星の王子様についての考察

わっしー

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考察2

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最初にこのレポートは種本(「星の王子さま」事典 三野博司)を元に書かれている。したがって「この本」=「種本」と考えていただきたい。
この物語のキーワードは、「子ども」と「大人」だ。物語の中で王子は様々な大人を見ていく。そして、物語に出てくるのは大人の滑稽な一面が描かれていると考えられる。
 「星の王子さま」という作品は、五十の言語に翻略されており、様々なメディア(映画・オペラ・演劇・アニメなど)によって今日まで伝えられてきた。
 まずは、題名について説明すると「星の王子さま」という題は、日本の初訳者である「内藤濯」の卓抜な発想によって付けられた題名で、原題は、「Le Petit Prince」で略すと、「小さな王子」又は「小さな君主」という風になる。
「星の王子さま」を略した池澤夏樹はあとがきにこう記している。

 「ぼくの訳でも内藤櫂氏が作った「星の王子さま」というタイトルをそのまま使うことになった。この邦題は優れている。実際の話、これ以上の題は考えられない。
これには日本語の根幹にかかわる理由がある。
原題を直訳すれば、「小さな王子さま」ということになるだろうけれど、元のpetitに込められた親愛の感じはそのままでは伝わらない。タイトルなのだからもう1つ、主人公を特定する形容が欲しい。
そして、こういう時に日本では古来、その人が住むところの名を冠した。「桐壺の更衣」も「清水の次郎長」もこのゆかしい原理から生まれた呼び名であり、「星の王子さま」もこの原理に沿った命名だからこそ、定訳となったのだ。」


 「Le Petit Prince」はフランス語で細かく分けると「Le」という定冠詞の後に形容詞である「Petit」(小さな)の後に「Prince」(王子・君主・大公)が続いている。
 そして、作品を見る限り「小さな王子」と略すのではなく「小さな君主」と解釈するほうが良い。理由としては、主人公は一人で小さな星を治めている。しかし、もし彼が「王子」だとするならば父である王又は母である王妃が登場しなくてはならない。もし、王位を継承しているのなら「王子」ではなく「王」になっており、題名も「小さな王」になっていると思う。しかし、この作品にはそういった人物が登場していないため、彼は「王子」ではなく「君主」だと考えられる。
 「星の王子さま」は、作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが行方不明になる前に発表された作品だ。この物語は、一見、子供の童話のように思われるが、実は、彼の親友であるレオン・ウェルトに捧げられた物語だ。物語が始まる前のページにこのような文章が書いてある。


「レオン・ウェルトに
  この本を一人の大人に捧げることを許してほしい、とぼくは子供たちにお願いする。大事な理由があるのだ。まず、その大人はぼくにとって世界一の親友だから。もう一つの理由は、その大人は子供のための本でもちゃんとわかる人だから。三番目の理由は、その大人は寒さと飢えのフランスに住んでいるから。慰めを必要としているから。これだけの理由を挙げて足りないようなら、ぼくはこの本をやがて彼になるはずの子供に捧げる事にする。大人は誰でも元は子供だった(そのことを覚えている人は少ないのだけれど)。だから、ぼくはこの献辞をこう書き換えよう―
 小さな男の子だった時の
 レオン・ウェルトに」


