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7.シーン307(1)
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「ん~」
高野は唸りながら、修一と垣の演技を首を傾げて眺めた。
「あ…ん…?」
隣に並んだ山本が同じように訝しげな声を上げるのに振り返る。
「何だよ、おい、高野」
「ええ、そうなんです」
山本が言わんとすることを察して頷く。
「変でしょ」
「変って」
おうむ返しに繰り返した山本は、見逃したのを悔しがるような表情で修一の演技に目を戻す。
「…そういう問題かよ、」
「よーしカット!」
反論しようとする声に被さるように、監督が満足げな声を上げた。
「うまい、うまいぞ、友樹君! どうしたんだ、急に良くなったじゃないか!」
今にも跳ね回り踊り出しそうな気配で、両手を叩きながら続けた。
「そう、そうだ、そこは抑えた激情が欲しいんだ! 自分への問いかけも全て呑み込んだ静けさが欲しいんだ、ばっちりじゃないか!」
大絶賛に振り返った修一はこくりと頷いた。さすがに息を切らせていたが、そのまま脚本を取り上げると垣の側へ言って紙面を指差し、何かを話しかけている。
「おい」
山本の目が丸くなった。言いたいことは十分にわかる、そこをあえて尋ねてみる。
「…何をやってると思います、修一さん」
「まさか…今のシーンの」
「そ、反省と見直し、次のシーンの打ち合わせなんです」
「マジかよ」
「マジです」
高野は大きく頷いた。
「ここ2、3日前から、ずっとああなんですよ、修一さん。何でかわかんないけど演るのに必死なんですよ」
「5年近く一緒にやってるけど、あんなの見るの初めてだぞ」
「こっちも初めてです、飲み物持ってって断られたの」
「断ったあ?」
素っ頓狂な声を上げる山本に頷く。未だに自分でも信じられないぐらいだ。
「汗かいてるからと思って、オレンジジュース持って行ったら『後で』って。で、そのまま脚本(ホン)と演技(モノ)の打ち合わせに没頭しちゃって」
「どうなってるんだ、友樹修一」
「モノ見てたら、口閉まんなくなりますよ。修一さん、やっぱり天才だ」
高野はごくんと唾を呑んだ。
「さっきの場面なんか、凄いの一言に尽きますから」
「さっきの場面って……あの、直樹が周一郎の『まね』をするところか?」
「そうです」
ちらりと高野は修一を見やる。相手はまだ打ち合わせの真っ最中で、脇目も振らずと言った顔だ。
「ほんの少し周一郎の本音が見えて、それでも直樹がやってるんだなってわかるようなわからないような微妙なところ。もう無茶苦茶だった。あれ以上演れる人はいないんじゃないですか」
自分が手放しで賛美しているのはわかっている。それが照れくさい気もするから口調が幼いとも思っている。だがそれでも鳥肌が立つようなあの感覚を思い起こすと、なおも口調が舞い上がる。
「そんなにか」
「ことばなんて足りませんよ。ほら、直樹が滝に平手打ちを喰らうでしょ? 謝る滝に自分の正体を言いたいような、もっと滝を試したいような複雑な表情になったかと思うと、次の瞬間『ごく当たり前に』平手打ち喰らったことに怒るでしょ」
それを『そのまま』演ったんですよ。
「そのまま…?」
訝る声も咎める気にならない。この目でみなくては信じられないだろう。二重三重に覆われた演技の中から、一番底の顔がちらりと見える。けれど、それは役者の顔ではなくて、それでも『演じている人物の顔』でなくてはならない。
「偶然じゃないのか」
「繰り返し演れましたよ」
監督も信じられなかったからだろう、もう1回、もう1回と演技を繰り返させたのに。
「最後まで、周一郎が被った直樹の顔がずれかける、ところまでしか剥けませんでした」
つまりそれは、修一が完全に『周一郎』をものにしているという証明だ。
「ああもう、ことばじゃ無理だ。ラッシュ見て下さい。冴え過ぎてますから」
