『よいこのすすめ』

segakiyui

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「え?」
 正志は瞬きしてそろそろとコーヒーカップを置いた。
 小春日和の2月半ば、もう少し温かくなったらお花見とか楽しいよね、そう言った矢先のことだった。
「あの……もし、今の聞き違いでなかったら」
「うん」
 涼子は辛そうに頷いた。
「ごめん」
「………やっぱり、聞き違いじゃ、ない?」
「うん、ごめん。ほんと、ごめん」
 涼子はきゅっと唇を引き締めてぺこりと頭を下げた。
「すみません、婚約、破棄して下さい」
「り、理由は?」
「え?」
「……理由」
 自分の口から婚約破棄ということばを言いたくなくて、正志はもそもそ繰り返す。
「……あの」
 涼子が言いづらそうにちろんと目を上げる。
「うん」
「……ここじゃ」
「ここじゃ?」
「………」
 こくんと頷かれて、何となくあたりを見回せば、昼下がりにほころびたような穏やかな日ざし満ちた喫茶店、隣の席には似たようなカップル、それにパフェをぱくつく親子連れ。
 何とか休みを取った日曜日の、平凡で当たり前で、幸せな空間。
「ここはだめなの?」
「だって………」
 涼子はきゅ、と唇を結んで、そろそろと身を乗り出した。正志もテーブルに手をついて、そろそろと顔を寄せていって。
 あわやキスしそうな、そんな距離。
 あ、いい匂い。
 涼子のつけているコロンがふわりと漂って、正志が何だかちょっとうっとりしたとたん、
「へたなんだもん」
「………は?」
 瞬きして相手を凝視した。
「だから」
「……うん」
「へ、た」
 涼子は目を細めて唇を尖らせて繰り返す。
「……それってもしかして」
「そ」
 つやつやしたピンクの唇で、そっと。
 ベッドがへただから、この先やってられないの。
 耳元で囁かれて一気に血の気が引いた。
 かくして、高岳正志は高校時代から5年付き合った末にようやく手にした婚約者を失った。 
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