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6.シーン203(4)
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(バレてる!)
修一はぎくりと体を震わせた。意識しているのかしていないのか、垣は修一が『演じている』と言い放っている。周一郎ではなく、『友樹修一』を今も演じている、と。
「眼鏡違いだったのを認めるのは嫌だろうが、オレはどうも役者には向いていないらしい」
(そうじゃない)
修一は気づいた。垣は本当に『役者』なのだ。
だから、相手がほんの少しでも『演じている』ならば、すぐに自分も役からずり落ちてしまう。いや、相手の姿に応じてしまうというか。だから、垣が『滝』になり切れないのは、修一が『周一郎』に入り切れなかったからだ。
それを伊勢は分っていた。確かに始めは垣を叱咤していたけれど、途中から切っ先が修一に向いたのは、垣の『ずれ』が修一の役作りの『ずれ』によると気づいたからだ。
「それに芸能界(ここ)も、もう一つオレの性に合わないし…」
それはそうだろう、ここまでこちらの『役』に敏感に反応されては、周囲はとんでもなく消耗するに違いない。通行人1人をやっても、主人公が場面にふさわしくない動きをしていれば、あれ、と言う気配を『演じて』しまう。『現実の通行人』としては『正しい反応』でも、『演技の通行人』は『通り過ぎる役柄』を要求されていることがある、その違和感は周囲に別の影響を与えてしまう。
つまり、それは。
(僕が『友樹修一』だったから)
垣は『相手役』としてふさわしく振舞えたということか。
(何もない、ただの『僕』なら)
今のように他人事として距離を置いていたということだ。
「陽一さん達のことも……残念だったし……知りたくなかった、かな」
「おとうさん…?」
「ああ、陽一さん達に憧れて、ここに入ったこともあるしな」
に、と笑う垣の顔を呆然と眺めた。
(そうか。僕は『友樹陽一』の息子の、『友樹修一』だから)
親の七光り、そんなことばには慣れっこになっている。いつでもどこでも実力も努力も足りない奴が最後の言い訳に必ず持ち出してくる馬鹿馬鹿しいことばだ。
そこから逃れられないのは知っている。けれど、背負って跳ね返し続けてきたと思っていた。この映画でも、父親の影を斬り払いながら走ってきたつもりだった。
けれどそれが、こんなところで持ち出されてくるとは。
(『修一』には興味がないって…?)
ただの『修一』でしかなかったなら、あの雨の中でも放っておかれたのだろうか。あのとき母親のことを口にしたから『友樹修一』の仮面を被ることができ、だからこそ垣は助けてくれて、あの温かさを提供してくれたのだろうか。
再び鮮烈に甦ってくるスタッフのことば、『垣は滝になり切れない』……垣は困っている他人に手を差し伸べずにいられない人間ではない。
『友樹修一』は垣の『相手役』だが、『修一』は面倒事を持ち込んでくる赤の他人でしか、ない。
「……うか」
(それでも)
粉々に砕かれた願いの欠片を見下ろしながら、修一は考える。
(それでも、側に、居てくれるなら)
演じればいい、『友樹修一』を。
そんなことは、慣れている。
「それに…」
垣がぼやくような口調で呟いた。
「あんまりいい役も回ってこないし、な」
弾かれたように修一は顔を上げた。
垣に『いい役』が回ってこないのは、穿った見方をすれば、垣が『役』に反応し過ぎるからだ。名声ばかり高くて演じる力のない役者は、その反応に自分の無能をあぶり出されるとわかっているからだ。
けれど、それを『わかっている』修一ならば、本当の『役者』に引き合わせることができる。垣の才能を引き出し伸ばし引き上げる『役者』の世界に垣を導ける。
