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3.スォーガの嵐(3)
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「ユカル」
「うん?」
呼ばれてユカルは目を上げた。
額に濃い緑の額帯(ネクト)をつけたユーノが、こちらを見つめていた。
「これでいいのかな」
「ああ。とても似合ってるよ。おれは…」
ふうっとユカルは溜め息をついた。落ち込むまいと思っても、さすがに同い年で額帯(ネクト)を受けた者がいるのといないのとでは、かなり気分が違う。ユーノが誇らしいのに、何となく妬ましい、妙な気持ちを味わいながら、ユカルはことばを継いだ。
「まだ、だめらしいや」
「ふうん」
ユーノは同情するような目になったが、ふいにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「さっき、シートスが来てね」
「ふん…」
興味なさそうに頷くユカルをじっと見つめる。
「これを渡しておいてくれないかって」
「ふん?」
少し興味をひかれて、ユーノが差し出した掌を見たユカルは目を丸くする。
「え?」
信じられない、とユーノを見返した。相手はにっこりと、どこか少女じみた可憐な笑みを返してくる。
「おれに?」
「うん」
「これを?」
「うん」
おそるおそる手を伸ばし、ユーノの差し出したものを受け取る。
それは濃い緑も眩く見えるほど細かい、手の込んだ造りの額帯(ネクト)だった。
「今日の褒美だってさ」
「ユーノ……っ、この…っ!」
だまされた。思わず叫んで、怒った振りでユーノに飛びかかる。
「あははは…」
明るい笑い声が、飛びすさって逃げたユーノの唇から漏れた。ユカルの手を軽々擦り抜けて、何か続けようとする。
だが、その声はふいに天幕(カサン)の外から響いた大音声にかき消された。
「セレドのユーノ! ユーノはどこにいる!!」
その声に混じって、叫んだ人間を落ち着かせようとする数人の宥め声が聴こえたが、声の主は納得しなかったらしい。ますます苛立たしげな声を張り上げて、
「コクラノ様が探しているんだぞ! わずか七日で額帯(ネクト)を手に入れた感想と手管を知りたくてな!!」
酔ってるんだ、とか、まあ落ち着けよ、とかいったことばが、やや荒々しく紡がれた。だが、コクラノに対しては逆効果だった。
「俺は信じぬ! あんな子どもが実力で額帯(ネクト)を手に入れたとはお笑い種だわ! え、ユーノ! シートスに一夜の伽でもしたのか!!」
「あいつ!」
あまりの傍若無人さに耐えかねて、ユーノより先に、ユカルが天幕(カサン)の入り口を払い、飛び出した。
「お!」
「コクラノ!」
炎の紅を背景に、丸っこい体をそびえさせているコクラノに噛み付かんばかりに叫ぶ。
「ことばを取り消せ! 我らがシートスを侮辱する気か!」
「何が、我らがシートス、だ!」
ひっく、とコクラノはしゃくりあげ、べったり汚れた口元を手の甲で拭った。ぎらつく目は血走っている。片手に持った酒の袋を地面に叩き付け、踏みにじった。
「あんな小僧に額帯(ネクト)をくれてやるとはな!」
「それなら、おれもしているぞ!」
負けじとユカルも怒鳴り返した。コクラノはちらりとユカルの額帯(ネクト)を見たが、鈍い動作で肩を竦めて見せ、のろのろと続けた。
「ユカル、お前は仲間だ、言わば、身内だ。だが、あのユーノはよそ者! どうして俺より先にあいつに額帯(ネクト)が渡されねばならん!」
「額帯(ネクト)は魂に贈られるものだ! お前のような奴に、野戦部隊(シーガリオン)の額帯(ネクト)が許されるものか!」
「お前はいい! ユーノをだせ! ユーノを!!」
