『ラズーン』第五部

segakiyui

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7.泥土(4)

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 ユーノが真っ青になった。
「…」
 答えを待ちつつ、アシャは座り込みたくなる気持ちを堪える。
(聞いてしまった)
 アシャの気持ちは伝えていない。『泉の狩人』(オーミノ)との約束は破っていない。しかもユーノの気持ちがわかり、ひょっとすると、ユーノが恋う誰かの名前さえわかるかも知れない千載一遇の機会。
 さすが軍師、さすが策士。
 汚い遣り口に反吐が出る。
 セールが哄笑しているのが聴こえる気がする。自分の格の低さが身に沁みる。
 瞬き一つせずに自分を見上げている真っ黒な瞳は、大きく見開かれて揺れている。あんな大怪我をさせておいて、しかも今この醜態、確かにユーノに名前を覚えられるような存在ではないと証明してしまった気がする。
「私にとって、アシャは」
 それでもユーノは必死に口を開いた。
「アシャは」
 誠意が痛い。
 どうする、どうする、と心が揺れ動いている。
 自分はどんな顔をしているのだろう。
 どんな醜い表情を浮かべているのだろう。
 それほどユーノの瞳は頼りなげに見えた。
「……アシャは」
 のろのろと俯き、苦しそうに唇を噛む。
(何をしている)
「………アシャ、は」
(俺は、何を)
 それでも正義の味方面する自分の煩悶が伝わったように、ユーノは小さく口を開いた。
「どういう意味、って、どういうことさ」
 ふいに両手でその体を支えてやらねば崩れ落ちる、そんな気がした。
「私じゃ、主には物足りない、そういうこと?」
 乾いた唇が淡々とことばを紡ぐ。やがてゆっくりと顔が上げられた。
「そんなこと、わかってるさ」
 真っ白な顔に、真っ黒な瞳。光を失って、絶望に染め上げられて。白い唇が動く。
「あなたはラズーンの第一正統後継者だ。私は辺境の小国セレドの第二皇女、あなたにとっては格下も格下、明日滅んだところで気づきもしない国の、継承権さえない皇女だ」
 弾劾するような口調。
「あなたのことを知りもせず、勝手に付き人に追いやった。それを恨む気持ちも責める気持ちもわかるよ」
(違う)
「待て、俺は」
 堪え切れず、思わず口を挟む。が、ユーノは止まらない。
「ラズーンさえ揺れ動くこの時代に、セレドのために力を貸してくれとか、私、と、居て欲しいとか、そんなの、我が儘だってわかってる」
(違う)
「聞け、ユーノ、俺は」
 何とか誤解を解かねばならないと焦る。足りないのはお前じゃない、足りないのは、俺だ、そういじけてしまったこの心を。
「けれど他に方法がないんだ。あなたが不愉快なのはわかってる。この旅が終わったら、私に厳罰を与えてくれて構わない。けど、私のためでなくていい、何ならレスのために……いや、レアナ姉さまの、ために…」
(違う)
「ユーノ…」
 ふいにアシャは気づく。
 この突き放した口調、容赦ない内容、それらは全部見せかけだ。
 白かったユーノの顔が目元と頬から薄紅に染まりつつあった。見開かれて光を消していた瞳に、目を奪うほど鮮やかな輝きが満ちつつあった。表情を動かすまいと緊張している、けれど震える唇が裏切っている。まっすぐに起こした体が僅かに揺れる。
「ユーノ」
 思わず近寄り両手を差し出す。零れ落ちてくるこの魂を、誰よりも近くで受け取れる、その興奮に体が熱くなった。
(堕ちてこい)
 俺の腕の中に。俺の胸の上に。俺の熱を奪い去りに。
「何?」
「俺を望んでくれるのか?」
 アシャの問いに、ユーノは息を呑み、掠れた声で応じた。
「望んで、るよ」
 一瞬の沈黙、やがてはっきり。
「かけがえのない、友人だ」
「…」
 がさりと熱に灰が被さる。思わず両腕を降ろして、ユーノを凝視する。
「失いたくないよ、アシャ」
 切なげに声が続いた。
「いつも助けてくれた、支えてくれた、守って、くれた。感謝してる。どれだけ感謝してもし足りない。付き人だってことに甘えて、無理ばかりさせて、無茶ばかり言って、振り回して、心配させて、ほんと、私ってどうしようもない奴だってよくわかってる。けど、レアナ姉さまは」
「……ユーノ…」
「レアナ姉さまは、あなたのことを大事に想ってる。頼りにしてる。あなたが居てくれることで、レアナ姉さまがどれほど安心してるかわからない」
(レアナ?)