ベタ褒めしながら高野は自分がぴりぴりしてくるのに気づいている。
監督も警戒していた。このテンションはどこまで保つのか。崩れるのは1時間後か、それとも数分先なのか。
撮れる間に撮っておきたいと苛立つ監督の心情を、修一は、これまた14、5で見せられるとは思えない落ち着きで宥めたものだ。
『大丈夫です監督。ずっと演れます、このレベルで。だから焦らないで僕に時間を下さい。このレベルを保ちたいなら、垣さんとじっくり詰めてかなくちゃならない』
話題の中心の修一は、まだ垣と話し込んでいる。監督ももう急かすような気配はない。1つの才能が今熟していこうとしているのを息を詰めて見守っている。
修一と垣のやり取りも以前のものと一変していた。今までのように垣の歓心を買いたいがためのおしゃべりではない。難しい表情で繰り返し脚本を読み合わせ、首を振ったり、指差して何かを尋ねたりしている。時々ふっと前のようにじゃれつきたそうな顔になるが、そのとたん視界を曇らせて目を逸らせ、きゅっと唇を引き締めて元通りに黙々と仕事に戻る。
「…何があったのかな」
「さあ……」
山本に尋ねられて高野は戸惑った。何が。修一の変化は単に成長というだけではないのか。
「でも、いいモノは出来そうですよ。友樹修一、渾身の一作になるんじゃないですか」
「違いない……何だ、あいつ?」
苦笑した山本は、ふらふらと歩く現場に不似合いな男に顔をしかめた。
「ああ」
視線で示されて、高野も苦笑いする。
「修一さんのガードです。宮田、とか言ってましたけど」
「あんなのがガードになるのかね」
「なるでしょう、何せ国家公務員だし……あ、午前のアトラクションだ」
シーン307ですね、と高野は山本を振り向いた。
「まあ見てて下さい、修一さん。たいしたもんですから」
「よし、見させてもらうかな」
ここも結構微妙なところだよなと頷きつつ、山本が構えた。
綾野邸から滝と周一郎が脱出するところだ。手配りされた警官隊は映画より減らして数人にまとめられ、逃げ出そうとする裏口に向かって走り出す周一郎と滝、背後から綾野の追手が迫る。
『周一郎!』
滝が周一郎を押して走り出す。映画だと次第に速度を上げるテンポの速い曲が鳴り響いているはずだ。綾野の配下が銃を構える。察した滝が横っ飛びに体を浮かせながら叫ぶ。
『危ない、周一郎!』
銃声が響いて、滝の体が前方に転がる。
『志郎!』
お由宇の声が響く中、周一郎がゆっくり振り返る。訝しげな表情が驚愕に、やがてショックを伴った恐怖へと移り変わっていく顔は見る見る青ざめる。映画なら画像処理だろうと苦笑するところだが、目の前で変わっていく顔色は『芝居』であるだけに空恐ろしい。体を捻って倒れた滝を振り返り、ぼんやりと滝の肩に広がっていく紅を見つめていた周一郎の目が、ふいに焦点を合わせる。
『滝…さん…?』
夢現のように呟いて側へ近寄り、ぺたりと座り込んだ周一郎は、そうっと滝の肩に指を伸ばした。触れられてびくっと滝が震えるのにはっと手を引いたが、自分の指が真紅に染まっているのを見つけて体を強張らせる。目を見開く。驚愕と恐怖を満たした表情が、何かを見つけようとするように揺らぎ、もがき、やがて、かけがえのない大切なものを失おうとしていると知って強張っていく。
『い…やだ……』
微かな呟きを漏らして、周一郎は首を振った。ぼろぼろ零れる涙を拭いもせず、濡れた指先だけを中空に浮かばせ、自らの体である指から自分を引き千切るように竦ませながら、一層激しく首を振り、周一郎は悲痛な声で叫ぶ。
『いや、だああぁあああっ……っ!!』
「……なんて顔をしやがる」
「え?」
現実に起きている出来事を眺めるように修一の演技に見惚れていた高野は、いきなり聞こえたことばに目を瞬いた。振り向いて、山本の複雑な表情に気づく。
「何ですか?」
「あいつ、修一の顔だよ」
苦々しく吐き捨てる。