わめくコクラノの顔は真っ赤になっている。ユーノが出た瞬間に、持てる技の全てを叩き込んできそうな勢いだ。
(仕方ない、こうなったら)
ユカルは顔をしかめ、正面切ってやりあう覚悟を決めた、その瞬間。
「待てよ、ユカル」
静かな声が背後から響いた。
コクラノの罵声は十分聞こえていた。ユカルが苛立ち、今にも爆発しそうになっている声も。
(まずい)
唇を引き締めて、ユーノは天幕(カサン)から出る。
「おう! 待っていたぞ、ユーノ! どうだ、俺の伽もしないか?!」
「ボクはそんなことはしない」
冷ややかに言い放つ。自分を貶められるのは仕方ないが、嫉妬のあまり、自らの長まで踏みにじろうとする罵倒は、ユカルだけではなく、せっかく彼女を保護してくれている野戦部隊(シーガリオン)の皆にも迷惑をかける。
押さえ損ねた感情が瞳から零れたのだろう、コクラノがますます顔を赤くした。
「ほう! それでは、その実力とやらを見せてもらおうか!」
コクラノは、喉の奥で不気味な笑い方をした。側に居た男が、慌ててコクラノに耳打ちする。コクラノの名誉を慮ってのことだったが、その気持ちは通じなかったようだ。
「わかっているわかっている!」
さも五月蝿そうに手を払った。
「確かに、ラシュモもカースも負けている、だが、俺はまだ負けていない!」
するりとコクラノは剣を引き抜いた。重そうな、昼間の血が未だこびりついているところをみると、碌な手入れもしていないのだろう。その剣は相手を斬り殺すというより、叩き潰し、殴り殺すためにつくられたようにも見えた。
「よせよ、コクラノ!」
ユカルが相手にされなかったのに、嘲笑するように言い返す。
「勝てるわけないぜ、あのジャントス・アレグノと互角に戦った腕だぞ」
「俺だって助っ人一人頼めば、ジャントスなんぞ相手にもせんわ」
ユカルへの当てこすりを含んでいるのが明らかな口調、ぐ、とユカルが歯を食いしばる。
(どうする)
ユーノは思い迷った。
おそらく、この男一人、ユーノの手に余るほどの勇士ではあるまい。それに、相手は今酔っぱらっている。
真っ当な勝負ではないという気持ちと、今は絡まれているが、それでもいざとなれば背中を預けなければならない仲間を傷つけたくないという気持ちの間で、心が頼りなく揺れる。
ふと目を転じると、コクラノの少し後ろに、シートスの、ある意味では冷ややかな黄色の目があった。
してみると、さっきからの状況は見守られていた、ということらしい。
(シートスは止めに入らない。やれ、ということか?)
ユーノはシートスの目を覗き込んだ。そこには特に誰をも避難する色はない。
(こういうことはたびたびある、そう言いたげだな)
戦う集団で実力を問われるのは公私ともに当然のこと、降りかかる災厄を自ら払ってみせてこそ、ということか。
ユーノは喚き続ける相手に向かい、ことさらゆっくりと剣を引き抜いた。剣が抜き身になるにつれ、周囲が静まり返る。
「やっとやる気になったか」
にやりとコクラノは笑って剣を構えた。緊迫した空気が満ちる。時折、炎の中で燃えた木々が崩れる音だけが妙にはっきりと響く。
ごくりと唾を呑み、不安そうに空を見上げたユカルが、どす黒い灰色の空に眉をしかめる。かなりひどい天気になるかもしれないと思ったのだろう、なお眉を寄せた次の一瞬、全身を弾けさせるようなような勢いで周囲を見回す。
「ユカル・クァント!」
叫びがユカルの口を衝いた。振り向くユーノの前で、悔しげに顔を歪めたユカルが、
「オーダ・シーガル!」
天空を穿つような警告、ぎょっとした男達が周囲に目を配るまでもなく、気づけば野戦部隊(シーガリオン)はすっかり『運命(リマイン)』支配下(ロダ)の者に包囲されていた。