 なぜ、ここでレアナの名前が出されるのだろう。なぜ、今、ユーノとアシャのことを話しているはずなのに、レアナの気持ちが語られるのだろう。
 瞬きを繰り返すユーノの瞳は光で溢れ、熱で潤い、そのまま唇で奪い去りたいぐらいだ。なのに、その口が語るのは、大事な姉、愛しい姉、そのことばかりで。
「今世界は動乱の時期にある。ラズーンの存否もわからなくなってくるのかも知れない。そんな中で自分の国のことばかり考えるのは間違ってると思うかもしれないけど、私はセレドを守りたい。セレドが生き延びてほしいと思ってるんだ。私じゃ足りない。セレドの守りじゃ、うんと足りない。けれど、アシャ、あなたが居てくれたら」
「…っ」
 ふいに巨大な鉄槌を喰らった気がした。
「ユーノ…」
(違う)
 必要としているのは、望んでいるのは『そういうこと』か。
 アシャの目の色が変わったのだろう、ユーノが一瞬唇を噛み、苦しそうに俯いた。
「ごめんなさい。余計な、こと、言ってるよね」
「お前は……俺に」
 破滅的なことばを口にしてしまう。
「セレドに戻って、レアナを娶り、国を継げ、と言ってるのか」
 吐息で囁く。
「だから、俺を望んでるのか……?」
「……うん」
(違う……違う……違ったんだ…)
 胸の奥から広がってくる、この凍てついた風は何だろう。
 脳裏に甦る深夜の草原、人一人存在しない虚空の煌めき、一人なのだと、どこまで行っても一人で堪えるしかない命なのだと、そう思いながら頬に涙したままで見上げ続けた。
「そうか」
 く、と思わず嗤いが漏れた。
「そうだったな」
「アシャ?」
(お前が俺に心を委ねるわけがなかったな)
 ゆっくり近寄って見下ろす、ユーノの包帯。
(一時の怒りに身を任せて、お前を危険に晒すような男に)
 セールの叱責が甦る。
「どうしたの…?」
 護ると言いつつ何度傷つけているのだろう、体も心も信頼も。
「…俺は、ただ」
 言いかけて、深く重く長く、息を吐き出した。
「お前の……信頼を……失ったか…と」
 ことばはこれほど操りにくかっただろうか。粘っこく糸を引き、唇から離れてくれない。
「そんなこと、あるわけない!」
 ユーノがはっとしたように声を上げた。
「私があなたを信頼しないわけがない!」
(ああ、そうだろうな)
 百年一気に歳を重ねるとこんな気分だろうか。
 確かにユーノはアシャを信頼しているだろう。戦いの最中に背中を守らせるほどに。愛しい姉を、かけがえのない祖国を委ねるほどに。
「あなた以上に信頼している人は、いないよ」
「ああ…」
 信頼は愛情と同義ではない。
 それをアシャは嫌というほど知っている。
 『氷のアシャ』は女性の心を奪うのに苦労したことなどない。相手の心情を図りかねたこともない。ましてや、こんな風に、自分はどこまで行っても愛情の対象外だなどと示されたことなどない。
 そのツケが回ってきたとでも言うのだろうか。
 たった一人、欲しい相手の心が得られない。
(愛して欲しかったんだ、俺は、お前に)
「そうだろうな」
 もう一度、ゆっくりと静かに溜め息をついた。
「セレドのことは…後々考える……まずは、生き延びないとな」
「…うん!」
 ぱっと顔を上げたユーノの表情の明るさに、苦しくて辛くて、それでも僅かでも、形は違うが望まれていると感じる自分のしつこさにうんざりして、アシャは無理矢理話題を変えた。
「傷の方はほとんど大丈夫なはずだ」
「…うん」
「そっちに服がある。『氷の双宮』からミダス公の屋敷へ行く道は知ってるな?」
「わかってる。……あなたはこれからどうするの?」
「……このまま『泥土』へ行く」
 え、と顔を強張らせたユーノに、思わずそんな顔をするな、と言いたくなって別のことばを継ぐ。
