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5.光の牢獄
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『炎』は鹿子をすすむのマンションから連れ出した。
鹿子が彼女について行ったのは、自分の失った記憶が戻るということもあったが、何よりも、生きているすすむに会わせる、と言った一言を信じたからだ。
「生きてはいるわ。でも、連れて帰ってもらうわけにはいかないの」
『炎』はそっけなく突き放した。
「あなたも見たでしょう。あれから調べて、この世界を別のものが支配している可能性はほとんどないことがわかったわ。ここにいるものは、とても『記憶』の共有力が強い。今まで物質というもので統一されてきたその『記憶』が、たった数人の発想の傾きで一気に精神へと雪崩込むこともわかった。だからこそ一層、不良なVAKUは野放しにできない………この世界の崩壊は波紋を広げて、もっと大きな崩壊を引き起こすでしょう。それを見過ごすわけにはいかないの。……アンモナイトを見たわよね? わかってもらえると思う」
わからない。
わかりたくもない、と鹿子は思った。
だが、今はすすむに会わせてくれるなら、何を言われてもいい。
そんな気持ちで無言でうなずいた。
『炎』はマンションの近くの通りから細い路地へ入っていった。数メートル歩いて、またより細い路地へ。次はもっと細い路地へ。
「この道……?」
「気がついた? そう、あなたの『記憶』にはない道よね」
先に立っていた『炎』が肩越しに微笑んだ。
道幅は既に人一人が塀に挟まれるようにして歩くことしかできないものになっている。いくらこの街は小道が縦横に走る場所とは言え、自転車さえも通れない道がこれほど長く続くとは思えなかった。
上方にだけ開いた空間に、いつしか煙るような月が浮かんでいる。紫ににじむ空に少しずつ星が光り始めた。
「VAKUを捕獲しておくのに、どうしてもこの世界と直接関わらない場所が必要だったのよ。すぐに処理するならいいけど、VAKUのどこに問題があるのか見つけなくてはならなかったから………もし『治せる』ならそうしたいし。この世界にVAKUなしでいろ、というのは無理な話よね。これほど『記憶』が次々侵されていく世界も珍しい」
『炎』が話すのを聞くともなしに聞きながら、鹿子はアンモナイトの報道を思い出していた。
目の前で体験し、自分が経験したことでさえ、真実だと自信が持てなくなる世界。オカルトや霊、超能力が平然と語られるのに、隣の人間が自分と違うものを見、違うことを考えているということが理解されない世界。何かを証明しようとする人に対しては、すぐに証拠が求められる。それは自分の気持ちに対してさえ、そうだ。
愛している証拠、真剣である証拠、嘘でない証拠……けれど、誰も、その証拠を信じられずに堂々巡りに落ち込んでいる、奇妙なこの世界。
(違うんだ)
鹿子はふいにそう思った。
真実は他から与えられてわかるものじゃない。自分が全ての責任を負っていることに気づいて、初めて本当のことがわかる。自分が傷つくのも怖くて、相手を傷つけるのもこわくて……そんな人間に真実が見えてくるはずがない。
ちょうど鹿子が、すすむが連れ去られてしまうまで、すすむがいる事の意味を考えなかったように。自分が抱えている問題にも気づかずに、ただすすむに答えを求めていたように。
「着いたわ」
『炎』の声に、鹿子は次第に俯き加減になっていた顔を上げた。
正面に不可思議な洋館があった。
人一人しか通る事ができない道がじんわりと広がり、洋館の門に達する辺りでは車一台通れる広さになっている。両側の塀はその道なりにゆったりと外へ曲がっていき、門に直接繋がった所で終わっている。
門を入って一段、二段、三段、石造りの階段を上がると大きな木の扉。複雑な紋様がレリーフされた扉は『炎』が手を軽く触れただけで内へと開いていき、その奥に廊下が一筋、両側に無数のドアを従えて伸びている。
