『ラズーン』第三部

segakiyui

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6.失われた記憶(4)

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(今の……キス…?)
 ユーノはアシャが出て行った後をぼんやりと見つめ、おずおずと頬に手を当てた。
 柔らかく軽く、何かが触れたと思った次の瞬間には、それはもう離れていた。
 不快感はなかった。むしろ、心が甘く切なく、鼓動がわずかに速まっている。
(アシャ…)
 顔がほてる。毛布の上のマントに気づいて、そっと触れる。
(あの人のだ)
 引き寄せ、胸に抱き締める。鼻先を埋めると、安堵が広がる。ここなら安心して眠っていい、そう知らせる深く安らかな感覚。
 いつまでもその甘さに浸っていたかったが、するべきことは忘れていなかった。左手で何とか服を羽織る。マントを巻き付け、毛布を掴み、平原竜(タロ)に近寄った。
「………」
 平原竜(タロ)が目を開け、緑の鱗を鈍く光らせて、体を起こした。その背に毛布を投げ上げ、背を低めてくれた平原竜(タロ)に何とか左手一本でよじ上る。手綱を握ると、一人闇夜に駆けていったアシャの後ろ姿を思い出して胸が詰まった。
(あなたのためなら)
 強く唇を引き締める。
 甘やかな頬への感触、唇に受け止められば、どれほど嬉しいだろう。上気する体に、自分の願いが何であるか、はっきり覚る。
(あなたのためなら、この身を捨てても役目を果たすよ、アシャ)
「は、あっ!」
 低く気合いのこもった声をかけ、ユーノは平原竜(タロ)で野戦部隊(シーガリオン)へと駆け戻って行った。

