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15.クノーラスの異変(1)
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「……とすると?」
「俺にはさっぱりどうなったのか、わからん」
アシャの問いにアオクは困惑した表情で応えた。
机を囲んだユーノ、イルファ、アシャとアオク、それに少し離れたソファでエキオラとラセナは、お互いに難しい顔を見合わせた。
「とにかく、俺が行った時にはクノーラス様はお目覚めだった。だが、明日の式のことを伺っても『知らぬ』とおっしゃる。エキオラの事を聞いても『知らぬ』の一点張りだ。俺がなおも問いかけると、いきなり乱心なさって剣を抜かれた。そればかりか、エキオラの首をこの場で刎ねるとおっしゃって……」
「それで、とっさに連れて逃げたわけか」
イルファが頷く。
「攫う気はなかった。だが、エキオラを殺させるわけにもいかなかった」
アオクの苦い口調に、わっとエキオラが泣き伏した。
「わ、私がいけないのです! 私が、何か、王子の御機嫌を損ねるようなことをしてしまったのです!」
「おまえのせいではない!」
厳しい声でアオクは咎めた。
「あの時の王子はいつもの王子ではなかった。何かこう、禍々しい影がまとわりつく、物の怪のようだった」
はっとしたように、ユーノがアシャとイルファを見た。頷き返すと、唇を噛んで俯く。
自分が来たから襲われたと考えているに違いなかった。
「さっき追ってきたのは、王子の側近か?」
「いや、見たことのない男達だ。どいつもこいつも妙な冷たさがあって、腕が竦みそうだった」
アオクは首を振った。
「それで、どうする?」
「明日もう一度、王子の所へ行ってみる。原因を確かめて…」
「アオク! そんな、危ないわ! 見たでしょ、わけのわからないものが、うようよしていたのを!!」
エキオラが強ばった顔で叫んだ。よほど怖い思いをしたのだろう、唇を震わせて蒼白な顔になっている。
「だからと言って、幼なじみの夫になる人を放っておくわけにはいかん」
「アオク……」
エキオラが涙に濡れた顔を微かに歪ませた。
「おまえには幸せになってほしい、他の誰よりも、な」
アオクはエキオラから目を逸らせて付け加えた。
「俺の自慢の友人だからな」
すうっとエキオラの頬に血が昇る。
「ア…アオクの馬鹿!」
「エキオラ!」
立ち上がって部屋を走り出していくエキオラのあとを追いかけながら、ラセナがじろりと兄を睨みつけた。
「勝手にサークでも織ってなさいよ、馬鹿兄さん!」
「サークを織る?」
イルファの声に、アオクは微かに笑い返して応えた。
「暇潰しをするってことさ」
「鈍感、という意味もある」
ぽつりと言ったアシャに相手はかっと赤くなった。
「…仕方ないだろう!」
吐き捨てて窓に近づき、朝を迎えて澄み渡っていく空を見上げた。
「あいつはダノマの赤い華と言われるほどの器量よし、おまけに街一番の金持ちの娘だ。どう考えても俺ごときに……合う、わけはない」
「合う合わんの問題じゃないだろう、好きか嫌いかだ」
イルファが憮然とした顔で口を挟む。
「単純でいいな、イルファは」
「他に何がある」
ユーノのからかいにイルファは訝しそうに瞬きした。
「惚れ合ってこそ縁を結ぶものだ」
「…惚れ合っているさ、クノーラス様とエキオラも」
低い声でアオクが呟き、おおそれがサークを織るってやつか、と突っ込みかけたイルファをユーノが殴った。
「それより、わけのわからないもの、と言っていたが」
何をする、される方がまずいんだろ、とやりあいかけたユーノ達を制し、アシャは気になるところへ話を戻した。
「あ、ああ」
あれは…。
アオクが戸惑った顔でことばを継ぐ。
「……俺が知っている、どんな生き物とも似ていないものが」
太古生物。
また素早くユーノがアシャを見返す。今度はイルファもじろりと見やってきて口をつぐんだ。
「…どんな生き物だ」
「俺がエキオラを連れて、城を出ようとした時のことだ」
アシャに促されて、アオクは話し始めた。
「こっちだ、エキオラ!」
2人が王子クノーラスの前から逃げだして、どのくらいたったのだろう。
