『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

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1.大事故(2)

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「滝くん…ですよね」
 声をかけられて振り返ると、いかにも坊っちゃん坊っちゃんした男が居た。流行のトップを切るという感じではないが、身なりの整った男だ。
「納屋教授のレポートのことなんですが…」
「ああ…」
 言われて思わず目を細める。
 納屋教授が何の嫌がらせか、「レポートテーマは滝君に聞いてくれ、彼は大変良く私のテーマを理解している」とか言ってくれたのだ。おかげで俺はその日から3日間、講座中の人間に追い回され(納屋教授のレポート重視は有名だった)散々な目に遭った。
「言っとくが、すぐに合格できるまとめ方とか突き返されない書き方とか期待しても無駄だぞ、そんなものがあったら俺が真っ先に実行してる」
「あははっ、いや、そうじゃなくて」
 警戒心むき出しの俺に、相手は照れ臭そうに笑った。
「実は僕、このところ1週間ほど休んでいて。レポートのことも今日聞いたばかりなんですよね」
 嫌味がなくて、好感を持てる笑い方、先天的なものかもしれない。
「今日聞いたばかりって……提出、明後日だぞ」
「らしいですね」
 ちょいと肩を竦めて見せた。
「あ、でも、2日あればなんとかなりますから」
 なんとかなるのかよ。
「…さようで」
「そうだ、立ち話もなんだから、ちょっと休んでいきませんか?」
「そうだな」
 誘いに慌てて持ち金を思い出し、大丈夫だろうと計算してから頷いた。
 カフェに入り、午後の日差しが物憂く差し込んで来る窓際に陣取る。相手は上品な顔立ちに、人好きのする笑みを浮かべた。
「僕、春日井あつしと言います」
「春日井?」
 名前に聞き覚えがあるような気がして尋ね直すと、春日井は異様に強い目の光で応じた。
「ええ」
 挑戦して来るような口調で、一気に続ける。
「新聞やネットで知ってるんじゃないですか」
 そこでようやく、目の前にいる男が、製薬会社産業スパイ事件の中心、春日井製薬の御曹司らしいことに気づいた。
 だが、テレビや新聞で描いていたイメージとはまるっきり違う。人の良さそうな大人しい笑みを絶えず浮かべているところは、そう言ったどろどろしたものを全く感じさせない。
「ああ…」
 頷いたっきりことばが続かず、がぶりとコーヒーを飲み下した。春日井もまた、そんな俺の様子をじっと見つめたまま、ことばを継がない。気まずい沈黙が訪れると、店にいる同じ大学の学生達のざわめきが耳に入って来る。
「…でしょ」
「そうだな、あいつだよ」
「スパイ事件の」
「…でねえ、だってあれで無実の人が…」
「図々しいったら…」
 春日井の耳にも当然届いていただろうに、相手は無言で目を伏せただけだ。
 それを見ていると、なんだか無性に腹が立ってきて、周囲を怒鳴りつけたくなってきた。ことさら大きい声で話しかける。
「で、納屋教授のレポートの話だがな」
 一瞬周囲が静まったが、そんなの知るか。
 準備していたバインダーの中身を机の上にぶちまけながら、ふと気づいて相手を見ると、仏像のようなアルカイック・スマイルが崩れていた。ぽかんとしたひどく間抜けた表情で俺を見返す。
「なんだ?」
「え…あ……」
 うろたえたように視線を逸らせ、
「…参ったな……本当に噂通りだ」
 気弱な笑みを浮かべる。
「噂?」
 嫌な予感に眉を上げた。
「ええ、有名ですよ。目を開いているのに電柱に『ぶつかれる』とか、何もないところでも『こけられる』とか…」
「…そういうところに可能の助動詞を遣わないでくれ」
「あ、すみません」
「…いいけど。…………他にもあるのか」
「お人よしで単純で、他人のことにも一所懸命で…」
 溜め息が出た。
「その先はわかるぞ。バカで間抜けでおっちょこちょい、と続くんだ。言われ慣れているからわかってる」
「それもそうですが…」
「あのなあ…」
「でも、とても良い人だと聞いていましたから」
「……」
 照れも赤面もなしに、よくこれだけ気障な台詞が言えるものだ。ひょっとして周一郎の同族か?
 俺は感心しながら春日井の顔を眺めていた……。
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