修一ならば。
修一ならば。
「それじゃ僕が頼んであげるよ! きっともっといい役がくるよ。ギャラだってもっと上がる。僕が頼めば、垣さん一人ぐらいどうにかなるよ!」
そうすれば、周一郎が終っても修一はまた垣と組めるかも知れない、違う作品、違う役柄で。そうすれば垣だって『ここ』に長く留まってくれるかも知れない。
(ずっと一緒にやれる)
湧き上がる喜びに忘れ切っていた、垣という男の在り方を。
「友樹君!!」
いきなり厳しい声が響き渡って息を呑んだ。垣は難しい顔で修一を睨み、手にしていた脚本を叩き付けるようにテーブルに置いて立ち上がる。
「そんなことを言うなんて、見損なったな」
冷ややかに言い捨てられて、修一はぽかんとした。
「垣…」
「そりゃ、芸能界(ここ)へ来ていろんなことにがっかりしたけど、オレはお前に仕事を恵んでもらうほど落ちぶれたつもりはない」
怒鳴ろうとするのをかろうじて押さえつけたような声音で投げつけ、ジャケットを羽織ってそのまますたすたと玄関に向かう。出て行く寸前に、突然の動きに応じ切れない修一を振り返り、立ち止まった。
「オレ、お前は本当に『スター』にふさわしいと思ってた。ごたごたいろいろあっても1人で頑張ってて凄い奴だって。……お前となら、たとえ芸能界(ここ)でもいい友達になれると思ったのに……残念だ」
言い放つと、もう修一の顔を見ないままに出ていく。バン、と荒々しく閉められたドアを見送った修一は、しばらく立ち竦んだ後、のろのろと『ると』を振り向いた。
「『ると』…?」
ソファの上に居る『ると』も修一をじっと見返す。
「垣さんを怒らせちゃった…」
頭の片隅がじんじんと痺れて現実感がない。部屋が急に冷え込んできたように感じる。ゆっくりと部屋の中を見回すが、誰もどこにもいない。
気がつくと、修一は部屋の中央で脚本を手にぼんやりと座り込んでいた。
「……『ると』」
ぱらぱらと脚本を捲る。
「……僕と…いい友達になれると思ったって……」
ぱらぱら、ぱらぱら。
垣はこの台詞をどう読んでいただろう。抑揚はどうだっただろう。口調はどうだっただろう。強弱はどうだっただろう。呼吸はどうだっただろう。
思い出せない、何もかも、まるで一気に霧に呑み込まれてしまったようだ。
「……なのに……ぼく……馬鹿なこと……言って…」
ぽたん、と重く柔らかい音がして、脚本に落ちた水滴を修一は訝しく眺めた。ごしごしと服の袖で脚本を拭く。なのに、ぽたたっ、と次の水滴が落ちてきて見る見る数を増す。拭くのが間に合わない。
「ああ…そっか…」
ぼんやり呟いた。
「『ると』……僕、泣いてるみたいだけど……どうして…こんなことで…涙が出……っく」
しゃくりあげかけてぎょっとした。
「別に…何でもない……けんか…っく…だろ……? 別に…泣…ほどの……こと……ひっ」
今度はあからさまに息を引いてしまい、混乱して口を噤む。
こんな演技はあっただろうか。
友達になる前の友達が冷たいことばを投げつけて出ていった、そんな場面で、残された男が、それも15に近い男が泣きじゃくるようなことが?
「そんな……のっ……しら……なっ…く」
溢れ出す涙に何が何だかわからなくなってきて、修一は膝を抱えて顔を伏せ体を固く抱き締めた。
「な…んで……っ? …なん……で…」
なぜ垣は出て行ったのだろう。
なぜ修一はあんなことを言ったのだろう。
なぜまた1人になるのだろう。
喉が痛くて体が苦しくて引き裂かれそうな気がして、なのに身動きできなくて。
(誰か、助けて)
修一は初めて嗚咽というものを知った。
「ええい、つまらんっ!!」
喚いて力任せに蹴った相手はコンクリートの電柱、片足を抱えて跳ね回りながら垣はなおも苛立って怒鳴る。
「くっっそおおっっ!!」
(あいつ、あんな阿呆だったのか!)