街の中心にあるクノーラスの住まう居城は、本城に比べて小規模でそれほど広くないはずだったし、アオクはダノマの近衛隊長として何度もここを訪れ、勝手は十分知っているはずだった。
だが、今夜に限って、アオクとエキオラは出口になかなか辿り着けない。
「駄目よ、アオク! また壁だわ!」
「畜生っ!」
2人は向きを変えて再び走り出した。
これで何度壁に遮られたことだろう。何もなく通り抜けられると見える通路には実は見えない障壁があって、それが近づくにつれていきなり色を帯びて壁となって出現し、行く先々を遮ってくる。必死に逃げ惑いながら、2人はクノーラスの居城の中で果てのない堂々巡りを続けている。
出口のない迷路を彷徨う不安だけではなかった。
少しでも気を抜けば、2人の足下にブヨブヨした塊がまとわりついてくる。半透明で、5、6歳の子どもほどある球体、青黒い液をたたえ内部が透けて見える気味の悪いものだ。びしゃびしゃと床を濡らしながら這い寄ってくるそれに、一度はエキオラが片足を捕らえられ、泣き叫ぶエキオラをアオクは必死に引き剥がした。
「くそおっ!」
剣を閃かせて、球を断ち切る。
ぐしゃっと中の液体を吐いて潰れるかと思いきや,球は一度割れた体を、細く粘り着く糸で引き寄せるように、ずるずるくっついてすぐに再生し、前と変わらぬ速度で迫ってくる。
「化け物が!」
「アオク!」
抱きつくエキオラを掬い上げ、肩に担いで、アオクは歯ぎしりしながら通路を逃げた。
「ドヌーだ」
「え?」
アシャの声にアオクが固まる。しまったと思ったがもう遅かった。
「ドヌー? あの太古生物のドヌーか?」
確認してくる顔はみるみる色を失っていく。
「…たぶん、間違いないだろう」
「俺も聞いたことがある」
仕方なしに同意したアシャに、イルファが身を乗り出した。
「球の中へ生き物を引き込んで食っちまう奴だろ」
「おまけに、中にある『目』を殺らないと死なない……」
アオクが昔語りを思い出すように呟いた。
「しかし、どうしてドヌーが……」
「一体どうなってるんだ? レガに、クフィラに、今度はドヌー?」
世界はおかしくなっちまってるんじゃないか。
イルファががしがしと頭を掻きながら唸る。
「レガ? クフィラ?」
アオクがぎょっとした顔でイルファを見た。
「そんなものまで?」
「そうだぞ、俺達はなあ」
「先を話してくれ、アオク」
得意気に話そうとするイルファをアシャは遮った。
城の中を走り回るアオク達に、ドヌーは次々と襲いかかってきた。ぶよつく体を信じられない速さで移動させ、床から壁へ、壁からアオクへと飛びかかってくるのだ。
エキオラを抱えたまま、アオクは右に左にそれらを躱し、数体切り捨て走り続けた。前方、再び無情に壁が迫る。すぐ後からドヌーが数を増して追ってくる。
「エキオラ…」
「アオク…」
さすがのアオクもこれが最後と諦めた。
エキオラを降ろして背後に庇い、迫るドヌーに剣を構えながらじりじり後へ下がる。しがみついてくるエキオラを最後まで守ろうと強く壁へ押しのけた、その時、エキオラが妙な声を上げた。
「アオ…っ」
「エキオラ!」
てっきりドヌーに襲われたと思って、振り返ったアオクの目に映ったのは、壁に半身呑まれつつあるエキオラの姿、ぞっとして身を乗り出すアオクの背にドヌーが突き当たり、彼はエキオラの方へのめった。近づく壁、激痛を予期してアオクは思わず目を閉じ…。
「?!」
次の瞬間、信じられないことが起こった。
アオクはエキオラもろとも城の外へ転がり出していたのだ。
呆然とする間もなく、アオクは走り出してくる追手に気づいた。エキオラを急き立てて走り出し、もつれる脚と混乱する頭をひたすら逃げることに集中させた。ようよう自宅近くまで逃げのびて、アシャとユーノの助っ人に九死に一生を得ることになった。
「目に見えない……じゃねえや、目に見えてるけど触れねえ壁とドヌーだらけの城、か」
イルファは唸って腕を組んだ。
「王子もいかがされたか…ご無事であればいいが。だが、何よりあいつらがこの街に溢れて来たら」
ごくり、とアオクは唾を呑み、逃げる途中で奴らが倒れた兵にのしかかり球体の中へ引きずり込むのを見たのだ、と付け加えた。
「……それこそ大惨事になる」
「さしものダノマも一夜にして廃墟、だな」
イルファがあっさりと言い放ち、レスファートが微かに体を震わせた。
