『ラズーン』第三部

segakiyui

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10.『氷の双宮』(3)

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(どうして、ユーノは帰ってこない?)
 レスファートは窓に腰掛けたまま、そっと外に手を伸ばした。指先に、尾の長い鳴き鳥(メール)が止まりに来る。
(好きだっていったのに)
 レスファートは心の中で呟いて、その手を引き寄せた。リリッ、リリリュッ…とさえずり続ける鳴き鳥(メール)に唇を寄せる。その頭にも肩にも、まるでレスファートを慰めるように次々と鳴き鳥(メール)が舞い降りてくる。
(どうしてユーノは帰ってっこない?)
 膝に乗った鳴き鳥(メール)の背に、ぽとりと光るものが落ちた。
「リッ!」
 鋭い声を上げて鳴き鳥(メール)は驚き、ばたばたと飛び去った。促されたように、レスファートの回りにいた鳴き鳥(メール)が一斉に飛び立っていく。
「あ!」
 行かないで。
 手を伸ばしたレスファートの体がぐらりと前へのめった。
「レス…きゃっ!!」
「わ!」
 危うく窓から落ちかけたレスファートを背後から抱きとめ、リディノがほうっと息を吐く。
「危なかったわね……だめよ、こんな所に座って…」
 優しくたしなめかけたリディノが、振り向いたレスファートの目が涙で一杯だったのに驚いたのだろう、口を噤む。
「泣いてたの? レス」
 柔らかな問いに、より心が緩む。
「……ユーノが帰ってこない…」
 訴えると、開いたままの目から涙が溢れ落ちた。
「もう三日もたってるのに…」
「レス…」
 リディノはそっとレスファートを抱き降ろし、一緒にしゃがみ込む。
「大丈夫よ」
「……ぼくに……追うなって……ぼく……ユーノのそばにいたい…」
 大声で泣き出しそうなのを必死にこらえる。心の中に空洞ができる。それが恐ろしい早さでどんどん広がっていくのを、震えながら何とか食い止めようとしてまくしたてる。
「ぼく……ユーノのそばにいたいの! はなれてるの、いやなの! ユーノ、あきらめるのいやなの! ユーノ死んじゃったら……死んじゃったら……」
 零れそうになることばを下唇を噛んで押しとどめ、黙り込む。だが、圧力は強い。黒くて重い不安がたれ込めて来る雲のように心を覆い、竦むレスファートを呑み込んでいく。がっくりと肩を落とした。
「ぼく……いくところ…ない…」
「レス……レス…」
 痛々しいという風情で、リディノがレスファートを引き寄せた。椅子に座り、抱え上げ、膝に引き上げてくれる。何度も頭を撫でてくれる。
「大丈夫よ。アシャ兄さまが一緒だもの。アシャ兄さまが……ね、レス」
「アシャが…」
 レスファートはぐっと息を引き、呑み込んだ。
 そうだ、どうしてそれを忘れていたのだろう。
「うん…そうだ。アシャの側だったら、ユーノ、楽なんだ」
 思い出すと少し元気が出た。にっこり、頑張って笑ってみせる。
「胸が痛くなってもいいんだ」
「え?」
 ふ、とリディノが眉を寄せた。少しためらいながら、そっとことばを継ぐ。
「レス……あなた、人の心がわかるのよね」
「うん…すこし」
 ふいに気配の変わった相手にレスファートは戸惑う。
「ユーノはアシャを好きなの?」
「……よく……わかんない…」
 ユーノが大丈夫かどうかという話が、なぜユーノがアシャを好きかどうかに繋がるのかわからなくて、首を傾げた。
「でも……アシャは…」
 ユーノはどう言っていたっけ、と一所懸命に思い出す。
「レアナって言う人を好きなんだって」
「レアナ?」
 リディノの声が妙に強くなったように感じる。
「うん…それで、ユーノが痛いの」
 問われている内容がよくわからないが、それでもユーノの胸が痛くなることから話は始まったはずだから、と急いで付け加える。
「でも、アシャといると、あったかいって」
「レアナ……あ」
 リディノははっとしたようだ。
「セレドのレアナ?………セレドの第一皇女……だから…ユーノ…」
 リディノは眉を潜め、切ない表情になったが、次にはもっと厳しい、苦しげな顔になった。
「そう……アシャ兄さまは……レアナが……」
「リディ? どうしたの?」