修一の役者根性に少しずつ感心し始めていた。年下だろうと生意気だろうと、口だけのことはある、言うだけのことはある。そう考えていた自分にも腹が立った。あちらこちらのゴミ箱を次々と蹴り倒して憂さ晴らしをしてから、安アパートに戻ってくる頃には、激怒もかなり醒めていた。
(ちょっと……言い過ぎたかな)
ドアを開けようとして動きを止める。ぽかんと自分を見上げていた、妙に幼い表情の修一が脳裏に甦る。
(あそこまで言うこと、なかったよな)
相手はほんの子どもなんだし。
自分の言ったことばの意味もよくわかってなかったかも知れないし。
(ことばの、意味)
『それじゃ僕が頼んであげるよ! きっともっといい役がくるよ。ギャラだってもっと上がる。僕が頼めば、垣さん一人ぐらいどうにかなるよ!』
「っ」
ぶるぶるっと思わず首を振った。
(そんなことはない! やっぱり怒っていいことだったんだ!)
でもさ。
胸の奥でぼそりと背中を向けていた白い羽根の持ち主が、肩越しに振り向く。
放って帰らなくてもよかったよな?
(いや、だって!)
あの子、あれから1人だぞ。
(それがどうした? 今までだってあいつは1人だったじゃないか)
へええ。
振り向いた相手は肩を竦める。
あれだけ優しくしといて今更突き放そうって言うの。
(突き放す突き放さないってことじゃないだろ。ああいうことは言うべきじゃないんだよ!)
「だな!」
大きく頷いて垣はドアを開けた。例によって部屋の中は真っ暗だ。
(宮田!)
垣はかっと目を見開いた。用心に用心を重ねてスイッチへ手を伸ばす。一呼吸おいてスイッチを押し、『攻撃』を予想して一歩飛び退く。が、今度は部屋に誰もいない。
「ふん」
ゆっくり警戒しつつ狭い部屋を見渡す。
「雅子さんでも助けに行ってるんだな」
ほっと溜め息をついて時間を確認した。22時ちょっと過ぎだ。
(あいつ、夕飯のとき、嬉しそうだったな)
あんなにはしゃぐなんて思わなかった。無防備な笑顔が年より幼く見えて幸福そうで、それが垣にとっても嬉しかった……。
「、ちがうちがう!」
はっと我に返って首を振る。
「気にするこたない! オレがいなくても佐野さんだっているんだし!」
半分は自分への言い聞かせ、どしどしとわざと足音をたてて、せんべい布団を出そうと襖を引き開けた、とたん、
「ぐおーっ!」「っ!」
いきなり響き渡ったいびきに飛び退いて滑ってひっくり返った。
「なんなんだ!!」
叫びながら、押し入れの中で爆睡している男を見つける。
「宮田っ?!」
「うん?」
もぞもぞと動いた相手は眩しそうに瞬きし、ゆっくりと目を開けた。
「よ」「よ、じゃない! よ、じゃ! なんでこんなとこに寝てる?!」
「なんでって」
垣の抗議に相手は不思議そうに首を傾げる。
「眠くなったから?」
「だからって、なぜ『押し入れ』で寝るんだ!」
「話せば長くなるが」
「短くしろ!」
「条件反射」
「あん?」
垣は目をぱちくりさせた。
「わからんが…」
「だろ? つまりだな」
えへん、と宮田は咳き込む。
「俺の母親というのが布団嫌いで」
「まさか……家で布団を敷かなくて、けれどお前が布団が好きで、それでこっそり押し入れで寝る癖がついたとか…」
