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6.シーン203(2)
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「おはようございます、垣さん」
どうしてここに、とか、なぜここに、とか言う問いは、佐野には愚問以外の何ものでもない。必要な時に必要なタイミング、必要な状態で現れる友樹家の守護神は、にこやかに微笑みながらことばを継いだ。
「それは修一さんの服ですね?」
「あ、はい」
「着替えはこちらにあります。15分だけ準備に時間を差し上げますから、急いで下さい」
柔らかいけれども断固とした命令に、溜め息まじりに呆れる。
「知ってたのか、佐野さん」
昨夜、姿を消した修一を探し回ることさえなかったのか。
「想像はつきます」
佐野は垣に着替えを渡し、代わりに濡れて持ち重りのするゴミ袋を受け取ると、嫌な顔一つせず、後部座席にそれを置いた。
「修一さんが1人でマンションを出る理由は2つ、父親か母親からの連絡か、あなたを訪ねるためです。陽一さんはまず連絡を入れませんし、雅子さんはあなたも知っている事情の通りです。たとえ、母親に呼び出されたとしても一緒には居られないでしょうし、すぐに帰される可能性が高い。修一さんは人目を引くし、メディアも黙っていませんからね。周囲のそういう動きはなかった。ならば、残る1つはあなたのところです。修一さんのジャケットがなくなっていたし、伊勢さんにあなたの住所を尋ねていたはずだから。傘は残っていました。修一さんはコンビニで傘を買うタイプではありません。昨夜の雨なら濡れ鼠でしょう」
サングラスの向こうから零れた笑みは艶やかだった。
ひょっとすると、佐野の方が雅子より、いや陽一よりも、『役者』の技量は遥かに上なのかも知れない。
呆気にとられて開いていた口をようやく閉じ、垣はそろそろとまた開いた。
「『全部』……知ってるんですか、佐野さん」
全部知った上で、何が一番、修一を輝かせるかを考えてたりするんじゃないですか、それこそ、両親の状態を知った修一がどう感じるかさえも『計算』の上で。
そんなことができるのかどうか、それでも垣はあやうく尋ねそうになった。
(佐野さん、実はあなたが裏で糸を引いてたりしてませんよね?)
そんなことになったら、垣の運命は風前の灯だ。
「さ、どうですかしら」
佐野はさらりと受け流し、微笑みながら付け加えた。
「でも、私、マネージャーとしても私個人としても、修一さんを『買って』いるんですの。だから、彼の才能を妨げるものがあれば、微力ながら『それ』を排除するのに全力を尽くしますわ、たとえ『それ』が何であろうと」
ことばは柔らかかったが、底に秘められた冷ややかな凄みにぞくりとした。その垣の表情を見て、佐野は嫣然と笑った。
「あなたは違いますわ、垣さん」
笑みが深まる。
「私にもわかってるんですのよ、修一さんにとっての、あなたの必要性はね」
(修一さんにとっての)
それは垣本来の人権とは無関係に、ということだよな?
