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1.占い師求む
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『みずほ……みずほぉ』
深い闇の底から 呻くような啜り泣くような声が響いてくる。
『みずほ……どうして助けてくれなかった……どうして救ってくれなかった』
声は低く重く、聞くものの耳に恨みをねじ込む。
『おまえは力があったのに……優れた力が……未来を理解する力があったのに……化け物のような力があったのに……どうして救ってくれなかった………その力は何のためにあったんだあ』
視界一面を炎が覆う。
炎を貫いて、悲痛な叫びが周囲を圧する。
『いやあああああーっ』
呻き声をかき消すような絶叫。
必死に叫ぶ少女の悲鳴。
だが、それはまだ、どこにも誰にも届かない。
「ん-と……」
鷹栖瑞穂は、またゆっくりとその建物の入り口の前を通り過ぎた。
「なんだか、すごいな」
ぶつぶつつぶやきながら、後ろで一本に編み込んだおさげの頭を警戒心いっぱいで傾ける。
瑞穂が見ているのは、倉木本町にある商店街の店だ。バブルが弾ける前までは、初めての客は慇懃にお断りされてしまうような、客を選んでいた高級ブティックだった。
だが、今はその大きなウインドウの内側から、べったりと安っぽい濃い赤のビロードのカーテンがかけられている。カーテンの外側には、どう見てもうさんくさい、どこか異色のゲームセンターという感じの軽薄な青白いネオンで『エターナル・アイズ』というべかべかとしたカタカナ文字が踊っている。
「ここ、だよね、住所もそうだし、名前もそうだし」
手にしていた薄緑色の紙に目を落とした。
住んでいる中古マンションの集合ポストに入っていたチラシで、中央に大きく『占い師求む』と印刷されている。その下には小さな文字で、『年齢・性別・経験問わず。当方親切に指導いたしますので、安心安全、ご心配無用。保険も使えます』と書き添えてあるあたり、あまりにも怪しげで、もし、瑞穂の中の『気配』が拒んだら決して来る気にはなれなかっただろう。
『気配』。
人によっては『直感』とか『霊感』とかいうものに属するもの、あるいは『超能力』と呼ばれる類いのものなのかも知れない。
けれど、瑞穂には未来を『知る』ことはできないし、霊も『見る』ことができない。
瑞穂にできるのは、そう、あえて言えば今起こっている出来事がどうして起こってしまったのか『推測すること』と、それをどうしたら落ち着いた状態にもっていけるのかという『変化を促すこと』ぐらい。それは能力とも呼べないぐらいあやふやなものだ。
だから、瑞穂はそれを『気配』と呼んでいる。
その頼りなさや不安定さ、注意しなければわからないほどの感覚、といった感じがよく伝わる気がするからだ。
「どうしようかな」
何度か建物の前を往復した後、瑞穂は溜息をついて立ち止まった。
まだ十六歳ではあるが一人暮らし、何かトラブルに巻き込まれたとしても、あれやこれやと文句を言うはずの家族はとっくにこの世からいなくなっている。
決めるのはいつも自分の心一つ。だが、その心が最近、断崖の切り立つ端を目隠しして歩くような危ういところにいる、そう瑞穂は感じている。
一番はっきりした兆候が、あの炎の夢だ。
家族を飲み込み、瑞穂を逃れらない傷みの中に追いやった事故の再現。しかし、それは、現実とは違って、聞こえなかった家族の苦しみの声を伴って瑞穂の眠りを妨げる。
(たぶん、もうそんなにもたない)
胸の中で乾いた声が響く。
もたなくてももっても、どっちでもいいと思う投げやりな気持ちが沸き上がってくるあたりが、もうまずい。
だから、『壊れてしまう』前に動こうと、心を決めてきたはずなのに、やっぱりどこかで迷っている。
(もし、これもまた誰かを傷つけるだけ、でしかなかったら?)
