『ラズーン』第五部

segakiyui

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5.宿敵(5)

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(始めは男だとばかり思っていた)
 野戦部隊(シーガリオン)の待つラズーンの東の端、アギャン公分領地の辺境に、平原竜(タロ)を疾らせながら、ユカルは考えている。
(あまりにも細っこかったんで、こんな奴に剣など操れるわけがない、そう思ってた)
 少年にしても骨細な躯をした相手は、大人の男でも相手をするのに怯むほど激しい剣を操り、争いが起これば真っ先に飛び込む大胆さがあった。そればかりではない、敵に対しては髪の毛ほどの隙も見せずに狙い屠る冷静さをも兼ね備え、まもなく名だたる野戦部隊(シーガリオン)の勇士達に『星の剣士』(ニスフェル)の名と額帯(ネクト)を贈られるに至った。
 いつしか、その剣の腕に惚れ、気性の激しさに魅かれ、男だと信じてもなお揺らぐ己の気持ちに惑い怯み身動き取れなくなり………そうこうしているうちに、ユーノはユカルの手の届かぬ所へ行ってしまった。
(女だとわかった時は、ラズーンの神々全てに感謝した)
 あの強い光の黒い瞳も、細くてしなやかな腕も、いずれはこの手に抱けるものと甘い夢を描いていた。
 だが、あの金の王子、アシャ・ラズーンが、その夢をあっさりと打ち砕いた。
(噂には聞いていた、姫と呼ばれても通る美貌の王子、けれど、おそらくは、他のどんな剣士よりも凄まじい遣い手、軍師としての冴えも類稀な才能を持ちながら、人と関わりたがらぬ、人と交わらぬ、凍てついた魂の持ち主……)
 だが、その名高い『氷のアシャ』は、ユーノ一人のことで我を失うほど取り乱し、自らユーノ救出に赴こうとする。我が身を傷つけ失うことさえ恐れぬほどの激しさで。
(あれだけの想いを秘めて、あれほど優しく『星の剣士』(ニスフェル)を抱く)
 脳裏に、つい先日、モス兵士を相手にして疲れ切って気を失ったユーノを、そうっと壊れ物でも扱うように抱きかかえたアシャの姿が甦る。
 アシャが疲れていないはずはなかった。いくら第一正当後継者だと言われ、人間を越えていると揶揄されるような能力の持ち主とはいえ、あれほどのモス兵士を収容し切る宙道(シノイ)を開き、それを再び封じるなどという、桁外れの力を揮うのは容易ではないはずだ。
 だが、それでもアシャは、ミダス公公邸にユーノを運び入れ、手当をし終えるまで、ただの一瞬たりともユーノを自分の側から離そうとはしなかった。
 ユカルは知っている。馬を走らせ、公邸に戻るアシャの額に浮かんでいた、時がたつにつれ、次々とこめかみから頬へ流れ落ちていた汗を。それを拭おうともしないアシャが、ユーノの濡れた髪の毛をどれほどそっと掻きあげてやったかを。どれほど不安げな心配そうな目の色でユーノを見つめ続けていたのかを。
(俺ならきっと)
 耐えられないだろう。
(力の限り抱き締めて、唇を奪う)
 失わなかった安堵と湧き上がる愛しさ故に。この腕に眠っているという自信と誇り故に。
(なのに)
 アシャの瞳に燃えていた熱情がまやかしとは思えない。ユカルのものに劣るとも思えない。
 なのに、アシャはただただユーノを護るのに徹していた。自分の物だと凱歌をあげることもなく、取り戻せた喜びを表すのは、静かに抱き包む腕だけで。
(なぜ押さえ込む? お前の腕に『星の剣士』(ニスフェル)は居たのに)
 そして、今でなければ、すぐさま飛び立っていってしまうだろうに。
(どうして奪わない?)
 愛しくば奪え。
 それが野戦部隊(シーガリオン)のやり方だ。
 明日をも知らぬ争乱のただ中に身を沈め、野を駆り、岩を枕にし、天幕(カサン)を張るのも稀な野の兵士には、恋しい相手の心を揺さぶり手管を尽くして射止めている暇などない。戦の合間、刹那に煽られ、娘の全てを己のものにしようとする。
(腕の中に居ても安心などできないじゃないか。相手は『星の剣士』(ニスフェル)だぞ)
 気を許された一瞬に奪わなければ、次の瞬間には手酷い一撃を喰らうかも知れない。
(それとも……もう……?)
 語らなかっただけで、ユーノの躯はもうアシャの温もりを知ってしまっているのだろうか。
「ちっ…」
 ずきりと腹の辺りに鈍く突き上げる疼きに舌打ちした、と。
「ユカル」
「は、はいっ、隊長っ」
「アシャのことを考えているのか」
 唐突に声をかけられ心を見抜かれて、ユカルは目を見開いた。思わず振り向いて見たシートスが、ふ、と唇の端で笑う。
「……それとも、『星の剣士』(ニスフェル)のことか」
「お、俺は…っ」
 思わず熱くなる顔にユカルはどもった。
「いや、あの、俺はただ、アシャ・ラズーン、とは、どういう人なのかと」
「恋敵としてか?」
「…」
 答えられなくなったユカルに、シートスは軽く笑ってことばを継いだ。
「まあいい」
 アシャ、とはな。
「炎のような男だ」
 視線をユカルからまっすぐ前方へ向けて続けた。
「『黒の流れ』(デーヤ)を炎に変えたような、な」
「しかし、『氷のアシャ』と呼ばれています」
 ユカルは食い下がる。
「誰にも何にも動じない、『狩人の山』(オムニド)の雪のように溶けぬ心の持ち主だと」
「確かにな」
 くく、とシートスは喉の奥で笑った。
「それは、今まであの方にそこまで打ち込ませる相手がいなかっただけのことだ」
 燃える『黒の流れ』(デーヤ)を止めることなど、誰もできないのと同じように。
 シートスは少し目を細めた。
「流れ込む先を定めた情熱は、止める術を知らない」
 そのシートスの脳裏にも、一つの光景が浮かんでいる。