「いやあ、よくわかってるじゃない」
ひらひらと宮田は手を振ってみせた。
「あーのーなー…」
「それより、かおる?」
「…止せって言ってるだろうが!」
「お前、友樹君泣かしてきただろ」
「へ?」
泣かしてきた、が啼かしてきた、に聞こえたのは、宮田の人徳いやいや妄想癖に毒されているか。
それでも僅かなりとも『泣かせた』覚えがある垣は一瞬たじろいだ。それを素早く見て取った宮田が、
「やっぱりな!」
両目をぎらりと光らせる。
「それでどうやって啼かせたんだ、無理矢理迫ったのか押し倒したのか、嫌がる手足を縛りつけ、もがく体を押さえつけ、やっぱりそうかそうなんだな!」
「勝手につくるな盛り上がるな!」
どこまでもエスカレートしていきそうな相手をののしる。
「お前の妄想に引きずり込むな!」
「いや啼いてるに違いない、俺の直感とサーモンピンクの薔薇の花束がそう言ってる、それで嫌がるのを無理に押し倒してさせたんだろう、えっ、ネタは上がってるんだ白状しろ!」
「ネタ?」「やっぱりネタのか!ネて容赦なくさせたんだろ!」「何をだ!」「トランプ!!」
「……」
垣は黙った。宮田も黙った。さすがに外したと思ったらしい。
「宮田……まぎらわしいことを言うな」
ぐったりして話を元に戻そうとしたが、飢えた野獣にちょうどいい大きさの餌を投げ与えてしまったらしい。
「何っ、まぎらわしいことをしたのか!」
喜々として押し入れ上段に座り直し、時代劇のお白州裁きに望む奉行のごとく、うんうんと大きく頷きつつ、
「やっぱりそうだな、きりきり白状してしまえ、お上にも慈悲はある!」
「………」
再びの沈黙。今回は宮田はわくわくした顔をしたまま垣を凝視し続けている。どうする?どうする?どう返してくる?さあ待ってるぞ。
(こいつはもう…)
はあああ。垣は深く溜め息をついた。
どうしよう、こんなのが自国の警察だなんて。この国の未来はひょっとしてとんでもなく昏迷の淵を覗き込んでいるんじゃなかろうか。
「お前さ」
「うむっ」
「ひょっとして、いつも『むこう』でもそうやって尋問してるのか?」
「それがどうした?」
「いやさ…」
たとえば周囲の状況証拠やら何やらから、99%シロだったとしても、宮田にかかれば100%まではいかなくとも再審ぐらいにはなってしまうのではないだろうか。
そういう人間と切れることのない腐れ縁的な友達だということは、災難なのか、それともまれに見る幸運なのか。
「安心しろ」
垣の逡巡を見て取ったのだろう、宮田は大きく胸を張った。
「俺は身内には甘い」
余計いかんだろ、それ。
ツッコミ必須なのをひとまず横へ置いて、垣は話を戻した。
「それで、今日は何の用だ」
「あ、そうだ」
よいしょ、と宮田はようやく押し入れから降りてきた。
「友樹君の様子が知りたいんだ」
そこかい!
「…元気だよ」
「実は母親の方は保護したんだが」
垣の返答におかまいなく、宮田は案じ顔で続ける。
「彼女が余計なことを組織の方に訴えててね」
どうやら真面目な路線で話が続く様子なのに、垣は黙る。
「息子、つまり修一君に組織の内情を詳細に書いたデータを持たせていると」
「は?」
あいつはそんなこと何も知らないぞ?