今度こそ、瑞穂は立ち直れないかもしれない。
「うん、でも」
瑞穂は唇を引き締めてうなずいた。
どちらにしても、自分が追い込まれる光景は見えつつあった。動いても動かなくても、もう目の前に、破滅の深い穴が口を開けて待っている。
改めて気合を入れ直して、正面の金属製の黒いドアを瑞穂が力いっぱい押そうとしたとき、
「あ、申し訳ありません」
ふいににこやかな声が呼びかけてきた。
びくりとして振り返る瑞穂の前に、三十過ぎだろう、頭が痛くなるような鮮やかな青い背広に、これまた目の痛くなるようなショッキングピンクのネクタイをしめた男が現れた。
「まだ、開店しておりませんので。明日、夕方六時までお待ちいただけませんか」
「あ、あの」
瑞穂は満面笑顔の男とその派手な服装の趣味にひきつりながら応じた。
「お客じゃなくて……このチラシ、見たんですけど」
そっと薄緑色のチラシを出して見せる。と、男の顔は一層にこやかに笑み崩れた。
「おや、そうでしたか。私、当店の支配人というか、経営者というか、そういうもので、境谷敦と申します」
学校帰りの制服姿、どう見えても年下の高校生に、境谷は丁寧に頭を下げてあいさつすると、滑らかな口調で続けた。
「もちろん、歓迎いたしますよ。あなたで二人目です。これで何とかオープンにこぎつけられそうですね。やれやれ、ありがたいことです」
「二人目?」
あっけにとられた瑞穂に、境谷は、まあどうぞ、と店の横に細く開かれたドアの方をさし示した。
「こちらが事務所に続いているんですよ。お時間よろしければ、契約条件についてお話しいたしましょう」
(本当に大丈夫かな、この人…ひょっとして、かなり変わってる?)
瑞穂はふいに別口の不安に襲われた。
境谷に招かれて入った扉の後ろは細長い通路になっていた。
右側には急ごしらえのパーテーションの壁に薄っぺらい感じのアルミ製らしい銀のドアが三つ並んでいる。どちらもちょっと大声を出したり暴れたりすれば、びんびん響いて筒抜けになりそうな心細い造りだ。
先に立った境谷に導かれるまま、一番手前のドアから入ると、そこはまるで町の小さな病院の待合室、といった感じの部屋だった。
クリーム色のソファが二つ向かい合わせに置かれている。プラスチックでけばけばしい緑の時計が置かれた無骨な茶色の棚に数冊あたりさわりのないファッション雑誌と週刊誌が並べられている。テーブルはガラスと黒いグラスファイバーの現代風、中央に置かれた陶器の白いそっけない灰皿にこれみよがしに「あなたの体のために吸い過ぎに注意いたしましょう」と赤い文字で書かれている。壁は淡いピンクに濃い赤と黄色の花を散らした模様だが、それしかなかったのかと思えるような場違いな風景画がかけられていて、ますます落ち着かない。
何だかあまりに急いでこしらえたので、むりやりあちこちのものをもってきて間に合わせたという感じがして、長々とここで待ちたくはないなと感じてしまう。
「落ち着きませんか」
境谷はソファに腰を下ろした瑞穂を見つめて目を細めた。
「でも、実はそれでいいんですよ」
にこにこして境谷は瑞穂の様子を楽しむように眺めた。
「ここは待合室に使う予定ですけど、カウンセリングルームじゃありませんしね。来ていただいて、ここで思いっきり不安になっていただいて、そこでもしみなさんの占いが少しでも当たったとしたら、うんと効果的だと思いませんか?」
人の良さそうな顔で笑いながら、相手は油断ならないことを言った。当たりの柔らかさにごまかされてしまうけれど、中身は結構シビアな人格らしい。人の不安に脅してつけこみ、あれやこれやと多額の金を使わせていく、良からぬ筋の人間なのかもしれない。
瑞穂は少し体を堅くした。
何度も瑞穂の危機を救ってくれた『気配』だったが、今回は外れたのだろうか。
