『周一郎舞台裏』〜『猫たちの時間』5〜

segakiyui

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8.シーン204

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『こんなところにするのかい?』
 直樹は滝の後ろを付いていきながら、何回目かのいちゃもんをつける。むっとした顔で滝がやり返す。
『ここにする!』
『倒れそうだよ』
『住めば都だ!』
『すきま風が入るんじゃない?』
『セーターの下に新聞紙を巻く!』
『火事ですぐ燃えそう』
『あったかくてちょうどいいじゃないか!』
 ふん、と肩を聳やかせて、何が何でもそのアパートに入って行こうとする滝の後ろで、直樹の表情は複雑に変化する。じれったそうな悔しそうな、行って欲しくないようなこのまま行かせてやりたいような……微妙な変化の後、直樹は周一郎の口調で滝を引き止める。
『行かないで下さい、滝さん』
 びくんと滝が肩をこわばらせ、形相物凄く振り返る。
『周一郎のまねはやめろと…』
 言いかけて、ぽかんとした顔になったのは、相手の気配の違いだけではない、目の前に現れた亡霊に度肝を抜かれたからだ。その滝に顔を背け、今は真実、周一郎そのものに戻った直樹が呟く。
『だって、言わなくちゃ、滝さんは行ってしまうでしょう?』
 照れくさそうな、どこかはにかんだ調子の声に、滝はくるりと向きを変え、唐突にまっすぐアパートへ進んで、周一郎を驚かせる。
『え、滝さん…』
 慌てて後を追い、滝の片腕を掴んで引き寄せる。と、それに引っ張られたように振り返った滝が、嬉しさを隠せないような顔から一転してむっとした顔になり、ぱんっ、と勢いよく周一郎の頬を叩く。
『っ』『この、馬鹿野郎っ!』
 続く怒鳴り声に、さしもの周一郎も息を呑む。
『なぜもっと早く生きてるって知らせないんだ! 俺がどんな気持ちだったかわかってんのか! そもそも勝手に死ぬのが悪いっ! これからはちゃんと前もって予告してから死ねっ!』
『は、い…』
 聞かされるたびに理不尽な台詞、滝志郎という男が、今から死にますと宣言する周一郎を放っておくわけもなかろうに。
 けれど、ここの場面の周一郎はそんなツッコミを思いつかない。正面切って叱られて、そのことばに紛れもなく周一郎への思いやりとか労りとか、つまりは大事にしているということを読み取って、見る見る泣き出しそうな表情になって、素直に静かに頷き返す。その表情は観客にこう伝える。
 滝が居てくれて、嬉しい。この先もずっと、居て欲しい。
『でも、滝さん』
 だから、気を取り直したように、周一郎はすぐに相手を説得にかかる。
『僕の所を出たら困るんでしょう?』
 滝が一瞬目を見開き、お前な、とこれは垣のアドリブだ。
 本当ならば唇を綻ばせ、『ああ、わかったよ! お前の所に戻ってやるよ!』と捨て台詞まがいのことばを投げて、ボストンバッグを引っ掛け、道を引き返していくはずだ。
 だが、垣は溜め息まじりにボストンバッグを拾い上げ、
『困るのはお前じゃないのか?』
 投げられたアドリブに修一は胸の内でにやりと笑って応じる。
『困りますよ。滝さんが居ると高野の苦情を聞かなくちゃならないし、仕事が忙しいのに新しい絨毯やカーペットや壁の補修の依頼もしなくちゃならない』
 え、と滝ならぬ垣が凹んだ。そんなふうに受けられては次が続かない、そう瞳で困られて修一はくすくす笑う。
 頑張ってよ、もう少しでクランクアップなんだしさ。その後垣さんは行っちゃうんだしさ。だから、精一杯考えて。周一郎がなぜそんなことを言い出したのか、本当は何を言いたいのか、読み取って仕掛けてきてくれよ。
『あー、何、その、何だな、えーと』
 垣は困り果てている。もうすぐ終らなくてはならないのに、その流れに入れない。けれど、何とかして飛び込まなくてはこの映画が終われない。
 ああ楽しいな、と修一は思う。
 芝居は楽しい。自分の全人格を使って、これほど密なやりとりが限界ぎりぎりで仕掛けられて、しかも喧嘩にならない。
 こんなに相性のいい役者に、後何人出逢えるだろう。こんなにわくわくして躍り出しそうな瞬間に、後何回加われるだろう。
 きっと数えるほどだろう、だからこそ、この一瞬を丁寧に。
(もっと早く気づけばよかった)
 修一は役者が好きなのだ、たまらなく。たとえどれほど才能がないと揶揄されようと、親の七光りの影にくすむしかない輝きだろうと。
『そ…』
『そ?』
『それは大変困ったな』
『そうなんです、大変困るんです、でも』
 いいや、助け舟になっちゃうけれど。
『僕の能力はまだまだ余ってるので、それぐらいの困りごとがないと退屈でしょうがないんですよ、この世界は』
(やば)
 口にした瞬間ひやりとした。これは周一郎の心底の本音、おそらく周一郎自身も気づいていない真実のはず。滝を抱え込みたい。それは滝が自分を思ってくれるからだけではなくて、きっと、滝が居ると退屈しないから。周一郎にとっては、滝が現れるまで、この世界は薄墨煙るモノトーンの色調だったに違いないから。
(引き出されちゃった、けど、まだ早かったんじゃないか)
 垣の雰囲気に周一郎の中身が引きずり出されて吐き出された、それは今この映画にふさわしいのか。それを調整するのは監督の役割のはずだけど、今は伊勢は動かない。この暴走がどう転ぶかじっと目を細めて眺めている。
(ずるいよね、まったく)
 けれど、体を張るのが楽しいのが役者なのだから仕方がない。
『う』
 垣は沈黙した。やがて、ずんずんといきなり近づいてきて、いきなり修一の頭を抱えてびっくりした。
『もういいや、とにかく部屋よこせ、何か食わせろ!』
『…っく』
 思わず零れた含み笑いを堪えるのに苦労した。ここで周一郎は爆笑しない。修一は大笑いしたくてたまらないが、そこまで外れるのはさすがに許されないだろう。
(けど、いつか)
 修一は微笑む。
 『猫たちの時間』シリーズに、周一郎が爆笑する場面などない。微笑むかくすくす笑う程度だ。あり得ない、物語の造りの上から、周一郎のキャラクターから。
(けど、いつか)
 お前を爆笑させる場面を演ってやるよ、周一郎。
 胸の中で囁く。
(お前がほんとに心の底から世界を愛した時に。今のお前のままで世界に居られるようになった時に)
 原作者も反論できないほど、正々堂々、文脈を崩さない中で、周一郎に大笑いをさせてやろう。そうやって、傷ついてずたずたのこのキャラクターを見事に成仏させてしまおう。
(だから今は)
『滝さん』
『ん?』
 首を抱えた腕に手をかけ顔を上げる。
(垣さん)
 胸の中で響くのは別れのことば。
『行きましょうか』
(さよなら)
 全く違う想いを胸にことばを吐くとき、ことばはその意味も形も越えて、厚みを増し、深みを増し、人の心の奥底に届く。
(ことばって究極のツンデレツールだよね)
『ああ!』
 ようやく終る、その感情が透ける垣の顔を見上げて、涙がにじみそうになった瞳を細め、修一はにっこりと笑い返した。