「いたっ!」
 片腕を捻り上げられ、レスファートは悲鳴を上げた。
「何すんだよ!」
 きっとした目で、モス兵士の浅黒いしかめっ面を睨みつける。が、それで罪悪感を覚えるような相手ではなかったようだ。それどころか、逆にますますレスファートの細腕を捻り、少年の体を軽く浮かせたまま引きずり始めた。
「や…あ……い…た…っ」
「やめろよ! 子ども相手に…」
 喚きかけてイルファは体を強張らせる。突き出された剣の切っ先が、冷たい感触で腕に当たり、斜めにずれ込んだと思うと、生暖かいものが腕を伝い降り始める。
「わかった。動くなってことだろ。じゃあ、レスをこっちに返せよ」
 横目で背後の気配を伺いながら続ける。
「所詮、子どもの足じゃ、あんた達の速度についていくのは無理というもんだ。それに…」
 ちらっと、痛みを堪えて歯を食いしばっているレスファートの方を見やる。
「そのままじゃ、今にも泣き出すぞ。夜襲に騒ぎってのは、あんまりよくねえんじゃねえのか?」
「……」
 しばし逡巡している男を尻目に、イルファは素早い目配せをレスファートに送った。涙に潤んでいたアクアマリンの目が少し見開かれ、意図を察したように閉じられる。
「うっ」
 顔を歪め、レスファートは絞り出すような声を上げた。
「い……たあ……い……っ……うっ…」
 見る見るポロポロと涙を零してしゃくりあげ始める。掴んでいた男がさすがにぎょっとした顔になって、レスファートの口にごつい手を押し当てる。だが、それでおさまるようなレスファートではない。
「うっ…わ、ああああ…!」
「こらっ!」
 ジャントスが振り返って男を睨みつけた。
「そのガキを何とかしろ!」
「しっ、しかし」
「だから、返せって言ってるだろ!」
「黙れっ!」
「いたあいっ! わあっっ」
「わ、わかった! ほら、泣かせないようにしろっ」
 男はレスファートの腕を捻り上げたまま引きずり、イルファに引き渡した。苦痛に眉を寄せたままのレスファートをイルファは急ぎ抱き上げる。
「大丈夫か?」
「う…ん…」
 歯を食いしばってレスファートは頷き、弱々しく笑った。が、澄んだ大きな瞳からは涙が零れ落ち続けている。それに気づいたレスファートが、手の甲で涙を擦り取ろうとしたが、唐突に眉をしかめて動きを止めた。
「どうした?」
「何か…痛いの」
 レスファートは不安そうな顔で右肩に手を当てた。
「捻られたからな」
「ちがう……何か…熱くって……痛い」
 唇を噛み締めて傷みを耐えるレスファートに、イルファは不安を飛ばすように笑い返した。相手の小さな体をしっかり抱え、頭を引き寄せて包む。
「気のせいだろ」
「そう、かな」
 ことん、とイルファの肩に頭を乗せ、レスファートは小さく呟いた。
「それより、ユーノのいる方向はわかるか?」
「うん…」
 声を落として問いかけると、レスファートも微かな声で囁き返す。
「だいたい、こっちなんだけど…」
「そうか…」
 イルファとレスファートは、レスファートの能力を頼りにスォーガの草原を西へ突っ切っていた。そこへちょうどやってきていた、野戦部隊(シーガリオン)へと向かうジャントス・アレグノ率いるモスの遠征隊に出くわしてしまったのだった。
 もう少し相手が少なければ、イルファも何とかできたのだが、腕利きを集めたジャントスの隊、レスファートを庇いながらでは、こうして捕まるしか生き残る術はなかった。
「レス?」
 ふと、レスファートが顔を押し付けている肩のあたりがじんわりと熱くなったのに、イルファは眉を寄せた。少年の頭に手を乗せ、相手が小刻みに震えているのに気づく。
「レス……お前」
「ひ…っく」
「……いつから声を殺すなんてこと、覚えた」
「だ…て…」
 レスファートはひくりと体を震わせた。
「イルファ……ぼくを……泣かさ……ない…て…」
「ばか」
 ごしごし、と小さな頭を乱暴に擦る。
「こんな奴ら、気にすんな」
「うん……っ」
 く、とレスファートはなおも堪えたが、しばらくして身悶えしながら呟いた。
「だめ…だもん…」
「レス?」
「……ーノ……ユーノ…ぉ…」
「レス…」
 涙声の合間に絞り出される名前を聞き取って、イルファは思わず顔を歪めた。奥歯を噛み締め、きつくレスファートを抱き締める。頭を引き寄せ頬ずりして、低く唸った。
「わかった。必ずユーノに会わせてやるからな。安心してろよ、レス」
「イ…イルファ…ぁ」
「ああ、ああ」
「うるさいぞ!」
 テメエの方がうるせえんだ、そう怒鳴りつけようとしたイルファは、相手の向こう、岩陰に煌めいた金褐色の反射を見てとって口を噤んだ。夜闇の中、僅かな星の灯でさえも見まごうことないその色合いは。
(アシャ!)
「どうした?」
「あ、ああ、すまん、悪かった」
「うむ」
 謝るイルファの口先だけのことばにモス兵は満足そうに頷く。その肩越しに、イルファはもう一度岩の方を見やった。
 そっと岩陰から仄白い顔が突き出され、にやりと不敵な笑みを返してくる。
(側に居たのか)
 どこからとか、いつからとかはどうでもよかった。アシャが近くに居るなら、イルファにとっては百人力だ。
 アシャは親指だけを立ててこぶしを握り、くいくい、と少し先の岩塊が寄り合った所を指差した。進行方向にあるその岩塊群はかなりの広範囲に渡っていて、迂回するには厳しい。だが、そこを通り抜けるとなれば、どうしても隊も分散しがちになるだろう。
(ようし)
 イルファは周囲に気づかれぬように、微かに首を頷かせた。
「? ……イルファ?」
 なおも、声を殺して泣いていたレスファートが頭を浮かせるのを、イルファは軽く押さえた。
「少々騒動が始まるぞ。しっかり掴まってろよ」
「うん」
 岩陰を伝って次第にジャントス・アレグノの隊へ忍び寄るアシャに、イルファはお互いの呼吸を計り始めた。剣は真横の男のものを奪う。レスを庇い、とにかく逃げる。
(だが、俺の剣は必ず取り戻さなくちゃならん)
 イルファは固く決意した。