「えーと、鷹栖、瑞穂さんね。十六歳。はい、結構です。私どものところでは、五時から八時まで、八時から十二時までと時間帯を分けていまして、五時からの方は時給五百円、八時からは七百円です。少しほかのバイトに比べれば安いと思われるでしょうが、お客が一人もいなくてもアルバイト料金はお支払いいたしますので、悪くはないと思います。もし、瑞穂さんが両方出られるなら、間に三十分休憩を取ります。どうされますか?」
境谷は書類をめくりながら尋ねた。
「あ、あの、とりあえず、五時から八時まで」
「はい、では、もっと延長できるようになったらおっしゃって下さい。で、ここにサインと印鑑、なければ、母印を…はい、どうも」
境谷は瑞穂の文字をじっと眺めてにっこり笑い、ふいによいしょ、と何かを取り出した。
「で、これです」
そのことばと一緒にガラスのテーブルの上に広げられたのは、中近東の女性達が被るような黒いベールだった。
「はい?」
「これを着ていただくことになります」
「これを。ですか?」
おそるおそる瑞穂が手にしてみると、生地はさらさらとしていて柔らかく、わずかに透けている。人の手あかで汚れているふうではない。よく見ると、その隣にもう少し厚手の生地が乗せられていて、そちらは裾を引きずるような長いドレスだった。
両方を身に着けるとなると、身長百五十ちょっとの瑞穂の体などまるっきり見えなくなるだろう。
「あ、できたら今ここで試着してもらえます?」
境谷は楽しそうに言った。
「いいでしょう、何かわけありげで。でも、もし合わないようなら、もう少し小道具、考えなくちゃならないでしょうね。水晶玉とか、古ぼけたカードとか、いろいろな石とか。あ、蝋燭なんかもいいかなあ」
「あの」
ふいに、前にも増して、異常なほどうれしそうに両手を合わせてはしゃいでしまった境谷に、瑞穂はたまらず声をかけた。
「はあい?」
こぼれ落ちそうなほど大きな目を見開いて、相手は楽しみを邪魔されたと言いたげな顔で両手を合わせたまま動きを止めた。その姿は、周囲の風景にも、チンピラやくざか売り出し中の三流タレントという格好にも、にこやかではあるがどう見ても三十すぎの中年男の顔にも思いっきり不似合いだ。唯一似合っているとすれば、さっきもらった名刺の『エターナル・カンパニー』という怪しげな会社名だけかも知れない。
「あの、あたしは、ただの高校生で、占いも趣味でやってるだけだし、心理学とかそういうのもやってないし、そのあたしが、バイトとはいえ、人生相談なんてやっちゃっていいんでしょうか」
抱えていた不安がふいに芽を吹いて、思わず瑞穂は尋ねた。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
境谷はあいかわらずうれしそうに笑った。
「そんなに本気で来る人なんて、いやしませんよ」
瑞穂の緊張をあっさりかわすような軽さで続ける。
「だって、商店街のど真ん中、倒産した空店舗の穴埋めイベントですから。来ても、近所のおばさんか、学生、そういったところです。もし、採算が取れなけりゃすぐに閉鎖になるし、そう思えば気が楽でしょう?」
その『穴埋めイベント』を企画した側とはとても思えない能天気さで、境谷はにこにこ笑った。
「そうなん、ですか」
瑞穂はほっとすると同時に少しがっかりした。
小さなマンションの集合ポストに放り込まれているチラシなんて、しょせん、こんな程度のものなのかも知れない。
「あ、今からやめるの、なしですよ」
考え込んだ瑞穂に、境谷はふいに真面目な声を出した。
「せっかく、手間暇かけて、それ、作ったんですから」
「はあ?」
思わず瑞穂は境谷を見た。
「境谷さん、が作ったんですか?」
「いい出来でしょう」
境谷はまるで自分が世界最高のデザイナーだと信じているように、目を細めてうなずいた。
「そのうち、もっと凝ったの、作りますからね、長く続くように頑張りましょう。さあ、羽織って」
有無を言わせずに命令し、腕組みをして真剣な顔になる。
瑞穂はしかたなしに学校のブレザーを脱いでごそごそとドレスを身に着け、後ろに垂れた三つ編みを覆うようにベールを被った。
目の部分は空いているものの、視界が妙に遮られたせいか、自分が一人世界から隠れてしまったような気分になる。
