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4.星の剣士(ニスフェル)(1)
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重い沈黙が野戦部隊(シーガリオン)を包んでいた。
完全に囲まれ、じわじわと追い詰められ、ユーノ達は炎を背後に、身につけている長剣、短剣のみで、深い闇の中に濃厚に漂う『運命(リマイン)』の気配と対峙している。
どこか一カ所でその沈黙が破られれば、雪崩のように『運命(リマイン)』が押し寄せてくるだろう。平原竜(タロ)から切り離された状態で囲まれているのが、とにかく厳しい。
ついさっきまでユーノとコクラノの勝負を見守っていた湧き上がるような熱気も、冷え込む殺気に吸い込まれている。コクラノもまた、やや青ざめた顔を闇に向けている。
それを見たユーノの唇に、ふと時ならぬ笑みが浮かんだ。
(怖いのか)
コクラノへとも、自分へともわからぬ呟きを胸の中で漏らす。
(いや…怖くない)
まるで、それを自らへの問いととったように、心の奥底が応えた。
(ラズーンは目の前だ。ここで死ぬわけにはいかないんだ)
ふっとコクラノがこちらを見つめ、ユーノの薄笑みにむっとしたように眉をしかめた。その横で、シートスがわずかに目を細める。彼の視線がある箇所に注がれているのに、ユーノはゆっくり目だけ動かした。
見覚えのある黄色のマントが薄明かりを浴びてぼんやりと浮かび上がっている。
(モスの遠征隊?)
「!」
ユーノはシートスの視線の意味を悟ってはっとした。
確かに『運命(リマイン)』本体より『運命(リマイン)』支配下(ロダ)の方が突破しやすいだろう。
そして、そのモスの遠征隊の向こうに、平原竜(タロ)のたまり場がある。
ほとんどが騎馬の『運命(リマイン)』相手に歩兵のままではあまりにも不利だ。モスの遠征隊の部分を切り抜ければ、平原竜(タロ)に辿り着ける。
(崩すとしたら、あそこしかない)
じわりとコクラノの前方が押した。それに吊られて、波頭が続く滑らかさで『運命(リマイン)』の前線が押し出し、呼応するように半歩退いたユカルが、片手を炎に炙られたのか、びくりと体を強張らせる。同じように後ろへ下がった自分の脚が、焚き火の木を折り、すぐに炎と化す気配にユーノも動きを止めた。
後はない。
風が唸って、はるか高空を翔け猛っていく。
「う…おおお!!」
嬲り殺される恐怖に耐えかねたコクラノが雄叫びを上げ、前方へ突進した。
ちいっ、とシートスが高い舌打ちを漏らす。先に動いた方が不利になるのを知り尽くしている、だが、いくら不出来とはいえ、部下を見捨てるようでは野戦部隊(シーガリオン)の長は勤まらない。決意を濃い眉に浮かべて剣を抜き放ち、コクラノの後へ続く。
「ユカル!」
「おう!」
同時にユーノも行動を開始していた。コクラノのために散りかけた戦線を一つにまとめるように、モスの兵の中へまっしぐらに切り込む。ユカルが額帯(ネクト)にかけて遅れまいとするように、後を追ってくる。
「はっ!」「うっ!」「わあっ!」「ぎゃっ!」
たちまち魂消るような悲鳴と、生死を一瞬にして分つ気迫を込めた気合いが満ち、見る見る敵味方入り乱れての乱戦となった。コクラノの重い剣が唸ってモス兵の腕を叩き潰す。『運命(リマイン)』の黒剣が、例の、気配を持たぬ不気味さで忍び寄り、犠牲者の首を刎ねる。シートスがあわやの切っ先を避けつつ、近くの『運命(リマイン)』の胴を薙ぎ払う。
絶叫、怒号、剣が噛み合い絡み合う、鼓膜を震わせる金属音、何とか獲物に辿り着けたものがいたのだろう、得意の槍が唸る音、折れて飛び散る剣の鈍い響き、あいとあらゆる戦いの物音が空間を埋め尽くす。
「ぐわあっ!!」
声を限りに叫んで倒れるモス兵士の血が柄にかかってぬめり、ぎゅっと握り直しながら、ユーノは感触に体を震わせた。生暖かく粘りつく鮮血、返り血を浴びながら、モスの遠征隊の中を走り抜けていく自分の姿を想う。自嘲気味に唇が歪むのを感じた。
(きっと)
右から打ちかかって来た相手を柄で殴りながら、返す刃先で前の敵を屠り、同時に斜め左のモス兵士の腹に振り上げた片足を叩き込む。
(こんな娘を愛する人はいない)
口元を引き締め、流れ落ちる汗を振り払い、ユカルの姿を探す。いた。右前方、二人のモス兵士に手こずっている。ユカルが無防備に向けた背中に、新たに別の兵士が斬り掛かろうとするのに地を蹴り、走り抜け様に三人倒し、間一髪、ユカルの背へと滑り込み、振り下ろされた剣を受け止める。
ガキャッ!