垣の表情から答えを読み取った宮田はこくこくと頷いた。
「その通り。自分が殺されないための方便だ。だが『あっち』はそう思わない」
「ちょっと待て」
いきなりきな臭くなった内容に垣は顔をしかめた。
「あいつが危ないじゃないか!」
「そ」
にいと嬉しそうに宮田が笑う。どこか肉食獣を想像したのはあながち間違いでもあるまい。
「だから明日から俺がガードするのっ」
うふっ。
含み笑いが聞こえたのは垣の妄想かもしれないが一気に立った鳥肌は本物だった。
修一はぎくりと体を震わせた。意識しているのかしていないのか、垣は修一が『演じている』と言い放っている。周一郎ではなく、『友樹修一』を今も演じている、と。
「眼鏡違いだったのを認めるのは嫌だろうが、オレはどうも役者には向いていないらしい」
(そうじゃない)
修一は気づいた。垣は本当に『役者』なのだ。
だから、相手がほんの少しでも『演じている』ならば、すぐに自分も役からずり落ちてしまう。いや、相手の姿に応じてしまうというか。だから、垣が『滝』になり切れないのは、修一が『周一郎』に入り切れなかったからだ。
それを伊勢は分っていた。確かに始めは垣を叱咤していたけれど、途中から切っ先が修一に向いたのは、垣の『ずれ』が修一の役作りの『ずれ』によると気づいたからだ。
「それに芸能界(ここ)も、もう一つオレの性に合わないし…」
それはそうだろう、ここまでこちらの『役』に敏感に反応されては、周囲はとんでもなく消耗するに違いない。通行人1人をやっても、主人公が場面にふさわしくない動きをしていれば、あれ、と言う気配を『演じて』しまう。『現実の通行人』としては『正しい反応』でも、『演技の通行人』は『通り過ぎる役柄』を要求されていることがある、その違和感は周囲に別の影響を与えてしまう。
つまり、それは。
(僕が『友樹修一』だったから)
垣は『相手役』としてふさわしく振舞えたということか。
(何もない、ただの『僕』なら)
今のように他人事として距離を置いていたということだ。
「陽一さん達のことも……残念だったし……知りたくなかった、かな」
「おとうさん…?」
「ああ、陽一さん達に憧れて、ここに入ったこともあるしな」
に、と笑う垣の顔を呆然と眺めた。
(そうか。僕は『友樹陽一』の息子の、『友樹修一』だから)
親の七光り、そんなことばには慣れっこになっている。いつでもどこでも実力も努力も足りない奴が最後の言い訳に必ず持ち出してくる馬鹿馬鹿しいことばだ。
そこから逃れられないのは知っている。けれど、背負って跳ね返し続けてきたと思っていた。この映画でも、父親の影を斬り払いながら走ってきたつもりだった。
けれどそれが、こんなところで持ち出されてくるとは。
(『修一』には興味がないって…?)
ただの『修一』でしかなかったなら、あの雨の中でも放っておかれたのだろうか。あのとき母親のことを口にしたから『友樹修一』の仮面を被ることができ、だからこそ垣は助けてくれて、あの温かさを提供してくれたのだろうか。
再び鮮烈に甦ってくるスタッフのことば、『垣は滝になり切れない』……垣は困っている他人に手を差し伸べずにいられない人間ではない。
『友樹修一』は垣の『相手役』だが、『修一』は面倒事を持ち込んでくる赤の他人でしか、ない。
「……うか」
(それでも)
粉々に砕かれた願いの欠片を見下ろしながら、修一は考える。
(それでも、側に、居てくれるなら)
演じればいい、『友樹修一』を。
そんなことは、慣れている。
「それに…」
垣がぼやくような口調で呟いた。
「あんまりいい役も回ってこないし、な」
弾かれたように修一は顔を上げた。
垣に『いい役』が回ってこないのは、穿った見方をすれば、垣が『役』に反応し過ぎるからだ。名声ばかり高くて演じる力のない役者は、その反応に自分の無能をあぶり出されるとわかっているからだ。
