『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
41 / 510
第1章

7.マジシャンズ・チョイス(5)

しおりを挟む
 近付いてくる唇を拒めなかった。
 伸び上がって吸いついてくるべったり濡れたそれは強い化粧品の匂いがして、押し倒されてのしかかられて、ぼんやり見上げていたら繰り返し吸いつかれた。
「京ちゃん」
「……すみません、義姉さん」
 うっとりした顔で呼びかけてきた恵子にまっすぐ天井を向いたまま、京介は呟いた。
「なぁに」
 柔らかで熱をもった膨らみが胸に載っている。なのに、温かいとも感じられずに、ただただ重いと思った。
「吐きそうなんです」
「え」
「僕、吐きますけど」
 いいですか。
「えっ」
 慌てて飛び退いた相手に起き上がる。
「ど、どうしたの」
「なんか、僕」
 ゆっくり立ち上がって相手を見下ろした。乱れた浴衣からはみだした脚がしっとりと光っているのが、まるで蛇がのたくっているように見えて、本当に吐き気がしてくる。
「今壊れたみたいで」
「……え?」
「このままだと義姉さんに対してとんでもなくスプラッタなことをしてしまいそうなんですけど」
 いいですか。
 淡々と続けると、恵子が大きく目を見開いた。
「きょ、京ちゃん」
 嫌よ、何を言い出すの、脅かさないで。
 引きつった顔で笑う相手に目を細める。
「別に脅かしていませんよ。ただ、あなたが来なければ、僕はそれを自分に対してやっただけで」
 剃刀ってあそこの鏡台にありますか?
 そう丁寧に聞いてやると、恵子はうろたえた顔で立ち上がった。そそくさと部屋を出ていきながら、疲れてるのよ、きっとそうよ、ねえもうおやすみなさい、と慌てて付け加えて姿を消す。
「…っ」
 その姿が消えたとたんに、本当に強烈な吐き気がやってきて、京介は部屋を飛び出した。トイレに駆け込み、夕食全部と胃液を吐き戻して喘ぐ。
 知っていたのか。
 知っていたのに。
 知っていて、あんな平気な顔で、僕の側に居られるのか。
 ひょっとして、孝、のことも?
「まさか」
 それで……孝と別れた、のか?
 突然の符号に頭を殴られたような気がして、汚れた口をトイレットロールで拭いて、トイレからよろめき出る。
「まさ…か」
 それを孝に言ったりしたのか、今京介にやったように、自分が優位に立ちたいがためだけに。
 つまり、孝とうまく別れるため、だけに? だから孝はあれほど荒れたのか?
「う…っ」
 欠けていたピースの一つがぴたりと嵌まって、視界が一気に潤んだ。
 その詳細を恵子に話したのは、おそらくは大輔だ。
 どうしてそんな酷いことができるんだ。
「く…そっ……」
 溢れた涙が堪え切れず、しばらく顔を覆って泣き続け、やがて寒さに震えて泣き止んだ。へとへとになっていて、足下があやうくて、今にも倒れそうな気がする。口を何度もゆすいで歯ブラシまでして、何とか化粧品の匂いを押さえて、顔を上げると、廊下の向こうに伊吹の眠っている部屋が見えた。
 ふらつきながらゆっくり歩いて、静まり返った部屋まで辿りつき、そっと襖を開ける。
 伊吹は布団に入ってぐっすり眠っているようだ。
 襖を閉めて、まっすぐ枕元に進み、
「伊吹さん」
 呼び掛けた。
 ぱちり、とふいに開いた瞳にどきっとしたけれど、何だかそれがわかっていたような気がして微笑む。
「眠れないんだけど」
 もうくたくただ。部屋にも戻りたくない。朝までまた震えているぐらいなら、伊吹の側で震えていたい。罵倒されてもいい、布団に入れなくてもいいし凍えてもいいから、ここに居たい。
「だから?」
 ぼそっとぶっきらぼうに返ってきた応えにまた微笑んだ。
「添い寝してほしいな」
「普通添い寝する方が夜這いに行くんじゃないですか」
「伊吹さん、こないじゃない」
 ずっと、来てくれないだろうしね。このままじゃ、あそこで自殺しそうだよ、今の僕じゃ。
 口に出せないことばを胸の中で付け加える。
 そうしてもらってもいいですよ、なんて冗談にも言われたら、もうもたない。
 京介の笑みをじっと見上げていた伊吹が、小さく吐息をついた。
「添い寝、してもいいですよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

とある高校の淫らで背徳的な日常

神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。 クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。 後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。 ノクターンとかにもある お気に入りをしてくれると喜ぶ。 感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。 してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

教師と生徒とアイツと俺と

本宮瑚子
恋愛
高校教師1年目、沢谷敬介。 教師という立場にありながら、一人の男としては屈折した感情を持て余す。 そんな敬介が、教師として男として、日に日に目で追ってしまうのは……、一人の女であり、生徒でもあった。 ★教師×生徒のストーリーながら、中身は大人風味の恋愛仕立て。 ★未成年による飲酒、喫煙の描写が含まれますが、あくまでストーリー上によるものであり、法令をお守り下さい。 ★こちらの作品は、他サイトでも掲載中のものに、加筆・修正を加えたものです。

巨×巨LOVE STORY

狭山雪菜
恋愛
白川藍子は、他の女の子よりも大きな胸をしていた。ある時、好きだと思っていた男友達から、実は小さい胸が好きと言われ…… こちらの作品は、「小説家になろう」でも掲載しております。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

処理中です...