ツッコミどころ満載だが、突っ込んだ後の命の保証がない気がする。
「……そりゃ……どうも…」
もごもごと応じると、再び音もなく窓がせり上がった。
解説は終わり。心優しい配慮の時間も終了。
窓とサングラスに遮られた佐野の本音は、氷河なみに凍てついていそうだ。
垣はそろそろと後じさった。ゆっくりと離れていく車に、眠っている獅子を起こさないような足取りで階段を戻っていく。
(悪い人じゃないんだろうが)
「こええ女……」
思わず呟いてしまった。
「な…んか」
「え?」
高野は山本の顔を振り仰いだ。例によって、『月下魔術師』撮影の合間の、他愛ないおしゃべりの最中だ。
「なんかこう……いやに目につくな」
「何がです?」
「いや……ほら、修一の奴さ、前より垣へのまとわりつき方が酷くなったような気がしないか?」
「…そういえば……そんな気も」
高野は演技中の修一に目をやった。
伊勢は修一の演技にまだまだ納得しておらず、喚き散らしている。
「何やってんだよ! 友樹君! そこでそんなに滝を頼っていくな!」
「はいっ」
素直にこっくりと頷いて、修一は再び演技を始める。だが、今度は、垣の方が椅子の脚に蹴つまずき、テーブル掛けを引っ掴んでこけた。
「垣っ! 何やってやがるっ!」
「垣さんっ!」
修一がうろたえて垣の側に走り寄る。心配そうな顔で覗き込み、どこも怪我していないらしいと知って、ほう、と溜め息をついた。
「ありゃ、肉親を見る眼だよ」
山本がばっさり切り捨てる。
「肉親?」
「そ。それも血の繋がった父親とか、兄貴とか、な」
山本は口調に皮肉を響かせた。
「あ、修一さんと言えばね、最近素直になってません?」
「そうなんだ。この間、落ちた脚本を拾ってやったら、『ありがとう』だってよ」
「へえ、あいつが」
心底意外そうに口を挟んだのはメイクの山根だ。
「前のときは拾ってやっても少し頷いただけでさ、プライド高いぜ、って見せつけてきたのに」
「今撮っている映画(もの)のせいでしょうかね」
「10年来の当たり役だって、監督一人で喜んでるぜ」
「そうは見えないけど」
高野は怒鳴っている伊勢を不審そうに見つめる。
「ああ、ありゃ、監督一流のポーズだよ」
山根が事情通ぶって教えた。
「修一はもっと何かを引き出せるって言ってたぜ、監督。今は自分の才能だけに頼ってるが、その上に積み重ねりゃもっといいものが出来るはずだってさ」
「周一郎シリーズも3作目だからな。なまじな演技じゃ客は呼べんって訳だ」
冷ややかな山本の声が続いた。
「あ、それじゃあ修一さん、その当たり役だってうえに感情移入してるのかな」
思いついたように高野が瞬きした。
「修一さんと周一郎、どことなく境遇が似てるし、このところ修一さんも辛い事が続いてましたからね」
感情移入じゃないよ、と山根が嗤った。
「ありゃ、完全に周一郎になりきってるよ。垣を滝に見立ててんのさ、休憩の時もな」
山根のことばと同時に休憩になった。垣さん、と修一が声をかけながら垣の側へ歩いていく。へたへたになって座り込む垣にタオルを渡して、脚本を一緒に覗き込みながら何やかやと話している。
「甘えているんだな、あれは」
「いいじゃないですか、役がうまくいくんだから」
山根と高野がのんびりそれを見守っていると、
「そううまくいくかな」
山本の冷笑が響いた。
「え?」「は?」
高野と山根が振り向く。
「どういうことですか、山本さん」
「簡単なことさ」
訝しげな高野に山本は肩を竦めてみせる。
「確かに修一は周一郎に同化して、勝手に垣に滝のイメージを被せて甘えてりゃ、演技もうまくいくし、あいつもシアワセだろうな。けれど、問題は垣だ」
答えを引き出そうとするように、山本は2人を見返す。問われている気配に、2人はちらちらと視線を交わすが、答えには辿り着けず、山本に視線を戻した。
「垣に『こける』以上の才能があると思うか?」
お前達も知ってるよな、と山本は続ける。
「滝は確かに『ドジでお人好しな一般人』って描写をされてる、けれど、そうじゃないだろ?」
2人が一瞬考え込み、それからそれぞれに、あ、と表情を変える。
「滝、は凡人じゃない。『そんなふう』に見えるように描写されてるだけで、その実、誰よりも速く鋭く『真実』に近づけちまう、とんでもない能力を持ってる男だ」
へたしたら、周一郎だって滝の添え物でしかない状態になりかねない。