「星の剣士(ニスフェル)!」
「あつっ!」
「あ、悪い…っ」
 戻ってすぐ、再び飛び出しかけたユーノの片腕をユカルが捕らえ、思わず声を上げた。それでもユカルは手を離さず、むしろ咎めるような目になって、
「どこへ行くんだ」
「決まってる!」
 訳のわからぬ問いを投げた相手を睨みつける。
「アシャの所へ行くんだ。野戦部隊(シーガリオン)が動くには、まだ時間がかかるだろ。その前に、あの人の所へ行って、加勢して来る!」
「傷の手当もしないでか!」
 ユカルは激しく詰って、ユーノの右肩に広がる鈍い紅の染みを見つめた。
「手当ならアシャにしてもらった。ぐずぐずしてたら、あの人一人で」
「気になるのか」
「っ」
 すうっと見る見る顔が熱くなるのがわかって、慌てて反論する。
「何がだよ」
「アシャのことが」
「…当たり前だろ!」
 少しためらった後、ユーノは叫び返した。
「あの人は、アシャ・ラズーンで、視察官(オペ)の中の視察官(オペ)だろ! ラズーンにとって大切な人なら、当然、ボクら野戦部隊(シーガリオン)にとっても大切な人じゃないか!」
「それだけか?」
 ユカルのはしこそうな焦茶の目が、悩みながらユーノを見つめた。
「本当に、それだけなのか?」
「……どういうことさ」
「……お前が女で良かったよ」
「え?」
「お前が女で……俺は嬉しかった」
「ユカル…」
 ユーノは茫然として、頬を紅潮させたユカルをまじまじと見た。
「お前が好きなんだ、星の剣士(ニスフェル)」
 きっぱり言って、ユカルは一歩、ユーノに近づいた。じり、と無意識に後じさりしながら、顔にさっきよりももっと早く、一気に血が昇ってくるのがわかった。
「そんなこと……言われても…」
「星の剣士(ニスフェル)」
「そんなこと言われても、無理だよ!」
 叫んで、ユカルの熱っぽい視線を避ける。顔を背けたまま、吐き捨てるように、
「だって、自分が女だっていうのも、ついさっきわかって……それで、そんなこと言われたって……ボクにはわかんないよ!」
「じゃ、アシャは」
 ユカルはじれったがるように口を挟んだ。
「アシャはどうなんだ」
「どうって…」
「前はあんなにアシャを避けてたじゃないか。なのに、どうしてそんなに急に、アシャを心配するんだ?」
「どうしてって」
 混乱してくる頭の中繰り返す。
(どうしてって)
 何か無性に怖かった。あの人、あの綺麗な人に魅かれていくのが怖くて、でも、こらえようもなく魅かれて……けれど、心のどこかで、魅かれちゃだめだという声がいつも谺していた。
(だけど…)
 だけど?
「星の剣士(ニスフェル)」
「だけど……どうしようもないんだ…」
 どこか遠く、自分の声を聴いている。
「どうしようもなくて……だって……『私』……アシャが」
「星の剣士(ニスフェル)! 物見(ユカル)!」
 ユーノのことばはシートスの声に遮られた。
「何をしている!! 移動するぞ!!」
「は、いっ!」
「はい!!」
 名残惜しげに、けれどユーノのことばの先を読んだように、ユカルはどこか硬い表情で身を翻し、シートスの元へ走り出した。
 後から追いながら、ユーノは心の中に弾けた想いに、どこか陶然とした気持ちを味わっていた。
(アシャが……好きなんだ)
 右肩が熱っぽい。じくじくした痛みが身動きするたびに広がる。
 けれどその痛みも、ユーノの想いを消しはしなかった。
(私は……アシャが……好きなんだ)
 その想いの行き着く先を、未だ思い出せぬユーノだった。
 
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