「……」
アシャは遠い空を見上げていた。
重くたれ込めた雲の彼方に白い反射を探す。だが、今夜もサマルカンドは帰ってきそうにない。
(一体どこにいるんだ)
眉を寄せる。心の中の嵐に耐えかねて呻きそうになる。
「アシャ」
イルファが呼ぶのに込めた力を解いた。のろのろと気のない動きで火の側へ戻る。
「焼けたぜ」
「…ああ」
岩とかげを突き刺した棒を受け取り、アシャは膝を抱えて丸くなっているレスファートに目を止めた。少年は沈んだ生気のない表情で、半眼にした目をどこかに彷徨わせている。
「レス」
「…」
イルファが差し出す岩とかげの肉にも無言で首を振るだけだ。こけた青白い頬、尖った顎、プラチナブロンドも心なしか、色褪せぱらついているように見える。ユーノを失ったことからくる憔悴が、少年の容貌を大きく変化させていた。
「食わなきゃだめだぞ、レス」
「……いらない」
「レス!」
「お腹すかないんだ」
「……ふう」
イルファはやれやれと言いたげに、それでも多少の心配は浮かべて溜め息をついた。
レスファートがユーノを失ったことに泣いたのは一日だけだった。次の日から彼は、泣かない代わりに、他の感情まで失ってしまったように表情を動かさなくなった。
「じゃあ、水だけでも飲め」
「…」
こくん、と器から一口。残りを静かにイルファに戻して、レスファートはまた膝を深く抱えてしまう。
(レスファート…)
イルファによると、母親を失った時もこんな状態だったらしい。
その頃のレスファートは、ほんの子どもだった。病気で臥せっていた母親が死んだのだということを理解し切れなかった。いつも微笑とキスを与えてくれた温かな存在が、突然彼を見捨てたように思えたのだろう。母がいなくなった後も、母の眠っていた寝室に通っては、誰もいないベッドに身を縮めて踞り、じっと母の帰りを待っていた。
見かねた王が無理矢理母親の墓に連れていき、母はそこだ、と宣言した。そのとたん、レスファートの心の堰は切れた。声を上げて泣き、墓にしがみついて、繰り返し母の名を呼んだ。それから、どうしてももう帰ってきてはくれないのだと悟ったのだろう。レスファートは唐突に泣き止んで、母は死んだのだ、という王のことばを頷きながら聞いたのだ、と言う。
(ユーノの生死がわからないのが、一層レスを追い詰めている)
痛ましい想いで、アシャは少年の虚ろな瞳を見つめる。
ユーノが死んでいるなら仕方がない。しかし、もし生きていたのなら、それはどういうことなのだ。母は確かに死んで側からいなくなった。だが、ユーノはもしかして、生きていてもレスファートの元へ帰って来てくれていないのではないか。つまり、もうレスファートと一緒に居るのが嫌になって、戻って来てくれないのではないか。
乗り越えたはずの疑いが、もう一度少年の心に蘇り、苛み続けているのだろう。
(俺もまた)
アシャもある意味ではレスファートと同じだ。
ユーノの生死を知るのが怖い。もし彼女が死んでいたとしたら、自分がどういう行動に出るのか、それを押さえ込めるのかどうか、今はかなり自信がない。世界を焦土としかねない『泉の狩人(オーミノ)』を解き放ち、ミネルバのように『運命(リマイン』狩りを唯一の生きる意味として生き抜きかねない。
今ならお前の気持ちがよくわかる、そうミネルバに告げたのなら、きっと高らかに哄笑されることだろう、そなたにも人らしい心があったのだな、と。
「誰も食わないのか? 食うぞ? いいのか?」
それじゃあ、とイルファは相変わらずの健啖ぶり、焼いた岩とかげはことごとくイルファの胃の腑におさまった。
執拗な勧めに、レスファートがかろうじてほんの一切れ肉を口に入れ、さもまずそうに水で飲み下し、早々に天幕(カサン)の中に引っ込んでしまう。たぶん今夜も眠れないまま、またじっと瞳を闇に凝らし続けるのだろう。
