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正志は夢を見ていた。
涼子を待たせている夢だ。
高校から福祉系の短大へ進むと先に決めたのは涼子で、それは小さい頃家出してしまったという父親がいなかった生活がしんどかったから、と正志に教えてくれた。
何かの拍子にふと父親の話題って出るじゃない? そうしたら、みんな一瞬こっちを見るのね。クラスメートだけじゃなくて、先生も一瞬私を見るのね。あ、しまった、って顔に書いてあるの。
別にいいのよ、もうずっと昔にいなくなったんだし、はっきり言って顔も覚えてないし。
けど、みんなの顔が違うって言うのね。父親がいないって大変なことなんだって言うのね。
大変なんだろう、きついんだろう、いろいろあったんだろう、って言うのね。それで、その底にタールみたいに澱んでるの、一体何があったんだろう、って好奇心。
それがずっと嫌だった。そういう目で見られちゃう子どものしんどさを一番わかってるから、そういう子どもの力になりたいの。
それからはにかむように俯いて、続けた。
高校の時、やっぱりそういうことがあって。けれど、覚えてる。あの時、正志だけが振り向かなかった。他のみんながちらちら視界の端で伺ってるのがみえみえだったのに、正志だけはふーん、って感じで。なんか、そんなのあたりまえーって感じで。凄くほっとした。ほっとして好きになった、んだと思う。
薄紅に染まった涼子の頬。
だって、僕だって父親いないしなあ。そういう家が他にもあるんだ、と思っただけだし。
うん、そこが自然で。
付き合って下さいと言ったのは正志だったけど、キスをしてくれたのは涼子からだった。いろんなことを話しながら、医学系に進みたいと思ってるけど、先立つものが何にもないし、医者はお金がかかるからなあと苦笑した正志に、看護師もいいんじゃないかとアドバイスしてくれたのも。
高校を出て、大学はもう修羅場で、そこにアルバイトを重ねて、とにかく毎日時間がなくて。
やっと空いた時間も実習まとめだのゼミレポだので消える。その中をすり抜けるようにデートして、そういえばいつも待たせていた。
ごめんっ、と息を切らせて駆け寄れば、もう、と軽く膨れてみせる。けれど、お気に入りのケーキとか正志手製のパスタ料理とか御馳走すれば機嫌は直った。
それとも直ってなんかいなかったのか。
本当は心の底でずっとずっと少しずつ、正志はあてにならないと信用を無くしていたのか。
大学を卒業した年に婚約して、正志の就職が決まったら本格的に結婚を進めよう。そう約束していたけれど、正志の就職はうまくいかなくて、涼子は福祉系から企業OLになって、会う時間が少しずつ減った。
それでも正志の頑張りはわかってくれてると思っていた。たまに会うときに、正志といるとほっとする、そう微笑まれて、それで安心してしまっていた。
このままずっと一緒だと。
夢の中で涼子は手首の時計を見ながら、じっと待ち合わせ場所に立っている。
ごめんっ、涼子。
いつも待たせてばっかでごめん。
けど、すぐに行くから。今すぐ行くから。
携帯に叫びながら正志は道を走り続ける。道は入り組んで、人は多くて、目の前に見えている涼子になかなか辿りつけない。
OLになってから綺麗になった。化粧も服装も華やかになり、正志の知らない話題を持ち出すようになった。会うたびに嬉しくて、離れるときに不安だった。
そうだ、僕は不安だった。
涼子の耳に見たことのないイヤリングがあって、可愛いねと褒めたとたんに曇った顔が。柔らかな色のスカーフがよく似合うと笑ったとたんに、気まずそうに逸らせた瞳が。
涼子、遅れてごめんっ。
呼び掛けた相手が夢の中で嬉しそうに顔を上げる。ほっとして手を振りながら駆け寄る正志の側を、涼子がするりとすり抜けていく。呆然として振り返れば、スーツ姿の男に寄り添う後ろ姿があって。
ほっとしてるだけじゃ、だめだったんだ。
夢の中で立ちすくみながら、正志はそう思った。