けれど、それを『わかっている』修一ならば、本当の『役者』に引き合わせることができる。垣の才能を引き出し伸ばし引き上げる『役者』の世界に垣を導ける。
修一ならば。
修一ならば。
「それじゃ僕が頼んであげるよ! きっともっといい役がくるよ。ギャラだってもっと上がる。僕が頼めば、垣さん一人ぐらいどうにかなるよ!」
そうすれば、周一郎が終っても修一はまた垣と組めるかも知れない、違う作品、違う役柄で。そうすれば垣だって『ここ』に長く留まってくれるかも知れない。
(ずっと一緒にやれる)
湧き上がる喜びに忘れ切っていた、垣という男の在り方を。
「友樹君!!」
いきなり厳しい声が響き渡って息を呑んだ。垣は難しい顔で修一を睨み、手にしていた脚本を叩き付けるようにテーブルに置いて立ち上がる。
「そんなことを言うなんて、見損なったな」
冷ややかに言い捨てられて、修一はぽかんとした。
「垣…」
「そりゃ、芸能界(ここ)へ来ていろんなことにがっかりしたけど、オレはお前に仕事を恵んでもらうほど落ちぶれたつもりはない」
怒鳴ろうとするのをかろうじて押さえつけたような声音で投げつけ、ジャケットを羽織ってそのまますたすたと玄関に向かう。出て行く寸前に、突然の動きに応じ切れない修一を振り返り、立ち止まった。
「オレ、お前は本当に『スター』にふさわしいと思ってた。ごたごたいろいろあっても1人で頑張ってて凄い奴だって。……お前となら、たとえ芸能界(ここ)でもいい友達になれると思ったのに……残念だ」
言い放つと、もう修一の顔を見ないままに出ていく。バン、と荒々しく閉められたドアを見送った修一は、しばらく立ち竦んだ後、のろのろと『ると』を振り向いた。
「『ると』…?」
ソファの上に居る『ると』も修一をじっと見返す。
「垣さんを怒らせちゃった…」
頭の片隅がじんじんと痺れて現実感がない。部屋が急に冷え込んできたように感じる。ゆっくりと部屋の中を見回すが、誰もどこにもいない。
気がつくと、修一は部屋の中央で脚本を手にぼんやりと座り込んでいた。
「……『ると』」
ぱらぱらと脚本を捲る。
「……僕と…いい友達になれると思ったって……」
ぱらぱら、ぱらぱら。
垣はこの台詞をどう読んでいただろう。抑揚はどうだっただろう。口調はどうだっただろう。強弱はどうだっただろう。呼吸はどうだっただろう。
思い出せない、何もかも、まるで一気に霧に呑み込まれてしまったようだ。
「……なのに……ぼく……馬鹿なこと……言って…」
ぽたん、と重く柔らかい音がして、脚本に落ちた水滴を修一は訝しく眺めた。ごしごしと服の袖で脚本を拭く。なのに、ぽたたっ、と次の水滴が落ちてきて見る見る数を増す。拭くのが間に合わない。
「ああ…そっか…」
ぼんやり呟いた。
「『ると』……僕、泣いてるみたいだけど……どうして…こんなことで…涙が出……っく」
しゃくりあげかけてぎょっとした。
「別に…何でもない……けんか…っく…だろ……? 別に…泣…ほどの……こと……ひっ」
今度はあからさまに息を引いてしまい、混乱して口を噤む。
こんな演技はあっただろうか。
友達になる前の友達が冷たいことばを投げつけて出ていった、そんな場面で、残された男が、それも15に近い男が泣きじゃくるようなことが?
「そんな……のっ……しら……なっ…く」
溢れ出す涙に何が何だかわからなくなってきて、修一は膝を抱えて顔を伏せ体を固く抱き締めた。
「な…んで……っ? …なん……で…」
なぜ垣は出て行ったのだろう。
なぜ修一はあんなことを言ったのだろう。
なぜまた1人になるのだろう。
喉が痛くて体が苦しくて引き裂かれそうな気がして、なのに身動きできなくて。
(誰か、助けて)
修一は初めて嗚咽というものを知った。
「ええい、つまらんっ!!」
喚いて力任せに蹴った相手はコンクリートの電柱、片足を抱えて跳ね回りながら垣はなおも苛立って怒鳴る。
「くっっそおおっっ!!」
(あいつ、あんな阿呆だったのか!)