「アシャ」
「…」
「なるべく早く、ラズーンへ入っちまったほうがよかあねえか?」
火の側に陣取ったままのイルファがぼそりと呟く。
「レスはそう保たないぜ」
「…そうだな」
アシャはおざなりに答えを返しながら、炎の中を見つめる。
眩く光を発している木が幻想的な美しさだ。だが、火のつきはあまりよくなかった。大気が重苦しく湿ってきている。嵐の前触れかも知れない。
「お前がユーノを探しているのはわかってる」
イルファは率直に切り込んできた。
「俺だって、あれほどの剣士が殺られてるとは思いたくねえ。ユーノを失ったまま、ラズーンに入っても、どうしようもねえ、その理屈もわかる」
ことさらぶっきらぼうに続けた。
「だが、俺達までここで一緒に野垂れ死に、というのもいただけねえ」
「わかっている」
汗と埃で湿った前髪をゆっくりと手櫛でかきあげた。
「こんなことをしていることが、いい結果を生み出すはずがないってことも」
スォーガの端で、アシャ達はもう四日以上、無駄に足踏みして野営を繰り返している。
「それでなくとも、このあたりは『運命(リマイン)』が跳梁する暗黒地帯だ」
宙道(シノイ)の入り口近くに留まっていれば、ひょっとして戻ってきたユーノ、もしくは彷徨っているユーノを見つけることができるのではないか、アシャはまだ、その儚い望みを抱えていた。
「わかっている」
無意識に空を見上げた。サマルカンドの白く雄大な姿を探す。だが、その願いを挫くように、上空には捩じくれた鉛色の雲がのたうつばかりだ。
(わかっている)
ユーノはもうここにはいない。
アシャの知らないどこかに消えてしまったのだ。
(いい加減に、自分の失敗を認めろ)
そもそも、セレドに自分が入り込んだことが間違っていたのかもしれない。もっとまともな視察官(オペ)が辿り着いていれば、ギヌアに執着されることも『運命(リマイン)』にここまで注目されることもなく、ラズーンまで進めたかもしれない。
(俺が、居なければ、よかったのか)
こんな気持ちになったことなど、なかった。
目を伏せる。一瞬歯を食いしばり、それでも曇天に向かって告げる。
「明日からは、再びラズーンに向かう」
その夜半。
「ユーノ…」
小さな呟きにアシャは目を覚ました。
ユーノを見捨ててラズーンへ向かう、その煩悶が知らずに自分の口から零れ落ちたのかと思ってどきりとする。だが、
「ユーノぉ…」
ひっく、と小さくしゃくり上げる声に気づいた。
「やだよ…行かないでよ……ぼくをおいてかないで…よ…」
「レス?」
「ユーノ……ユーノぉ…」
覗き込んで、寝言だと知った。だが、閉じた瞼から次々と涙が溢れ出し、少年の頬を濡らしている。えっ…えっ…と押し殺した鳴き声が響き、眉を潜めた。
夢に泣き続けているレスファートの体を優しく引き寄せてやる。と、少年はそのアシャの手を手繰り、懐に潜り込んでくるようにすり寄ってきた。アシャの胸にしがみつき、しばらく泣き続ける。
「レス…」
よしよし、と背中を撫でてやっていると、やがて力が抜け、
「おいて…かないで…」
小さな囁きに続いて微かな寝息が聴こえた。
「……おいてかないで、か…」
涙で汚れた頬を拭ってやり、自分も身を横たえながら、アシャは唇を噛む。小さな子ども特有の体温の高さが、夜気に冷えたアシャの体を温めていく。
(こんなぬくもりに背中を向けて)
天幕(カサン)を通し、遥かな空へ、ユーノが駆ける、その上に広がる空を思って見上げる。
(お前はどこへ行こうというんだ、ユーノ)
外はますます嵐の様相を呈し、風が荒々しい唸りを上げている。
