 くすくす続く嗤い声に辿り尽き損ねた場所が紅蓮に燃え盛って崩れ落ちる。
 切れた携帯をまた鳴らす。
 出ない。
「く、そぉっ!」
 投げ付けた携帯が床に跳ね上がってからから滑っていく先に、恵子が立っていた。
「夜中に何?」
「……」
「……京介さんに電話?」
 冷笑を浮かべて恵子が携帯の番号を確かめる。
「あなたの方が、不利ね」
 だって、男ですもの。
 恵子は静かに携帯を机に置く。
「お前なら、できるとでも言うのか」
「できたわ、もう」
「っ」
 目を見開いて恵子を睨む。
「私を京介さんがどうやって抱いたか、知りたくない?」
「……ちっ」
 大輔はしなだれかかってくる恵子の唇を乱暴に塞ぎながらベッドに押し倒した。
 
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