「どうぞ」
促されて、鹿子は建物の中へ踏み込んだ。
廊下は遠くまでまっすぐ伸びている。この辺りの地形からいくと、とっくに駅まで辿り着いてしまいそうな距離で、廊下の端が消えている。
『炎』が背後で扉を閉め、鹿子の脇を抜けて廊下を歩き出した。遅れまいと続く鹿子に微かな笑みを向けたが、すぐに厳しい顔になって前を歩く。幾つかの扉を過ぎ、やがて扉を数えるのも億劫になった頃、
『炎』は唐突に立ち止まり、右の扉を開けながら言った。
「少し、気持ちが決まったようね」
「え?」
「この廊下が長く見えれば見えるほど、歩く者の気持ちが定まっていない。あなたが気持ちを揺らせたままなら、とてもVAKUには会わせられないところだけど……どうやら落ち着いてくれたようだから」
言われて鹿子が目を戻すと、さっきまで無限に伸びているように見えた廊下がすぐ側で突き当たりになっていた。部屋の中へ踏み込んでいく『炎』が静かに言う。
「ここはとても『記憶』の影響を受けやすいの……だから今、VAKUには眠ってもらっている」
『炎』の後ろから部屋に入り、鹿子は予想外に広い部屋にぽつりと立っていた『瞳』を見つけた。自分を抱くように胸の前で腕をからめ、右の方を凝視している。『炎』と鹿子が入って来たのに気づいて、少し姿勢を変える、その『瞳』の左腕がないのに気づいて、鹿子は思わず足を止めた。
「腕……」
「アンモナイトを消さなくてはならなかった。片腕で済んだのは幸運だったんだ」
たじろぐ鹿子に、『瞳』は低く答えた。
「それもこれも、VAKUがまともであれば苦労はしなかったんだが」
きつい目を再び右側へ投げる。
その『瞳』の視線を追って目を剥けた鹿子は、そこにそびえ立つ光の塔を見つけて息を呑んだ。
まるで、そこだけ天井がないようだった。
きらきら光る『炎』の光の輪が、渦を巻くように上へ積み上げられている。その先端は遥かな高みを貫いている。
光の塔の下から三分の一ほどの所に、ふくりと丸く膨らんだ空間があり、その部分は光の輪が何十にも重なっている。
そして、その中に、すすむの体がぽかりと浮いていた。
「すすむ!」
鹿子は我を忘れて駆け寄った。
二度と見ることができないと思っていた顔を、じっと見上げた。
色白の顔はいつもより青ざめてはいるものの、静かで穏やかだ。細身の手足にも傷つけられた様子はない。深くゆったりと呼吸を続ける、その静けさが泣きたいほど嬉しかった。
「ありがとう………すすむを傷つけないでいてくれて……ありがとう」
自分でも思っていなかったような涙声になっていた。『瞳』がちらりと鋭い目を向けたが、鹿子の表情に眉をしかめてぶっきらぼうに応じる。
「死んでないだけだ。だが、このままで返すつもりもない」
「どうしたら……いいの? ………ほんとに、すすむがあなた達の言うVAKUなの?」
鹿子の問いに、『炎』が彼女のすぐ隣に立って、同じようにすすむを見上げながら答えた。
「十中八九、間違いない。小さい頃から、彼は異常に人を集めるタイプじゃなかったかしら。それも、どちらかというと、彼自身の希望とは無関係に」
「そう……ね」
鹿子はすすむの浮気癖を思い出して苦笑した。
「でも、ほとんど女の人だったけど。見かけが目立つ以上に…よくもてたかも。すすむよりハンサムな人も一杯いたけど……何て言うのか……」
鹿子はことばを探した。
「そう……種類が違うっていう感じ……猫にまたたび、って知ってる? あんな感じだった」
「ふうん……じゃあ、ここでは女性の方が『記憶』を溜め込むのが苦手なのかも知れない。悪夢が限界まで溜まってしまうと、生き物はVAKUを訪れて、VAKUと接触することで悪夢を捨てていくのが常だから。でも、それは、前にも言ったけど、彼みたいな不良のVAKUには苦しいことだったはずだわ。捨てられる『記憶』は拒否できないし、VAKUが存在するのはそのためだから、捨てにくる者も拒めない。けれど、彼はその『記憶』を受け取っても処理出来ない………はっきり言って、かなりの苦痛、だったはず」
