『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

7.マジシャンズ・チョイス(6)

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 意外な応えが返って目を見開くと、生真面目な顔で尋ねられた。
「イブキは誰の猫なんですか?」
 いぶき、は誰のものなんですか。
 一瞬そう聞こえて、ことばにならなかった。
 黙って見上げてくる伊吹に、深く息をつく。
 もう、終わりにしよう、そう思った。
 どこへ行っても行き先は同じ、らしいし。
 くたんと体から力を抜き、座り込んで伊吹を見る。
「もうわかってるんじゃない?」
「やっぱり、孝さんの猫、ですか」
 そこまで、わかってるんだ、と少し嗤えた。恵子と話したっていうから、いろいろ聞いたのかもしれない。
 大輔が話した京介のとんでもない状態を、面白おかしく話されているのかもしれない、孝のように。
 ぐずぐずと崩れそうな思考を必死に保つ。
「正確に言うと、孝と僕の猫」
「ひょっとして、あのお墓………埋葬してたの、孝さんと課長、ですか?」
 起き上がった伊吹の体がふんわりと熱を放つ。
 いい、匂い。
 少しだけ、自分の中に気力が戻ったように思えた。
 もうちょっと、話せるかもしれない。
「恵子さんはね、飼うのは好きなんだけど、死ぬと触るのも嫌なんだって」
 そうだな、死にそうになっても怖いからって触りもしなかった。
 僕もあれと同じか、と気付く。
 死にそうになってても、自分のことじゃないし、何とか大丈夫そうに見えるし、と横目で放っておかれていたってことだろう。
 京介はそれでもいい。
 けれど、恋人からそんな目で見られていたのを知らされた、孝はどんな気持ちだっただろう。
 孝も自殺したのかな、と初めて思った。
「ひょっとして、課長の好きな相手って………孝さん、だったんですか」
 おやおや、妙なところでずれてるよ、この人は。
 苦笑しつつ、あれ、じゃあ伊吹さんは僕をゲイだと思ってたのかな、と首を捻る。
 だからここへも安心して付いてきてくれたのかな。
 でも、それでも気持ち悪いって言う気にならないでいてくれたんだ、それって嫌われてないってことかな。ゲイだと思われた方が側に居られるのなら、いっそゲイでもいいかもしれないけど。
 なんか間違ってるかもしれないなあ、とぼんやり思う。
「厳密に言えばそうじゃない、と思う………似たような境遇、というか?」
 でも、さすがにこれを言ってしまうとおしまい、だよね?
「………大輔、男も抱けるんだ」
「………はい?」
「今はああやって大人のふりしてるけど、昔はもっと乱暴でさ」
 伊吹は凍りついている。
 そりゃそうだよね、そんなこと、ありえないって普通思うしさ。
 淡い期待が砕けていくのに溜め息をついた。
「思春期なんて暴走まっさかりで。でも、女の子をどうこうするといろいろまずいから………孝とか、僕とか、まあその辺で」
 処理できればよかったんなら、ダッチワイフでもよかったろうに。
 反応しないと面白くねえんだよ、と大輔は笑った。嫌がってるのもポイントかもな、征服感、ってやつ?
 最低な理由を当然のことのように。
「抵抗するともっと酷い目に合うし。小さいころでも猫を殺したぐらいだし」
「……ぼけ?」
 『ぼけ』のことは話したっけ? 殺されたとか話したっけ?
 それとも何かでわかったのだろうか。
 ずいぶん疲れちゃってるな、と思った。けれど、口は勝手に話し続ける、伊吹の瞳に促されるように。
「僕は何だかいろいろだめになっちゃって………それでも孝がいるから頑張れたんだけど、その孝がようやくちゃんと女の子と付き合っていったら、大輔はそれが面白くなかったみたいだよ」
 そうだ、きっとそうなんだろうな。
 大輔は恵子が欲しかったわけじゃない。
 ただただ、面白くなかったから、恵子に話したんだろう、孝をどうやって抱いているか。
 一つ一つ、何が起こったのかが繋がっていく。
 凄いな、伊吹マジックは。
 少しだけ、微笑んでみせた。
「本当は、大輔の顔を見ても平気で居られるか自信がなかったけれど……伊吹さんが居ると大丈夫だった」
 さあ、これで、伊吹は全部知ったはずだ。
 切れ者で通っている上司がどんな経験をしているか。何もないような普通の顔の下で今もまだ問題をうんと抱えてて、そこに突っ込んだまま身動きできない情けない男であることも。
「それを確かめに来たんですか」
 どれだけ京介が駄目な男だってことを? 
 そうじゃないとわかっても、質問があたりすぎてて笑うしかない。
 なのに、どうしてだろう。
 伊吹の目に軽蔑はなかった。同情の色はあったが、哀れみはなかった。
 大怪我をした人間が、どれほど不運だったか、どれほど酷い事故だったかを話しているのを聞いているような、それこそ、ただそれだけの顔で京介の話を聞いている。
 嫌われて、いない?
 ふいにそう思った。
 もし不愉快な相手で顔も見たくないほど嫌ってる男がこんな話をしたら、黙って聞いている女はいない。ましてや、これほど静かに受け止めてくれるわけがない。
 山の中で抱き締めた、あの力まかせの行為を詰りもしない、これほど弱っている京介相手に。むしろ、これだけ何もかも晒しても、伊吹が怯まないどころか、もっと知りたそうにしてくれるのは。
 好かれてる、とか?
 少なくとも、普通より少し、好意的に興味を持ってくれてる、とか?
 どきん、と心臓が大きく打った。
 それはひょっとしたら、京介が弱いところを晒したせいかもしれない。
 経験値が勝手に答えを弾き出す。
 もっと見せたら、もっと魅かれて、もっと入ってきてくれる? 
『もっと開けよ、欲しいなら』
 霞む意識の向こうで声が響く。
 もっと開けば、触れてくれる? ずきずき疼いてどうにかしてほしいところまで?
 ぞくりと竦んだのは腰の底。覚えのある霧がかった甘い感覚が全身にやわやわと広がっていく。
 うんと、深くまで、熱い、もので。
 そう思うと喉が渇いて、身体が揺れた。不安定なずれが、ひどく、気持ちいい。
 自分が真崎京介を離れて何か別のものになっていくような気がする。
 その感覚を知っている。
 けれど、いつもは怖くて竦む感じがしていたのが、今はひたすら蕩けそうで。
「不思議だな」
「え?」
「今なんか……気持ちいいんだよね、僕」
 大輔の前ではこんな感覚になったことはない。
 首を傾げた伊吹がもっと話してと言われれば、きっと全部話してしまう。見せてと言われれば、きっと伊吹が望むように自分で晒してしまうだろう、一番脆くて弱いところも。
 顔が熱くなるのがわかった。身体も一緒に熱を上げる。
「僕ってマゾかもしれない」
「はぁあ?」
 伊吹が素頓狂な声を上げた。訝し気に見つめ返される、その視線にまで煽られた。
 くらくらして自分で座って居られなくなる。
「本当はこんなこと話すつもりなんてなかったのに」
 戸惑う伊吹に抱きついて、肩に甘えてしがみつく。
 暴かれたい。伊吹に深く入られたい。きっとこんな浴衣の上からの比じゃないほどに熱いだろう、そう思うと切なくて欲しくて、堪え切れずに呻いた。
「もっと聞いて……もっと僕のこと暴いて」
 大輔にだって、こんなふうにねだったことない。甘い痺れが腰を走る。
 もっと、全部、見て。
 温かな体に蕩けるように目を閉じながら、京介は吐息を零した。
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