アシャは横目でちらりとユーノを見たが、彼女は考え込んだ顔で何も言わない。
「兄さん……」
エキオラに付き添って出ていったラセナが戻ってきた。
「ん?」
「エキオラが兄さんを呼んでるわ」
怖くて1人では居られない、って。
一瞬切ない表情になったアオクは、小さく溜め息をついて席を立った。
「わかった……側に居よう」
そのアオクをじっと見ていたユーノがすっと視線を外へ向ける。
「夜が明けた、ね」
「それほど時間はないな」
ドヌーは夜行性だったよな、とイルファが眉を寄せる。
「一度お休みになって下さいな……みなさんも」
ラセナが言った。重い腰を上げるユーノ達にいたずらっぽい笑みを投げて、
「今日は出られませんわ、兄さん。エキオラが引き止めますから」
「たぶんね」
ユーノが目を細めて微笑む。と、ラセナが薄く頬を染めた。
「お疲れでしょう?」
「いや、それほどでも…」
「お強いんですのね」
ラセナはユーノの黒い目にじっと見入った。
(おい)
待てよ、その応対は。
アシャが呆気にとられていると、ユーノに見つめ返されたラセナは、いきなり我に返ったように身を翻し、ばたばたと足音をたてて部屋を出ていってしまう。
「ほー、あの子、ユーノに気があるのかな」
イルファがまた呑気なことを言った。
「そんなの……困るよ」
「お、いっちょまえに赤くなりやがって照れるな照れるな………まずは一休みしてくるか」
がはは、と笑って、イルファは伸びをしながら部屋を出ていく。
「冗談じゃないよ…」
さすがに困惑した顔で、ユーノは外していた剣帯を掴み、不安げに弄った。戸惑った横顔が久しぶりに年齢相応に見える。苦笑しながらアシャが近寄ると、気づいたユーノが目を上げた。
「まいったね」
「……また首を突っ込む気なのか?」
問いかけると、一瞬ためらい、やがて気まずそうな顔でユーノは頷いた。
「うん、だって」
みんな一所懸命なのに、このままじゃ。
唇を噛む顔に強い決意が見える。
(止めても無駄だな)
アシャは溜め息をついた。
「剣の罠はどうする?」
答えは予期しているが、尋ねてみる。
ぎく、とユーノは体を強張らせた。しばらく考え込む様子だったが、やがて真正面からアシャを見つめて、
「だからと言って、放っとけないだろ。……狙いは私なんじゃない?」
「え?」
「『銀の王族』としての私、じゃないの?」
なぜそれを。
いつそれを。
「ユーノ……」
どこまで、知っている。
立て続けに問い正しそうになった質問をアシャは静かに飲み込む。ふ、とユーノが目を細めて笑った。
「やっぱり……」
「どこで聞いた?」
一番無難で大事な質問をそっと舌に載せた。
『銀の王族』のことばを知っている者は『ラズーン』に近い。そして、それを『ユーノ』に知らせた者は違う意味で『ラズーン』にかなり近い。
敵ならば口を封じておく必要がある。味方ならば。
「どうして?」
問い返されて思わず目を伏せた。
味方でも、時と場合によっては。
先に続くことばを、その酷薄さを、貫ける自分の冷たさをよく知っている。
それをユーノに見せたくなかった。
「…草猫からね」
黙ったアシャにユーノがぽつりと応じた。
「もっとも、意味、はよくわからないけど………アシャ、知ってるの?」
「……」
「いいよ。あなたに嘘はついてもらいたくないから」
苦笑しながらユーノがこちらを見上げていた視線を逸らせる。
その瞬間、お互いの間にあるどうしようもない溝を、どれほど望んでも重ねられるはずもない運命を感じて、アシャは苦しくなった。
(俺は、お前を、得ることができない)
アシャが、アシャ、である限り。
「それより、アシャ」
「…ん?」
何かを振り切ったように、ユーノはもう一度自分を見上げてきた。
「できる限り早く、剣を教えてよ」
「剣を?」
「あなたが類稀な武人でもあることはわかってる。あなたの剣は綺麗で凄まじい」
黒い瞳が強い意志をたたえてアシャを射抜く。
「この先もっと危険が増えるなら、少しでも隙をなくしとかなきゃ足手まといになる……もう、自分が未熟だから誰かが傷つくなんてことは嫌だ」
「もう?」
「あ…」
はっとしたようにユーノは薄く赤くなった。揺らいだ瞳が一瞬閉じられ、すぐに見開かれたその中に激しい想いが感じ取れた。
(誰を、想った?)