この文では「子どもたちには許してほしい」という文面がある。そこには三つの言い訳を作者は書いている。
 一つ目は、ウェルトは作者にとって最良の友人であること。二つ目は、彼は子どもの本を理解できる人だということ。三つ目は、彼は今飢えや寒さで苦しんでおり慰めが必要であること。
 さらにこれでも足りないのならと次には「小さな少年だった頃のレオン・ウェルトヘ」と書き改めている。
 それによってこの作品を読んでいる大人の読者は、子どもだった時の自分にこの本が差し向けられていると思う事になる。
 この段階で、「子ども」と「大人」という二語が何度か用いられ基本的に対立を示している。そして、この二語の対立は今後物語の中でも繰り返し表れることになる。
 ここで語られている「レオン・ウェルト」は、一八七八年二月一七日にフランスの北東部のヴォージェ県にあるルミルモンで小ブルジョワの家庭で生まれた。学校は中退し、自由思想家への道を歩む。彼が書いていたのはエッセイ・時評・小説など多岐に渡るものだ。しかし、彼はあまり有名ではなかった。あと、彼はユダヤ人でありそれによる苦労もあった。
 サン=テグジュペリとレオン・ウェルトが出会ったのは一九三一年に「ラントランシジャン」誌の編集長であったルネ・ドランジュの仲介によって知り合ったといわれているが、詳しい事は分かっていない。しかし、その五年前にサン=テグジュペリは友人であるイヴァンヌ・ド・レトランジュに宛てた手紙の中で、彼はウェルトの著作を称賛していた。このことからサン=テグジュペリはすでにレオン・ウェルトのことを知っていたということがわかる。
 サン=テグジュペリは自分の本を友人達に献呈する習慣があった。「星の王子さま」はレオン・ウェルトに捧げられた作品である。しかし、同じ頃に書いていた作品に「ある人質への手紙」という作品がある。これも本当はレオン・ウェルトに捧げた作品であったが、ヴェルト本人への賛辞は削除されている。なぜかというと、この頃は世界では第二次世界大戦の末期でユダヤ人であるレオン・ヴェルトは身を隠して生きていた。そんな友人に対して危害が及ぶ事を恐れたサン=テグジュペリは「レオン・ウェルト」にではなく「フランス国民」という不特定多数にこの作品を捧げたのだと考えられる。
 サン=テグジュペリがアメリカに出発するともう二人は二度と会う事は無かった。彼の死を聞いたヴェルトは深く悲しんだ。彼は一九四八年に「私が知っているままのサン=テグジュペリ」という本を発表している。
 さて、「星の王子さま」の登場人物は三つのグループに分けることが出来る。一つ目のグループは王子さまと語り手(パイロット)の物語の中心人物。二つ目は、バラ・キツネ・ヘビの王子様に助言や行動目的を与えるキーパーソン。その他の十数名に及ぶ多くの脇役たちの三つである。
 さらに分けると、旅の途中に出会う脇役達も分ける事が出来る。一つは王子様が自分の星を出発してから訪れた六つの惑星の住人たち(王様・うぬぼれ屋・呑んべえ・ビジネスマン・点灯夫・地理学者)。二つ目は地球に到着してから出会う者たち(ヘビや五千本のバラなど)。この本ではこの二つだけだが、私はさらに、もう一つ付け加えると、語り手(パイロット)の友人達や子ども時代に出会った大人たちの三つに分ける事が出来る。
 最初に語り手について説明する。定義としての語り手とは、作者と語り手は別で、語り手は登場人物ではあるが、空気と同じ存在で読者が物語に同化するためのパイプのような存在。
 「星の王子さま」では、語り手は「僕」という一人称単数で現れるが、これは内実を持たない空気のような存在である。
語り手は、物語を語る時はなぜ語るのかを明らかにすることが多い。これは読者に対して語り手としての自己正当化であると同時に、読者に向かって物語に対しての説得力を高める有効な手段だった。
「星の王子さま」の語り手も第四章で語り手としての自己規定をおこない、なぜ語るのかというその理由を明らかにしている。
さて、「星の王子さま」の語り手であるパイロットとは、多くの評論家や本では語り手(パイロット)=「サン=テグジュペリ」だといわれている。
理由としては、第二章の冒頭で語り手は、六年前にサハラ砂漠に不時着したと語っている。ここで物語の時(六年前)と場所(サハラ砂漠)が提示されている。作者のサン=テグジュペリが「星の王子さま」を描いた一九四二年であるから、その六年前は一九三六年にあたる。その前年末一九三五年一二月三〇日、サン=テグジュペリは、パリ=サイゴン飛行途中、リビア国境の東、エジプト領内の砂漠に墜落した。彼は、同乗していた機関士プレヴォーとともに、咽の渇きに苦しみながら、砂漠を四日間さ迷い歩いた後「ベドウィン人」に出会って救出された。このリビア砂漠における四日間の体験が「星の王子さま」の元になっていると考えられている。そのため私を含めた多くの読者は「語り手=作者」と考えてしまう。