「あれ……本当に、滝が、いや、唯一心を許してる人間が死にそうだとわかったみたいじゃねえか。自分の身代わりになったって罪悪感まで浮かべてやがる。手から零れてく命に怯えてる顔だよあれは。……ガキの演技力じゃねえな」
「でしょ、凄いでしょ!」
自分が見て取ったものを山本も認めた。自分が評価した修一を、山本も確かにそうだと評価してくれた。有頂天になって声を弾ませる高野に相手が舌打ちする。
「お前、俺が言ってる意味、わかってねえな」
「へ?」
高野は動きを止めた。山本の表情は冗談だと告げていない。むしろ、ひどく深刻な顔、一歩間違えるととんでもないことになるぞと言いたげだ。
「修一の奴、マジでやってやがるって言ってんだ。何でか知らねえが、あいつ、垣と仲違いしてるか、大喧嘩したんじゃねえのか? へたすると、この映画で垣、辞めやがるんじゃねえか?」
「え…えええっ」
高野は驚いた。
「修一、垣を失うって怯えてやがるぜ。しかも、それが避けようがないって覚悟決めてやがる。まずいことに、それがまた『演技』としてしか見られてねえ……お前みたいに」
監督はわかってんだろうな、と山本はぶつぶつ呟いた。
「そっか、だから急いでんのか、伊勢さんは…」
それもまたひでえなと唸る。
「いや、でも、そんなこと、修一さんから聞いてないですし。第一、何で垣さんが辞めるぐらいで。どうして修一さんが怯えなくちゃならないんです…?」
尋ねる高野に、山本は深々と溜め息をついた。
「悪い、けど、今ほんとに俺は修一に同情したぞ? ……お前は感じねえのか? この映画は垣、が肝だ。垣の出来一つで全部お釈迦になるか、全部うまく行くかってシロモノだぜ?」
「あ…の…」
「監督はわかってる、で、修一も今はそれに気づいてる、けれどそれが無くなるってこと、たぶん修一しかわかってねえ」
「……えと…」
「高野、いいか、あいつの食事とかに気ぃつけとけよ」
山本は不快さを隠そうともせずに唸った。
「きっとまともに食ってねえぞ。『演技』しか目に入ってねえ。ああいう緊張っていうのは、そう長く保たん」
「は…い」
高野は急いで修一の食事内容を思い浮かべた。ロケ弁メインになっているのは知っている。けれど残ったゴミや残飯はまとめて回収されていたから、どれぐらい食べているのか把握できていなかった。
「そう、か」
しまった、と高野は臍を噛んだ。修一が絶好調だと思い込んでいたから、きっと体調もいいはずだと思っていた。けれど、元から修一はプライベートを明かさない人間だ。高野に見せているのも『友樹修一』であるはずだった。
「映画の最中にこけられたらどうにもならん」
「…わかりました」
高野は修一を睨みつけながら頷いた。
シーン307は終ったらしい。人々が期待に満ちて集まる中、『友樹修一』のサイン会が始まっている。
「やあ、御苦労さん、御苦労さん」
「…また来てたのか」
満面笑みの極上機嫌で迎えた宮田を、垣は仏頂面で迎え撃った。
タオルで汗を拭いながら、眉をしかめ、修一の方を見やる。
(どうも変だな)
今は友樹修一のサイン会のまっただ中だ。いつもと変わらずにこやかな笑顔を振りまき、時に笑い声を上げながら、これもまた上機嫌でサインをし続ける修一。だが。
(何か…おかしい)
手応えが違う。応対する、何かの位置がずれている、そんな気がしてならない。
休憩の間にも脚本を検討しに来る修一が不愉快なわけではない。前ほどまとわりつかなくなったが、前と同じように人懐っこいし、あの日垣を怒らせたことを謝った後は以前同様、特にこれと言った変化はない。修一に対して容赦ない態度をとってしまった垣の方がむしろ、何かあるのじゃないかと思い何かが変わるのではないかと怯え、けれど何も変わることがなくて、返って気抜けした感じさえある。
(けど、何か、違う)
たとえばさっきのシーン307だ。
垣は眉を寄せたまま、むっつりと腕を組む。
(まるで……『本物』みたいだった)
朝倉周一郎という人間が居て、その人間が今すぐ側で動き呼吸し話している、そんな感覚。
(本気で…泣いてた……?)