「ユーノ!」
「だらしないぞ、ユカル!」
「何言ってんだ!」
ユカルはく、っと唇を結んだ。ようやく一人の兵士を倒す。
「お前のような剣の天才とは違うんだ! こっちはただの物見(ユカル)なんだぞ!」
「じゃあ、どうして天幕(カサン)の中で震えていなかった?」
にやりと笑いながら、ユーノは剣を押し返し、瞬間にできた相手の隙に乗じて、鳩尾、脛へとそれぞれ痛烈な一撃を見舞って崩れさせた。
「今そうしようと思ってたのさ!」
ユカルが叫び返し、剣を握り直すと同時に刃先を滑らせた。ギャギャギャギャッと嫌な音が響いて、思わず眉をしかめながらも相手の剣を跳ね上げ、刺し貫いて倒す。
「走るぞ!」
「わかってる!」
それぞれに敵を倒して、一瞬周囲にできた間隙を縫って、ユーノとユカルは平原竜(タロ)の集めてあるたまり場へ走った。平原竜(タロ)達が走りたがっているのは一目瞭然、放つだけで近年にない大暴走となるだろう。
二人の意図を察した『運命(リマイン)』とモス兵士が追いすがってくる。息の続く限り走ろうと速度を上げる二人に、他の野戦部隊(シーガリオン)が気づき、素早く援護に移り始める。
「ヒストーッ!」
胸が張り裂けそうな苦しい息の中から、ユーノは一声高く愛馬を呼んだ。平原竜(タロ)の中で騒ぎが起き、一頭の栗毛の馬が苛立たしげに棒立ちになり、天の嵐を呼ぶように高く嘶いた。自分を繋いでいる紐を泡を吹きながら噛みちぎろうともがく。努力は間もなく功を奏した。縛めを解かれた野性の獣よろしく、その名の白い星(ヒスト)を額に白々と燃え上がらせながら、ユーノに向かって駆け寄ってくる。間近に来ると僅かに速度を落とし、ユーノと並走、ユーノが手綱を掴んだと見るや、振り回すように体を振って主を背中へと引き上げる。
息を呑むユカルの目の前で、奇跡のような安定感と軽さで馬を操り、ユーノは平原竜(タロ)の中に走り込み、綱を次々と断ち切った。ようやく群れに辿り着いたユカルが、自分の平原竜(タロ)に乗るのももどかしく、平原竜(タロ)達が走り始める。
「オーダ……レイ!」
息を切らしたユカルの声が、それでも朗々と響き渡る。深い緑色の鱗を、燃え上がる炎よりも猛々しく輝かせて、平原竜(タロ)は怯むそぶりさえなく、戦乱のまっただ中にそれぞれの主を捜して走り込んでいく。
「オーダ・シーガル!」
その一匹の手綱をぐい、と捉えて、平原竜(タロ)の上に躍り上がったシートスが、手にした剣を高々と上げた。どよめきが戦いの混乱を渡っていく。平原竜(タロ)に踏みつぶされる者、蹴飛ばされる者、暴走に巻き込まれて命を落とす者が続出し始めた。だがもちろん、伊達や酔狂で野戦部隊(シーガリオン)を名乗っているわけではない、仲間達は次々と平原竜(タロ)に飛び乗り、或いは並ぶ平原竜(タロ)の背中を渡り、それぞれの持ち平原竜(タロ)に身をおさめ始めている。
「オーダ・シーガル!」
「オーダ・レイ! レイ! レイ! レイ! レイ!」
レイ、レイ、と後を続ける声が次第に増え出し、平原竜(タロ)のたてる地響きと相まって怒濤のように『運命(リマイン)』とモス兵士を襲い始めた。一度怒れば一都をも灰燼に帰そうという平原竜(タロ)の暴走の前では、『運命(リマイン)』の操る馬の激走など児戯に等しい。
レイ、レイ、レイ、と掛け声が上がる度に、『運命(リマイン)』の姿が見る見る少なくなっていく。
「はあっ!」
荒くれた平原竜(タロ)の暴走の中で、ヒストに乗ったユーノの姿は目立った。
平原竜(タロ)に追われ逃げ惑う『運命(リマイン)』の乗る馬は次々と蹴散らされていくのに、ユーノの乗るヒストは、まるで平原竜(タロ)に守られてでもいるようにーしかし、よく見れば、馬を平原竜(タロ)の中で遅れず急かさず操る腕がどれほどのものなのか、すぐにわかって感嘆の念を抱かずにはおられないー悠々と進み続ける。
焚き火の炎が蹴散らされたのか、赤茶けた草原に炎の絵巻物が広がっていく。ほぼ同時に、『運命(リマイン)』、モス兵士の中から叫びが上がった。
「退け! 退くんだーっ!」
「!」