「そんな…」
鹿子は『炎』に移した視線を、再び光の塔の中のすすむに戻した。
「わからない、まったく、わからない。なぜ、そんな苦痛を選ぶ必要があったのか」
「選ぶ?」
鹿子は『炎』のことばに、慌てて彼女を振り向いた。じっとすすむに目を注いだまま、『炎』がことばを継ぐ。
「そうよ。彼を調べてみてわかったのだけど、彼は六歳ぐらいまでは、ちゃんと正常なVAKUでいたはずよ。保護者や友人にも困らなかったはず、なのに、六歳あたりで急に『記憶』を吸い込むばかりで放出できなくなっている……何かが起きて、彼が『記憶』を放出する事を止めたとしか思えない。…………けれども、それ以上は、どうしても入れなかった………かろうじて、あなたの事が『記憶』に残っていただけ……」
「あたし……?」
鹿子はいきなり自分の名前が出たことに、体を強張らせた。『炎』が光の塔から目を逸らせ、鹿子を凝視する。
「そう、あなた」
『炎』は考え込みながら続けた。
「気になったの。彼はあなたの作った食べ物しか受け付けない、とわかった時。あなたは多分知らないでしょうけど、『記憶』を放出できないVAKUが代用する方法に、『記憶』の放出ができる能力者と常時接触して、受け入れた『記憶』を少しずつ流し、圧力を減らして生き延びる方法があるの。もし、あなたに『記憶』を放出する能力があったら、VAKUが食事という理由づけで接触し続けるのは、もっともなこと……」
「でも……あたし、そんな能力なんて……ないわよ?」
「そうね……そこで、もう一つの仮説。VAKUがあなたに放出口を与えてしまった、ということはあり得るかしら」
「だが、『炎』」
それまで黙って聞いていた『瞳』が、おもむろに口を挟んだ。
「どうして、VAKUがそんなことをするんだ? VAKUにもこの世界にも、何のメリットもないことだ」
「だから、彼女に来てもらったのよ、『瞳』」
『瞳』の反論にも揺るがず、『炎』は頷いた。
「何が起こったのか、VAKUには入れなかったけど、彼女になら入れるかも知れない。だから、あえて、ここまで話したの」
最後のことばは鹿子に向けたものと知れた。
『炎』は目に強い光をたたえて、鹿子を凝視した。
「もし、あなたが協力してくれれば、VAKUが放出口を失ったわけがわかるかも知れない。そうすれば、VAKUを『治す』ことができるだろうし、それがうまくいけば、VAKUを処理しなくても済む……どうかしら」
「わかった」
鹿子はごくりと唾を呑んで、もう一度、光の塔に閉じ込められているすすむを見上げた。
お伽噺では、塔に閉じ込められているのはお姫様の方なのだが、すすむ相手では鹿子が王子役をするしかないらしい。
脳裏についさっき経験した、失った記憶に対する恐怖が過ったが、鹿子は必死にそれを思い出すまいとした。
くるりと『炎』に向き直る。
「で……どうすればいいの?」
「難しくはないわ。『瞳』」
『炎』に促されて、『瞳』がどこからか椅子を一脚持ち出してきた。
鹿子の前にそっと置く。
そのままで、元の、光の塔を監視する位置に戻り、『炎』と鹿子を見つめた。
「座って」
鹿子はゆっくり椅子に腰掛けた。
前に立った『炎』が、覗き込みながら低い声で話しかける。
「目を閉じて……催眠術に似てるけど、わたしもこうして当てた手から、あなたが見ているものや経験していることがわかるわ。もし、苦しくなったり我慢できないような事が起こったら、すぐに声を上げて。止めて、ってね」
「止めて、ね。わかった」
鹿子はしっかり頷いた。額に当てられた『炎』の手を辿って、深く黒い相手の目を見つめ返し、覚悟を決めて目を閉じる。
「いい……ゆっくり呼吸して………ゆっくり……そう……」
『炎』の声が次第次第に遠くなっていく。額に当てられた手がぽわりと温もった。その温かさに溶け込もうとした瞬間、聞き慣れた声が叫んだ。
「だめ、だ!」
(すすむ?!)