「かおる?」「どあっ」
急に肩口から覗き込まれて椅子から転げ落ちた。
「何だよ!」
「いや、重大な問題が」
宮田は険しい顔になっている。
高野は唸りながら、修一と垣の演技を首を傾げて眺めた。
「あ…ん…?」
隣に並んだ山本が同じように訝しげな声を上げるのに振り返る。
「何だよ、おい、高野」
「ええ、そうなんです」
山本が言わんとすることを察して頷く。
「変でしょ」
「変って」
おうむ返しに繰り返した山本は、見逃したのを悔しがるような表情で修一の演技に目を戻す。
「…そういう問題かよ、」
「よーしカット!」
反論しようとする声に被さるように、監督が満足げな声を上げた。
「うまい、うまいぞ、友樹君! どうしたんだ、急に良くなったじゃないか!」
今にも跳ね回り踊り出しそうな気配で、両手を叩きながら続けた。
「そう、そうだ、そこは抑えた激情が欲しいんだ! 自分への問いかけも全て呑み込んだ静けさが欲しいんだ、ばっちりじゃないか!」
大絶賛に振り返った修一はこくりと頷いた。さすがに息を切らせていたが、そのまま脚本を取り上げると垣の側へ言って紙面を指差し、何かを話しかけている。
「おい」
山本の目が丸くなった。言いたいことは十分にわかる、そこをあえて尋ねてみる。
「…何をやってると思います、修一さん」
「まさか…今のシーンの」
「そ、反省と見直し、次のシーンの打ち合わせなんです」
「マジかよ」
「マジです」
高野は大きく頷いた。
「ここ2、3日前から、ずっとああなんですよ、修一さん。何でかわかんないけど演るのに必死なんですよ」
「5年近く一緒にやってるけど、あんなの見るの初めてだぞ」
「こっちも初めてです、飲み物持ってって断られたの」
「断ったあ?」
素っ頓狂な声を上げる山本に頷く。未だに自分でも信じられないぐらいだ。
「汗かいてるからと思って、オレンジジュース持って行ったら『後で』って。で、そのまま脚本(ホン)と演技(モノ)の打ち合わせに没頭しちゃって」
「どうなってるんだ、友樹修一」
「モノ見てたら、口閉まんなくなりますよ。修一さん、やっぱり天才だ」
高野はごくんと唾を呑んだ。
「さっきの場面なんか、凄いの一言に尽きますから」
「さっきの場面って……あの、直樹が周一郎の『まね』をするところか?」
「そうです」
ちらりと高野は修一を見やる。相手はまだ打ち合わせの真っ最中で、脇目も振らずと言った顔だ。
「ほんの少し周一郎の本音が見えて、それでも直樹がやってるんだなってわかるようなわからないような微妙なところ。もう無茶苦茶だった。あれ以上演れる人はいないんじゃないですか」
自分が手放しで賛美しているのはわかっている。それが照れくさい気もするから口調が幼いとも思っている。だがそれでも鳥肌が立つようなあの感覚を思い起こすと、なおも口調が舞い上がる。
「そんなにか」
「ことばなんて足りませんよ。ほら、直樹が滝に平手打ちを喰らうでしょ? 謝る滝に自分の正体を言いたいような、もっと滝を試したいような複雑な表情になったかと思うと、次の瞬間『ごく当たり前に』平手打ち喰らったことに怒るでしょ」
それを『そのまま』演ったんですよ。
「そのまま…?」
訝る声も咎める気にならない。この目でみなくては信じられないだろう。二重三重に覆われた演技の中から、一番底の顔がちらりと見える。けれど、それは役者の顔ではなくて、それでも『演じている人物の顔』でなくてはならない。
「偶然じゃないのか」
「繰り返し演れましたよ」
監督も信じられなかったからだろう、もう1回、もう1回と演技を繰り返させたのに。
「最後まで、周一郎が被った直樹の顔がずれかける、ところまでしか剥けませんでした」
つまりそれは、修一が完全に『周一郎』をものにしているという証明だ。
「ああもう、ことばじゃ無理だ。ラッシュ見て下さい。冴え過ぎてますから」
ベタ褒めしながら高野は自分がぴりぴりしてくるのに気づいている。
監督も警戒していた。このテンションはどこまで保つのか。崩れるのは1時間後か、それとも数分先なのか。