(アシャが『星の剣士』(ニスフェル)の傷をレアナに見せただと?)
 話を耳にしてシートスは正直驚いた。
 『星の剣士』(ニスフェル)が苦しい旅をしてきたのは察している。全身に及ぶ傷に耐え続け、しかもそれをもっとも近しい身内にさえ隠し通して生きてきたことも。
 そうせざるを得なかったのだろう。出逢った時に既に、ギヌアを前に一歩も退かぬ気配だった。その姿は語っていた、誰も助けてはくれないのだ、と。
 『星の剣士』(ニスフェル)の傷は深く重い。人の介入を一切拒む昏さがある。
 そして、アシャは、いやアシャこそ、その重さ昏さを一番理解していたはずだった。誰かに支えてもらうわけにもいかない、孤独と深く繋がった傷みに、無遠慮に踏み込まれることがどれほど苦痛であるのかも。
(なぜ……いや)
 だからこそか、と思った。
 分るからこそ、放っておけないのか。
 というより。
(そこまで踏み込んでしまう気なのか?)
 あのアシャ・ラズーンが?
「く…」
 事態の深刻さにも関わらず、思わず苦笑してしまったのは、それが何かを薄々悟ったからだ。
(あの、アシャが、なあ)
 艶やかな美貌を容赦なく刃に晒すのは、己の命にも他人の命にも興味がないからだ。鮮やかな剣技を追い詰められても出さないのは、それだけの労苦を差し出す価値を相手に認めないからだ。ましてや、限界まで酷使すれば、すぐさま世界を支配出来る能力を、不可能と言われる作戦にしか使わないのは、運命に絶望しているからだ。
 こんな世界など生きるに価しない。
 アシャはきっとずっと昔に、そう結論していたに違いない。
 なのに、踏み込んだ、どう考えても己に不利にしかならない役割に。
「ずいぶんと思い切ったことをされましたな」
 アシャがこちらを振り向く、その瞳の光ときたら。
「もっとも…」
 くすり、と笑う声が、聞いたことのない甘さに蕩けている。
「ユーノが目を覚まして、それを知ったら大騒ぎだがな」
「『相手』はしたくありませんな」
 大騒ぎ、などでは済まないだろう。早合点されれば、アシャは一生恨まれ憎まれることになる。
「あれだけの気性、平原竜(タロ)を怒らせた方がまだましだ」
 肩を竦めて見せたのは冗談ではない。怒らせれば一都をも灰燼にするという平原竜(タロ)だが、それでも、その中には怒りしかない。
 だが、『星の剣士』(ニスフェル)を追い詰めた先には、あの少女に詰られる覚悟が要る。あの少女の気持ちを踏みにじる決意が要る。それらを抱える己の愚かさが身にしみるだろう。
「無茶を言う」
 溜め息まじりにアシャがぼやく。
「その『相手』をする俺の身になってみろ」
「だから、思い切ったことをなさった、と言ったんです」
「それでも」
 ふ、と沈んだ目になったアシャは、その後を続けず盃を空けて席を立った。作り付けの棚に酒の瓶を探し、手を伸ばす。
「それでも?」
「…」
 促しに、己の盃にゆっくりと酒を注いで満たす。そのまま振り返らず、
「…忘れてくれ」
 声は一転、怯えたような震えを帯びていた。瓶を掴んだ指が白く見えるほど力を込めている。手にした酒瓶を掌で割り砕くか、そんな強さが、不意にアシャの肩から抜けた。
「………」
 のろのろと振り返る。
 まるで最愛の相手に身も世もない罵声を浴びせられたような顔。細めた瞳が光をたたえている、今にも零れ落ちそうにさえ見える、妖しい媚。
 このアシャに望まれて、何人が堪えきれるのか。
 が、次の一瞬、それを隠すように、に、と笑ってアシャは続けた。
「それでなくても、ユーノに平手打ちを喰らうのが怖いんだ」

