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3.ラズーンよりの使者 (1)
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「アシャーっ!」
「アシャ、どこにいるのー!」
花咲き乱れる庭園をいささか乱暴に駆け抜けたアシャは、小道の途中で突然体を捻って木立に飛び込んだ。すぐ後から、アシャの後ろ姿を見かけたのだろう、着飾った貴族の娘達が急ぎ足に通り過ぎていく。
「今ここで見かけたのに」「おかしいわね」「先にも見えない」「どこに行ったのかしら」
高い声で呼び交す鳴き鳥(メール)のようにさんざめきながら遠ざかる。
「…やれやれ」
木立の中、道に背を向け、耳をそばだてながらアシャは苦笑する。
「ここまで追い掛けられるとは思わなかったな」
宴のアシャの印象はこの国には強烈過ぎたらしい。ユーノの付き人におさまったと知らせが回ると、女だけではなく男までもが一晩付き合わないかとひっきりなしに声をかけてくる。予想はしていたし慣れてもいるが、いいかげんうんざりする。
「思った以上に緩いな、この国は」
他所ものだ、見かけぬ顔だと警戒一つしないのは国民性か。それとも、第二皇女の付き人に選ばれたということが、押し倒しても反撃してこない男だと保証してしまったのか。
いずれにしてもうっとうしい、と吐息をつきながら顔を上げ、額に乱れ落ちてこない髪に気づいて、そうかこいつのせいもあるのかと溜め息を重ねた。
従順だけれど華やかで連れ歩くのにちょうどいい、そういう顔に見えるのか。
かと言って、飾り紐を外し前髪を下ろしていつもの髪型に戻せば、見識のある者にはすぐわかる。旅の汚れで目立たなくなっているならまだしも、今のように小奇麗にしてしまっては、たとえ辺境の小国でも気づかれるだろう。顔を知っている者がこの辺りにいるとはとても思えないが、時期が時期だ、慎重になっておくに越したことはない。
ないが。
「ふぅ…」
(これからどうするかな)
こんなことなら魔物(パルーク)相手に大立ち回りするか、不愉快な領主を二度と会いたくないと思わせるほど追い詰める方が楽しいだろう。落ち着こうと思ったのが間違いだった。
もう一度飾り紐で髪をまとめ直し、ふと前方へ視線を投げて呆気にとられた。
「ユーノ……」
木立は天然の四阿のように小さな空き地を囲い込んでいる。元々は植え込みの一つだったのだろうが、伸びて互いの枝を交わす木性か、今ではすっかり小部屋のように編みあがり、周囲から人目を遮っている。
その、庭園から隔絶されたような草地の片隅に、手足を縮めて眠るユーノの姿があった。
(またこんなところで寝ている)
明るい色の草は木立に遮られ、くすんだ緑の絨毯のようだ。ちらつく木漏れ日が華奢な体に躍っている。服地に包まれていても、その伸びやかさしなやかさ、抱き締めたときに返る弾力は容易に想像がつく。
そっと立ち上がって足を忍ばせ近寄った。熟睡しているのか、今度はアシャが覗き込んでも目を覚まさない。
「無理もない…か」
一瞬ためらったが、そろそろと隣に腰を降ろしながら呟いた。寝息に揺れる茶色の髪に手を伸ばす。顔にかかってうっとうしそうだ。気配を殺し、指先でのけてやっても目を覚まさない。疲れ切っているのだろう。
(ガキの顔だな)
唇を少し開いて、穏やかな呼吸を繰り返す。眠っていると歳相応に無防備な顔、今は当たり前の少女にしか見えないが、昨夜は視線で人を切り裂きそうなほど険しい表情を浮かべていた。
また刺客が紛れ込んでいたのだ。
『今回は対処が遅れた』
苦笑したユーノの腕には傷があった。おかしな気配がある、レアナ達を見てきてほしい。そう命じられて従ったのが、結果的にユーノを刺客に晒すことになってしまってアシャは苛立った。
『ゼランは何をしているんだ?』
駆けつけ損ねた怒りを、皇女の危険にも反応しない親衛隊の長にぶつければ、ユーノは目を逸らせて、何とかできたからいいんだよ、と応じた。
傷を押えた布に薄赤い汚れが染み込んでいた。止血を気にして近寄ったアシャに、きっぱり首を振って、ユーノは居室に引いた。
『いいよ、自分でできる。疲れたからもう寝る』
追いかけて声をかけても扉は開かれなかった。仕方なしに引き上げたが、あの傷では一晩中痛んだはずだ。
ゼランを見かけたら一言言ってやろうと思ってるのに、捕まえかけるとユーノが現れ首を振る。
『いいんだ、余計なことをするな。あなたは私の付き人だろう? 主の命令はそれほど軽いのか?』
厳しく言い渡されて不承不承引きはしたが。
したが。
(いつもこいつばかり狙われる…なぜだ?)
