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番外編

5.配合(1)

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「……ギャップ萌え」

 届いたばかりのローズさんからの手紙を手に、俺は呆然と呟いた。手紙にはいつも王都での近況とか、俺への助言なんかを書いてくれている。助言……そう、ローズさんがこれまで培ってきた「男心の掴み方」を気前よく教えてくれるのだ。

『――男は普段と違った一面にドキッとするものよ。逆にマンネリは絶対に駄目。多かれ少なかれ、男は新しい物に飛びつく習性があるって事を頭に置いておきなさい』

 俺も男なんだけどなぁと思いつつ、有り難いお言葉を自分に当て嵌めて考えた結果がギャップ萌えという単語だった。

 瑛士君は年中無休で格好良いが爆発しているけれど、極々稀に照れた姿や可愛い姿を見せてくれる。あの破壊力は特に凄まじいものがある。呼吸困難に陥るレベルで悶絶してしまう。あれはヤバい。

 しかし俺があの萌えを瑛士君に提供するには、一体どうしたら良いのだろう。

 緩い緩いと言われ続けて生きてきたので、引き締まった所でも見せられたなら、あるいは――いや無理か。あらゆるパターンで失敗する未来が容易に想像できた。自分が恐ろしい。

「フィー。ちょっと来てー」

 遠くで瑛士君の声がした。自室に籠もっていた俺を呼ぶ声。ギャップ萌えは一先ず置いてゆっくり考える事にして、瑛士君に返事をしながら部屋を飛び出し、素敵な声の方向へと足を向けた。

「どうしたの? 何かあった?」
「事件だ。これ、貰ったやつ……ほら、あの肉屋の向かいの食堂のおばちゃんがくれただろ。晩飯にしようかって今ちょっと味見してみたんだよ」

 ほらって瑛士君が差し出してくれた容れ物には俺も見覚えがあった。件の食堂には俺達もたまに食べに行くけれど、豊富なメニューにも関わらず外れが一つもない。何食べても美味しいので貰えればいつだって大歓喜の差し入れなのだ。それのどこに事件が……?

 しかし今日のは一風変わった料理に見える。

 煮た野菜の上にとろみのあるソースが乗せられた、いわゆる餡かけってやつだ。見るからに味が染みてそうな良い加減で煮られているのが瓜科っぽい野菜なのは分かるが、餡がマグマのような赤さで、とんでもなく辛そうに見えた。餡の中に小さな粒々まで見えるから余計に何だか唐辛子を連想してしまう。

「すごく辛かったりしない?」
「全然。普通に優しい味がするし、いつも通りすげー美味い」
「えーじゃあ、どこが事件?」

 何となく身構えてしまう俺を待ちきれなかったのか、瑛士君は自分で料理を取って、俺の口の前まで運んできた。あーん、と瑛士君に言われれば雛鳥よりも忠実にパカッと口を開けるように仕込まれてしまっている。

「ふん? ……ふんふん」

 いざ口に入れられてしまえば、言われた通り全く辛くなんてなかった。瑛士君が俺を騙す訳がないのだ。ではやはり何が事件か……味わう必要がある。

 舌で潰せる位柔らかくて、中からじゅわっと溢れる優しい甘さの出汁が口の中に広がった。初めて食べるのに何だかほっこり懐かしい味がする。うん、美味しい美味しい。

「……ん? 懐かしい?」
「あ、来た? 分かる?」

 早く共感したいのかグイグイ迫って来る瑛士君が可愛くて、ついそっちに気を取られそうになるけれど、頑張って違和感の原因を探った。ハッキリと主張してくる訳ではないけれど……これは……。

「和? 何か和食の……えっ醤油?」

 俺の繊細ではない舌は運良く正解を引き当てたのだろう。ウズウズを隠しきれていなかった瑛士君がパッと破顔した。

「だよな、やっぱそうだよな。俺だけじゃなかった。やった」
「――ちょ、エイジ。重い、重いから!」
「食堂のおばちゃん所、行こうぜ。何使ったか聞こ」

 キャッキャとはしゃぐ瑛士君は、腰に手を回して俺を高く持ち上げてしまう。慌てる俺に構わず鳩尾あたりに懐っこい犬みたいにご機嫌でグリグリ顔を擦り付けられてしまっては、こっちの抗う気も奪われるというものだ。くっ……このむず痒さが幸せか。