 次に王子さまについて説明しよう。王子さまは題名にもなっているこの物語の主人公だ「王子さま」という表現は、第二章の終わりに至って初めて使われている。それまでは「風変わりで小さな男の子」として王子さまを表現している。王子さま自身も自分のことを「王子」として会った人には話していないし、王子が廻った星の住人達も彼を「王子」として接することなく「一人の少年」としかみなしていない。王子自身が自分のことを「王子」と表現したのは第二〇章で五千本のバラを目にした時に彼は「ぼくはりっぱな王子さまになれやしない」と考える。ただ、他にも「王子さま」の部分を「君主・王様」と解釈できる事も出来る。王子様の声についても「なんともいえないかわいい声」というように表現されている。王子さまのモデルは作者の少年時代「金髪の太陽王」と家族から呼ばれていた頃のものだと思われ、作者が望んでいた理想の息子を形にしたものだったと思われる。
 さて、作中に登場する「王子さま」について一つの疑問がある。それは、王子さまは本当に子どもなのかということだ。
王子さまが子どもという理由は二つあるが、
①性格が素直で好奇心によって行動する所。
②目に見えない隠されたものを見抜く力があること。
①については、私たちが抱く子どものイメージにまさにぴったりだと思う。②についても大人になるとほとんどの人は目に見えないものについて想像する事をしなくなり「常識」で考えようとするようになる。作中でも語り手が書いた「象を飲み込んだボア」の絵を見せたとき大人たちは「帽子」と見た。帽子がボアだとは思いもしないで目に見える範囲の情報で「常識」的に考えて「帽子」と考えてしまう。つまり、大人になると多くの人は常識や一般的な考えなどによって物事を考えるようになり、それから少しでも外れた事(例えば超能力や妖精など)があれば否定をするか「常識」の中から同じような現象や物(例えば超能力はマジック、妖精は蝶など)に当てはめ無理やり考えようとする。しかし、王子さまは第二章のヒツジの絵のエピソードで彼は見事に箱の中にヒツジがいると想像することが出来た。
王子さまが大人という理由は
①子どもらしからぬ言動や仕草を見せる所。
②砂漠の真中という危機的な状況にも関わらずパニックを起さないこと。
①について、彼は単にはしゃぎまわる子どもではなく、憂鬱な性格を垣間見せる。第六章で語られるように、彼は夕陽が大好きであり、とても悲しい日には、四四回も椅子の位置を変えて地平線に消えて行く落日を見続けようとする。他にも彼は作中で子どもとは思えないような深い言葉を口にすることがあった。②については大人でも砂漠の真中で食料も水も僅かしかない状況で砂漠の夜の寒さも、飢えも、照り返す日差しも、乾きなどに冷静ではいられないだろうが少なくとも子どもの場合だったら十中八九冷静に行動できないと思う。しかし彼はそれらの恐怖に怯えることは無かった。
これらのことから私は、王子さまは子どもなのだと思う。理由としては、やはり性格や想像力があるという点とそもそも読者は子どもという観点から王子さまは子どもなのだと思う。
今度は、キーパーソンの「バラ」・「キツネ」・「ヘビ」について説明する。
まずはバラについて説明すると、バラは古くから神話や文学において、愛のシンボルだと讃えられてきた。ギリシア神話では、女神のアフロディアに愛された美少年アドニスが狩猟中に受けた傷によって死ぬ時、その傷跡から流れた血からアネモネの花が、女神の流した涙からはバラの花が咲き出たといわれている。フランス中世には、愛の指南書というべき「バラ物語」が生まれた。ギヨーム・ド・ロリスの手になる未完に終わったこの作品では、美しいバラに恋をした青年ギヨームの物語だ。他にも「バラ」の花言葉も「愛情」・「情熱」・「貴方だけを愛する」といった意味を持つ。
「星の王子さま」は、王子さまとバラとの困難な愛の物語でもある。ただし、愛の対象としてのバラを探求する物語ではなく、バラからの逃亡と再発見の物語という構成を取る。バラが登場するのは第七章だが、この花は「気まぐれ」で「誇り高く」、「あまり謙虚ではない」。朝食を要求し、風除けを持ってきてほしいという。そんな花を相手に、王子さまは旅立ちの日までかいがいしく世話をする。星巡りの最後に王子さまは地理学者の星を訪れるが、そこで初めて「はかない」花をひとりきりで残した事を後悔する。地球到着後には第二〇章で五千本のバラを見て泣き伏した王子さまにキツネが王子さまのバラのことを「この世でただ一つ」のものだと教える。
 王子さまにとっても、バラの世話をすることが成長に不可欠な試練であるが、ただそれだけではない。このバラの価値を認識するために、彼は遠いたびに出る事も必要だったのだ。「星の王子さま」では、バラは唯一の女性像である。バラの花は、王子さまの恋の相手としては、その性格から初々しい少女というより艶麗な大人の女性のイメージである。王子さまもバラを同等の存在として扱っておらず、むしろ依存しており、バラに主導権を握られている。そういった意味でバラのモデルは作者の生涯に現れた女性たち、彼の生活を左右し、勢力を振り回した女性達であると考えられている。
 次にキツネについて説明すると、「星の王子さま」に出てくるキツネは、バラに続いて重要な人物だ。キツネの種類としては長い耳を持った砂漠のキツネでフェネックという種類だと考えられる。作者は一九二八年、キャップ・ジュビーの飛行場長を務めていた時、フェネックを飼いならした事がある。妹のガブリエルに宛てた手紙にはキツネのスケッチが添えられていた。
 