ユーノの中の深い場所に誰かが居る。
(そいつのために、お前は)
あれほど傷ついてもなお、剣を鍛えて守ろうとするのか。
レスファートやセアラではない、もっと強くて熱い気持ちを向けられた相手。
不安に揺らいだ自分を、アシャは吐息で落ち着かせた。
「……わかった。なるべく早く教える」
そんなことをして、俺は何をしようというのか。
「そのかわり、厳しいぞ」
守る代わりに自らを危険に晒すようしむけて。
「大丈夫」
にこりと笑ったユーノが、私も少し寝てこよう、と部屋を出ていくのを見送る。
(俺のやろうとしていることは)
結局あんたと同じなのか、ゼラン。
胸の中に渦巻いた感情は嫉妬。
「……抱きしめ、させろ」
アシャは口の中で低く呟いた。
「でないとお前を」
殺しそうになる。
「俺にはさっぱりどうなったのか、わからん」
アシャの問いにアオクは困惑した表情で応えた。
机を囲んだユーノ、イルファ、アシャとアオク、それに少し離れたソファでエキオラとラセナは、お互いに難しい顔を見合わせた。
「とにかく、俺が行った時にはクノーラス様はお目覚めだった。だが、明日の式のことを伺っても『知らぬ』とおっしゃる。エキオラの事を聞いても『知らぬ』の一点張りだ。俺がなおも問いかけると、いきなり乱心なさって剣を抜かれた。そればかりか、エキオラの首をこの場で刎ねるとおっしゃって……」
「それで、とっさに連れて逃げたわけか」
イルファが頷く。
「攫う気はなかった。だが、エキオラを殺させるわけにもいかなかった」
アオクの苦い口調に、わっとエキオラが泣き伏した。
「わ、私がいけないのです! 私が、何か、王子の御機嫌を損ねるようなことをしてしまったのです!」
「おまえのせいではない!」
厳しい声でアオクは咎めた。
「あの時の王子はいつもの王子ではなかった。何かこう、禍々しい影がまとわりつく、物の怪のようだった」
はっとしたように、ユーノがアシャとイルファを見た。頷き返すと、唇を噛んで俯く。
自分が来たから襲われたと考えているに違いなかった。
「さっき追ってきたのは、王子の側近か?」
「いや、見たことのない男達だ。どいつもこいつも妙な冷たさがあって、腕が竦みそうだった」
アオクは首を振った。
「それで、どうする?」
「明日もう一度、王子の所へ行ってみる。原因を確かめて…」
「アオク! そんな、危ないわ! 見たでしょ、わけのわからないものが、うようよしていたのを!!」
エキオラが強ばった顔で叫んだ。よほど怖い思いをしたのだろう、唇を震わせて蒼白な顔になっている。
「だからと言って、幼なじみの夫になる人を放っておくわけにはいかん」
「アオク……」
エキオラが涙に濡れた顔を微かに歪ませた。
「おまえには幸せになってほしい、他の誰よりも、な」
アオクはエキオラから目を逸らせて付け加えた。
「俺の自慢の友人だからな」
すうっとエキオラの頬に血が昇る。
「ア…アオクの馬鹿!」
「エキオラ!」
立ち上がって部屋を走り出していくエキオラのあとを追いかけながら、ラセナがじろりと兄を睨みつけた。
「勝手にサークでも織ってなさいよ、馬鹿兄さん!」
「サークを織る?」
イルファの声に、アオクは微かに笑い返して応えた。
「暇潰しをするってことさ」
「鈍感、という意味もある」
ぽつりと言ったアシャに相手はかっと赤くなった。
「…仕方ないだろう!」
吐き捨てて窓に近づき、朝を迎えて澄み渡っていく空を見上げた。
「あいつはダノマの赤い華と言われるほどの器量よし、おまけに街一番の金持ちの娘だ。どう考えても俺ごときに……合う、わけはない」
「合う合わんの問題じゃないだろう、好きか嫌いかだ」
イルファが憮然とした顔で口を挟む。
「単純でいいな、イルファは」
「他に何がある」
ユーノのからかいにイルファは訝しそうに瞬きした。
「惚れ合ってこそ縁を結ぶものだ」
「…惚れ合っているさ、クノーラス様とエキオラも」
低い声でアオクが呟き、おおそれがサークを織るってやつか、と突っ込みかけたイルファをユーノが殴った。
「それより、わけのわからないもの、と言っていたが」
何をする、される方がまずいんだろ、とやりあいかけたユーノ達を制し、アシャは気になるところへ話を戻した。
「あ、ああ」
あれは…。
アオクが戸惑った顔でことばを継ぐ。