「っ、よし!」

 いやいや、良しではない。そのまま気合い入れて外に出ようとするのは、さすがに止めた。





 時は昼過ぎ。自分達の店はとっくに終わっていたけれど、食堂の方も休憩がてら夜の営業に向けての準備をしている時間帯だった。まぁ短時間なら邪魔にはならないだろうと中に入る。

「あら、フィーちゃん達じゃない。どうしたの?」
「今日貰った差し入れがね、美味しくて。良ければ材料とか教えてくんないかなぁってお願いしに来た」
「あーじゃあ、ちょっと待ってね」

 おばちゃんが店主を呼びに行ってくれた。ここは夫婦ともに調理するけど、今日のは旦那さん担当らしい。寡黙な上に熊みたいな大男だけれど、慣れればとにかく優しいおじさんだ。奥からのそっと現れた店主を見て、俺は元気よく両手を振った。

「おじちゃーん、今日も美味しかった。ありがとー!」
「いつもありがとうございます」

 二人で御礼を言うけれど、店主は無反応でのしのし近づいてくる。その巨体が目の前までやって来て、徐に大きな掌が頭に乗っけられた。右手に俺、左手に瑛士君。無言でわしわしと撫でられる。ここの店主はいつもこんな調子なのだ。

 醤油は別にして、料理が美味しかったから作り方が知りたいと言うと、快く調理場に案内してくれた。そこで渡されたのは……片手より大きな干物っぽいナニカ。よく分からないけど、楕円をぺちゃんこに潰したような形のカピカピの塊だった。

「これ、食べれるやつ?」

 こくり、と頷かれる。これが何かは教えて貰えないままに、調理が始まった。色んな料理に使うのだろう、たくさんの野菜がグラグラ煮え立つ寸胴鍋からスープを掬って片手鍋に移した店主は、おろし金のような物でその干物をすりおろし、スープに加える。

 するとどうだろう。透き通る琥珀色をしていたスープがみるみる真っ赤なマグマに変化していくではないか。これには俺も瑛士君も、思わず揃って小学生みたいな歓声を上げてしまった。

「すっげ! 擦った粉だって泥みたいな色だったのに」
「何で、ねぇ何で? これなに? すごい!」

 はしゃぐ俺達に店主は口角を僅かに上げ、瑛士君に新品の干物を渡してくる。気前の良い事にお裾分けしてくれるらしい。

「バロロの肝だ」

 ようやく今日の一言目を発してくれた。獣の内臓を干した物らしく、店主の友人が狩った物を気まぐれに持ち寄ってくれるそうだ。森に住む獣と聞いて、瑛士君が特徴を詳しく聞いていた。遭遇したこともあるらしい。

 お礼を言って帰宅してすぐ肝を半分にして、残りを全部すりおろして粉に変える。ビクつきながらちょびっとだけ舐めてみると、ちゃんと醤油っぽい味がするから素で感動した。

「……あいつからこんな優しい味がするとか信じらんねぇ」

 森では何度も襲われ、その度に死の危険を感じたらしい。獰猛そうなマッチョな大型犬と言われ、俺の背筋にも震えが走る。瑛士君が上手く逃げてくれて本当に良かった。

 にしても、この世界における森の獣は女神にとって何なんだろう。無関係って事はないと思うのだ。理想郷を作った女神がわざわざ人々の脅威を森に残しているのは何かの意味があると思う。

 ――後日、その事をローズさん経由で訊ねると、森の獣たちは全て女神の眷属なのだと言われた。

 難しい言葉で説明されたが、瑛士君が言うには「ダンジョン内で無限にポップアップしてくる魔物」みたいなものらしい。しかも、脅威を与える事はあっても人を傷つける事は絶対にないのだと言う。獣は全て草食らしい。

「はぁ? 凶悪な面で涎垂れ流しながら牙剥き出して飛びついて来るのに? あれで肉食わねーの? 嘘だろ……」
「ビビらせてでも森の奥に行かれたくないんだろうね。この世界の果てなのかな」

 瑛士君はげんなりしつつも同意してくれた。それもこれも女神が必要な説明を省いたからだ。本当に迷惑な女神だ。

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