涼子を待たせている夢だ。
高校から福祉系の短大へ進むと先に決めたのは涼子で、それは小さい頃家出してしまったという父親がいなかった生活がしんどかったから、と正志に教えてくれた。
何かの拍子にふと父親の話題って出るじゃない? そうしたら、みんな一瞬こっちを見るのね。クラスメートだけじゃなくて、先生も一瞬私を見るのね。あ、しまった、って顔に書いてあるの。
別にいいのよ、もうずっと昔にいなくなったんだし、はっきり言って顔も覚えてないし。
けど、みんなの顔が違うって言うのね。父親がいないって大変なことなんだって言うのね。
大変なんだろう、きついんだろう、いろいろあったんだろう、って言うのね。それで、その底にタールみたいに澱んでるの、一体何があったんだろう、って好奇心。
それがずっと嫌だった。そういう目で見られちゃう子どものしんどさを一番わかってるから、そういう子どもの力になりたいの。
それからはにかむように俯いて、続けた。
高校の時、やっぱりそういうことがあって。けれど、覚えてる。あの時、正志だけが振り向かなかった。他のみんながちらちら視界の端で伺ってるのがみえみえだったのに、正志だけはふーん、って感じで。なんか、そんなのあたりまえーって感じで。凄くほっとした。ほっとして好きになった、んだと思う。
薄紅に染まった涼子の頬。
だって、僕だって父親いないしなあ。そういう家が他にもあるんだ、と思っただけだし。
うん、そこが自然で。
付き合って下さいと言ったのは正志だったけど、キスをしてくれたのは涼子からだった。いろんなことを話しながら、医学系に進みたいと思ってるけど、先立つものが何にもないし、医者はお金がかかるからなあと苦笑した正志に、看護師もいいんじゃないかとアドバイスしてくれたのも。
高校を出て、大学はもう修羅場で、そこにアルバイトを重ねて、とにかく毎日時間がなくて。
やっと空いた時間も実習まとめだのゼミレポだので消える。その中をすり抜けるようにデートして、そういえばいつも待たせていた。
ごめんっ、と息を切らせて駆け寄れば、もう、と軽く膨れてみせる。けれど、お気に入りのケーキとか正志手製のパスタ料理とか御馳走すれば機嫌は直った。
それとも直ってなんかいなかったのか。
本当は心の底でずっとずっと少しずつ、正志はあてにならないと信用を無くしていたのか。
大学を卒業した年に婚約して、正志の就職が決まったら本格的に結婚を進めよう。そう約束していたけれど、正志の就職はうまくいかなくて、涼子は福祉系から企業OLになって、会う時間が少しずつ減った。
それでも正志の頑張りはわかってくれてると思っていた。たまに会うときに、正志といるとほっとする、そう微笑まれて、それで安心してしまっていた。
このままずっと一緒だと。
夢の中で涼子は手首の時計を見ながら、じっと待ち合わせ場所に立っている。
ごめんっ、涼子。
いつも待たせてばっかでごめん。
けど、すぐに行くから。今すぐ行くから。
携帯に叫びながら正志は道を走り続ける。道は入り組んで、人は多くて、目の前に見えている涼子になかなか辿りつけない。
OLになってから綺麗になった。化粧も服装も華やかになり、正志の知らない話題を持ち出すようになった。会うたびに嬉しくて、離れるときに不安だった。
そうだ、僕は不安だった。
涼子の耳に見たことのないイヤリングがあって、可愛いねと褒めたとたんに曇った顔が。柔らかな色のスカーフがよく似合うと笑ったとたんに、気まずそうに逸らせた瞳が。
涼子、遅れてごめんっ。
呼び掛けた相手が夢の中で嬉しそうに顔を上げる。ほっとして手を振りながら駆け寄る正志の側を、涼子がするりとすり抜けていく。呆然として振り返れば、スーツ姿の男に寄り添う後ろ姿があって。
ほっとしてるだけじゃ、だめだったんだ。
夢の中で立ちすくみながら、正志はそう思った。
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