その中で、ユーノを含む野戦部隊(シーガリオン)が、今まさに新たな戦いに突入していこうとしているとは、思いもつかないアシャだった。
「うん?」
呼ばれてユカルは目を上げた。
額に濃い緑の額帯(ネクト)をつけたユーノが、こちらを見つめていた。
「これでいいのかな」
「ああ。とても似合ってるよ。おれは…」
ふうっとユカルは溜め息をついた。落ち込むまいと思っても、さすがに同い年で額帯(ネクト)を受けた者がいるのといないのとでは、かなり気分が違う。ユーノが誇らしいのに、何となく妬ましい、妙な気持ちを味わいながら、ユカルはことばを継いだ。
「まだ、だめらしいや」
「ふうん」
ユーノは同情するような目になったが、ふいにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「さっき、シートスが来てね」
「ふん…」
興味なさそうに頷くユカルをじっと見つめる。
「これを渡しておいてくれないかって」
「ふん?」
少し興味をひかれて、ユーノが差し出した掌を見たユカルは目を丸くする。
「え?」
信じられない、とユーノを見返した。相手はにっこりと、どこか少女じみた可憐な笑みを返してくる。
「おれに?」
「うん」
「これを?」
「うん」
おそるおそる手を伸ばし、ユーノの差し出したものを受け取る。
それは濃い緑も眩く見えるほど細かい、手の込んだ造りの額帯(ネクト)だった。
「今日の褒美だってさ」
「ユーノ……っ、この…っ!」
だまされた。思わず叫んで、怒った振りでユーノに飛びかかる。
「あははは…」
明るい笑い声が、飛びすさって逃げたユーノの唇から漏れた。ユカルの手を軽々擦り抜けて、何か続けようとする。
だが、その声はふいに天幕(カサン)の外から響いた大音声にかき消された。
「セレドのユーノ! ユーノはどこにいる!!」
その声に混じって、叫んだ人間を落ち着かせようとする数人の宥め声が聴こえたが、声の主は納得しなかったらしい。ますます苛立たしげな声を張り上げて、
「コクラノ様が探しているんだぞ! わずか七日で額帯(ネクト)を手に入れた感想と手管を知りたくてな!!」
酔ってるんだ、とか、まあ落ち着けよ、とかいったことばが、やや荒々しく紡がれた。だが、コクラノに対しては逆効果だった。
「俺は信じぬ! あんな子どもが実力で額帯(ネクト)を手に入れたとはお笑い種だわ! え、ユーノ! シートスに一夜の伽でもしたのか!!」
「あいつ!」
あまりの傍若無人さに耐えかねて、ユーノより先に、ユカルが天幕(カサン)の入り口を払い、飛び出した。
「お!」
「コクラノ!」
炎の紅を背景に、丸っこい体をそびえさせているコクラノに噛み付かんばかりに叫ぶ。
「ことばを取り消せ! 我らがシートスを侮辱する気か!」
「何が、我らがシートス、だ!」
ひっく、とコクラノはしゃくりあげ、べったり汚れた口元を手の甲で拭った。ぎらつく目は血走っている。片手に持った酒の袋を地面に叩き付け、踏みにじった。
「あんな小僧に額帯(ネクト)をくれてやるとはな!」
「それなら、おれもしているぞ!」
負けじとユカルも怒鳴り返した。コクラノはちらりとユカルの額帯(ネクト)を見たが、鈍い動作で肩を竦めて見せ、のろのろと続けた。
「ユカル、お前は仲間だ、言わば、身内だ。だが、あのユーノはよそ者! どうして俺より先にあいつに額帯(ネクト)が渡されねばならん!」
「額帯(ネクト)は魂に贈られるものだ! お前のような奴に、野戦部隊(シーガリオン)の額帯(ネクト)が許されるものか!」
「お前はいい! ユーノをだせ! ユーノを!!」
わめくコクラノの顔は真っ赤になっている。ユーノが出た瞬間に、持てる技の全てを叩き込んできそうな勢いだ。
(仕方ない、こうなったら)