「うん、上出来、上出来」
境谷はあちらこちらから瑞穂を見た後、今にも拍手しそうな陽気さで続けた。
「じゃあ、これ、一応契約書です。明日の六時、オープンですから、遅れないで来て下さいね。期待して待ってますよ」
最後のことばにはひょっとするとハートマークがついていたかもしれない。
深い闇の底から 呻くような啜り泣くような声が響いてくる。
『みずほ……どうして助けてくれなかった……どうして救ってくれなかった』
声は低く重く、聞くものの耳に恨みをねじ込む。
『おまえは力があったのに……優れた力が……未来を理解する力があったのに……化け物のような力があったのに……どうして救ってくれなかった………その力は何のためにあったんだあ』
視界一面を炎が覆う。
炎を貫いて、悲痛な叫びが周囲を圧する。
『いやあああああーっ』
呻き声をかき消すような絶叫。
必死に叫ぶ少女の悲鳴。
だが、それはまだ、どこにも誰にも届かない。
「ん-と……」
鷹栖瑞穂は、またゆっくりとその建物の入り口の前を通り過ぎた。
「なんだか、すごいな」
ぶつぶつつぶやきながら、後ろで一本に編み込んだおさげの頭を警戒心いっぱいで傾ける。
瑞穂が見ているのは、倉木本町にある商店街の店だ。バブルが弾ける前までは、初めての客は慇懃にお断りされてしまうような、客を選んでいた高級ブティックだった。
だが、今はその大きなウインドウの内側から、べったりと安っぽい濃い赤のビロードのカーテンがかけられている。カーテンの外側には、どう見てもうさんくさい、どこか異色のゲームセンターという感じの軽薄な青白いネオンで『エターナル・アイズ』というべかべかとしたカタカナ文字が踊っている。
「ここ、だよね、住所もそうだし、名前もそうだし」
手にしていた薄緑色の紙に目を落とした。
住んでいる中古マンションの集合ポストに入っていたチラシで、中央に大きく『占い師求む』と印刷されている。その下には小さな文字で、『年齢・性別・経験問わず。当方親切に指導いたしますので、安心安全、ご心配無用。保険も使えます』と書き添えてあるあたり、あまりにも怪しげで、もし、瑞穂の中の『気配』が拒んだら決して来る気にはなれなかっただろう。
『気配』。
人によっては『直感』とか『霊感』とかいうものに属するもの、あるいは『超能力』と呼ばれる類いのものなのかも知れない。
けれど、瑞穂には未来を『知る』ことはできないし、霊も『見る』ことができない。
瑞穂にできるのは、そう、あえて言えば今起こっている出来事がどうして起こってしまったのか『推測すること』と、それをどうしたら落ち着いた状態にもっていけるのかという『変化を促すこと』ぐらい。それは能力とも呼べないぐらいあやふやなものだ。
だから、瑞穂はそれを『気配』と呼んでいる。
その頼りなさや不安定さ、注意しなければわからないほどの感覚、といった感じがよく伝わる気がするからだ。
「どうしようかな」
何度か建物の前を往復した後、瑞穂は溜息をついて立ち止まった。
まだ十六歳ではあるが一人暮らし、何かトラブルに巻き込まれたとしても、あれやこれやと文句を言うはずの家族はとっくにこの世からいなくなっている。
決めるのはいつも自分の心一つ。だが、その心が最近、断崖の切り立つ端を目隠しして歩くような危ういところにいる、そう瑞穂は感じている。
一番はっきりした兆候が、あの炎の夢だ。
家族を飲み込み、瑞穂を逃れらない傷みの中に追いやった事故の再現。しかし、それは、現実とは違って、聞こえなかった家族の苦しみの声を伴って瑞穂の眠りを妨げる。
(たぶん、もうそんなにもたない)
胸の中で乾いた声が響く。
もたなくてももっても、どっちでもいいと思う投げやりな気持ちが沸き上がってくるあたりが、もうまずい。
だから、『壊れてしまう』前に動こうと、心を決めてきたはずなのに、やっぱりどこかで迷っている。
(もし、これもまた誰かを傷つけるだけ、でしかなかったら?)