その後は素早かった。形勢不利と見ていた者が多かったのだろう、来た時と同じように、あっという間に、炎の照らし切れぬ夜闇へ消えていく。
「オーダ・レイ!」
平原竜(タロ)の暴走に次第に制限を加えていきながら、シートスが叫んだ。手近の者に指示を与え、燃え広がろうとする火を追わせて踏み潰させる。
「はいやっ、ほうっ!」
乾いた草地を疾っていく炎に飛び込むのは並大抵ではない、だが、野戦部隊(シーガリオン)の面々は怯んだ様子もなく、先回りし、炎とじゃれ合うかのように軽々と、その道筋を蹴り潰し、消し止めていく。躍る炎、舞う土埃、翻るマントに火をもらう間抜けは一人もいない。炎の中を緑の鱗の平原竜(タロ)が駆け抜けた後は、重く沈んだ黒色の闇が残るだけだ。
「オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
ユカルが汚れた頬に誇らしさを漲らせて、高々と叫んだ。物見(ユカル)としてはもっとも嬉しい叫び、勝鬨の声だ。
(倒されたのは十人ほどか)
ユーノはシートスの視線を追って、主のいない平原竜(タロ)の頭数を数えた。
シートスにすれば、その状況は少々不満だったらしい。難しい表情で、ぼんやりと薄明るくなってきた空を睨みつけていたが、ふっと溜め息をつき、髭をしごいてユーノを見た。眉を上げ、苦笑して見せる。
「シートス」
「うむ」
ユカルが、例の紅い房のついた槍を手渡す。シートスは重く頷いて、それを受け取った。ゆっくりと天へ突き上げる。
「オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
「オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
声が唱和するのを待ち、シートスは気迫のこもった動作でそれを投げた。しなる筋肉に支えられて、槍は軽々と空を飛び、踏み荒らされ消された焚き火の跡に深々と突き刺さる。静まり返った闇にびい…ん、と端まで震える槍を見つめ、シートスが呟いた。
「同胞(はらから)はこの槍の下に集い、槍の下に従い、槍の下に死んだ。それを忘れる者は野戦部隊(シーガリオン)たる資格はない」
無言で男達が頭を垂れる。
ラズーンに属するとはいえ、野戦部隊(シーガリオン)は独自の掟に基づき、時にラズーンを遠く離れて転戦する。互いの背中を預け、互いの最後を見届け合う。絆は、平原竜(タロ)に跨がった瞬間から、固く強く結ばれている。
それは、厳しくも淡々とした野辺送りの儀式だった。
頭上に遥けく高まる天空と、足下に果てしなく広がる大地と、それぞれの存在の狭間に生きる、小さく脆い人間との。
(温かい)
ユーノは目を閉じ、小さく息をついた。
アシャ達とは違った安心が、ここにはある、ただ一人、コクラノの妙にぎらつく視線は気にはなるが。
ふ、とシートスが息を吐き、天を仰いで命じた。
「長居は無用だ! 移動する!」
完全に囲まれ、じわじわと追い詰められ、ユーノ達は炎を背後に、身につけている長剣、短剣のみで、深い闇の中に濃厚に漂う『運命(リマイン)』の気配と対峙している。
どこか一カ所でその沈黙が破られれば、雪崩のように『運命(リマイン)』が押し寄せてくるだろう。平原竜(タロ)から切り離された状態で囲まれているのが、とにかく厳しい。
ついさっきまでユーノとコクラノの勝負を見守っていた湧き上がるような熱気も、冷え込む殺気に吸い込まれている。コクラノもまた、やや青ざめた顔を闇に向けている。
それを見たユーノの唇に、ふと時ならぬ笑みが浮かんだ。
(怖いのか)
コクラノへとも、自分へともわからぬ呟きを胸の中で漏らす。
(いや…怖くない)
まるで、それを自らへの問いととったように、心の奥底が応えた。
(ラズーンは目の前だ。ここで死ぬわけにはいかないんだ)
ふっとコクラノがこちらを見つめ、ユーノの薄笑みにむっとしたように眉をしかめた。その横で、シートスがわずかに目を細める。彼の視線がある箇所に注がれているのに、ユーノはゆっくり目だけ動かした。
見覚えのある黄色のマントが薄明かりを浴びてぼんやりと浮かび上がっている。
(モスの遠征隊?)