ぼんやりと薄明かりの中に消えていきかけた意識が、間髪入れず引き戻される。はっ、と息を吐いて目を開けると、正面の光の塔の中で、目を覚ましたらしいすすむが、絡む光の糸を払うように身もがいていた。
「すすむ!」
「だめ……止めるんだ……鹿子……関係がない……何の関係も…」
うろたえたように光の塔に駆け寄り、『瞳』が塔に手を当てる。どんな力が走ったのか、すすむが体を強張らせて悲鳴を上げ、それでも光の網にしがみつくようにして鹿子を見た。
「馬鹿……! 何を…してる……逃げろ……逃げ……うわああああっ!」
警告は途中から悲鳴になった。弾けるように後ろへ飛ばされ、光の塔の中でもまれるようにすすむの体が舞う。
「止めて! 止めさせて! 『炎』!」
「『瞳』!」
「だめだ。こいつは『記憶』を呼び込もうとしている」
「え…」
どぅん。
部屋全体が大きく揺れた。
鹿子が彼女について行ったのは、自分の失った記憶が戻るということもあったが、何よりも、生きているすすむに会わせる、と言った一言を信じたからだ。
「生きてはいるわ。でも、連れて帰ってもらうわけにはいかないの」
『炎』はそっけなく突き放した。
「あなたも見たでしょう。あれから調べて、この世界を別のものが支配している可能性はほとんどないことがわかったわ。ここにいるものは、とても『記憶』の共有力が強い。今まで物質というもので統一されてきたその『記憶』が、たった数人の発想の傾きで一気に精神へと雪崩込むこともわかった。だからこそ一層、不良なVAKUは野放しにできない………この世界の崩壊は波紋を広げて、もっと大きな崩壊を引き起こすでしょう。それを見過ごすわけにはいかないの。……アンモナイトを見たわよね? わかってもらえると思う」
わからない。
わかりたくもない、と鹿子は思った。
だが、今はすすむに会わせてくれるなら、何を言われてもいい。
そんな気持ちで無言でうなずいた。
『炎』はマンションの近くの通りから細い路地へ入っていった。数メートル歩いて、またより細い路地へ。次はもっと細い路地へ。
「この道……?」
「気がついた? そう、あなたの『記憶』にはない道よね」
先に立っていた『炎』が肩越しに微笑んだ。
道幅は既に人一人が塀に挟まれるようにして歩くことしかできないものになっている。いくらこの街は小道が縦横に走る場所とは言え、自転車さえも通れない道がこれほど長く続くとは思えなかった。
上方にだけ開いた空間に、いつしか煙るような月が浮かんでいる。紫ににじむ空に少しずつ星が光り始めた。
「VAKUを捕獲しておくのに、どうしてもこの世界と直接関わらない場所が必要だったのよ。すぐに処理するならいいけど、VAKUのどこに問題があるのか見つけなくてはならなかったから………もし『治せる』ならそうしたいし。この世界にVAKUなしでいろ、というのは無理な話よね。これほど『記憶』が次々侵されていく世界も珍しい」
『炎』が話すのを聞くともなしに聞きながら、鹿子はアンモナイトの報道を思い出していた。
目の前で体験し、自分が経験したことでさえ、真実だと自信が持てなくなる世界。オカルトや霊、超能力が平然と語られるのに、隣の人間が自分と違うものを見、違うことを考えているということが理解されない世界。何かを証明しようとする人に対しては、すぐに証拠が求められる。それは自分の気持ちに対してさえ、そうだ。
愛している証拠、真剣である証拠、嘘でない証拠……けれど、誰も、その証拠を信じられずに堂々巡りに落ち込んでいる、奇妙なこの世界。
(違うんだ)
鹿子はふいにそう思った。
真実は他から与えられてわかるものじゃない。自分が全ての責任を負っていることに気づいて、初めて本当のことがわかる。自分が傷つくのも怖くて、相手を傷つけるのもこわくて……そんな人間に真実が見えてくるはずがない。
ちょうど鹿子が、すすむが連れ去られてしまうまで、すすむがいる事の意味を考えなかったように。自分が抱えている問題にも気づかずに、ただすすむに答えを求めていたように。
「着いたわ」
『炎』の声に、鹿子は次第に俯き加減になっていた顔を上げた。
正面に不可思議な洋館があった。
人一人しか通る事ができない道がじんわりと広がり、洋館の門に達する辺りでは車一台通れる広さになっている。両側の塀はその道なりにゆったりと外へ曲がっていき、門に直接繋がった所で終わっている。