「グードスを助けなきゃならんし、ちょっと気になることもある」
「ギヌアだね。ボクも行く!」
 厳しい表情になってすぐさまベッドを滑り降りようとするユーノに、溜め息をつく。
「いや、いい」
「だって!」
 何をやってくるかわかんない相手だし、そりゃボクが居てもそう助けにはならないかもしれないけれど、それでも手がある方がいいし。
 独り言のように呟きながら慌てて身支度を整えようとするユーノを見ながら、アシャは泣きたくなった。
(欲しい)
 欲しい。欲しい。こいつが欲しい。こいつの愛が、こいつの想いが、こいつの全てが、何もかも、汗から涙から爪の先まで全部欲しいのに。
(絶対与えられないとわかってる果実を口にも当てずに護り抜けと?)
「いいから、ユーノ」
 ひんやりとした口調にユーノが動きを止めた。
「お前にはミダス公の方を頼みたい。この間のこともあるし、リディノやレス……レアナもいるしな」
 レアナを強調したのは意図的だ。案の定、びくりと体を震わせたユーノは見る見る大人しくなった。
「あ、うん、そう、だよね、姉さま達がいるものね、うん、わかった、任せて、ボクなら大丈夫、絶対守り切ってみせるから!」
 にっと不敵な笑みで見上げてくるユーノを見下ろす。
「ばか」
「え?」
 肩の傷がかろうじて治っただけだ。あちこちまだまだ本調子ではない。万が一『運命』(リマイン)に攻め込まれでもしたら、きっと真っ先に体を張って守るだろう、血塗れになっても、数瞬後に死ぬと知っても。
 次に無事に会えるとは限らない。
「どうせ汚い男だしな」
「え……っぁ」
 襲い掛かった。影のように、悪夢のように、一瞬に忍び寄って自由を奪い、驚いた顔の細い顎を掴み、開いた唇を蹂躙する。
「っんっっ!」
 大きく震えたユーノの体が伝えてくる、こんなキスは知らないと。茫洋と霞む目を必死に見開く、その目の中に信頼を粉々にしている自分が映っている。貪り続ける、この先どこまで自分は正気でいるのだろうと、その不安を押し込めて。
(怖い)
 感じたことのない、この身の竦むような感覚。
(今度こそ全部失うんだろうな)
 自嘲を込めて考えたとたん、必死に抜き出されたユーノの手が大きく振られ、同時に引き上げられた足に蹴られる。
 ばしっっ!!
「アシャのばかっっ!!」
 頬に弾けた痛みと激情に吐き出された罵倒を快く聞いた。
「何するんだっ!」
「…それぐらい元気があれば大丈夫だな」
 にやりと嗤って体勢を立て直す。耳まで真っ赤になって口元を拳で覆っているユーノが、可愛くて愛しくて、けれどもう二度と手には入らないのだと真っ黒な絶望に微笑む。
「悪かった」
 笑みながら謝罪しても意味がない。そう思いながら、くるりと背中を向ける。
「安心しろ。もう襲わんさ、二度と」
 何度同じことばを誓うのか。
 道化て肩を上げて見せて歩み去る。熱っぽく責める気配に、そのまま背中を預けて詰られていたい甘さを味わいながら、表情を消す。
 向かう先は『泥土』。
(戻らなくても、いいか)
 大事な女の目の前で、他の女と暮らし子を成し老いていくぐらいなら、あの廃墟の草原と何が違う。
(幻でいいか)
 所詮、世界の礎となる道具に過ぎぬ命だったのだから。
 アシャは冷ややかに嗤った。

「な、んだよ……っ」
 アシャの姿が戸口から消えて、ようやくユーノは吐き出した。
「何…だった…んだよ…っ」
 情けないが、声も体も寒くて熱くて震えが止まらない。
「何が…それぐらい…元気が…あればだよ…っ」
 ぼろぼろ零れ落ちる涙を必死に拭き取るが、拳を越えて温かな液体は溢れ続ける。
「どういう…つもりで…キス…なんか…っ」
(私の気持ちも知らないで!)