 リディノの心がふいに滲んだように揺らめくのをレスファートは感じ取った。鮮やかで華やかな印象が、あっという間に雨に打たれた花が散るように乱れていくのに不安になる。
 そのレスファートをきゅっと抱き締め、リディノは巻き毛を揺らせて首を振った。
「何でもない…何でもないのよ、レス…」
 瞳を堅く閉じた意志を裏切って、光るものが溢れ、リディノの頬を伝うのを、レスファートは呆然と見つめた。


「『氷の双宮』については…」
 席を立ったミダス公が、窓に近寄りながら続けた。
「私達も詳しくは知らないのです」
「どうしてです? あなたはラズーンの四大公でしょう?」
 ついさっきまで旺盛な食欲を満たしていたイルファは、今はゆったりと椅子の背にもたれながら、ミダス公に問う。
「確かに、私は、ジーフォ公、アギャン公、セシ公と並ぶ、ラズーン四大公の一人です。しかし、だからと言って、ラズーンの全てを知っているわけではない」
 ミダス公は窓辺でくるりと振り返った。背後からの光を受けて、プラチナがかった金髪がきらきらと光輪のように輝いている。その光の中心あたりから声が続く。
「ラズーンがどうして、この世界の統合府となったのか、どうして我ら四人が大公の位を与えられ、今日に至っているのか……恥ずかしいことだが、全く知らないのです。私は父祖より与えられた地位を受け継いだのみであるし、おそらく、他の三人も同様でしょう」
「知らない?」
 腹が膨れたせいか、やや眠たげな目になっていたイルファは、思わず瞬きした。
「そいつあ、面白い。なら、あなた方は、ラズーンでどんな役目を担っているんです」
 仮にも分領地の長に対してあまりにも不躾な物言いだったが、ミダス公は気を悪くした様子もなく、笑みを浮かべて席に戻ってきた。
「そう…私達がしていることは、主として自らの分領地の管理、ですね」
 応えながら、ミダス公は、卓に置かれていた複雑な形の木の小槌を、その下の平たい木の板に叩き付ける。コーン、と張りのある音が通って、入ってきた男女が次々と卓の上の皿や残り物を片付けていく。
 もう少し腹に余裕があれば食べ切るところだが、さすがのイルファもこれ以上は入らない。残念な気持ちを隠し切れず、名残惜しく見送っていると、まだ必要だろうと思われたのか、木鉢に盛ったラクシュの実と、ほの明るい紅の酒を注いだコップが残された。早速手を伸ばし、一つ二つ、ラクシュの実を口の中に放り込んで噛み砕きながら、イルファは重ねて尋ねる。
「分領地の管理……領主、ということですな?」
「その通りです」
 ミダス公はじっと酒の色を確かめるように、コップを見つめた。
「時々、『太皇(スーグ)』よりお召しがあって、『氷の双宮』へ向かいます。普段は外からは開かぬ扉ですが、その時だけは押すと開きます。もっとも、どういう仕掛けなのか、私達四大公、それに視察官(オペ)以外では、あの扉は開かないのです」
 一息ついて、ミダス公は酒を含み、ラクシュの黒い小さな実を摘んだ。
「中に入り、『氷の双宮』の左の宮で『太皇(スーグ)』に謁見を賜り、時には四大公でお互いの掟や領地での出来事について話し合います……それだけです」
 最後のことばに微かな疲れが滲んだ。
「全体の施政は? どう管理されているんです?」
 大食漢で無遠慮な男ではあるが、伊達にレクスファで王の側にいたわけではない、思ったよりも曖昧な仕組みに、イルファはのんびりと問いかける。
「全体?」
「ああ、ラズーン全体の。そもそも、ラズーンの世の統合府ですよね。世界はどうやって統治されているんですか?」
 イルファ達末端の人間が知っているのは、自分達の国々のことだ。ラズーンは世界の様々な出来事についてほとんど干渉しない。時にカザドのような無法な動きをする国がなくもないが、周囲の国を席巻し、呑み込むようなことにはならない。不穏な動きは静かに穏やかに、燃え盛る炎に少しずつ湿った布が投げ込まれていくように、じりじりと勢いを削られて消えていくのが常、時には内乱のような形で決着がつくこともあるが、時にはよく理由がわからないままに火種がなくなることもある。
 だからこそ、ラズーンには秘めた懐刀があり、その役職を担う者が世界に散っており、見えない場所から国々の動きを眺め、よほど世界の安定を揺らがせるようなことがあるなら、その懐刀が動き出す…そういうお伽噺じみた噂が立つのだ。