カザドの王、カザディノはレアナを欲したと聞く。それが果たせなくて、妄執を未だ向けている、とユーノは吐き捨てた。
けれども、あの欲深な男がレアナ1人を手に入れて安じるとは思えない。その先にはセレドを手中にとも願っているはずだ。
(もっと他に手立てを打ってきそうなものだが)
まるでユーノを殺すことがセレドを手に入れる唯一の道であるかのような執拗さだ。
それにこうも繰り返し易々と侵入を許す親衛隊というのも不審だ。平和ぼけしているだけ、ではないのではないか。
(誰か……カザドへの内通者がいるか)
もしいるとしたら皇宮がらみ。
だが、この考えも皇位継承で揉めている気配がなく行き着いてしまう。
そもそもセレドの支配者となったところで、溢れかえるほどの富もなければ人々を圧倒的に従える権力もない。皇族はのんびりと街中を出歩き、人々は親しげに声をかけ、まるで面倒な国の決まりや儀式を行うだけの役職であるかのような扱い、セレドは眠ったように穏やかな国なのだ。
なのに皇女は繰り返し狙われ傷ついている。
その理由がわからない。
風に浮いた髪の毛がまたユーノの唇にかかった。呼吸でふわふわと揺れる。息苦しそうに見えてまたそっと指を伸ばす。呼気が強いのだきっと、唇から漏れる息が温かくてそれできっと。
ユーノは起きない。
この前はあれほど鋭く反応したのに。
こんな開けた場所でこんな昼間にこんなに無防備に。
(俺が側に居ても気づかない)
こんなに近くにアシャが居るのに。
「アシャ…? アシャ?」
「っ」
柔らかな声が響いて、髪の毛をのけてやるはずの指でユーノの唇に触れようとしていたのに気づき、アシャは慌てて手を引いた。
(何をしている)
幸いユーノは目を覚ましていない。ほっと小さく息をついた。
「アシャ……どこですの?」
声はレアナのものだ。それがみるみる近づいてくる気配に、動きを殺しながらアシャは急いで木立を抜け出た。
「ここですよ、レアナ様」
ようやくぐっすりと眠れているユーノを起こしたくなかった。木立から離れながら声をかけると、花苑にすらりと立つ美しい姿があった。ほっそりした白い首筋を惜しげもなく見せ、滑らかな胸元近くまで開いたドレスを鮮やかに捌きながらレアナが近寄ってくる。
「ああ、そこにおいででしたの。ユーノを御存知ありませんか?」
「え…あ」
背後の木立を気にしたがユーノが起きてくる気配はない。
アシャは微笑みながらレアナの接近を妨げるように自ら相手に近寄った。
「何か御用でしょうか?」
「ラズーンからお使者が来られたの」
レアナの影にいたセアラがひょこりと顔を出した。形は違うが、白いドレスを身につけている。
「ラズーンから?」
「広間に集まりなさいとお父様が……ユーノ」
レアナがふいとアシャから目を逸らせて背後を見遣り微笑んだ。
「ラズーンから使者だって?」
後ろから眠そうな声が響いてアシャは振り返った。ふわぁう、とあくびをしながら近寄ってくるユーノの乱れた髪についていた草を、レアナが眉をしかめながら払いにかかる。
「また地面になんか寝転んでいたの? ちょっとは女性としてのたしなみを気にしなくては」
「はいはい、そのうちね」
「また、そんなことを」
「………そうやって並んでると、姉さまとアシャだと性別が逆よね」
セアラが腰に両手をあてて呆れてみせる。
え、ときょとんとしたユーノがアシャを振り向いて笑い出した。
「違いない」
「セアラ様」
「私がもう少し背が高ければねえ、ほらこうやって」
大仰な振る舞いでユーノが右手を円を描いて回し上半身を倒してお辞儀した。
「どうぞ、アシャ姫、私に御手を」