「!」
ユーノはシートスの視線の意味を悟ってはっとした。
確かに『運命(リマイン)』本体より『運命(リマイン)』支配下(ロダ)の方が突破しやすいだろう。
そして、そのモスの遠征隊の向こうに、平原竜(タロ)のたまり場がある。
ほとんどが騎馬の『運命(リマイン)』相手に歩兵のままではあまりにも不利だ。モスの遠征隊の部分を切り抜ければ、平原竜(タロ)に辿り着ける。
(崩すとしたら、あそこしかない)
じわりとコクラノの前方が押した。それに吊られて、波頭が続く滑らかさで『運命(リマイン)』の前線が押し出し、呼応するように半歩退いたユカルが、片手を炎に炙られたのか、びくりと体を強張らせる。同じように後ろへ下がった自分の脚が、焚き火の木を折り、すぐに炎と化す気配にユーノも動きを止めた。
後はない。
風が唸って、はるか高空を翔け猛っていく。
「う…おおお!!」
嬲り殺される恐怖に耐えかねたコクラノが雄叫びを上げ、前方へ突進した。
ちいっ、とシートスが高い舌打ちを漏らす。先に動いた方が不利になるのを知り尽くしている、だが、いくら不出来とはいえ、部下を見捨てるようでは野戦部隊(シーガリオン)の長は勤まらない。決意を濃い眉に浮かべて剣を抜き放ち、コクラノの後へ続く。
「ユカル!」
「おう!」
同時にユーノも行動を開始していた。コクラノのために散りかけた戦線を一つにまとめるように、モスの兵の中へまっしぐらに切り込む。ユカルが額帯(ネクト)にかけて遅れまいとするように、後を追ってくる。
「はっ!」「うっ!」「わあっ!」「ぎゃっ!」
たちまち魂消るような悲鳴と、生死を一瞬にして分つ気迫を込めた気合いが満ち、見る見る敵味方入り乱れての乱戦となった。コクラノの重い剣が唸ってモス兵の腕を叩き潰す。『運命(リマイン)』の黒剣が、例の、気配を持たぬ不気味さで忍び寄り、犠牲者の首を刎ねる。シートスがあわやの切っ先を避けつつ、近くの『運命(リマイン)』の胴を薙ぎ払う。
絶叫、怒号、剣が噛み合い絡み合う、鼓膜を震わせる金属音、何とか獲物に辿り着けたものがいたのだろう、得意の槍が唸る音、折れて飛び散る剣の鈍い響き、あいとあらゆる戦いの物音が空間を埋め尽くす。
「ぐわあっ!!」
声を限りに叫んで倒れるモス兵士の血が柄にかかってぬめり、ぎゅっと握り直しながら、ユーノは感触に体を震わせた。生暖かく粘りつく鮮血、返り血を浴びながら、モスの遠征隊の中を走り抜けていく自分の姿を想う。自嘲気味に唇が歪むのを感じた。
(きっと)
右から打ちかかって来た相手を柄で殴りながら、返す刃先で前の敵を屠り、同時に斜め左のモス兵士の腹に振り上げた片足を叩き込む。
(こんな娘を愛する人はいない)
口元を引き締め、流れ落ちる汗を振り払い、ユカルの姿を探す。いた。右前方、二人のモス兵士に手こずっている。ユカルが無防備に向けた背中に、新たに別の兵士が斬り掛かろうとするのに地を蹴り、走り抜け様に三人倒し、間一髪、ユカルの背へと滑り込み、振り下ろされた剣を受け止める。
ガキャッ!