「カーット!!」
 カチンコが鳴り響いた。
 息を詰めて見守っていた周囲が一気に歓声とどよめきを上げる。
「うわ何なの、あれすげえ!」「ホンと全く違うじゃん!」「なのに何でホンまんまって気になんだ?」「あの最後の顔、ぞくっとこねえ?」「いや来たオレやばいって思ったそっち方向行けんのって」
 まさか、やり直しとかないよね?
 そんな勿体無いことしないよね?
 周囲の物言いたげな視線をぐるりと見渡して、監督がゆっくり立ち上がる。これみよがしに持っていたメガホンを、
「てめえら、終わりだ!」
 でえいい、と空中に投げ上げて、わああっと再び周囲が湧いた。伊勢のパフォーマンスなのだ、これ以上は俺が命じてもできねえよという白旗降参の評価。
 沸き立つ中で、垣はぼうっとしながら周囲を見回していた。
(何だ、これ)
 歓声の渦。興奮のるつぼ。開放感に溢れたとんでもないエネルギー。
(すげえ)
 修一に追い詰められて、頭が真っ白になっていた。どうにか『滝』をやらなくてはならなかったから、こっちが振ったささやかなアドリブを返されるともう一杯一杯で、それでも真っ白な頭の中に滲み出してくる影のような気配に向かって突っ走っていた。
 見えてきたのは、ぼさっと立つ一人の男。
 何だこれ? 尋ねた瞬間、答えがわかる。
 滝だ。
 滝志郎だ。
 思っていたよりうんと上背がある。思っていたより落ち着いていて、思っていたよりも静かで……いや、変わり始めた。
 瞬きする間に、相手がこちらへ向かって走り出しながら変化していく。動きが軽い。表情が、その、何と言うか明らかだ。明るくて、陽射しを浴びてて、今にも笑い出しそうな、特大の蛍光灯が駆け寄ってくるような眩さ。
(ぶつか!)
 垣に突っ込んでぶつかった、と次の瞬間擦り抜けて、耳元に、任せた、と声が響き渡った。とっさに閉じた目を見開いて、前方に見つけたのは、所在なげに立ちすくむ朝倉周一郎、いや、友樹修一。
(泣きそうじゃんか)
 精一杯笑ってるのがわかる。満面の笑顔、けれど拳が痛いほど握りしめられていて、ああ、そうだよな、お前はいつもそうやって『友樹修一』を頑張ってこなしてきたよな。
 だから、今ここでは解き放ってやろう、その『役柄』から。
 『親の七光りで売れっ子の見目形のいい二世役者』から。
(よっしゃ)
 滝は演じられなくとも、役者としての能力がなくても、垣は今修一のことがよくわかってるから、やってやればいいこともわかってる。近寄って、声をかける、昔からの友人みたいに一気に距離を詰めて、防波堤など吹っ飛ばす。
『もういいや、とにかく部屋よこせ、何か食わせろ!』
 小さな頭を抱え込んだ瞬間、何もかもがぴたりと嵌まったとわかった。
 これは滝じゃない。
 いや、脚本に描かれた滝志郎じゃない。
 けれど、修一が演じる周一郎も、脚本に描かれた周一郎じゃなかったから、これが一番正しいんだ。外して回り巡って、一番相応しい位置に辿り着いた。
(これが、俺達の『月下魔術師』)
「っっっ!」
 どよめく歓声に我に返る。沸き立つ興奮に巻き込まれ、走り寄って近寄ってくる周囲に肩やら腰やら背中やら、むちゃくちゃに叩かれ殴られ笑いかけられる。
 その人波の彼方に、二人、人影が見えた。
 一人の男は知っている。さっき出逢った男、嬉しそうに笑いながらこちらに手を振っている。もう一人はその男に背中を向けて、半身捻るようにした横顔を見せている。まだ少年でスーツ姿、濃いサングラスの下から流してくる瞳は際立って鮮やかだ。
 辿り着いて、手放した。
 手放して、見つけ出した。