「ユーノ!」
「あれ、駄目?」
アシャが睨んだのは体を倒す時にわずかにユーノが顔をしかめたせいだ。腕の傷が痛むのだろう。馬鹿なことをするんじゃないと、それは口止めされているから言えずに制すると、ひょいとおどけて眉を上げたユーノが肩を竦めた。
「アシャなら立派な『お姫さま』で通るんだけどなあ。ユーナ・セレディスを名乗ってもらっていいのに」
「なら、姉さまはどうするの」
「アシャの代わりに付き人をするさ」
にやりと笑って屈み込みながらセアラの額を指で突く。愛おしげな優しい仕草だ。それから気持ちを切り替えたように体を起こし、
「それとも旅に出るかな?……いろんなものを見てみたいし」
何かを探すように逸らせた瞳にひどく寂しそうな色が漂った。
「冗談はそこまでにして、早く広間にいかなければ。お使者をお待たせしていますよ」
「はい、はぁい、と。アシャは?」
「アシャもです」
「わかりました」
アシャはうやうやしく頭を下げた。
使者は背の中ほどまでの銀髪直毛、不思議な魅力をたたえた灰色の瞳の持ち主だった。年齢がよくわからない。艶やかな、そのくせつかみ所のない雰囲気が誰かに似ている。ユーノは首を傾げて思い返し、気がついた。
(……アシャ?)
そうだ、アシャだ。
胸の中で頷いて、わずかに下がった位置に立つアシャを見た。
さすがに宴の時ほど派手な服装はしていない。地味とも言える焦茶色のチュニックとズボンという格好だが、金褐色の髪を今日は紅の紐でまとめていて、それだけでも華がある。
女性的でひ弱そうに見える顔だちのせいか、今では女性だけではなく男性にも追いかけ回されているようだが、それほど対処に困った様子がないのは、同じようなことをあちこちで経験してきているからか。追い掛け回され過ぎて、付き人としての仕事を全うしてるとは言い難い時もあるが、ユーノには彼らを咎める気にはなれなかった。
(私も)
レアナほど綺麗ではなくても、セアラほどに愛らしい容貌ならば、アシャと数時間の逢瀬を求めて追ったかもしれない、そう思う。
今は付き人で、望まなくても側に居てくれて、時に夜遅くでも刺客を心配して駆けつけてくれる、その幸運を思えば、昼間側に居ないことも贅沢だと思い切れる。
(きれい……だったな)
話し声に目覚めて木立から外を伺った瞬間、目に飛び込んだ光景を思い出す。
花苑の中、白いドレスのレアナとセアラ、微笑むアシャの3人は神話を描いた絵画のように美しかった。光がそこに集まっているようだった。あまりにも見事で、近づけないと判じたのだろう、遠巻きにして見ている娘達と同じように、いや、それよりも竦むような思いで見愡れていた。
私はあそこにふさわしくない。
あの美しい光景には入れない。
降り落ちた圧倒的な理解。
呼ばれたから出ていっておどけて見せた。礼をとったのは本心、男女交代することでアシャを望めるならばと願ってしまった自分が哀しかった。不愉快そうにアシャが顔を歪めて、もうふざけ通すしかなかったけれど。
消えたかった。
アシャが居なければ、これほど居たたまれなくもならなかっただろうに。
アシャが居ることで改めて気づいてしまった。
自分の居場所はここにはない。
「ラズーンのもとに。イシュタが御挨拶申し上げます」
使者がやや高めの声を張り上げてユーノは我に返った。
「使者、イシュタ殿。セレドは従順をお誓い申し上げます」
セレディス4世が玉座を降り、使者の前に膝をつく。
ラズーンはこの世界の頂点にある統合府、その下にセレドを始め諸国が在る。