「ユーノ!」
「だらしないぞ、ユカル!」
「何言ってんだ!」
ユカルはく、っと唇を結んだ。ようやく一人の兵士を倒す。
「お前のような剣の天才とは違うんだ! こっちはただの物見(ユカル)なんだぞ!」
「じゃあ、どうして天幕(カサン)の中で震えていなかった?」
にやりと笑いながら、ユーノは剣を押し返し、瞬間にできた相手の隙に乗じて、鳩尾、脛へとそれぞれ痛烈な一撃を見舞って崩れさせた。
「今そうしようと思ってたのさ!」
ユカルが叫び返し、剣を握り直すと同時に刃先を滑らせた。ギャギャギャギャッと嫌な音が響いて、思わず眉をしかめながらも相手の剣を跳ね上げ、刺し貫いて倒す。
「走るぞ!」
「わかってる!」
それぞれに敵を倒して、一瞬周囲にできた間隙を縫って、ユーノとユカルは平原竜(タロ)の集めてあるたまり場へ走った。平原竜(タロ)達が走りたがっているのは一目瞭然、放つだけで近年にない大暴走となるだろう。
二人の意図を察した『運命(リマイン)』とモス兵士が追いすがってくる。息の続く限り走ろうと速度を上げる二人に、他の野戦部隊(シーガリオン)が気づき、素早く援護に移り始める。
「ヒストーッ!」
胸が張り裂けそうな苦しい息の中から、ユーノは一声高く愛馬を呼んだ。平原竜(タロ)の中で騒ぎが起き、一頭の栗毛の馬が苛立たしげに棒立ちになり、天の嵐を呼ぶように高く嘶いた。自分を繋いでいる紐を泡を吹きながら噛みちぎろうともがく。努力は間もなく功を奏した。縛めを解かれた野性の獣よろしく、その名の白い星(ヒスト)を額に白々と燃え上がらせながら、ユーノに向かって駆け寄ってくる。間近に来ると僅かに速度を落とし、ユーノと並走、ユーノが手綱を掴んだと見るや、振り回すように体を振って主を背中へと引き上げる。
息を呑むユカルの目の前で、奇跡のような安定感と軽さで馬を操り、ユーノは平原竜(タロ)の中に走り込み、綱を次々と断ち切った。ようやく群れに辿り着いたユカルが、自分の平原竜(タロ)に乗るのももどかしく、平原竜(タロ)達が走り始める。
「オーダ……レイ!」
息を切らしたユカルの声が、それでも朗々と響き渡る。深い緑色の鱗を、燃え上がる炎よりも猛々しく輝かせて、平原竜(タロ)は怯むそぶりさえなく、戦乱のまっただ中にそれぞれの主を捜して走り込んでいく。
「オーダ・シーガル!」
その一匹の手綱をぐい、と捉えて、平原竜(タロ)の上に躍り上がったシートスが、手にした剣を高々と上げた。どよめきが戦いの混乱を渡っていく。平原竜(タロ)に踏みつぶされる者、蹴飛ばされる者、暴走に巻き込まれて命を落とす者が続出し始めた。だがもちろん、伊達や酔狂で野戦部隊(シーガリオン)を名乗っているわけではない、仲間達は次々と平原竜(タロ)に飛び乗り、或いは並ぶ平原竜(タロ)の背中を渡り、それぞれの持ち平原竜(タロ)に身をおさめ始めている。
「オーダ・シーガル!」
「オーダ・レイ! レイ! レイ! レイ! レイ!」
レイ、レイ、と後を続ける声が次第に増え出し、平原竜(タロ)のたてる地響きと相まって怒濤のように『運命(リマイン)』とモス兵士を襲い始めた。一度怒れば一都をも灰燼に帰そうという平原竜(タロ)の暴走の前では、『運命(リマイン)』の操る馬の激走など児戯に等しい。
レイ、レイ、レイ、と掛け声が上がる度に、『運命(リマイン)』の姿が見る見る少なくなっていく。
「はあっ!」
荒くれた平原竜(タロ)の暴走の中で、ヒストに乗ったユーノの姿は目立った。
平原竜(タロ)に追われ逃げ惑う『運命(リマイン)』の乗る馬は次々と蹴散らされていくのに、ユーノの乗るヒストは、まるで平原竜(タロ)に守られてでもいるようにーしかし、よく見れば、馬を平原竜(タロ)の中で遅れず急かさず操る腕がどれほどのものなのか、すぐにわかって感嘆の念を抱かずにはおられないー悠々と進み続ける。
焚き火の炎が蹴散らされたのか、赤茶けた草原に炎の絵巻物が広がっていく。ほぼ同時に、『運命(リマイン)』、モス兵士の中から叫びが上がった。