「でも」
 ユカルの声にシートスは我に返る。
「それだけの想いなら、押さえ込めるはずがない。押さえ込めるぐらいなら…っ」
「そうたいしたものではない、と?」
 唇を尖らせながらユカルが訴えるのに、思わず顔を引き締める。
「それでは『命がけの恋』はできんな、ユカル」
「え?」
 ユカルの顔は惚けた。
「モスかグルセトと戦っている最中に、お前は剣を捨てて『星の剣士』(ニスフェル)を我が身で庇えるか?」
「剣を、捨てて?」
 問われた意味がよくわからなかったのだろう、ユカルはくるくると視線をさまよわせている。やがて、不審そうに眉を寄せながら確認する。
「戦っている、最中でしょう…?」
 剣を捨ててはユーノも守れなくなる。いずれは二人が屠られてしまう。それぐらいなら。
 ユカルの表情は雄弁に心の内を語っている。
 考えもしていないのだ、ユーノ一人が生き残る状態を。自分が居て、ユーノを護り切って、そして二人で生き延びる、そんな結末ばかり見ている。
 それはつまり、どちらか一人が生き残るしかない状況が見えていないということだ。
 アシャはそんな『夢』を見ていない。
『お前が、生き残れるように』
 振り向かない背中が語っている。
『俺は全ての手を尽くす』
 あれほどの男が、ユーノ一人を無事に未来へ送り届けることしか考えていない。
「己の命を代償に、相手が生きてくれることだけを望む恋はできんと言っているのだ」
 シートスは厳しい顔で続けた。
「押さえ込んで苦しいのは『星の剣士』(ニスフェル)じゃない、お前だろう?」
「……」
 あからさまに唇を曲げて顔を背けたユカルの横顔を眺める。
「……ってる」
 小さな呟きが漏れた。
 わかっている、そうだ、ユカルにもきっと感じている、自分とアシャの決定的な違いを。
 あのラーシェラの時、そして、モスとの闘いの時。
 記憶を失い、遠く離れても、ユーノは繰り返し繰り返しアシャに魅かれ、アシャを想っている。
「激情をぶつけて揺らぐような娘でないことは、わかっているはずだ。『星の剣士』(ニスフェル)は他のどんな娘よりも孤高の運命を背負っている。激情だけでは支え抜けん」
「…わかって…ます、隊長」
 ぐ、と強く歯を食いしばった声で答えて、ユカルは高く頭を反らせる、まるで上空に力の源があって、そこに辿り着けばアシャに勝てるとでも考えているように。
(あなたに詰られそうだな、アシャ)
 ひょっとすると、火に油を注いでしまったかも知れない。
(だが、気づいておられるか)
 シートスもまた、前方に視線を戻しながら心の中で呼びかける。
(あなたは燃え盛る『黒の流れ』(デーヤ)だ。いくら曲がりくねり、地表から姿を消し、地の底深くに沈もうとも、一旦注ぎ込む先を見つけた流れは、いつか必ず海へと注ぎ込んでいくものだ……それも、恐ろしいほどの奔流となって)
 せき止める岩を砕き、滞らせる淵から溢れ、どれほど細い流れに分断されようとも、やがて一つの強く激しい流れになって、新たな道を穿っていく。
(あなたもまだ、知らぬのだろう)
 恋は、人の殻を砕くものだ。
 シートスはいつか、見たこともないアシャに出逢うのかも知れない。
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