そこには性をもたない神がいると言われ、作られる伝説は後を絶たない。この世界はラズーンの下で平和と繁栄を約束され、その昔、ラズーンに刃向かう者は悉く滅ぼされたと聞く。
だが、ラズーンは確かにこの世界を統べてはいたが、国々の治世は国王に任され、ラズーンが直々に支配することはなかった。日々が平穏であるならば、ラズーンは天上の神々の住まう幻の都に過ぎず、そこが如何なる姿をしているのか、特に世界の端にあるようなセレドでは興味を持つものなどいない。
今回のように、ラズーンの使者がセレドのような小国に来るのは極めて稀なことだった。
「セレドの忠誠は疑っておりません。ラズーンのもとに慎んでお伝え致します。セレド皇国より皇族の方を使者としてラズーンへ差し向けて頂きたい」
ことばこそ丁寧だが、秘められた冷酷さと反論しようのない容赦なさに、セレディス4世は顔を強ばらせた。
「それは……如何なる……」
「詳しくは存じません、私は使者に過ぎませぬゆえ。ただ確実に伝えるようにとだけ申し渡されております。また定められた条件があります」
イシュタは皇の逡巡を気にしなかった。
「まず、皇族の方は1人でいらっしゃること。皇族以外の方をお連れになる場合は、これもお1人のみ供とされること」
(1人)
びく、と思わず体が動いてしまった。背中を何かで叩かれるような衝撃、絶対の確信が胸を突く。自分の顔が表情を無くすのに気づいて、ユーノは俯く。
(1人、か)
目を閉じ、唇を噛む。
(ならば、きっと)
予想される状況が簡単に思い描け、けれど、そうならない可能性もほんの少しだけ想像して、ユーノは苦笑した。
(まだ夢を見ているのか、私は)
「アシャ、どこにいるのー!」
花咲き乱れる庭園をいささか乱暴に駆け抜けたアシャは、小道の途中で突然体を捻って木立に飛び込んだ。すぐ後から、アシャの後ろ姿を見かけたのだろう、着飾った貴族の娘達が急ぎ足に通り過ぎていく。
「今ここで見かけたのに」「おかしいわね」「先にも見えない」「どこに行ったのかしら」
高い声で呼び交す鳴き鳥(メール)のようにさんざめきながら遠ざかる。
「…やれやれ」
木立の中、道に背を向け、耳をそばだてながらアシャは苦笑する。
「ここまで追い掛けられるとは思わなかったな」
宴のアシャの印象はこの国には強烈過ぎたらしい。ユーノの付き人におさまったと知らせが回ると、女だけではなく男までもが一晩付き合わないかとひっきりなしに声をかけてくる。予想はしていたし慣れてもいるが、いいかげんうんざりする。
「思った以上に緩いな、この国は」
他所ものだ、見かけぬ顔だと警戒一つしないのは国民性か。それとも、第二皇女の付き人に選ばれたということが、押し倒しても反撃してこない男だと保証してしまったのか。
いずれにしてもうっとうしい、と吐息をつきながら顔を上げ、額に乱れ落ちてこない髪に気づいて、そうかこいつのせいもあるのかと溜め息を重ねた。
従順だけれど華やかで連れ歩くのにちょうどいい、そういう顔に見えるのか。
かと言って、飾り紐を外し前髪を下ろしていつもの髪型に戻せば、見識のある者にはすぐわかる。旅の汚れで目立たなくなっているならまだしも、今のように小奇麗にしてしまっては、たとえ辺境の小国でも気づかれるだろう。顔を知っている者がこの辺りにいるとはとても思えないが、時期が時期だ、慎重になっておくに越したことはない。
ないが。
「ふぅ…」
(これからどうするかな)
こんなことなら魔物(パルーク)相手に大立ち回りするか、不愉快な領主を二度と会いたくないと思わせるほど追い詰める方が楽しいだろう。落ち着こうと思ったのが間違いだった。