 「いま、フェネックまたは孤独なキツネを二匹育てている。猫より小さくて、とても大きな耳をしている。とてもかわいいよ。ただ残念な事に、野生動物のように馴れてくれなくてライオンのようにわめくんだ」。

 また、彼は、一九三五年末リビア砂漠での遭難でもフェネックに遭っている。この時は実際フェネックは怯えて巣穴に隠れたままだった。しかし、「星の王子さま」でのキツネは巣穴から出てきて自分を飼いならしてほしいとお願いする。そこに、作者の願望が「星の王子さま」の中で現実にしたと思われる。
 キツネのイメージとしては、「知恵者」と見なされることが多い。それはフランス中世の「狐物語」が元になっている。「狐物語」のキツネ「ルナール」は悪知恵を働かすが、「星の王子さま」のキツネは王子さまに人間達が忘れてしまったことを教えている側面がある。

 次の文からは第二一章の文章だ。

そのとき、キツネが現れた。
「こんにちは」とキツネは言った。
「こんにちは」と王子さま」は丁寧に答えたけれど、あたりを見回しても誰もいなかった。
「ここだよ」と声がした。「リンゴの木の下・・・・・・」「きみは誰?」と王子さまは言った。「とてもきれいだけど・・・・」
「おれ、キツネ」とキツネは答えた。
「ぼくと一緒に遊ぼうよ」と王子さまは提案した。
「ぼくは今、すごく悲しいんだ・・・・」
「きみとはおれは遊べないよ」キツネは言った。
「おれは飼い慣らされてないから」
「あ、ごめん」と王子さまは言った。
それから、少し考えて、尋ねた
「飼い慣らす、ってどういう意味?」
「きみはよそからここに来たんだろ」とキツネは言った。「何か探しているのか?」
「人間を」と王子さまは答えた。「ねえ、飼い慣らす、ってどういう意味?」
「人間か」とキツネは言った。「銃を持っているし、狩をする。それが困ったところでね!でも、ニワトリは飼っている。ありがたいのはこっちの方だね。ニワトリを探しているのか?」
「ちがうったら」と王子さまは言った。「探しているのは友だちだよ。飼い慣らす、ってどういう意味?」
「みんなが忘れていることなんだけど」とキツネは言った、「それは、絆を作る、ってことさ・・・・・」
「絆を作る、って?」
「いいかい、きみはまだおれにとって10万人のよく似た少年たちのうちの1人でしかない。きみがいなくたって別にかまわない。おなじように、きみだっておれがいなくたってかまわない。きみにとっておれは10万匹のよく似たキツネの1匹でしかない。でも、きみがおれを飼い慣らしたら、おれときみはお互いになくてはならない仲になる。きみはおれにとって世界でたった一人の人になるんだ。おれもきみにとって世界でたった1匹の・・・・・
(略)
こうして、王子さまはキツネを飼い慣らした。
そして、出発のときが近づくとキツネは言った。
「ああ!・・・・きっとおれは泣くよ」
「それはきみのせいさ」と王子さまは言った。「ぼくはきみが困るようなことはしたくなかったのに、きみが飼い慣らしてくれって言ったから・・・・」
「そのとおり」とキツネは言った。
「でも、きみは泣くんだ!」
「そのとおり」とキツネは言った。
「じゃあ、きみは損をしたんだ!」
「おれは小麦畑の色の分だけ得をしたよ」とキツネは言った。
                      「星の王子さま 池澤夏樹・新訳」より 