 原作に描かれた滝志郎と朝倉周一郎ではなくて、垣と修一の『猫たちの時間』。
 二人は垣が認めたのに気づいたのだろう、周一郎が促し滝が頷き、ゆっくりと踵を返して去っていく。
 きっともう二度と会うことはないだろう。
 人が、新しい段階に一つ登った時に見える、過去の姿の幻。
 懐かしく優しく、二度と戻れないどこかいびつで不十分な自分の姿。
(あばよ)
 垣は微笑んだ。
(そうか、こうやって)
 人は成長し、新しい世界へ歩み出す。
「……終ったな」
「うん」
 すぐ隣で声が応じて、気がつくと修一も同じ方向を見ていた。
「見えたか?」
「…何か、見たことのあるような二人が居たよね」
「あいつらはあいつらの世界で」
「僕らは僕らの世界で」
 それぞれに歩き出していく。
 呟くと、修一が頷き、口を噤んだ。
「………さて、行くか」
「え?」
 修一がきょとんと垣を見上げる。
「慰労会、出ないの?」
「いや、旨そうなものがわんさか出るんだろ? 出たいんだけどな、オレの田舎はちっとばかし辺境で。次の列車逃がすと明日まで帰れない」
「……そっか」
「よう、滝志郎!」
 意気揚々と声をかけてきた伊勢監督は、満足そうに続けた。
「帰るのか、一旦」
「一旦? 冗談なしですよ。オレにはもう十分だ」
「いやまだまだだろ? まだ逝けるよな?」
「……今逝ける、って意味が違ってなかった?」
「大丈夫だ、今回の出来なら『古城物語』も逝ける。クランク・インは1年内だぞ」
「いや、マジ困りますから! 家の仕事がありますから!」
「大丈夫だ、役者を三日やったら終ってる!」
「あ、もう列車の時間だ、行きますから!」
「ああ逝ってくれ! で無事生還しろっ!」「しねえから!」
 準備してあったのだろう、現場のどこからか取り出してきたボストンバッグを引っ張り出し、伊勢監督に怒鳴り返して行きかけて、修一の元へ駆け戻る。
「元気で」
「ありがとう。僕のマンション、ずっとあそこだから。変わったらまた連絡するから」
「出来たらでいい。まだお母さんのこととか、いろいろあるだろ?」
「うん…でも、大丈夫だよ」
 修一は人なつこく笑う。陽一は健在で役者を続けているが汚れ役が増えてきているし、雅子は入院中、綾野産業についてはこれから裁判になる。
「『ると』によろしく」「わかった」
 手をさし出すと握り返す。初めて相手の掌を小さく感じた。
「じゃ」
 背中を向けて歩き出す、と、背後から駆け寄ってくる足音が響いて、もう一度振り返ると、修一がびくりとして立ち止まり、大声で叫んだ。
「ありがとう、ございます!」
 ぺこり。
 始めからは考えられない深いお辞儀に戸惑う。
「オレは何もしていない」
「それでも、ありがとう!」
「オレこそ」
 迷惑かけた、いろいろ助かった、最後ちょっとだけ役者を続けたくなってしまった、未練がましいそんなこんなは結局口にせずに済んだ。
「友樹君!」「宮田っ?!」
 飛び出してきたのは真紅の薔薇を抱えた宮田、満面の笑みで修一に走り寄る。
「クランク・アップおめでとう! お祝いの花束だよ! さあ一緒に二人の未来を語り合おうか!」
「あ、ありが…え? えええ?」
 戸惑う修一は、それでも宮田をうまくあしらうだろう。
(悪いがこの隙に退散させてもらうか)
 考えてみれば宮田の活動領域から離れるのは喜ばしい。
(そうだな、悪いことばかりじゃない)
 自分を慰め、足を速めて厄介な友人から離れようとした垣は、次の瞬間響いた声に引き攣った。
「あ、かおる~? 俺、今度お前の田舎に転勤になるから! 末永く一緒に居ような!」