 胸を押し潰されるような痺れが、唇から体の隅々まで、手足の先まで広がっている。涙を拭き取った指が唇に触れ、無意識にそっと口を押さえる。
(甘い、キス……甘くて、苦い…)
 何度か唇を重ねたことはある、けれど、今ほど貪られるように吸い尽くされるように合わせられたことはなかった。開いていた口を慌てて閉じたのに、抉じ開けられるように開かされて。
「…っ」
 感触が甦って体も顔も一気に熱くなる。弾む息が悔しい。離れた後は氷を当てられたような寒さが残るのに、激しく求められたような気がしてしまった自分、一瞬ふんわりと意識が霞みかけた自分が、情けなくて腹立たしくて哀しい。
(女、なんだ、なあ…)
「…くっ」
 ぼんやりとそう感じて、また馬鹿馬鹿し過ぎて愚か過ぎて、涙が溢れた。
「は、女、って?」
 なんだ、それ。今までそんな風に自分を感じたこともなかったくせに。
 ちょっとアシャに、あちらこちらに引く手あまたの手練手管を持った男にキスされたからって、胸が轟いて体が熱くて、何かも剥ぎ取って側にもっと来て欲しいとか思ってしまうなんて、なんて情けないんだろう。なんて惨めなんだろう。
「くそ…っ」
 金輪際、隙を見せちゃだめだ。こんなにアシャのキス一つで気持ちが動いてしまうならもっと駄目だ。今だって、あれがからかいでしかないと頭ではわかっているのに、別な意味に取ろうとしている、もっと違う、一瞬にせよ、ユーノの何かに魅かれてくれたのではないかなどと。
「っ」
 また溢れてくる涙に必死にユーノは首を振った。
「だめだだめだだめだ」
 そんなことを考えること自体がまずい。レアナに対して申し訳ないし、アシャに対しても失礼だ。ぐいぐいごしごしと顔を擦って、
「違う違う、アシャは、うん、ただからかっただけだ、私がたびたび馬鹿なことを言うから、アシャの気持ちとか何も考えてないから、きっと怒ったんだ、怒鳴りつけても叱りつけても効かないから、こんなことしたんだ、こんなことするほど、アシャは怒ってて、だから……」
 ふいにひやりとした。
(アシャ、本当に怒ってたのかもしれない)
 アシャがレアナを愛しているのははっきりしている。レアナとて、アシャに望まれて不愉快なはずがない。けれど、そこからは二人の問題で、ユーノが口出しするようなことではないのだ。なのに、ユーノは先走って、レアナとの婚姻までアシャに迫った。あまつさえ、セレドの将来までアシャの肩に載せようとした。
 しかも、その根っこにある気持ちも、今のユーノには見えている。
「だって…」
 アシャと離れたくなかったんだ。
 小さく微かな声が胸の奥で響いている。
 長い旅だった。セレドに戻るのも、うんと長い旅になるだろう。ずっとアシャと居て、それほど長く居て、ユーノの気持ちのどこかでは、アシャはもうずっと側に居てくれるような気がしているのだろう。
(居て欲しい、と願ってる)
 自分のためにセレドに来てくれることなどあり得ないから、アシャには足りない主でしかないのだから、と焦ってしまった。レアナを身代わりに押し立てて、自分の願いを口にしないまま叶えようとした、それをきっと見抜かれたのだ。自分は何一つ傷を負わずに、望みだけを満たそうとしている狡さを。
「私、アシャに……嫌われちゃったのかなあ……?」
 今まで好かれてはいなくとも、嫌われてはいないだろうと思っていた。けれど、部屋を出て行く時のアシャの、冷ややかでそっけない物言いは、主どころか友人の価値さえないと思われたからではなかったのか。