ユカルは顔をしかめ、正面切ってやりあう覚悟を決めた、その瞬間。
「待てよ、ユカル」
静かな声が背後から響いた。
コクラノの罵声は十分聞こえていた。ユカルが苛立ち、今にも爆発しそうになっている声も。
(まずい)
唇を引き締めて、ユーノは天幕(カサン)から出る。
「おう! 待っていたぞ、ユーノ! どうだ、俺の伽もしないか?!」
「ボクはそんなことはしない」
冷ややかに言い放つ。自分を貶められるのは仕方ないが、嫉妬のあまり、自らの長まで踏みにじろうとする罵倒は、ユカルだけではなく、せっかく彼女を保護してくれている野戦部隊(シーガリオン)の皆にも迷惑をかける。
押さえ損ねた感情が瞳から零れたのだろう、コクラノがますます顔を赤くした。
「ほう! それでは、その実力とやらを見せてもらおうか!」
コクラノは、喉の奥で不気味な笑い方をした。側に居た男が、慌ててコクラノに耳打ちする。コクラノの名誉を慮ってのことだったが、その気持ちは通じなかったようだ。
「わかっているわかっている!」
さも五月蝿そうに手を払った。
「確かに、ラシュモもカースも負けている、だが、俺はまだ負けていない!」
するりとコクラノは剣を引き抜いた。重そうな、昼間の血が未だこびりついているところをみると、碌な手入れもしていないのだろう。その剣は相手を斬り殺すというより、叩き潰し、殴り殺すためにつくられたようにも見えた。
「よせよ、コクラノ!」
ユカルが相手にされなかったのに、嘲笑するように言い返す。
「勝てるわけないぜ、あのジャントス・アレグノと互角に戦った腕だぞ」
「俺だって助っ人一人頼めば、ジャントスなんぞ相手にもせんわ」
ユカルへの当てこすりを含んでいるのが明らかな口調、ぐ、とユカルが歯を食いしばる。
(どうする)
ユーノは思い迷った。
おそらく、この男一人、ユーノの手に余るほどの勇士ではあるまい。それに、相手は今酔っぱらっている。
真っ当な勝負ではないという気持ちと、今は絡まれているが、それでもいざとなれば背中を預けなければならない仲間を傷つけたくないという気持ちの間で、心が頼りなく揺れる。
ふと目を転じると、コクラノの少し後ろに、シートスの、ある意味では冷ややかな黄色の目があった。
してみると、さっきからの状況は見守られていた、ということらしい。
(シートスは止めに入らない。やれ、ということか?)
ユーノはシートスの目を覗き込んだ。そこには特に誰をも避難する色はない。
(こういうことはたびたびある、そう言いたげだな)
戦う集団で実力を問われるのは公私ともに当然のこと、降りかかる災厄を自ら払ってみせてこそ、ということか。
ユーノは喚き続ける相手に向かい、ことさらゆっくりと剣を引き抜いた。剣が抜き身になるにつれ、周囲が静まり返る。
「やっとやる気になったか」
にやりとコクラノは笑って剣を構えた。緊迫した空気が満ちる。時折、炎の中で燃えた木々が崩れる音だけが妙にはっきりと響く。
ごくりと唾を呑み、不安そうに空を見上げたユカルが、どす黒い灰色の空に眉をしかめる。かなりひどい天気になるかもしれないと思ったのだろう、なお眉を寄せた次の一瞬、全身を弾けさせるようなような勢いで周囲を見回す。
「ユカル・クァント!」
叫びがユカルの口を衝いた。振り向くユーノの前で、悔しげに顔を歪めたユカルが、
「オーダ・シーガル!」
天空を穿つような警告、ぎょっとした男達が周囲に目を配るまでもなく、気づけば野戦部隊(シーガリオン)はすっかり『運命(リマイン)』支配下(ロダ)の者に包囲されていた。
「……」
アシャは遠い空を見上げていた。
重くたれ込めた雲の彼方に白い反射を探す。だが、今夜もサマルカンドは帰ってきそうにない。
(一体どこにいるんだ)