「だから、周一郎シリーズは『滝』の一人称で語られてるわけだろ?」
滝の動きの的確さ、信じられない嵌まり具合を、読者や観客に悟らせないために。三人称で描いたなら、こいつは何者だ、と注目が向いてしまうのは必至、それを避けるために。
「けれど、映画ってのはそのあたりが難しい」
まずい造りをしてしまえば、そこまでして周到に隠されている筋道を『三人称』の視点で暴いてしまいかねない。かと言って、『一人称』で描くなら、滝のわけがわからない、けれども迷路のただ中をまっすぐに突っ切っていく感覚を再現しなくては、筋道が立たない。
「そんなことは『凡人』にはできない…………だから、この作品は映像化が難しい、そう言われてきたわけだろ」
超能力と言われる不可思議な力の内面を描いてこそ初めて成り立つ物語なぞ、超能力者以外の誰が再現できるのか。
「監督があれだけヒステリックなのも、『三人称』のまま描いて、どこまで観客を最後まで騙し通せるかにキリキリしてるからだ」
たった1つの動作、たった1つのことばのニュアンスで観客にばれてしまう、この物語を切り回しているのは、周一郎でも佐野由宇子でもない、振り回され駆けずり回っているようにしか見えない道化師にしか見えない、滝志郎という男なのだ、と。
「けれど、それこそ、このシリーズの本質だ」
気づいた瞬間に、観客は『書き手』の掌で踊らされていたことを知る。その瞬間に、周一郎の掌で踊らされていた滝に同化する。そして次には滝そのものとして、この物語を味わい……世界を掌にする感覚に放り込まれる、世界を動かす、ちっぽけな1人の道化師、という感覚に。
人はみな、世界を動かす、ちっぽけな1人の人間だという真理。
「…………」
2人が落ち込んだ目眩のような感覚に山本は満足したのか、口調を切り替えた。
「確かに、今のところは修一や他の役者にカバーされて何とか保ってるが、俺にはあいつが『滝』になれるとは思えんね」
「あ」
話が日常感覚に戻ってきて、ほっとしたのだろう、高野が忙しく瞬きしつつ頷いて、小さく声を上げる。
「何だ?」
「いや…」
修一はもうどこかへ行ってしまったらしい。さっきまで修一が居た場所へ、高野は視線を投げた。
「修一さんが垣さんを『滝』に見立てて甘えているのは、たぶん本当でしょう……でも、それなら、ちょっとかわいそうですね、修一さん」
「うん?」
「だって、そんなふうに垣さんに嵌まってるのは、たぶん映画以外のことでも垣さんに『滝』でいてほしいということでしょう? けれど、垣さんはあくまで垣さんで『滝』じゃない」
「…そうか、受け止められないわけだ、垣は」
納得したように山根が頷いた。
「見事な一人芝居ってわけか」
「ショックでしょうね、それ知ったら」
同情的な高野のことばに、山本は鼻で嗤う。
「なあに、ちょっとは思い知っときゃいいのさ、あの甘ちゃんは」
突き放した。
「おーい、そこの2人、来い!」
「はいっ!」「はいよっ!」
伊勢に山根と山本が呼ばれていくと、残された高野は手持ち無沙汰になった。何をしようか、とぼんやりしていたが、
「高野さん」「っっ!」
突然背後から呼ばれて慌てて振り返る。修一の顔を見つけて凍りつく。
(聞かれていたか?)
ひやりとしたが、いつも通りの口調で修一が訴えた。
「オレンジジュース欲しいんだけど。垣さんの分も」
「すぐに用意します!」
「うん」
慌てて準備しながら、修一を盗み見したが、特に変わった様子はない。
(ま、聞かれてもいいか)
コップにジュースを注ぎながら考えた。
(修一さんが、恵まれている『甘ちゃん』なのは確かだし)
「お待たせしました」
「ありがとう」
「……いいえ」
にっこり笑ってコップを受け取り遠ざかる修一の後ろ姿を、高野は複雑な思いで見送った。
「はい、垣さん」
「うん」
修一の手からオレンジジュースのコップを受け取りながら、垣はじっと相手を見つめる。今朝はずいぶん元気そうに見える。昨日の疲れ切った様子とは大違いだ。
(美形、なんだな)
垣は溜め息をついた。自分ももう少し見目形が良ければ、デビューもうんと楽だっただろう、そして後々の今に至る映画撮りも。
(やっぱり、オレには役者は向いてないのかも知れない)
ごくりとオレンジジュースを呑み下した。
思えば、友樹夫妻に憧れて入った世界だった。いつか陽一のような温かみのある演技をしたい、雅子と同じ画面で共演してみたい、そう思って、たまたま、全くの幸運な偶然で飛び込んでしまった世界だった。