まずは「apprivoiser」について説明するとこの言葉には「手なずける・飼い慣らす」とあり、この本では「手なずける」と訳してるが私は「飼い慣らす」のほうを使っていく。
サン=テグジュペリについての書物を英語で著したジョイ・マリ・ロビンソンは次のように述べている。
「ここでは翻訳の困難がある。英語のtameは、フランス語の異なった二つの語、すなわち動物を忠実に従うように訓練するという意味のdomestiquer、そして人と動物との間に愛情の絆を創り上げるという意味のapprivoiserの翻訳だからである。フランス語では、ここはapprivoiserなのである」
「domestiquer」には「野生種の動物を家畜にする・完全に服従させ、支配化に置く」とある。「apprivoiser」は「野生の(獰猛な)動物より穏やかで、危険のないものにする・いっそう従順で愛想のよいものにする」という意味である。どちらも「絆を作る」という言葉とはかけ離れているように思われる。
しかし、二一章の文章から「飼い慣らす」とはどういうことなのかを説明するにあたり、キツネは二度にわたって話を逸らすが三度目の問いかけに「みんなが忘れていることなんだけど」と前置きをする。その後に、「それは、絆を作る、ってことさ・・・・」と答える。「飼い慣らす」とはつまり、その人やものに対して時間を費やす事になる。それはつまりその人と一緒に多くの時間を過ごすということになる。だから、動物ならその人に懐くし、人なら親しみを感じる。「絆を作る」とはそういう意味だと私は思う。キツネは新しいモラルの伝道者ではなく、今日では忘れられてしまった古いモラルを守る者だ。しかし、彼がどのようにこの知識を身につけたかというのはわからないし、彼が過去に誰かと「飼い慣らす」関係になったのかはわからない。ただ、彼は「飼い慣らす」の意味をよく知っていて、具体的な行動の指導によって、それを王子さまに教える。
二一章の文章に戻ろう。

翌日、王子さまはそこに戻った
「同じ時間に戻ってきた方がいいな」とキツネは言った。「例えば、午後の4時にきみが来るとすると、午後3時にはおれはもう嬉しくなる。時間がたつにつれて、おれはいよいよ嬉しくなる。4時になったら、もう気もそぞろだよ。幸福っていうのがどんなことかわかる!でもきみの来る時間がわかっていないと何時に心の準備をすればいいのかわからない・・・・・習慣にすることが大事なのさ」
「習慣って何?」と王子さまは聞いた。
「これもまたしばしば忘れられるものだ」とキツネが答えた。「それは、ある1日を他の日々と区別し、ある時間を他の時間と区別する。例えば、おれを狩る猟師たちには1つの習慣がある。木曜日には娘たちとダンスをするのさ。だから、木曜日はすばらしい日だ!ずっとブドウ畑のあたりまででも散歩に行ける。でも、もし、猟師たちのダンスの日が決まっていなかったら、毎日はみんな同じになってしまって、おれは休日気分を味わえない」

ここで言いたいのは、「決まりが必要」だという事だ。この本では、「しきたり」と記してあるが私は「決まり」と書いていこうと思う。
例えば、クリスマスは十二月二十五日というのは昔からの「決まり」だ。その日は、家族や恋人と過ごす特別な日だ。だが、もし、それがいつでも良くなったらどうだろうか。人間は楽をしようと思う生き物だ。毎日、ケーキや豪華な料理を食べ、仕事をしないで好きな人と過ごす事を許されたら皆、そういう生活を選ぶだろう。しかし、そんな事になったらお金はいつか底を尽くだろうし仕事も溜まっていく。どんなに好きでもその人といつでも一緒ならそれを特別と思えず当たり前と思ってしまう。結果、日々に充実感が得られなくなる。クリスマスが十二月二十五日だけだからこそとても特別になり、それにより明日もがんばろうと思える。
つまり、「決まり」があるからこそ充実した毎日を送る事が出来て、明日への活力を得る事が出来るようになる。
二一章の文章に戻ろう。

彼はキツネのところに戻った。
「さようなら」と彼は言った。
「さようなら」とキツネは言った。「じゃ秘密を言うよ。簡単なことなんだ ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」
「肝心なことは目では見えない」と王子さまは忘れないために繰り返した。