「……俺が知っている、どんな生き物とも似ていないものが」
太古生物。
また素早くユーノがアシャを見返す。今度はイルファもじろりと見やってきて口をつぐんだ。
「…どんな生き物だ」
「俺がエキオラを連れて、城を出ようとした時のことだ」
アシャに促されて、アオクは話し始めた。
「こっちだ、エキオラ!」
2人が王子クノーラスの前から逃げだして、どのくらいたったのだろう。
街の中心にあるクノーラスの住まう居城は、本城に比べて小規模でそれほど広くないはずだったし、アオクはダノマの近衛隊長として何度もここを訪れ、勝手は十分知っているはずだった。
だが、今夜に限って、アオクとエキオラは出口になかなか辿り着けない。
「駄目よ、アオク! また壁だわ!」
「畜生っ!」
2人は向きを変えて再び走り出した。
これで何度壁に遮られたことだろう。何もなく通り抜けられると見える通路には実は見えない障壁があって、それが近づくにつれていきなり色を帯びて壁となって出現し、行く先々を遮ってくる。必死に逃げ惑いながら、2人はクノーラスの居城の中で果てのない堂々巡りを続けている。
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少しでも気を抜けば、2人の足下にブヨブヨした塊がまとわりついてくる。半透明で、5、6歳の子どもほどある球体、青黒い液をたたえ内部が透けて見える気味の悪いものだ。びしゃびしゃと床を濡らしながら這い寄ってくるそれに、一度はエキオラが片足を捕らえられ、泣き叫ぶエキオラをアオクは必死に引き剥がした。
「くそおっ!」
剣を閃かせて、球を断ち切る。
ぐしゃっと中の液体を吐いて潰れるかと思いきや,球は一度割れた体を、細く粘り着く糸で引き寄せるように、ずるずるくっついてすぐに再生し、前と変わらぬ速度で迫ってくる。
「化け物が!」
「アオク!」
抱きつくエキオラを掬い上げ、肩に担いで、アオクは歯ぎしりしながら通路を逃げた。
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「え?」
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「おまけに、中にある『目』を殺らないと死なない……」
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「しかし、どうしてドヌーが……」
「一体どうなってるんだ? レガに、クフィラに、今度はドヌー?」
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「レガ? クフィラ?」
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「?!」
次の瞬間、信じられないことが起こった。
アオクはエキオラもろとも城の外へ転がり出していたのだ。
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「目に見えない……じゃねえや、目に見えてるけど触れねえ壁とドヌーだらけの城、か」
イルファは唸って腕を組んだ。
「王子もいかがされたか…ご無事であればいいが。だが、何よりあいつらがこの街に溢れて来たら」
ごくり、とアオクは唾を呑み、逃げる途中で奴らが倒れた兵にのしかかり球体の中へ引きずり込むのを見たのだ、と付け加えた。
「……それこそ大惨事になる」
「さしものダノマも一夜にして廃墟、だな」
イルファがあっさりと言い放ち、レスファートが微かに体を震わせた。
アシャは横目でちらりとユーノを見たが、彼女は考え込んだ顔で何も言わない。
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「ん?」
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「一度お休みになって下さいな……みなさんも」
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「今日は出られませんわ、兄さん。エキオラが引き止めますから」
「たぶんね」
ユーノが目を細めて微笑む。と、ラセナが薄く頬を染めた。