だが、その世界には暗がりも落とし穴もあり、落ち込むと抜け出せないほど深い闇もあった。外側から見たきらびやかで明るい色彩は、内側に入るとくすんで輝きを失い、しかも輝きが失せた幾つかの要因は、自分の才能のなさからきていた。才能だけではない、最近では、そもそも演技に向き合う役者根性、役者の魂みたいなものが先天的に欠如しているような気がしてならない。
(こいつだって15、いや14、だよな、まだ)
隣に座ってこくこくとオレンジジュースに喉を鳴らす修一を見る。
それだけで、絵になっている。
コップの含み方、指先の表情、僅かに眼を伏せて眩げな顔、カメラが回っていなくとも、照明が彼を追わなくとも、いつも見られているという感覚があるのだろう、幕間でさえ無防備に崩れる気配はない。
(母親は麻薬中毒で居所不明、父親は愛人といちゃつくのに忙しくて息子が九死に一生を得ても帰ってくることもない、仕事の加減で同世代の友達もほとんど作れなくて、回りは基本的に利害関係のある大人ばかり……でも、映画撮りの時には我が儘言わないし、一所懸命だし、そんなしんどいことなんて、これっぽっちも見せないよな)
垣が15の時はどうしていただろう。地元の中学に通って雑誌を眺めて美人アイドルに妄想を膨らませたり、メディアがあるところにはあると囁く抱え切れない大金を湯水のように使う夢とか、些細なことで家族や友人と大げんかして拗ねる、そんなことで一杯一杯だった気がする。
未来がどうなるかなんて、心配はしてたけれど深刻にはならなかった。いずれどうにか何とかなって、成功するに違いないと思っていた、単純に。
(こいつは、それだけ……役者が好き、だってことだよな)
しんどいことも辛いことも、映画に戻れば癒されるのだろう。不安も恐怖も、演技に入れば、消し去れるのだろう。
(ほんとにいろいろゴタゴタあって……それでもこうやって1人で役者やってるんだよな、いくら佐野さんとか高野さんがついてるとはいえ)
それが本質なのかも知れない。役者をやり続けられる素質というものかも知れない。
『いつまでそこにいるつもりかは知らないが』
数日前に田舎の親から来ていた手紙を思い出す。料金未払いで度々不通になる携帯より、確実でしっかり届く方法というわけだ。
『映画の一本二本出たところで、今の時代じゃ幻みたいなものだ』
どうしてここに、とか、なぜここに、とか言う問いは、佐野には愚問以外の何ものでもない。必要な時に必要なタイミング、必要な状態で現れる友樹家の守護神は、にこやかに微笑みながらことばを継いだ。
「それは修一さんの服ですね?」
「あ、はい」
「着替えはこちらにあります。15分だけ準備に時間を差し上げますから、急いで下さい」
柔らかいけれども断固とした命令に、溜め息まじりに呆れる。
「知ってたのか、佐野さん」
昨夜、姿を消した修一を探し回ることさえなかったのか。
「想像はつきます」
佐野は垣に着替えを渡し、代わりに濡れて持ち重りのするゴミ袋を受け取ると、嫌な顔一つせず、後部座席にそれを置いた。
「修一さんが1人でマンションを出る理由は2つ、父親か母親からの連絡か、あなたを訪ねるためです。陽一さんはまず連絡を入れませんし、雅子さんはあなたも知っている事情の通りです。たとえ、母親に呼び出されたとしても一緒には居られないでしょうし、すぐに帰される可能性が高い。修一さんは人目を引くし、メディアも黙っていませんからね。周囲のそういう動きはなかった。ならば、残る1つはあなたのところです。修一さんのジャケットがなくなっていたし、伊勢さんにあなたの住所を尋ねていたはずだから。傘は残っていました。修一さんはコンビニで傘を買うタイプではありません。昨夜の雨なら濡れ鼠でしょう」
サングラスの向こうから零れた笑みは艶やかだった。
ひょっとすると、佐野の方が雅子より、いや陽一よりも、『役者』の技量は遥かに上なのかも知れない。
呆気にとられて開いていた口をようやく閉じ、垣はそろそろとまた開いた。
「『全部』……知ってるんですか、佐野さん」
全部知った上で、何が一番、修一を輝かせるかを考えてたりするんじゃないですか、それこそ、両親の状態を知った修一がどう感じるかさえも『計算』の上で。
そんなことができるのかどうか、それでも垣はあやうく尋ねそうになった。
(佐野さん、実はあなたが裏で糸を引いてたりしてませんよね?)