 答えを求めて探ったわけでもなかったが、掛けものの上を滑らせた手に柔らかな温もりが伝わった。ベッドの端、ちょうど人一人、そこに腰掛ければ、眠ってる病人を見守りやすいと思われる位置に、微かに熱が残っている。
「……ついててくれたんだ……」
 そんなことはわかってる。
 アシャは傷ついた仲間を放置しない。無茶ばかり繰り返すユーノでも、あれこれ言いつつ、ちゃんと回復まで面倒を見てくれる。それが医術師としてのアシャの在り方なのか、アシャ本来のものなのかと聞かれたら、迷わず後者だと答えるだろう。
「…ひょっとして…もう……看てもらえないかも…知れないなあ……じゃあ……ほんとに……怪我しないようにしなきゃ……迷惑…しか……かけなくなっちゃう…もの…」
 呟く声が虚ろになるのを必死に保つ。
「…でも……そんなこと……できるかな……私……まだ……未熟…だし……」
 小さな声が響き続ける。
 死にたくない。
 アシャの側に居たい。
 もう少しだけでもいい、もう一回だけでもいい、前みたいに笑ってもらえて。
「……でも……しなくちゃ……いけないなあ……男だったら……もっと簡単だったかなあ…」
 のろのろと膝を抱え込む。壊れたみたいに零れ続ける涙は、もう拭き取っても無駄だと諦め、抱えた膝に顎を載せる。
「弱くなったなあ…」
 セレドに居る頃、よくしていた所作だった、と思い出す。傷みに疼く体を、悲鳴を上げそうな感覚を、必死に抱き込み封じ込める姿勢だ。
(アシャが居てくれたから)
 一番弱い部分を晒していても大丈夫。
 いつの間にか、そういう信頼を向けてしまっていた。
「……重かっただろうなあ………」
 こんなにどしりと甘えられては大変だっただろう。それも愛らしい娘ならまだしも、憎まれ口をきき、窘めにも納まらず、何もわかってないくせに、何もかもわかわっているような顔をして飛び出していってしまう子ども一人、きっと扱いあぐねていたのだろう。
(気づいてなかった)
 自分がこれほどアシャに重荷になっていたとは。
(どうしよう)
 付き人として求めてしまったから、アシャはセレドまで送り届けてくれるだろう。舌打ちしつつ、うんざりしつつ、付き添われるのかと思うと身が竦んだ。
「……産まれたことが…間違いだったのかな…」
 産まれ間違ったとは思っていた。男に産まれるはずだったのが、千に一つ、万に一つの手違いで、女の体に宿ったのだと。
 けれど、本当は、ユーノが居ること自体が間違いだったのではないのか。
 ユーノがいなければ、セレドはそれなりに平穏な国になったのではないか。
「……………っ」
 ぶるっ、と強く首を振った。身をより屈めて膝に額を押し付ける。
「……しっかりしろ」
 自分を叱咤する。
 ぐずぐずと甘く濡れて崩れていくようなこの感覚が、何も生み出さないことをユーノは知っている。身を絞って泣く旅芸人の芝居のように、身動きしないことを正当化する自己憐憫。
「お前はユーノ・セレディスだぞ」
 戦神の娘と呼ばれ、『星の剣士』(ニスフェル)と名付けられ、周辺諸国からセレドには第一皇子がいると言われたのを忘れたか。
「こんなところで…怯むんじゃない……っ」
 ぐっと強く膝を抱く。きつく歯を食いしばる。
 それでも震える肩が止まらない。
「…くそ…っ」
 呼びかけた名前の代わりに、ユーノは激しく吐き捨てた。
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