「修一さん?」
「ん?」
「寂しいですか?」
 マンションのいつものソファで、修一は問いかけて来た高野に目をやる。前はこんな会話などなかった。こんな立ち入った会話など。
 めんどうくさいと思っていた。けれど、今はこれはこれでいいと感じる自分が居る。
(僕も変わった)
「…少しはね。でも」
 膝の上の『ると』を撫でる。
 付けっぱなしにしていたTVが『ロード・オン・ロード』のテーマを鳴らし、『月下魔術師』の予告編を流し出した。トレイラーの45秒枠のものだ。
「凄いヒットになりましたね」「うん」
 映画館は連日満員、DVD発売も既に公表されており、TVドラマ化も考えられている。スピンオフも計画されつつある。
『出会いはいつでも
 半分は運命の偶然
 残りは神様のいたずらさ…』
「神様のいたずら、か」
「え?」
「いや」
 ひょいと肩を竦め、修一は悪戯っぽく笑った。
「僕、何だかもう一度垣さんに会える気がする。何か突拍子もないことでね。『ると』、そうは思わないか?」
 『ると』はぱっちりとした金目で修一を見上げている。
 
 ひょっとしたら、『ると』は、左前になった工場から放り出された垣が二日後に戻ってくるのを知っていたのかも知れないが、例によって澄ました顔で何も答えはしなかった。


                             おわり
 
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