そんなことになったら、垣の運命は風前の灯だ。
「さ、どうですかしら」
佐野はさらりと受け流し、微笑みながら付け加えた。
「でも、私、マネージャーとしても私個人としても、修一さんを『買って』いるんですの。だから、彼の才能を妨げるものがあれば、微力ながら『それ』を排除するのに全力を尽くしますわ、たとえ『それ』が何であろうと」
ことばは柔らかかったが、底に秘められた冷ややかな凄みにぞくりとした。その垣の表情を見て、佐野は嫣然と笑った。
「あなたは違いますわ、垣さん」
笑みが深まる。
「私にもわかってるんですのよ、修一さんにとっての、あなたの必要性はね」
(修一さんにとっての)
それは垣本来の人権とは無関係に、ということだよな?
ツッコミどころ満載だが、突っ込んだ後の命の保証がない気がする。
「……そりゃ……どうも…」
もごもごと応じると、再び音もなく窓がせり上がった。
解説は終わり。心優しい配慮の時間も終了。
窓とサングラスに遮られた佐野の本音は、氷河なみに凍てついていそうだ。
垣はそろそろと後じさった。ゆっくりと離れていく車に、眠っている獅子を起こさないような足取りで階段を戻っていく。
(悪い人じゃないんだろうが)
「こええ女……」
思わず呟いてしまった。
「な…んか」
「え?」
高野は山本の顔を振り仰いだ。例によって、『月下魔術師』撮影の合間の、他愛ないおしゃべりの最中だ。
「なんかこう……いやに目につくな」
「何がです?」
「いや……ほら、修一の奴さ、前より垣へのまとわりつき方が酷くなったような気がしないか?」
「…そういえば……そんな気も」
高野は演技中の修一に目をやった。
伊勢は修一の演技にまだまだ納得しておらず、喚き散らしている。
「何やってんだよ! 友樹君! そこでそんなに滝を頼っていくな!」
「はいっ」
素直にこっくりと頷いて、修一は再び演技を始める。だが、今度は、垣の方が椅子の脚に蹴つまずき、テーブル掛けを引っ掴んでこけた。
「垣っ! 何やってやがるっ!」
「垣さんっ!」
修一がうろたえて垣の側に走り寄る。心配そうな顔で覗き込み、どこも怪我していないらしいと知って、ほう、と溜め息をついた。
「ありゃ、肉親を見る眼だよ」
山本がばっさり切り捨てる。
「肉親?」
「そ。それも血の繋がった父親とか、兄貴とか、な」
山本は口調に皮肉を響かせた。
「あ、修一さんと言えばね、最近素直になってません?」
「そうなんだ。この間、落ちた脚本を拾ってやったら、『ありがとう』だってよ」
「へえ、あいつが」
心底意外そうに口を挟んだのはメイクの山根だ。
「前のときは拾ってやっても少し頷いただけでさ、プライド高いぜ、って見せつけてきたのに」
「今撮っている映画(もの)のせいでしょうかね」
「10年来の当たり役だって、監督一人で喜んでるぜ」
「そうは見えないけど」
高野は怒鳴っている伊勢を不審そうに見つめる。
「ああ、ありゃ、監督一流のポーズだよ」
山根が事情通ぶって教えた。
「修一はもっと何かを引き出せるって言ってたぜ、監督。今は自分の才能だけに頼ってるが、その上に積み重ねりゃもっといいものが出来るはずだってさ」
「周一郎シリーズも3作目だからな。なまじな演技じゃ客は呼べんって訳だ」
冷ややかな山本の声が続いた。
「あ、それじゃあ修一さん、その当たり役だってうえに感情移入してるのかな」
思いついたように高野が瞬きした。
「修一さんと周一郎、どことなく境遇が似てるし、このところ修一さんも辛い事が続いてましたからね」
感情移入じゃないよ、と山根が嗤った。
「ありゃ、完全に周一郎になりきってるよ。垣を滝に見立ててんのさ、休憩の時もな」
山根のことばと同時に休憩になった。垣さん、と修一が声をかけながら垣の側へ歩いていく。へたへたになって座り込む垣にタオルを渡して、脚本を一緒に覗き込みながら何やかやと話している。
「甘えているんだな、あれは」
「いいじゃないですか、役がうまくいくんだから」
山根と高野がのんびりそれを見守っていると、
「そううまくいくかな」
山本の冷笑が響いた。
「え?」「は?」
高野と山根が振り向く。
「どういうことですか、山本さん」