今度こそ、瑞穂は立ち直れないかもしれない。
「うん、でも」
瑞穂は唇を引き締めてうなずいた。
どちらにしても、自分が追い込まれる光景は見えつつあった。動いても動かなくても、もう目の前に、破滅の深い穴が口を開けて待っている。
改めて気合を入れ直して、正面の金属製の黒いドアを瑞穂が力いっぱい押そうとしたとき、
「あ、申し訳ありません」
ふいににこやかな声が呼びかけてきた。
びくりとして振り返る瑞穂の前に、三十過ぎだろう、頭が痛くなるような鮮やかな青い背広に、これまた目の痛くなるようなショッキングピンクのネクタイをしめた男が現れた。
「まだ、開店しておりませんので。明日、夕方六時までお待ちいただけませんか」
「あ、あの」
瑞穂は満面笑顔の男とその派手な服装の趣味にひきつりながら応じた。
「お客じゃなくて……このチラシ、見たんですけど」
そっと薄緑色のチラシを出して見せる。と、男の顔は一層にこやかに笑み崩れた。
「おや、そうでしたか。私、当店の支配人というか、経営者というか、そういうもので、境谷敦と申します」
学校帰りの制服姿、どう見えても年下の高校生に、境谷は丁寧に頭を下げてあいさつすると、滑らかな口調で続けた。
「もちろん、歓迎いたしますよ。あなたで二人目です。これで何とかオープンにこぎつけられそうですね。やれやれ、ありがたいことです」
「二人目?」
あっけにとられた瑞穂に、境谷は、まあどうぞ、と店の横に細く開かれたドアの方をさし示した。
「こちらが事務所に続いているんですよ。お時間よろしければ、契約条件についてお話しいたしましょう」
(本当に大丈夫かな、この人…ひょっとして、かなり変わってる?)
瑞穂はふいに別口の不安に襲われた。
境谷に招かれて入った扉の後ろは細長い通路になっていた。
右側には急ごしらえのパーテーションの壁に薄っぺらい感じのアルミ製らしい銀のドアが三つ並んでいる。どちらもちょっと大声を出したり暴れたりすれば、びんびん響いて筒抜けになりそうな心細い造りだ。
先に立った境谷に導かれるまま、一番手前のドアから入ると、そこはまるで町の小さな病院の待合室、といった感じの部屋だった。
クリーム色のソファが二つ向かい合わせに置かれている。プラスチックでけばけばしい緑の時計が置かれた無骨な茶色の棚に数冊あたりさわりのないファッション雑誌と週刊誌が並べられている。テーブルはガラスと黒いグラスファイバーの現代風、中央に置かれた陶器の白いそっけない灰皿にこれみよがしに「あなたの体のために吸い過ぎに注意いたしましょう」と赤い文字で書かれている。壁は淡いピンクに濃い赤と黄色の花を散らした模様だが、それしかなかったのかと思えるような場違いな風景画がかけられていて、ますます落ち着かない。
何だかあまりに急いでこしらえたので、むりやりあちこちのものをもってきて間に合わせたという感じがして、長々とここで待ちたくはないなと感じてしまう。
「落ち着きませんか」
境谷はソファに腰を下ろした瑞穂を見つめて目を細めた。
「でも、実はそれでいいんですよ」
にこにこして境谷は瑞穂の様子を楽しむように眺めた。
「ここは待合室に使う予定ですけど、カウンセリングルームじゃありませんしね。来ていただいて、ここで思いっきり不安になっていただいて、そこでもしみなさんの占いが少しでも当たったとしたら、うんと効果的だと思いませんか?」
人の良さそうな顔で笑いながら、相手は油断ならないことを言った。当たりの柔らかさにごまかされてしまうけれど、中身は結構シビアな人格らしい。人の不安に脅してつけこみ、あれやこれやと多額の金を使わせていく、良からぬ筋の人間なのかもしれない。
瑞穂は少し体を堅くした。
何度も瑞穂の危機を救ってくれた『気配』だったが、今回は外れたのだろうか。
「えーと、鷹栖、瑞穂さんね。十六歳。はい、結構です。私どものところでは、五時から八時まで、八時から十二時までと時間帯を分けていまして、五時からの方は時給五百円、八時からは七百円です。少しほかのバイトに比べれば安いと思われるでしょうが、お客が一人もいなくてもアルバイト料金はお支払いいたしますので、悪くはないと思います。もし、瑞穂さんが両方出られるなら、間に三十分休憩を取ります。どうされますか?」