修一の役者根性に少しずつ感心し始めていた。年下だろうと生意気だろうと、口だけのことはある、言うだけのことはある。そう考えていた自分にも腹が立った。あちらこちらのゴミ箱を次々と蹴り倒して憂さ晴らしをしてから、安アパートに戻ってくる頃には、激怒もかなり醒めていた。
(ちょっと……言い過ぎたかな)
ドアを開けようとして動きを止める。ぽかんと自分を見上げていた、妙に幼い表情の修一が脳裏に甦る。
(あそこまで言うこと、なかったよな)
相手はほんの子どもなんだし。
自分の言ったことばの意味もよくわかってなかったかも知れないし。
(ことばの、意味)
『それじゃ僕が頼んであげるよ! きっともっといい役がくるよ。ギャラだってもっと上がる。僕が頼めば、垣さん一人ぐらいどうにかなるよ!』
「っ」
ぶるぶるっと思わず首を振った。
(そんなことはない! やっぱり怒っていいことだったんだ!)
でもさ。
胸の奥でぼそりと背中を向けていた白い羽根の持ち主が、肩越しに振り向く。
放って帰らなくてもよかったよな?
(いや、だって!)
あの子、あれから1人だぞ。
(それがどうした? 今までだってあいつは1人だったじゃないか)
へええ。
振り向いた相手は肩を竦める。
あれだけ優しくしといて今更突き放そうって言うの。
(突き放す突き放さないってことじゃないだろ。ああいうことは言うべきじゃないんだよ!)
「だな!」
大きく頷いて垣はドアを開けた。例によって部屋の中は真っ暗だ。
(宮田!)
垣はかっと目を見開いた。用心に用心を重ねてスイッチへ手を伸ばす。一呼吸おいてスイッチを押し、『攻撃』を予想して一歩飛び退く。が、今度は部屋に誰もいない。
「ふん」
ゆっくり警戒しつつ狭い部屋を見渡す。
「雅子さんでも助けに行ってるんだな」
ほっと溜め息をついて時間を確認した。22時ちょっと過ぎだ。
(あいつ、夕飯のとき、嬉しそうだったな)
あんなにはしゃぐなんて思わなかった。無防備な笑顔が年より幼く見えて幸福そうで、それが垣にとっても嬉しかった……。
「、ちがうちがう!」
はっと我に返って首を振る。
「気にするこたない! オレがいなくても佐野さんだっているんだし!」
半分は自分への言い聞かせ、どしどしとわざと足音をたてて、せんべい布団を出そうと襖を引き開けた、とたん、
「ぐおーっ!」「っ!」
いきなり響き渡ったいびきに飛び退いて滑ってひっくり返った。
「なんなんだ!!」
叫びながら、押し入れの中で爆睡している男を見つける。
「宮田っ?!」
「うん?」
もぞもぞと動いた相手は眩しそうに瞬きし、ゆっくりと目を開けた。
「よ」「よ、じゃない! よ、じゃ! なんでこんなとこに寝てる?!」
「なんでって」
垣の抗議に相手は不思議そうに首を傾げる。
「眠くなったから?」
「だからって、なぜ『押し入れ』で寝るんだ!」
「話せば長くなるが」
「短くしろ!」
「条件反射」
「あん?」
垣は目をぱちくりさせた。
「わからんが…」
「だろ? つまりだな」
えへん、と宮田は咳き込む。
「俺の母親というのが布団嫌いで」
「まさか……家で布団を敷かなくて、けれどお前が布団が好きで、それでこっそり押し入れで寝る癖がついたとか…」
「いやあ、よくわかってるじゃない」
ひらひらと宮田は手を振ってみせた。
「あーのーなー…」
「それより、かおる?」
「…止せって言ってるだろうが!」
「お前、友樹君泣かしてきただろ」
「へ?」
泣かしてきた、が啼かしてきた、に聞こえたのは、宮田の人徳いやいや妄想癖に毒されているか。