「簡単なことさ」
訝しげな高野に山本は肩を竦めてみせる。
「確かに修一は周一郎に同化して、勝手に垣に滝のイメージを被せて甘えてりゃ、演技もうまくいくし、あいつもシアワセだろうな。けれど、問題は垣だ」
答えを引き出そうとするように、山本は2人を見返す。問われている気配に、2人はちらちらと視線を交わすが、答えには辿り着けず、山本に視線を戻した。
「垣に『こける』以上の才能があると思うか?」
お前達も知ってるよな、と山本は続ける。
「滝は確かに『ドジでお人好しな一般人』って描写をされてる、けれど、そうじゃないだろ?」
2人が一瞬考え込み、それからそれぞれに、あ、と表情を変える。
「滝、は凡人じゃない。『そんなふう』に見えるように描写されてるだけで、その実、誰よりも速く鋭く『真実』に近づけちまう、とんでもない能力を持ってる男だ」
へたしたら、周一郎だって滝の添え物でしかない状態になりかねない。
「だから、周一郎シリーズは『滝』の一人称で語られてるわけだろ?」
滝の動きの的確さ、信じられない嵌まり具合を、読者や観客に悟らせないために。三人称で描いたなら、こいつは何者だ、と注目が向いてしまうのは必至、それを避けるために。
「けれど、映画ってのはそのあたりが難しい」
まずい造りをしてしまえば、そこまでして周到に隠されている筋道を『三人称』の視点で暴いてしまいかねない。かと言って、『一人称』で描くなら、滝のわけがわからない、けれども迷路のただ中をまっすぐに突っ切っていく感覚を再現しなくては、筋道が立たない。
「そんなことは『凡人』にはできない…………だから、この作品は映像化が難しい、そう言われてきたわけだろ」
超能力と言われる不可思議な力の内面を描いてこそ初めて成り立つ物語なぞ、超能力者以外の誰が再現できるのか。
「監督があれだけヒステリックなのも、『三人称』のまま描いて、どこまで観客を最後まで騙し通せるかにキリキリしてるからだ」
たった1つの動作、たった1つのことばのニュアンスで観客にばれてしまう、この物語を切り回しているのは、周一郎でも佐野由宇子でもない、振り回され駆けずり回っているようにしか見えない道化師にしか見えない、滝志郎という男なのだ、と。
「けれど、それこそ、このシリーズの本質だ」
気づいた瞬間に、観客は『書き手』の掌で踊らされていたことを知る。その瞬間に、周一郎の掌で踊らされていた滝に同化する。そして次には滝そのものとして、この物語を味わい……世界を掌にする感覚に放り込まれる、世界を動かす、ちっぽけな1人の道化師、という感覚に。
人はみな、世界を動かす、ちっぽけな1人の人間だという真理。
「…………」
2人が落ち込んだ目眩のような感覚に山本は満足したのか、口調を切り替えた。
「確かに、今のところは修一や他の役者にカバーされて何とか保ってるが、俺にはあいつが『滝』になれるとは思えんね」
「あ」
話が日常感覚に戻ってきて、ほっとしたのだろう、高野が忙しく瞬きしつつ頷いて、小さく声を上げる。
「何だ?」
「いや…」
修一はもうどこかへ行ってしまったらしい。さっきまで修一が居た場所へ、高野は視線を投げた。
「修一さんが垣さんを『滝』に見立てて甘えているのは、たぶん本当でしょう……でも、それなら、ちょっとかわいそうですね、修一さん」
「うん?」
「だって、そんなふうに垣さんに嵌まってるのは、たぶん映画以外のことでも垣さんに『滝』でいてほしいということでしょう? けれど、垣さんはあくまで垣さんで『滝』じゃない」
「…そうか、受け止められないわけだ、垣は」
納得したように山根が頷いた。
「見事な一人芝居ってわけか」
「ショックでしょうね、それ知ったら」
同情的な高野のことばに、山本は鼻で嗤う。
「なあに、ちょっとは思い知っときゃいいのさ、あの甘ちゃんは」
突き放した。
「おーい、そこの2人、来い!」
「はいっ!」「はいよっ!」
伊勢に山根と山本が呼ばれていくと、残された高野は手持ち無沙汰になった。何をしようか、とぼんやりしていたが、
「高野さん」「っっ!」
突然背後から呼ばれて慌てて振り返る。修一の顔を見つけて凍りつく。
(聞かれていたか?)