眉を寄せる。心の中の嵐に耐えかねて呻きそうになる。
「アシャ」
イルファが呼ぶのに込めた力を解いた。のろのろと気のない動きで火の側へ戻る。
「焼けたぜ」
「…ああ」
岩とかげを突き刺した棒を受け取り、アシャは膝を抱えて丸くなっているレスファートに目を止めた。少年は沈んだ生気のない表情で、半眼にした目をどこかに彷徨わせている。
「レス」
「…」
イルファが差し出す岩とかげの肉にも無言で首を振るだけだ。こけた青白い頬、尖った顎、プラチナブロンドも心なしか、色褪せぱらついているように見える。ユーノを失ったことからくる憔悴が、少年の容貌を大きく変化させていた。
「食わなきゃだめだぞ、レス」
「……いらない」
「レス!」
「お腹すかないんだ」
「……ふう」
イルファはやれやれと言いたげに、それでも多少の心配は浮かべて溜め息をついた。
レスファートがユーノを失ったことに泣いたのは一日だけだった。次の日から彼は、泣かない代わりに、他の感情まで失ってしまったように表情を動かさなくなった。
「じゃあ、水だけでも飲め」
「…」
こくん、と器から一口。残りを静かにイルファに戻して、レスファートはまた膝を深く抱えてしまう。
(レスファート…)
イルファによると、母親を失った時もこんな状態だったらしい。
その頃のレスファートは、ほんの子どもだった。病気で臥せっていた母親が死んだのだということを理解し切れなかった。いつも微笑とキスを与えてくれた温かな存在が、突然彼を見捨てたように思えたのだろう。母がいなくなった後も、母の眠っていた寝室に通っては、誰もいないベッドに身を縮めて踞り、じっと母の帰りを待っていた。
見かねた王が無理矢理母親の墓に連れていき、母はそこだ、と宣言した。そのとたん、レスファートの心の堰は切れた。声を上げて泣き、墓にしがみついて、繰り返し母の名を呼んだ。それから、どうしてももう帰ってきてはくれないのだと悟ったのだろう。レスファートは唐突に泣き止んで、母は死んだのだ、という王のことばを頷きながら聞いたのだ、と言う。
(ユーノの生死がわからないのが、一層レスを追い詰めている)
痛ましい想いで、アシャは少年の虚ろな瞳を見つめる。
ユーノが死んでいるなら仕方がない。しかし、もし生きていたのなら、それはどういうことなのだ。母は確かに死んで側からいなくなった。だが、ユーノはもしかして、生きていてもレスファートの元へ帰って来てくれていないのではないか。つまり、もうレスファートと一緒に居るのが嫌になって、戻って来てくれないのではないか。
乗り越えたはずの疑いが、もう一度少年の心に蘇り、苛み続けているのだろう。
(俺もまた)
アシャもある意味ではレスファートと同じだ。
ユーノの生死を知るのが怖い。もし彼女が死んでいたとしたら、自分がどういう行動に出るのか、それを押さえ込めるのかどうか、今はかなり自信がない。世界を焦土としかねない『泉の狩人(オーミノ)』を解き放ち、ミネルバのように『運命(リマイン』狩りを唯一の生きる意味として生き抜きかねない。
今ならお前の気持ちがよくわかる、そうミネルバに告げたのなら、きっと高らかに哄笑されることだろう、そなたにも人らしい心があったのだな、と。
「誰も食わないのか? 食うぞ? いいのか?」
それじゃあ、とイルファは相変わらずの健啖ぶり、焼いた岩とかげはことごとくイルファの胃の腑におさまった。
執拗な勧めに、レスファートがかろうじてほんの一切れ肉を口に入れ、さもまずそうに水で飲み下し、早々に天幕(カサン)の中に引っ込んでしまう。たぶん今夜も眠れないまま、またじっと瞳を闇に凝らし続けるのだろう。
「アシャ」
「…」
「なるべく早く、ラズーンへ入っちまったほうがよかあねえか?」