それでも僅かなりとも『泣かせた』覚えがある垣は一瞬たじろいだ。それを素早く見て取った宮田が、
「やっぱりな!」
両目をぎらりと光らせる。
「それでどうやって啼かせたんだ、無理矢理迫ったのか押し倒したのか、嫌がる手足を縛りつけ、もがく体を押さえつけ、やっぱりそうかそうなんだな!」
「勝手につくるな盛り上がるな!」
どこまでもエスカレートしていきそうな相手をののしる。
「お前の妄想に引きずり込むな!」
「いや啼いてるに違いない、俺の直感とサーモンピンクの薔薇の花束がそう言ってる、それで嫌がるのを無理に押し倒してさせたんだろう、えっ、ネタは上がってるんだ白状しろ!」
「ネタ?」「やっぱりネタのか!ネて容赦なくさせたんだろ!」「何をだ!」「トランプ!!」
「……」
垣は黙った。宮田も黙った。さすがに外したと思ったらしい。
「宮田……まぎらわしいことを言うな」
ぐったりして話を元に戻そうとしたが、飢えた野獣にちょうどいい大きさの餌を投げ与えてしまったらしい。
「何っ、まぎらわしいことをしたのか!」
喜々として押し入れ上段に座り直し、時代劇のお白州裁きに望む奉行のごとく、うんうんと大きく頷きつつ、
「やっぱりそうだな、きりきり白状してしまえ、お上にも慈悲はある!」
「………」
再びの沈黙。今回は宮田はわくわくした顔をしたまま垣を凝視し続けている。どうする?どうする?どう返してくる?さあ待ってるぞ。
(こいつはもう…)
はあああ。垣は深く溜め息をついた。
どうしよう、こんなのが自国の警察だなんて。この国の未来はひょっとしてとんでもなく昏迷の淵を覗き込んでいるんじゃなかろうか。
「お前さ」
「うむっ」
「ひょっとして、いつも『むこう』でもそうやって尋問してるのか?」
「それがどうした?」
「いやさ…」
たとえば周囲の状況証拠やら何やらから、99%シロだったとしても、宮田にかかれば100%まではいかなくとも再審ぐらいにはなってしまうのではないだろうか。
そういう人間と切れることのない腐れ縁的な友達だということは、災難なのか、それともまれに見る幸運なのか。
「安心しろ」
垣の逡巡を見て取ったのだろう、宮田は大きく胸を張った。
「俺は身内には甘い」
余計いかんだろ、それ。
ツッコミ必須なのをひとまず横へ置いて、垣は話を戻した。
「それで、今日は何の用だ」
「あ、そうだ」
よいしょ、と宮田はようやく押し入れから降りてきた。
「友樹君の様子が知りたいんだ」
そこかい!
「…元気だよ」
「実は母親の方は保護したんだが」
垣の返答におかまいなく、宮田は案じ顔で続ける。
「彼女が余計なことを組織の方に訴えててね」
どうやら真面目な路線で話が続く様子なのに、垣は黙る。
「息子、つまり修一君に組織の内情を詳細に書いたデータを持たせていると」
「は?」
あいつはそんなこと何も知らないぞ?
垣の表情から答えを読み取った宮田はこくこくと頷いた。
「その通り。自分が殺されないための方便だ。だが『あっち』はそう思わない」
「ちょっと待て」
いきなりきな臭くなった内容に垣は顔をしかめた。
「あいつが危ないじゃないか!」
「そ」
にいと嬉しそうに宮田が笑う。どこか肉食獣を想像したのはあながち間違いでもあるまい。
「だから明日から俺がガードするのっ」
うふっ。
含み笑いが聞こえたのは垣の妄想かもしれないが一気に立った鳥肌は本物だった。
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