境谷は書類をめくりながら尋ねた。
「あ、あの、とりあえず、五時から八時まで」
「はい、では、もっと延長できるようになったらおっしゃって下さい。で、ここにサインと印鑑、なければ、母印を…はい、どうも」
境谷は瑞穂の文字をじっと眺めてにっこり笑い、ふいによいしょ、と何かを取り出した。
「で、これです」
そのことばと一緒にガラスのテーブルの上に広げられたのは、中近東の女性達が被るような黒いベールだった。
「はい?」
「これを着ていただくことになります」
「これを。ですか?」
おそるおそる瑞穂が手にしてみると、生地はさらさらとしていて柔らかく、わずかに透けている。人の手あかで汚れているふうではない。よく見ると、その隣にもう少し厚手の生地が乗せられていて、そちらは裾を引きずるような長いドレスだった。
両方を身に着けるとなると、身長百五十ちょっとの瑞穂の体などまるっきり見えなくなるだろう。
「あ、できたら今ここで試着してもらえます?」
境谷は楽しそうに言った。
「いいでしょう、何かわけありげで。でも、もし合わないようなら、もう少し小道具、考えなくちゃならないでしょうね。水晶玉とか、古ぼけたカードとか、いろいろな石とか。あ、蝋燭なんかもいいかなあ」
「あの」
ふいに、前にも増して、異常なほどうれしそうに両手を合わせてはしゃいでしまった境谷に、瑞穂はたまらず声をかけた。
「はあい?」
こぼれ落ちそうなほど大きな目を見開いて、相手は楽しみを邪魔されたと言いたげな顔で両手を合わせたまま動きを止めた。その姿は、周囲の風景にも、チンピラやくざか売り出し中の三流タレントという格好にも、にこやかではあるがどう見ても三十すぎの中年男の顔にも思いっきり不似合いだ。唯一似合っているとすれば、さっきもらった名刺の『エターナル・カンパニー』という怪しげな会社名だけかも知れない。
「あの、あたしは、ただの高校生で、占いも趣味でやってるだけだし、心理学とかそういうのもやってないし、そのあたしが、バイトとはいえ、人生相談なんてやっちゃっていいんでしょうか」
抱えていた不安がふいに芽を吹いて、思わず瑞穂は尋ねた。
「ああ、大丈夫、大丈夫」
境谷はあいかわらずうれしそうに笑った。
「そんなに本気で来る人なんて、いやしませんよ」
瑞穂の緊張をあっさりかわすような軽さで続ける。
「だって、商店街のど真ん中、倒産した空店舗の穴埋めイベントですから。来ても、近所のおばさんか、学生、そういったところです。もし、採算が取れなけりゃすぐに閉鎖になるし、そう思えば気が楽でしょう?」
その『穴埋めイベント』を企画した側とはとても思えない能天気さで、境谷はにこにこ笑った。
「そうなん、ですか」
瑞穂はほっとすると同時に少しがっかりした。
小さなマンションの集合ポストに放り込まれているチラシなんて、しょせん、こんな程度のものなのかも知れない。
「あ、今からやめるの、なしですよ」
考え込んだ瑞穂に、境谷はふいに真面目な声を出した。
「せっかく、手間暇かけて、それ、作ったんですから」
「はあ?」
思わず瑞穂は境谷を見た。
「境谷さん、が作ったんですか?」
「いい出来でしょう」
境谷はまるで自分が世界最高のデザイナーだと信じているように、目を細めてうなずいた。
「そのうち、もっと凝ったの、作りますからね、長く続くように頑張りましょう。さあ、羽織って」
有無を言わせずに命令し、腕組みをして真剣な顔になる。
瑞穂はしかたなしに学校のブレザーを脱いでごそごそとドレスを身に着け、後ろに垂れた三つ編みを覆うようにベールを被った。
目の部分は空いているものの、視界が妙に遮られたせいか、自分が一人世界から隠れてしまったような気分になる。
「うん、上出来、上出来」
境谷はあちらこちらから瑞穂を見た後、今にも拍手しそうな陽気さで続けた。
「じゃあ、これ、一応契約書です。明日の六時、オープンですから、遅れないで来て下さいね。期待して待ってますよ」
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