撮れる間に撮っておきたいと苛立つ監督の心情を、修一は、これまた14、5で見せられるとは思えない落ち着きで宥めたものだ。
『大丈夫です監督。ずっと演れます、このレベルで。だから焦らないで僕に時間を下さい。このレベルを保ちたいなら、垣さんとじっくり詰めてかなくちゃならない』
話題の中心の修一は、まだ垣と話し込んでいる。監督ももう急かすような気配はない。1つの才能が今熟していこうとしているのを息を詰めて見守っている。
修一と垣のやり取りも以前のものと一変していた。今までのように垣の歓心を買いたいがためのおしゃべりではない。難しい表情で繰り返し脚本を読み合わせ、首を振ったり、指差して何かを尋ねたりしている。時々ふっと前のようにじゃれつきたそうな顔になるが、そのとたん視界を曇らせて目を逸らせ、きゅっと唇を引き締めて元通りに黙々と仕事に戻る。
「…何があったのかな」
「さあ……」
山本に尋ねられて高野は戸惑った。何が。修一の変化は単に成長というだけではないのか。
「でも、いいモノは出来そうですよ。友樹修一、渾身の一作になるんじゃないですか」
「違いない……何だ、あいつ?」
苦笑した山本は、ふらふらと歩く現場に不似合いな男に顔をしかめた。
「ああ」
視線で示されて、高野も苦笑いする。
「修一さんのガードです。宮田、とか言ってましたけど」
「あんなのがガードになるのかね」
「なるでしょう、何せ国家公務員だし……あ、午前のアトラクションだ」
シーン307ですね、と高野は山本を振り向いた。
「まあ見てて下さい、修一さん。たいしたもんですから」
「よし、見させてもらうかな」
ここも結構微妙なところだよなと頷きつつ、山本が構えた。
綾野邸から滝と周一郎が脱出するところだ。手配りされた警官隊は映画より減らして数人にまとめられ、逃げ出そうとする裏口に向かって走り出す周一郎と滝、背後から綾野の追手が迫る。
『周一郎!』
滝が周一郎を押して走り出す。映画だと次第に速度を上げるテンポの速い曲が鳴り響いているはずだ。綾野の配下が銃を構える。察した滝が横っ飛びに体を浮かせながら叫ぶ。
『危ない、周一郎!』
銃声が響いて、滝の体が前方に転がる。
『志郎!』
お由宇の声が響く中、周一郎がゆっくり振り返る。訝しげな表情が驚愕に、やがてショックを伴った恐怖へと移り変わっていく顔は見る見る青ざめる。映画なら画像処理だろうと苦笑するところだが、目の前で変わっていく顔色は『芝居』であるだけに空恐ろしい。体を捻って倒れた滝を振り返り、ぼんやりと滝の肩に広がっていく紅を見つめていた周一郎の目が、ふいに焦点を合わせる。
『滝…さん…?』
夢現のように呟いて側へ近寄り、ぺたりと座り込んだ周一郎は、そうっと滝の肩に指を伸ばした。触れられてびくっと滝が震えるのにはっと手を引いたが、自分の指が真紅に染まっているのを見つけて体を強張らせる。目を見開く。驚愕と恐怖を満たした表情が、何かを見つけようとするように揺らぎ、もがき、やがて、かけがえのない大切なものを失おうとしていると知って強張っていく。
『い…やだ……』
微かな呟きを漏らして、周一郎は首を振った。ぼろぼろ零れる涙を拭いもせず、濡れた指先だけを中空に浮かばせ、自らの体である指から自分を引き千切るように竦ませながら、一層激しく首を振り、周一郎は悲痛な声で叫ぶ。
『いや、だああぁあああっ……っ!!』
「……なんて顔をしやがる」
「え?」
現実に起きている出来事を眺めるように修一の演技に見惚れていた高野は、いきなり聞こえたことばに目を瞬いた。振り向いて、山本の複雑な表情に気づく。
「何ですか?」
「あいつ、修一の顔だよ」
苦々しく吐き捨てる。
「あれ……本当に、滝が、いや、唯一心を許してる人間が死にそうだとわかったみたいじゃねえか。自分の身代わりになったって罪悪感まで浮かべてやがる。手から零れてく命に怯えてる顔だよあれは。……ガキの演技力じゃねえな」
「でしょ、凄いでしょ!」