もう一度飾り紐で髪をまとめ直し、ふと前方へ視線を投げて呆気にとられた。
「ユーノ……」
木立は天然の四阿のように小さな空き地を囲い込んでいる。元々は植え込みの一つだったのだろうが、伸びて互いの枝を交わす木性か、今ではすっかり小部屋のように編みあがり、周囲から人目を遮っている。
その、庭園から隔絶されたような草地の片隅に、手足を縮めて眠るユーノの姿があった。
(またこんなところで寝ている)
明るい色の草は木立に遮られ、くすんだ緑の絨毯のようだ。ちらつく木漏れ日が華奢な体に躍っている。服地に包まれていても、その伸びやかさしなやかさ、抱き締めたときに返る弾力は容易に想像がつく。
そっと立ち上がって足を忍ばせ近寄った。熟睡しているのか、今度はアシャが覗き込んでも目を覚まさない。
「無理もない…か」
一瞬ためらったが、そろそろと隣に腰を降ろしながら呟いた。寝息に揺れる茶色の髪に手を伸ばす。顔にかかってうっとうしそうだ。気配を殺し、指先でのけてやっても目を覚まさない。疲れ切っているのだろう。
(ガキの顔だな)
唇を少し開いて、穏やかな呼吸を繰り返す。眠っていると歳相応に無防備な顔、今は当たり前の少女にしか見えないが、昨夜は視線で人を切り裂きそうなほど険しい表情を浮かべていた。
また刺客が紛れ込んでいたのだ。
『今回は対処が遅れた』
苦笑したユーノの腕には傷があった。おかしな気配がある、レアナ達を見てきてほしい。そう命じられて従ったのが、結果的にユーノを刺客に晒すことになってしまってアシャは苛立った。
『ゼランは何をしているんだ?』
駆けつけ損ねた怒りを、皇女の危険にも反応しない親衛隊の長にぶつければ、ユーノは目を逸らせて、何とかできたからいいんだよ、と応じた。
傷を押えた布に薄赤い汚れが染み込んでいた。止血を気にして近寄ったアシャに、きっぱり首を振って、ユーノは居室に引いた。
『いいよ、自分でできる。疲れたからもう寝る』
追いかけて声をかけても扉は開かれなかった。仕方なしに引き上げたが、あの傷では一晩中痛んだはずだ。
ゼランを見かけたら一言言ってやろうと思ってるのに、捕まえかけるとユーノが現れ首を振る。
『いいんだ、余計なことをするな。あなたは私の付き人だろう? 主の命令はそれほど軽いのか?』
厳しく言い渡されて不承不承引きはしたが。
したが。
(いつもこいつばかり狙われる…なぜだ?)
カザドの王、カザディノはレアナを欲したと聞く。それが果たせなくて、妄執を未だ向けている、とユーノは吐き捨てた。
けれども、あの欲深な男がレアナ1人を手に入れて安じるとは思えない。その先にはセレドを手中にとも願っているはずだ。
(もっと他に手立てを打ってきそうなものだが)
まるでユーノを殺すことがセレドを手に入れる唯一の道であるかのような執拗さだ。
それにこうも繰り返し易々と侵入を許す親衛隊というのも不審だ。平和ぼけしているだけ、ではないのではないか。
(誰か……カザドへの内通者がいるか)
もしいるとしたら皇宮がらみ。
だが、この考えも皇位継承で揉めている気配がなく行き着いてしまう。
そもそもセレドの支配者となったところで、溢れかえるほどの富もなければ人々を圧倒的に従える権力もない。皇族はのんびりと街中を出歩き、人々は親しげに声をかけ、まるで面倒な国の決まりや儀式を行うだけの役職であるかのような扱い、セレドは眠ったように穏やかな国なのだ。
なのに皇女は繰り返し狙われ傷ついている。
その理由がわからない。
風に浮いた髪の毛がまたユーノの唇にかかった。呼吸でふわふわと揺れる。息苦しそうに見えてまたそっと指を伸ばす。呼気が強いのだきっと、唇から漏れる息が温かくてそれできっと。