「退け! 退くんだーっ!」
「!」
その後は素早かった。形勢不利と見ていた者が多かったのだろう、来た時と同じように、あっという間に、炎の照らし切れぬ夜闇へ消えていく。
「オーダ・レイ!」
平原竜(タロ)の暴走に次第に制限を加えていきながら、シートスが叫んだ。手近の者に指示を与え、燃え広がろうとする火を追わせて踏み潰させる。
「はいやっ、ほうっ!」
乾いた草地を疾っていく炎に飛び込むのは並大抵ではない、だが、野戦部隊(シーガリオン)の面々は怯んだ様子もなく、先回りし、炎とじゃれ合うかのように軽々と、その道筋を蹴り潰し、消し止めていく。躍る炎、舞う土埃、翻るマントに火をもらう間抜けは一人もいない。炎の中を緑の鱗の平原竜(タロ)が駆け抜けた後は、重く沈んだ黒色の闇が残るだけだ。
「オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
ユカルが汚れた頬に誇らしさを漲らせて、高々と叫んだ。物見(ユカル)としてはもっとも嬉しい叫び、勝鬨の声だ。
(倒されたのは十人ほどか)
ユーノはシートスの視線を追って、主のいない平原竜(タロ)の頭数を数えた。
シートスにすれば、その状況は少々不満だったらしい。難しい表情で、ぼんやりと薄明るくなってきた空を睨みつけていたが、ふっと溜め息をつき、髭をしごいてユーノを見た。眉を上げ、苦笑して見せる。
「シートス」
「うむ」
ユカルが、例の紅い房のついた槍を手渡す。シートスは重く頷いて、それを受け取った。ゆっくりと天へ突き上げる。
「オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
「オーダ・シーガル! オーダ・レイ!」
声が唱和するのを待ち、シートスは気迫のこもった動作でそれを投げた。しなる筋肉に支えられて、槍は軽々と空を飛び、踏み荒らされ消された焚き火の跡に深々と突き刺さる。静まり返った闇にびい…ん、と端まで震える槍を見つめ、シートスが呟いた。
「同胞(はらから)はこの槍の下に集い、槍の下に従い、槍の下に死んだ。それを忘れる者は野戦部隊(シーガリオン)たる資格はない」
無言で男達が頭を垂れる。
ラズーンに属するとはいえ、野戦部隊(シーガリオン)は独自の掟に基づき、時にラズーンを遠く離れて転戦する。互いの背中を預け、互いの最後を見届け合う。絆は、平原竜(タロ)に跨がった瞬間から、固く強く結ばれている。
それは、厳しくも淡々とした野辺送りの儀式だった。
頭上に遥けく高まる天空と、足下に果てしなく広がる大地と、それぞれの存在の狭間に生きる、小さく脆い人間との。
(温かい)
ユーノは目を閉じ、小さく息をついた。
アシャ達とは違った安心が、ここにはある、ただ一人、コクラノの妙にぎらつく視線は気にはなるが。
ふ、とシートスが息を吐き、天を仰いで命じた。
「長居は無用だ! 移動する!」
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作家志望くずれの孫請けゲームプログラマ喪女26歳。デスマーチ明けの昼下がり、道路に飛び出した子供をかばってトラックに轢かれ、異世界転生することになった。
課せられた使命は魔王討伐!? 女神様から与えられたチートは、赤ちゃんから何度でもやり直せる「強くてニューゲーム!?」
強敵・災害・謀略・謀殺なんのその! 勝つまでレベリングすれば必ず勝つ!
やり直し系女勇者の長い永い戦いが、今始まる!!
本作の数千年後のお話、『アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~』を連載中です!!
何卒御覧下さいませ!!
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