自分が見て取ったものを山本も認めた。自分が評価した修一を、山本も確かにそうだと評価してくれた。有頂天になって声を弾ませる高野に相手が舌打ちする。
「お前、俺が言ってる意味、わかってねえな」
「へ?」
高野は動きを止めた。山本の表情は冗談だと告げていない。むしろ、ひどく深刻な顔、一歩間違えるととんでもないことになるぞと言いたげだ。
「修一の奴、マジでやってやがるって言ってんだ。何でか知らねえが、あいつ、垣と仲違いしてるか、大喧嘩したんじゃねえのか? へたすると、この映画で垣、辞めやがるんじゃねえか?」
「え…えええっ」
高野は驚いた。
「修一、垣を失うって怯えてやがるぜ。しかも、それが避けようがないって覚悟決めてやがる。まずいことに、それがまた『演技』としてしか見られてねえ……お前みたいに」
監督はわかってんだろうな、と山本はぶつぶつ呟いた。
「そっか、だから急いでんのか、伊勢さんは…」
それもまたひでえなと唸る。
「いや、でも、そんなこと、修一さんから聞いてないですし。第一、何で垣さんが辞めるぐらいで。どうして修一さんが怯えなくちゃならないんです…?」
尋ねる高野に、山本は深々と溜め息をついた。
「悪い、けど、今ほんとに俺は修一に同情したぞ? ……お前は感じねえのか? この映画は垣、が肝だ。垣の出来一つで全部お釈迦になるか、全部うまく行くかってシロモノだぜ?」
「あ…の…」
「監督はわかってる、で、修一も今はそれに気づいてる、けれどそれが無くなるってこと、たぶん修一しかわかってねえ」
「……えと…」
「高野、いいか、あいつの食事とかに気ぃつけとけよ」
山本は不快さを隠そうともせずに唸った。
「きっとまともに食ってねえぞ。『演技』しか目に入ってねえ。ああいう緊張っていうのは、そう長く保たん」
「は…い」
高野は急いで修一の食事内容を思い浮かべた。ロケ弁メインになっているのは知っている。けれど残ったゴミや残飯はまとめて回収されていたから、どれぐらい食べているのか把握できていなかった。
「そう、か」
しまった、と高野は臍を噛んだ。修一が絶好調だと思い込んでいたから、きっと体調もいいはずだと思っていた。けれど、元から修一はプライベートを明かさない人間だ。高野に見せているのも『友樹修一』であるはずだった。
「映画の最中にこけられたらどうにもならん」
「…わかりました」
高野は修一を睨みつけながら頷いた。
シーン307は終ったらしい。人々が期待に満ちて集まる中、『友樹修一』のサイン会が始まっている。
「やあ、御苦労さん、御苦労さん」
「…また来てたのか」
満面笑みの極上機嫌で迎えた宮田を、垣は仏頂面で迎え撃った。
タオルで汗を拭いながら、眉をしかめ、修一の方を見やる。
(どうも変だな)
今は友樹修一のサイン会のまっただ中だ。いつもと変わらずにこやかな笑顔を振りまき、時に笑い声を上げながら、これもまた上機嫌でサインをし続ける修一。だが。
(何か…おかしい)
手応えが違う。応対する、何かの位置がずれている、そんな気がしてならない。
休憩の間にも脚本を検討しに来る修一が不愉快なわけではない。前ほどまとわりつかなくなったが、前と同じように人懐っこいし、あの日垣を怒らせたことを謝った後は以前同様、特にこれと言った変化はない。修一に対して容赦ない態度をとってしまった垣の方がむしろ、何かあるのじゃないかと思い何かが変わるのではないかと怯え、けれど何も変わることがなくて、返って気抜けした感じさえある。
(けど、何か、違う)
たとえばさっきのシーン307だ。
垣は眉を寄せたまま、むっつりと腕を組む。
(まるで……『本物』みたいだった)
朝倉周一郎という人間が居て、その人間が今すぐ側で動き呼吸し話している、そんな感覚。
(本気で…泣いてた……?)
「かおる?」「どあっ」
急に肩口から覗き込まれて椅子から転げ落ちた。
「何だよ!」
「いや、重大な問題が」
宮田は険しい顔になっている。
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