ユーノは起きない。
この前はあれほど鋭く反応したのに。
こんな開けた場所でこんな昼間にこんなに無防備に。
(俺が側に居ても気づかない)
こんなに近くにアシャが居るのに。
「アシャ…? アシャ?」
「っ」
柔らかな声が響いて、髪の毛をのけてやるはずの指でユーノの唇に触れようとしていたのに気づき、アシャは慌てて手を引いた。
(何をしている)
幸いユーノは目を覚ましていない。ほっと小さく息をついた。
「アシャ……どこですの?」
声はレアナのものだ。それがみるみる近づいてくる気配に、動きを殺しながらアシャは急いで木立を抜け出た。
「ここですよ、レアナ様」
ようやくぐっすりと眠れているユーノを起こしたくなかった。木立から離れながら声をかけると、花苑にすらりと立つ美しい姿があった。ほっそりした白い首筋を惜しげもなく見せ、滑らかな胸元近くまで開いたドレスを鮮やかに捌きながらレアナが近寄ってくる。
「ああ、そこにおいででしたの。ユーノを御存知ありませんか?」
「え…あ」
背後の木立を気にしたがユーノが起きてくる気配はない。
アシャは微笑みながらレアナの接近を妨げるように自ら相手に近寄った。
「何か御用でしょうか?」
「ラズーンからお使者が来られたの」
レアナの影にいたセアラがひょこりと顔を出した。形は違うが、白いドレスを身につけている。
「ラズーンから?」
「広間に集まりなさいとお父様が……ユーノ」
レアナがふいとアシャから目を逸らせて背後を見遣り微笑んだ。
「ラズーンから使者だって?」
後ろから眠そうな声が響いてアシャは振り返った。ふわぁう、とあくびをしながら近寄ってくるユーノの乱れた髪についていた草を、レアナが眉をしかめながら払いにかかる。
「また地面になんか寝転んでいたの? ちょっとは女性としてのたしなみを気にしなくては」
「はいはい、そのうちね」
「また、そんなことを」
「………そうやって並んでると、姉さまとアシャだと性別が逆よね」
セアラが腰に両手をあてて呆れてみせる。
え、ときょとんとしたユーノがアシャを振り向いて笑い出した。
「違いない」
「セアラ様」
「私がもう少し背が高ければねえ、ほらこうやって」
大仰な振る舞いでユーノが右手を円を描いて回し上半身を倒してお辞儀した。
「どうぞ、アシャ姫、私に御手を」
「ユーノ!」
「あれ、駄目?」
アシャが睨んだのは体を倒す時にわずかにユーノが顔をしかめたせいだ。腕の傷が痛むのだろう。馬鹿なことをするんじゃないと、それは口止めされているから言えずに制すると、ひょいとおどけて眉を上げたユーノが肩を竦めた。
「アシャなら立派な『お姫さま』で通るんだけどなあ。ユーナ・セレディスを名乗ってもらっていいのに」
「なら、姉さまはどうするの」
「アシャの代わりに付き人をするさ」
にやりと笑って屈み込みながらセアラの額を指で突く。愛おしげな優しい仕草だ。それから気持ちを切り替えたように体を起こし、
「それとも旅に出るかな?……いろんなものを見てみたいし」
何かを探すように逸らせた瞳にひどく寂しそうな色が漂った。
「冗談はそこまでにして、早く広間にいかなければ。お使者をお待たせしていますよ」
「はい、はぁい、と。アシャは?」
「アシャもです」
「わかりました」
アシャはうやうやしく頭を下げた。
使者は背の中ほどまでの銀髪直毛、不思議な魅力をたたえた灰色の瞳の持ち主だった。年齢がよくわからない。艶やかな、そのくせつかみ所のない雰囲気が誰かに似ている。ユーノは首を傾げて思い返し、気がついた。
(……アシャ?)