門を入って一段、二段、三段、石造りの階段を上がると大きな木の扉。複雑な紋様がレリーフされた扉は『炎』が手を軽く触れただけで内へと開いていき、その奥に廊下が一筋、両側に無数のドアを従えて伸びている。
「どうぞ」
促されて、鹿子は建物の中へ踏み込んだ。
廊下は遠くまでまっすぐ伸びている。この辺りの地形からいくと、とっくに駅まで辿り着いてしまいそうな距離で、廊下の端が消えている。
『炎』が背後で扉を閉め、鹿子の脇を抜けて廊下を歩き出した。遅れまいと続く鹿子に微かな笑みを向けたが、すぐに厳しい顔になって前を歩く。幾つかの扉を過ぎ、やがて扉を数えるのも億劫になった頃、
『炎』は唐突に立ち止まり、右の扉を開けながら言った。
「少し、気持ちが決まったようね」
「え?」
「この廊下が長く見えれば見えるほど、歩く者の気持ちが定まっていない。あなたが気持ちを揺らせたままなら、とてもVAKUには会わせられないところだけど……どうやら落ち着いてくれたようだから」
言われて鹿子が目を戻すと、さっきまで無限に伸びているように見えた廊下がすぐ側で突き当たりになっていた。部屋の中へ踏み込んでいく『炎』が静かに言う。
「ここはとても『記憶』の影響を受けやすいの……だから今、VAKUには眠ってもらっている」
『炎』の後ろから部屋に入り、鹿子は予想外に広い部屋にぽつりと立っていた『瞳』を見つけた。自分を抱くように胸の前で腕をからめ、右の方を凝視している。『炎』と鹿子が入って来たのに気づいて、少し姿勢を変える、その『瞳』の左腕がないのに気づいて、鹿子は思わず足を止めた。
「腕……」
「アンモナイトを消さなくてはならなかった。片腕で済んだのは幸運だったんだ」
たじろぐ鹿子に、『瞳』は低く答えた。
「それもこれも、VAKUがまともであれば苦労はしなかったんだが」
きつい目を再び右側へ投げる。
その『瞳』の視線を追って目を剥けた鹿子は、そこにそびえ立つ光の塔を見つけて息を呑んだ。
まるで、そこだけ天井がないようだった。
きらきら光る『炎』の光の輪が、渦を巻くように上へ積み上げられている。その先端は遥かな高みを貫いている。
光の塔の下から三分の一ほどの所に、ふくりと丸く膨らんだ空間があり、その部分は光の輪が何十にも重なっている。
そして、その中に、すすむの体がぽかりと浮いていた。
「すすむ!」
鹿子は我を忘れて駆け寄った。
二度と見ることができないと思っていた顔を、じっと見上げた。
色白の顔はいつもより青ざめてはいるものの、静かで穏やかだ。細身の手足にも傷つけられた様子はない。深くゆったりと呼吸を続ける、その静けさが泣きたいほど嬉しかった。
「ありがとう………すすむを傷つけないでいてくれて……ありがとう」
自分でも思っていなかったような涙声になっていた。『瞳』がちらりと鋭い目を向けたが、鹿子の表情に眉をしかめてぶっきらぼうに応じる。
「死んでないだけだ。だが、このままで返すつもりもない」
「どうしたら……いいの? ………ほんとに、すすむがあなた達の言うVAKUなの?」
鹿子の問いに、『炎』が彼女のすぐ隣に立って、同じようにすすむを見上げながら答えた。
「十中八九、間違いない。小さい頃から、彼は異常に人を集めるタイプじゃなかったかしら。それも、どちらかというと、彼自身の希望とは無関係に」
「そう……ね」
鹿子はすすむの浮気癖を思い出して苦笑した。
「でも、ほとんど女の人だったけど。見かけが目立つ以上に…よくもてたかも。すすむよりハンサムな人も一杯いたけど……何て言うのか……」
鹿子はことばを探した。
「そう……種類が違うっていう感じ……猫にまたたび、って知ってる? あんな感じだった」
「ふうん……じゃあ、ここでは女性の方が『記憶』を溜め込むのが苦手なのかも知れない。悪夢が限界まで溜まってしまうと、生き物はVAKUを訪れて、VAKUと接触することで悪夢を捨てていくのが常だから。でも、それは、前にも言ったけど、彼みたいな不良のVAKUには苦しいことだったはずだわ。捨てられる『記憶』は拒否できないし、VAKUが存在するのはそのためだから、捨てにくる者も拒めない。けれど、彼はその『記憶』を受け取っても処理出来ない………はっきり言って、かなりの苦痛、だったはず」
「そんな…」
鹿子は『炎』に移した視線を、再び光の塔の中のすすむに戻した。
「わからない、まったく、わからない。なぜ、そんな苦痛を選ぶ必要があったのか」
「選ぶ?」
鹿子は『炎』のことばに、慌てて彼女を振り向いた。じっとすすむに目を注いだまま、『炎』がことばを継ぐ。