ひやりとしたが、いつも通りの口調で修一が訴えた。
「オレンジジュース欲しいんだけど。垣さんの分も」
「すぐに用意します!」
「うん」
慌てて準備しながら、修一を盗み見したが、特に変わった様子はない。
(ま、聞かれてもいいか)
コップにジュースを注ぎながら考えた。
(修一さんが、恵まれている『甘ちゃん』なのは確かだし)
「お待たせしました」
「ありがとう」
「……いいえ」
にっこり笑ってコップを受け取り遠ざかる修一の後ろ姿を、高野は複雑な思いで見送った。
「はい、垣さん」
「うん」
修一の手からオレンジジュースのコップを受け取りながら、垣はじっと相手を見つめる。今朝はずいぶん元気そうに見える。昨日の疲れ切った様子とは大違いだ。
(美形、なんだな)
垣は溜め息をついた。自分ももう少し見目形が良ければ、デビューもうんと楽だっただろう、そして後々の今に至る映画撮りも。
(やっぱり、オレには役者は向いてないのかも知れない)
ごくりとオレンジジュースを呑み下した。
思えば、友樹夫妻に憧れて入った世界だった。いつか陽一のような温かみのある演技をしたい、雅子と同じ画面で共演してみたい、そう思って、たまたま、全くの幸運な偶然で飛び込んでしまった世界だった。
だが、その世界には暗がりも落とし穴もあり、落ち込むと抜け出せないほど深い闇もあった。外側から見たきらびやかで明るい色彩は、内側に入るとくすんで輝きを失い、しかも輝きが失せた幾つかの要因は、自分の才能のなさからきていた。才能だけではない、最近では、そもそも演技に向き合う役者根性、役者の魂みたいなものが先天的に欠如しているような気がしてならない。
(こいつだって15、いや14、だよな、まだ)
隣に座ってこくこくとオレンジジュースに喉を鳴らす修一を見る。
それだけで、絵になっている。
コップの含み方、指先の表情、僅かに眼を伏せて眩げな顔、カメラが回っていなくとも、照明が彼を追わなくとも、いつも見られているという感覚があるのだろう、幕間でさえ無防備に崩れる気配はない。
(母親は麻薬中毒で居所不明、父親は愛人といちゃつくのに忙しくて息子が九死に一生を得ても帰ってくることもない、仕事の加減で同世代の友達もほとんど作れなくて、回りは基本的に利害関係のある大人ばかり……でも、映画撮りの時には我が儘言わないし、一所懸命だし、そんなしんどいことなんて、これっぽっちも見せないよな)
垣が15の時はどうしていただろう。地元の中学に通って雑誌を眺めて美人アイドルに妄想を膨らませたり、メディアがあるところにはあると囁く抱え切れない大金を湯水のように使う夢とか、些細なことで家族や友人と大げんかして拗ねる、そんなことで一杯一杯だった気がする。
未来がどうなるかなんて、心配はしてたけれど深刻にはならなかった。いずれどうにか何とかなって、成功するに違いないと思っていた、単純に。
(こいつは、それだけ……役者が好き、だってことだよな)
しんどいことも辛いことも、映画に戻れば癒されるのだろう。不安も恐怖も、演技に入れば、消し去れるのだろう。
(ほんとにいろいろゴタゴタあって……それでもこうやって1人で役者やってるんだよな、いくら佐野さんとか高野さんがついてるとはいえ)
それが本質なのかも知れない。役者をやり続けられる素質というものかも知れない。
『いつまでそこにいるつもりかは知らないが』
数日前に田舎の親から来ていた手紙を思い出す。料金未払いで度々不通になる携帯より、確実でしっかり届く方法というわけだ。
『映画の一本二本出たところで、今の時代じゃ幻みたいなものだ』
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