「お疲れでしょう?」
「いや、それほどでも…」
「お強いんですのね」
ラセナはユーノの黒い目にじっと見入った。
(おい)
待てよ、その応対は。
アシャが呆気にとられていると、ユーノに見つめ返されたラセナは、いきなり我に返ったように身を翻し、ばたばたと足音をたてて部屋を出ていってしまう。
「ほー、あの子、ユーノに気があるのかな」
イルファがまた呑気なことを言った。
「そんなの……困るよ」
「お、いっちょまえに赤くなりやがって照れるな照れるな………まずは一休みしてくるか」
がはは、と笑って、イルファは伸びをしながら部屋を出ていく。
「冗談じゃないよ…」
さすがに困惑した顔で、ユーノは外していた剣帯を掴み、不安げに弄った。戸惑った横顔が久しぶりに年齢相応に見える。苦笑しながらアシャが近寄ると、気づいたユーノが目を上げた。
「まいったね」
「……また首を突っ込む気なのか?」
問いかけると、一瞬ためらい、やがて気まずそうな顔でユーノは頷いた。
「うん、だって」
みんな一所懸命なのに、このままじゃ。
唇を噛む顔に強い決意が見える。
(止めても無駄だな)
アシャは溜め息をついた。
「剣の罠はどうする?」
答えは予期しているが、尋ねてみる。
ぎく、とユーノは体を強張らせた。しばらく考え込む様子だったが、やがて真正面からアシャを見つめて、
「だからと言って、放っとけないだろ。……狙いは私なんじゃない?」
「え?」
「『銀の王族』としての私、じゃないの?」
なぜそれを。
いつそれを。
「ユーノ……」
どこまで、知っている。
立て続けに問い正しそうになった質問をアシャは静かに飲み込む。ふ、とユーノが目を細めて笑った。
「やっぱり……」
「どこで聞いた?」
一番無難で大事な質問をそっと舌に載せた。
『銀の王族』のことばを知っている者は『ラズーン』に近い。そして、それを『ユーノ』に知らせた者は違う意味で『ラズーン』にかなり近い。
敵ならば口を封じておく必要がある。味方ならば。
「どうして?」
問い返されて思わず目を伏せた。
味方でも、時と場合によっては。
先に続くことばを、その酷薄さを、貫ける自分の冷たさをよく知っている。
それをユーノに見せたくなかった。
「…草猫からね」
黙ったアシャにユーノがぽつりと応じた。
「もっとも、意味、はよくわからないけど………アシャ、知ってるの?」
「……」
「いいよ。あなたに嘘はついてもらいたくないから」
苦笑しながらユーノがこちらを見上げていた視線を逸らせる。
その瞬間、お互いの間にあるどうしようもない溝を、どれほど望んでも重ねられるはずもない運命を感じて、アシャは苦しくなった。
(俺は、お前を、得ることができない)
アシャが、アシャ、である限り。
「それより、アシャ」
「…ん?」
何かを振り切ったように、ユーノはもう一度自分を見上げてきた。
「できる限り早く、剣を教えてよ」
「剣を?」
「あなたが類稀な武人でもあることはわかってる。あなたの剣は綺麗で凄まじい」
黒い瞳が強い意志をたたえてアシャを射抜く。
「この先もっと危険が増えるなら、少しでも隙をなくしとかなきゃ足手まといになる……もう、自分が未熟だから誰かが傷つくなんてことは嫌だ」
「もう?」
「あ…」
はっとしたようにユーノは薄く赤くなった。揺らいだ瞳が一瞬閉じられ、すぐに見開かれたその中に激しい想いが感じ取れた。
(誰を、想った?)
ユーノの中の深い場所に誰かが居る。
(そいつのために、お前は)
あれほど傷ついてもなお、剣を鍛えて守ろうとするのか。
レスファートやセアラではない、もっと強くて熱い気持ちを向けられた相手。
不安に揺らいだ自分を、アシャは吐息で落ち着かせた。
「……わかった。なるべく早く教える」
そんなことをして、俺は何をしようというのか。
「そのかわり、厳しいぞ」
守る代わりに自らを危険に晒すようしむけて。
「大丈夫」
にこりと笑ったユーノが、私も少し寝てこよう、と部屋を出ていくのを見送る。
(俺のやろうとしていることは)
結局あんたと同じなのか、ゼラン。
胸の中に渦巻いた感情は嫉妬。
「……抱きしめ、させろ」
アシャは口の中で低く呟いた。
「でないとお前を」
殺しそうになる。
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