「そうよ。彼を調べてみてわかったのだけど、彼は六歳ぐらいまでは、ちゃんと正常なVAKUでいたはずよ。保護者や友人にも困らなかったはず、なのに、六歳あたりで急に『記憶』を吸い込むばかりで放出できなくなっている……何かが起きて、彼が『記憶』を放出する事を止めたとしか思えない。…………けれども、それ以上は、どうしても入れなかった………かろうじて、あなたの事が『記憶』に残っていただけ……」
「あたし……?」
鹿子はいきなり自分の名前が出たことに、体を強張らせた。『炎』が光の塔から目を逸らせ、鹿子を凝視する。
「そう、あなた」
『炎』は考え込みながら続けた。
「気になったの。彼はあなたの作った食べ物しか受け付けない、とわかった時。あなたは多分知らないでしょうけど、『記憶』を放出できないVAKUが代用する方法に、『記憶』の放出ができる能力者と常時接触して、受け入れた『記憶』を少しずつ流し、圧力を減らして生き延びる方法があるの。もし、あなたに『記憶』を放出する能力があったら、VAKUが食事という理由づけで接触し続けるのは、もっともなこと……」
「でも……あたし、そんな能力なんて……ないわよ?」
「そうね……そこで、もう一つの仮説。VAKUがあなたに放出口を与えてしまった、ということはあり得るかしら」
「だが、『炎』」
それまで黙って聞いていた『瞳』が、おもむろに口を挟んだ。
「どうして、VAKUがそんなことをするんだ? VAKUにもこの世界にも、何のメリットもないことだ」
「だから、彼女に来てもらったのよ、『瞳』」
『瞳』の反論にも揺るがず、『炎』は頷いた。
「何が起こったのか、VAKUには入れなかったけど、彼女になら入れるかも知れない。だから、あえて、ここまで話したの」
最後のことばは鹿子に向けたものと知れた。
『炎』は目に強い光をたたえて、鹿子を凝視した。
「もし、あなたが協力してくれれば、VAKUが放出口を失ったわけがわかるかも知れない。そうすれば、VAKUを『治す』ことができるだろうし、それがうまくいけば、VAKUを処理しなくても済む……どうかしら」
「わかった」
鹿子はごくりと唾を呑んで、もう一度、光の塔に閉じ込められているすすむを見上げた。
お伽噺では、塔に閉じ込められているのはお姫様の方なのだが、すすむ相手では鹿子が王子役をするしかないらしい。
脳裏についさっき経験した、失った記憶に対する恐怖が過ったが、鹿子は必死にそれを思い出すまいとした。
くるりと『炎』に向き直る。
「で……どうすればいいの?」
「難しくはないわ。『瞳』」
『炎』に促されて、『瞳』がどこからか椅子を一脚持ち出してきた。
鹿子の前にそっと置く。
そのままで、元の、光の塔を監視する位置に戻り、『炎』と鹿子を見つめた。
「座って」
鹿子はゆっくり椅子に腰掛けた。
前に立った『炎』が、覗き込みながら低い声で話しかける。
「目を閉じて……催眠術に似てるけど、わたしもこうして当てた手から、あなたが見ているものや経験していることがわかるわ。もし、苦しくなったり我慢できないような事が起こったら、すぐに声を上げて。止めて、ってね」
「止めて、ね。わかった」
鹿子はしっかり頷いた。額に当てられた『炎』の手を辿って、深く黒い相手の目を見つめ返し、覚悟を決めて目を閉じる。
「いい……ゆっくり呼吸して………ゆっくり……そう……」
『炎』の声が次第次第に遠くなっていく。額に当てられた手がぽわりと温もった。その温かさに溶け込もうとした瞬間、聞き慣れた声が叫んだ。
「だめ、だ!」
(すすむ?!)
ぼんやりと薄明かりの中に消えていきかけた意識が、間髪入れず引き戻される。はっ、と息を吐いて目を開けると、正面の光の塔の中で、目を覚ましたらしいすすむが、絡む光の糸を払うように身もがいていた。
「すすむ!」
「だめ……止めるんだ……鹿子……関係がない……何の関係も…」
うろたえたように光の塔に駆け寄り、『瞳』が塔に手を当てる。どんな力が走ったのか、すすむが体を強張らせて悲鳴を上げ、それでも光の網にしがみつくようにして鹿子を見た。
「馬鹿……! 何を…してる……逃げろ……逃げ……うわああああっ!」
警告は途中から悲鳴になった。弾けるように後ろへ飛ばされ、光の塔の中でもまれるようにすすむの体が舞う。
「止めて! 止めさせて! 『炎』!」
「『瞳』!」
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