火の側に陣取ったままのイルファがぼそりと呟く。
「レスはそう保たないぜ」
「…そうだな」
アシャはおざなりに答えを返しながら、炎の中を見つめる。
眩く光を発している木が幻想的な美しさだ。だが、火のつきはあまりよくなかった。大気が重苦しく湿ってきている。嵐の前触れかも知れない。
「お前がユーノを探しているのはわかってる」
イルファは率直に切り込んできた。
「俺だって、あれほどの剣士が殺られてるとは思いたくねえ。ユーノを失ったまま、ラズーンに入っても、どうしようもねえ、その理屈もわかる」
ことさらぶっきらぼうに続けた。
「だが、俺達までここで一緒に野垂れ死に、というのもいただけねえ」
「わかっている」
汗と埃で湿った前髪をゆっくりと手櫛でかきあげた。
「こんなことをしていることが、いい結果を生み出すはずがないってことも」
スォーガの端で、アシャ達はもう四日以上、無駄に足踏みして野営を繰り返している。
「それでなくとも、このあたりは『運命(リマイン)』が跳梁する暗黒地帯だ」
宙道(シノイ)の入り口近くに留まっていれば、ひょっとして戻ってきたユーノ、もしくは彷徨っているユーノを見つけることができるのではないか、アシャはまだ、その儚い望みを抱えていた。
「わかっている」
無意識に空を見上げた。サマルカンドの白く雄大な姿を探す。だが、その願いを挫くように、上空には捩じくれた鉛色の雲がのたうつばかりだ。
(わかっている)
ユーノはもうここにはいない。
アシャの知らないどこかに消えてしまったのだ。
(いい加減に、自分の失敗を認めろ)
そもそも、セレドに自分が入り込んだことが間違っていたのかもしれない。もっとまともな視察官(オペ)が辿り着いていれば、ギヌアに執着されることも『運命(リマイン)』にここまで注目されることもなく、ラズーンまで進めたかもしれない。
(俺が、居なければ、よかったのか)
こんな気持ちになったことなど、なかった。
目を伏せる。一瞬歯を食いしばり、それでも曇天に向かって告げる。
「明日からは、再びラズーンに向かう」
その夜半。
「ユーノ…」
小さな呟きにアシャは目を覚ました。
ユーノを見捨ててラズーンへ向かう、その煩悶が知らずに自分の口から零れ落ちたのかと思ってどきりとする。だが、
「ユーノぉ…」
ひっく、と小さくしゃくり上げる声に気づいた。
「やだよ…行かないでよ……ぼくをおいてかないで…よ…」
「レス?」
「ユーノ……ユーノぉ…」
覗き込んで、寝言だと知った。だが、閉じた瞼から次々と涙が溢れ出し、少年の頬を濡らしている。えっ…えっ…と押し殺した鳴き声が響き、眉を潜めた。
夢に泣き続けているレスファートの体を優しく引き寄せてやる。と、少年はそのアシャの手を手繰り、懐に潜り込んでくるようにすり寄ってきた。アシャの胸にしがみつき、しばらく泣き続ける。
「レス…」
よしよし、と背中を撫でてやっていると、やがて力が抜け、
「おいて…かないで…」
小さな囁きに続いて微かな寝息が聴こえた。
「……おいてかないで、か…」
涙で汚れた頬を拭ってやり、自分も身を横たえながら、アシャは唇を噛む。小さな子ども特有の体温の高さが、夜気に冷えたアシャの体を温めていく。
(こんなぬくもりに背中を向けて)
天幕(カサン)を通し、遥かな空へ、ユーノが駆ける、その上に広がる空を思って見上げる。
(お前はどこへ行こうというんだ、ユーノ)
外はますます嵐の様相を呈し、風が荒々しい唸りを上げている。
その中で、ユーノを含む野戦部隊(シーガリオン)が、今まさに新たな戦いに突入していこうとしているとは、思いもつかないアシャだった。
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