 視察官(オペ)や『運命(リマイン)』のことを知った今となっては、世界の動向を監視するのが視察官(オペ)であり、その補正と安定に力を尽くすのが『運命(リマイン)』だったという想像はつく。今の世界の動乱が、その『運命(リマイン)』の造反、本来ならばラズーンを継ぐ王子達、アシャやギヌア達の職務の放棄が重なったため、そう考えるのも辻褄があう。
 だが、それだけでは説明のつかないこともある。
 太古生物と呼ばれる数々の魔物(パルーク)がなぜこれほど復活しているのか。
 なぜこの動乱に対して、ラズーンは軍を繰り出したり視察官(オペ)を再配置したりして統治を強めるのではなく、各国から忠誠を証する者を集めるなどという、あやふやで意味のなさそうな策を採ったのか。
 しかもこの四大公、『羽根』と呼ばれる精鋭らしき軍を備えながら、なぜ世界の混乱に動こうとせず、どちらかというとひたすらにラズーンの守りを固めるかのように動かないのはなぜか。
 ならば、それだけ守らなくてはならないラズーンとは、そもそも何なのだ。光と影の統治方法をうまく動かしている大きな国、それだけなのか。それとも、何かもっと別の、意味を含んだ存在なのか。
 イルファの何げなさそうな問いには、もっと大きな何かがあるのではないのか、そういう揶揄も含んでいる。
「……『太皇(スーグ)』は指示を与えられます。それにより、ラズーンをまとめられています。以前はかなり強く指示されることもあったと聞きますが、最近は『運命(リマイン)』の暗躍もあり、それほどはっきりした指示がでるわけではありません。それに…」
 ミダス公はカリッと音をたてて、ラクシュを噛んだ。
「ラズーン全体がこの世を治めているわけではないのです。ラズーンの中で、私達四大公の分領地一つ一つは、諸国の一つ一つと同様、ラズーンという名を持つ諸国の一つに過ぎない、とも言えます。…………『太皇(スーグ)』が治めている内壁の中こそが、ラズーンの中のラズーンなのです」
「……」
 イルファは酒を呷った。
 ミダス公のことばは多くを語っているようだが、その実、ほとんど重要なことについて語っていない。それはミダス公自身が本当によくわかっていないのか、それともイルファに話すべきではないと思っているのか。
「視察官(オペ)はどういう位置にあるのですか」
「ああ…」
 ミダス公は穏やかな微笑を返してきた。
「彼らこそが『太皇(スーグ)』の直属の配下と言えるでしょうな。彼らは四大公の誰にも属さない『中間者』ですし、私達四大公にとっては、迎え、もてなすべき客、『太皇(スーグ)』からの使者でもあります。……もっとも、『運命(リマイン)』が造反するまでは、彼らもあまり楽しくはない相手ではありますが、密使であり、客でした」
「え?」
 イルファはミダス公の顔を見直した。
「ってえと、あいつらもここに来たことがある? あなたが客として遇したことがあるということですか?」
「『運命(リマイン)』はラズーンの重要な部分でした。けれど…」
 少しためらい、声を低めて続ける。
「自分達こそ、この世界を治めるべき存在であると…その資格があるのだとして、『太皇(スーグ)』に反旗を翻したと聞きます」
「仲間割れ…と言えばよくある話だが」
 しかし、その自分達にこそ『資格』がある、というのは面白いな、とイルファはごちる。
「『運命(リマイン)』の王だという、ギヌア・ラズーンが言うならわかるんだが」
 ギヌアが、自分の力量はアシャより上だ、だからこそ、この世界を統治する権利が自分にある、というのならわかる。しかし『資格』ということばはもっと違う感じがする。
(まるで、自分達の統治が一番自然なこと、そういう感じがするぜ)
 だが、現実は彼らに統治は任されていない。その辺りに何かありそうだ。
「そうですな…あの方は彼の名が示す通り、かつての第二正統後継者ですから」
 ミダス公の瞳が一瞬翳った。
「ま、どっちにせよ」
 イルファはぽん、と放り投げたラクシュの実を掴み、空になった酒のコップに落とした。酒に塗れる黒い実ににやりと笑う。
「あいつらとはぶつかるしかねえ。何せこっちは、アシャの味方につくと決めちまってますからね」
「…」
 ミダス公は曖昧な笑みで応じた。
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