『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

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8.逆転劇(2)

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「おー、久しぶり」
 俺は朝倉家の門を潜りながら呟いた。
 長く赤いレンガ塀に囲まれ、林を右手、湖を左手にみる道に導かれてたどり着く屋敷の匂いも懐かしかった。
 やっぱり、ここは俺の家になっちまってるんだな。
 玄関のドアを開ける。勝手知ったる人の家、あの高野のことだ、俺の部屋もきちんと掃除していてくれるだろう。
「ん」
 部屋に向かおうとして奥から出てくる人影に気づく。焦茶の三つ揃いを完璧に来こなした少年は手に書類を持ち、歩きながら側に居る執事風の男に事細かに指示を出している。
「では、それを頼む」
「承知しました」
 初老の男はにこやかに頷き、
「……ほっといたしました、お元気になられて」
「うん…」
 少年は素直に頷いて、少しサングラスの奥の目を伏せたようだった。
「もう大丈夫だよ。すまなかった」
「いえ、私などは構いませんが……本当にどうなることかと心配いたしました」
「出口を見失ったと…思ったんだ」
 少年は淡い、懐かしむような笑みを滲ませた。
「やっと見つけたのに……見失ったと……それも自分のせいで」
「そんな……坊っちゃまは間違った事をなさったわけでは」
「わかっているよ」
 男の抗弁に少年は柔らかく応じた。年齢に似合わぬ大人びた表情でことばを継ぐ。
「わかっている。僕は朝倉家の当主として間違った事はしていない。きっと、滝さんもそれを責めたりしないだろう……だけど、だから辛かった…」
 端正な顔に淋しそうな色が広がった。眉を軽くひそめ、唇をきつめに結ぶ。
「僕は…滝さんを裏切って……滝さんを追い詰めて……。夢を見たのは話しただろう。滝さんは僕のことを怒りはしないんだ。だけど黙って背を向けて、どんどん歩いて行ってしまう…僕が見ている闇より数段暗い闇に……そして、それを僕は引き止める事が出来ない」
「坊っちゃま…」
「僕には止める資格がない……滝さんを呼ぶ資格がないと…そう思っていた」
「…」
「わからないだろう? でも、そう思っていたんだ。だけど、ある日、全く違う夢を見たんだ」
 ほんの少し少年の表情が明るくなり、はにかんだような幼い笑みを浮かべた。
「いつものように滝さんが行ってしまうんだけど、その時に、僕がほんの少し追いかけたんだ。そうしたら…」
 書類に目を落とし、聞こえるか聞こえないほどの声で続けた。
「…滝さんが待っててくれたんだ、僕が行くのを」
「坊っちゃま…」
 執事風の男も声を明るくした。
「…ほっとした。この人は待っててくれるんだと思った……だから」
 きゅっと一瞬少年は唇を引き締めた。
「辿り着けるかどうかはわからないけど、歩くことにした」
「坊っちゃま」
 男は目をパチパチさせた。
「そうですとも、そうでなければ滝さんも喜ばれませんよ」
「うん…じゃあ、さっき頼んだ事を…」
「はい、それではす…ぐ…に………」
 ふいとこっちへ顔を向けた高野が、ことばを途切らせポカンとした顔になる。
「高l野? どうし……」
  バササッ。
「へ?」
 にこにこ笑って手を振りかけた俺は、周一郎の手から書類の束が滑り落ちて辺りに散るのにぎょっとした。サングラスの向こうの瞳が、信じられぬものを見ていると言いたげに大きく見開かれている。
「おい…」
 不安になって声を掛けると、周一郎はびくん、と体を震わせた。唇から夢うつつのようにあやふやな声が零れる。
「滝…さ…ん……?」
「うん、俺だけど」
「滝様……あなた…」
「なんだよ、2人とも変な顔して」
 近づく俺を食い入るように見つめていた周一郎は、よろめくようにしゃがみこみ、書類を拾い始めた。その指先が細かく震えているのに気付いて、嫌な予感に襲われる。
 ひょっとして……まさか。
「ほら」
 俺もついでにしゃがみこみ、周一郎の様子を伺いながら渡してやると、こくりと頷いて受け取る。だが、一言も口をきかない。俺はしゃがみこんだまま、そうっと周一郎を覗き込もうとした。
「滝様……あなた……亡くなられたのでは…」
「は?」
 高野の声に顔を上げる。
「待てよ。どうして俺が死ぬんだ?」
「新聞やテレビで大騒ぎでしたでしょう?!」
「その後に事情を書いた手紙出したろ?!」
「手紙? ……ひょっとして、差出人の名前を書かれなかったのでは…」
「あ…うん。書けない事情があってさ」
「……坊っちゃまのご様子が……ご様子でしたので…」
 済まなそうに高野が続ける。
「差出人の不確かな物は、全て私が処分していたのです」
「あ、あのなあ…」
 どっと疲れてきた。確かに高野の言う事は一理ある。一理はあるが…。
「あ…」
 不意に俯いて書類を拾っていた周一郎の声が響いて振り返る。
「あ?」
「…あなた…なんか」
「俺なんか…?」
「……っ、あなたなんか、死んでもよかったんだ!」
「坊っちゃま!」
「周一郎!」
 てめえ、さっき言ってたことと全然違うじゃねえか。
 喚こうとした俺は、次の瞬間、周一郎の掴んだ書類にポタタッと水滴が落ちたのに気づいた。
「周一……どわ!!」
 お前、それは涙じゃ…と言いかけた矢先、突然無言のまま周一郎がしがみついてきて、危うく後ろへひっくり返り掛け、かろうじて尻餅をつく。
「おい…周一郎……おら……」
 そっと声を掛けたが、相手は一言も答えない。どうやら声を殺して泣いているらしい。
「あー……ま……その…」
 側で嬉しそうに笑っている高野に照れて、前髪をかき回す。メッシュを入れている時の癖が残っているようだ。
「ま…その……ま……そりゃ……たまには……いいけどさ…」
 ふと何の脈絡もなく、夢が蘇った。
 結局、俺は拾っちまうだろうな。何の役にも立たなくて、何もしてやれなくても、きっと俺は自分に何か出来ないかという自惚れで、猫でも犬でも蛙でもナマズでも、きっと拾ってしまうだろう……。
 苦笑いしながら、俺はそっと周一郎の頭に手を載せた。
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