そうだ、アシャだ。
胸の中で頷いて、わずかに下がった位置に立つアシャを見た。
さすがに宴の時ほど派手な服装はしていない。地味とも言える焦茶色のチュニックとズボンという格好だが、金褐色の髪を今日は紅の紐でまとめていて、それだけでも華がある。
女性的でひ弱そうに見える顔だちのせいか、今では女性だけではなく男性にも追いかけ回されているようだが、それほど対処に困った様子がないのは、同じようなことをあちこちで経験してきているからか。追い掛け回され過ぎて、付き人としての仕事を全うしてるとは言い難い時もあるが、ユーノには彼らを咎める気にはなれなかった。
(私も)
レアナほど綺麗ではなくても、セアラほどに愛らしい容貌ならば、アシャと数時間の逢瀬を求めて追ったかもしれない、そう思う。
今は付き人で、望まなくても側に居てくれて、時に夜遅くでも刺客を心配して駆けつけてくれる、その幸運を思えば、昼間側に居ないことも贅沢だと思い切れる。
(きれい……だったな)
話し声に目覚めて木立から外を伺った瞬間、目に飛び込んだ光景を思い出す。
花苑の中、白いドレスのレアナとセアラ、微笑むアシャの3人は神話を描いた絵画のように美しかった。光がそこに集まっているようだった。あまりにも見事で、近づけないと判じたのだろう、遠巻きにして見ている娘達と同じように、いや、それよりも竦むような思いで見愡れていた。
私はあそこにふさわしくない。
あの美しい光景には入れない。
降り落ちた圧倒的な理解。
呼ばれたから出ていっておどけて見せた。礼をとったのは本心、男女交代することでアシャを望めるならばと願ってしまった自分が哀しかった。不愉快そうにアシャが顔を歪めて、もうふざけ通すしかなかったけれど。
消えたかった。
アシャが居なければ、これほど居たたまれなくもならなかっただろうに。
アシャが居ることで改めて気づいてしまった。
自分の居場所はここにはない。
「ラズーンのもとに。イシュタが御挨拶申し上げます」
使者がやや高めの声を張り上げてユーノは我に返った。
「使者、イシュタ殿。セレドは従順をお誓い申し上げます」
セレディス4世が玉座を降り、使者の前に膝をつく。
ラズーンはこの世界の頂点にある統合府、その下にセレドを始め諸国が在る。
そこには性をもたない神がいると言われ、作られる伝説は後を絶たない。この世界はラズーンの下で平和と繁栄を約束され、その昔、ラズーンに刃向かう者は悉く滅ぼされたと聞く。
だが、ラズーンは確かにこの世界を統べてはいたが、国々の治世は国王に任され、ラズーンが直々に支配することはなかった。日々が平穏であるならば、ラズーンは天上の神々の住まう幻の都に過ぎず、そこが如何なる姿をしているのか、特に世界の端にあるようなセレドでは興味を持つものなどいない。
今回のように、ラズーンの使者がセレドのような小国に来るのは極めて稀なことだった。
「セレドの忠誠は疑っておりません。ラズーンのもとに慎んでお伝え致します。セレド皇国より皇族の方を使者としてラズーンへ差し向けて頂きたい」
ことばこそ丁寧だが、秘められた冷酷さと反論しようのない容赦なさに、セレディス4世は顔を強ばらせた。
「それは……如何なる……」
「詳しくは存じません、私は使者に過ぎませぬゆえ。ただ確実に伝えるようにとだけ申し渡されております。また定められた条件があります」
イシュタは皇の逡巡を気にしなかった。
「まず、皇族の方は1人でいらっしゃること。皇族以外の方をお連れになる場合は、これもお1人のみ供とされること」
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びく、と思わず体が動いてしまった。背中を何かで叩かれるような衝撃、絶対の確信が胸を突く。自分の顔が表情を無くすのに気づいて、ユーノは俯く。
(1人、か)
目を閉じ、唇を噛む。
(ならば、きっと)
予想される状況が簡単に思い描け、けれど、そうならない可能性もほんの少しだけ想像して、ユーノは苦笑した。
(まだ夢を見ているのか、私は)
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