第一章の大蛇ボアの絵からすでにこの主題は現れている。体内の見えないボアと見えるボアの二つのデッサンは、容器と中身、人目を惑わす外形と、それが密かに閉じ込めている内的現実との弁証法を現している。第二章で、王子さまはボアの中のゾウも、箱の中のヒツジも簡単に見通してしまう。ここにすでに、大切なものは目に見えないという主題と、中身を見抜くことの出来るのは大人ではなく子どもであるという主題が提示されている。そして、第二一章で、キツネと別れるときにキツネから三つの教訓を教えてもらう。その最初のものが「肝心なことは目では見えない」だ。この主題はその後の章において、王子さまに変奏される。第二十四章では、砂漠で腰を下ろした王子さまが「星がきれいなのは見えないけれどどこかに花が一本あるからなんだ・・・・・・」と言う。次いで第二五章では、人間達は自分の探しているものを見つけることは無いと述べた後に、こう付け加えた。「目には見えないんだ。心で探さないとだめなのさ」と改めて確認する。
最後にヘビについて説明する。王子さまが地球について最初に出会うのはヘビだ。また、王子さまの最後に立ち会って王子さまを星に帰す手助けをするのもヘビだ。砂漠に降り立った王子さまは、ヘビの身体が示す循環図のように、一年後にヘビとであった場所にも戻って行き、そこから去っていく。
次の文からは王子さまとヘビの出会いの場面での文章だ。

「地球に来てはみたものの、王子さまは誰もいないことにびっくりした。星を間違えたのだろうかと考えはじめたとき、月の色をした輪のようなものが砂の中で動いた。
「こんばんは」と王子さまは用心のために声をかけてみた。
「こんばんは」とヘビは答えた。
「ぼくが落ちてきたこの星はどこ?」
「地球だよ。アフリカ」とヘビが言う。
「そうか!・・・・・地球には人間はいないの?」
「ここは沙漠だからさ。沙漠には人間はいないよ。地球は大きいんだ」
 王子さまは岩の上に腰をおろして、空の方に目をやった。
(略)
「私は船よりも遠くへきみを連れていける」とヘビは言った。
 そして、王子さまの足首にくるりと、まるで金のブレスレットのように巻き付いた。
「私が触れれば、誰でも自分が出てきた土地へ送り返される」とヘビは言った。「だけどきみは純粋だし、それに遠い星から来たから・・・・・」
王子さまは何も言わなかった。
「きみがかわいそうな気がする。固い岩ばかりの地球で、とても弱く見える。いつか、自分の星への思いがあまりに募ったら、きみを助けてあげられる。きみを・・・・・」
「ああ!わかったよ」と王子さまは言った。「でも、きみ、なんでいつも謎みたいに話すの?」
「私がその謎をぜんぶ解くのさ」とヘビは言った。
 そして二人は黙った。」

この文において、王子さまが出会ったヘビは旧約聖書でアダムとイブに知恵の実を食べるように言ったヘビを連想させる。しかし、このヘビは謎めいた話し方をするだけで、王子さまを誘惑する存在ではない。むしろこのヘビは運命を予知して、またそれを司る者のように王子さまが自分の毒をいつの日か必要とするだろうと予言をしている。
次は、第二十六章での文章だ。

「ぼくも今日、自分のところへ帰る・・・・・」
そして、悲しそうに
「すごく遠いから・・・・・その分だけむずかしいんだ・・・・・」
(略)
「今晩でちょうど一年なんだ。一年前にぼくが落ちてきたところの真上をぼくの星が通る・・・・・」」

この文から、二十六章で王子さまが地球に来て一年が経っていることがわかる。そして、ヘビの予言の通り王子さまはヘビの毒を必要とした。そして、それによって、王子さまは自分の星に帰る事が出来た。
ウロボロスと呼ばれるシンボルはヘビ(または竜)が使われている。そのシンボルは、自らの尾を噛んで呑み込み、円を形作っている。円形は、始めと終わりが一致する事、言い換えれば始めも無く終わりも無い事から、完全、永遠、不滅の象徴と見なされ、天地創成神話やグノーシス派で象徴として用いられた。自分の尾を噛むヘビは永遠の象徴であるが、同時にヘビには毒があり、それは死を連想させる。だから、ウロボロスは、永続性と死という二つの対立するものの象徴と見なされる。「星の王子さま」においても、ヘビは王子さまに死をもたらす事で王子さまを永遠のものにした。
最後に、「星の王子さま」の結末について、王子さまが死んだのかどうか、それとも、自分の星へ帰ったのかと言う問題だが、私は、王子さまは、自分の星へ帰ったのだと思う。理由として王子さまは、二十六章ので

「わかるだろ・・・・・ぼくの花・・・・・ぼくは責任があるんだ!あの子はとっても弱いから!とっても世間知らずだし。世界に立ち向かうのには役立たずの四本のトゲしか持っていないのだから」

という文がある。つまり、王子さまが死んでしまうとバラに対しての責任が果たせなくなってしまう。そのため私は王子さまが、ヘビによって星に帰ったのだと思う。
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