星の王子様についての考察

わっしー

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結論

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 前期では、「星の王子さま」のメインな部分に着目したが、今回は、「星の王子さまは、子供の本か?大人の本か?」というテーマを中心として、作者、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリについて少し書いて、さらに星の王子さまの細かいところについて調べる事にした。前期同様、種本「星の王子さま」事典 三野博司(以降は「この本」)を元にこのレポートは書かれている。
 まずは、作者、アントワール・ド・サンテグジュペリについて説明して行こうと思う。アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(Antoine de saint Exupery)は、作家にして飛行士。一九〇〇年六月二十九日のジャン・ド・サンテグジュペリ伯爵とマリー・ド・フォンコロンブの間に生まれた。十二歳の時に始めて飛行機に乗った事で空への夢を育む。パイロットとして、フランスの民間郵便飛行の創設時代に活躍すると同時に自らの体験に基づいて一九三一年に「夜間飛行」で作家として世に出る。「ファシズムと戦争の時代」を生きる作家として、人間の存在の意味の探求と再構築を目指す作品を世に問う。一九四四年七月三十一日にコルシカ島の基地から偵察飛行に飛び立ち行方不明となる。
ここからは(「星の王子さま」池澤夏樹 新訳 集英社)のあとがきを紹介したいと思う。

「訳者として
             池澤夏樹
 翻訳というのはとても丁寧に本を読むことだ。訳を通じてこの本を改めて精読しながら考えた事を記しておこう。
 アントワーヌ・ド・サンテグジュペリが生まれたのは一九〇〇年六月二十九日だった。亡くなったのが(一人で偵察機に乗って出撃して帰投しなかったのだが)一九四四年七月三十一日。これは僕が生まれる一年ほど前だから、そう遠い時代の事ではない。むしろ身近な人の気がする。
 「星の王子さま」はとても魅力的であってしかもなかなか捕らえがたい本だ。昔から何度も読んできたし、今回の翻訳までしたけれど、今もってこの印象は変わらない。何度繰り返して読んでも、読み終わった気がしない。
 あまり小説らしい小説ではない。ここではストーリーはメッセージの容器でしかないから、ごくあっさりしたものだ。
 小惑星に住む「王子さま」がきれいなバラとの仲がこじれたのをきっかけに旅立って、星から星を巡り、地球に来て、語り手である「ぼく」に出会う。「ぼく」は飛行機の故障でサハラ沙漠に不時着して、必死で修理しているという状況(一九三五年に実際に彼は沙漠で不時着している)。「王子さま」は「ぼく」に旅の途中で得た見聞と、それをきっかけに彼が考えたモラルを語る。そして最後は・・・・・・
 このモラルがいかにもフランス的な、人間そのものに根ざした、理屈を超えて心と心の共感を求めるような、そのためのスキルを教えるような、ものなのだ。イギリス人もドイツ人も、そして日本人も、決してこういう本は書けない。「ものは心で見る。肝心なことは目では見えない」というキツネの言葉は名言だが、しかしこの本ぜんたいをこれで要約したつもりになってはいけない。この本は要約できないことを伝えるために書かれた。ストーリーがあっさりしているのはそのためだ。
 単純なストーリーに対して、詩の要素は軽視できないかもしれない。彼は詩人として詩集を刊行はしなかったけれど、フランスで文学に関わるものが詩と無縁ではいられるはずはないし、彼が敬愛した母には二冊の詩集がある。アントワーヌが子供の頃、一生懸命に詩を書いて、できあがると真夜中でも家族みんなを起して朗読をしたというエピソードはほほえましい。家族の方はとても迷惑だっただろう(この癖は晩年になっても抜けず、とんでもない時間に彼の襲来に悩まされた友人は少なくない)。
 今回の翻訳を通じてこの詩的な要素の部分にぼくは遅ればせに気づいた。よく考え抜かれた、単純で意味の深いキーワードの使用、計算された繰り返しの効果、余計な言葉を省いた、明晰でしかも奥行きの深い文体。こういうことは小説ではなく詩に属する手法だ。一度読んでわからないのは当然で、そんなことを作者は目指してはいない。詩というのはわかるものではない。誰がボードレールを一度読んで、わかったつもりになるだろうか。
 もう一つは箴言や格言のような言い回しが多いこと。これは聖書の中の最も文学的な部分を思わせる。彼が信仰篤かったとは伝記には書いてないけれど、カトリックのフランスで育った文学者にとって聖書の文体は遠いものではなかっただろう。ここには旧約の「伝道の書」や「箴言」や「雅歌」や預言の諸書の響きが聞き取れる。彼の著作の中では「城砦」というものがその色が最も濃くて、そこには「コーラン」の影響まで感じられる。
 もう一度踏み込めば、天から降りてきて、自分自身も傷つきながらモラルに関わるメッセージを人間に伝えてまた天に帰るという行動のパターンにおいて、「王子さま」はイエス・キリストに似ている。それは言いすぎだとしたら、天使と言い換えてもいいけれど。
サンテグジュペリを語るときにはどうしても飛行機のことを言わなければならない。
 アントワーヌが三歳のとき、ライト兄弟が人類最初の動力飛行に成功した。その後の十数年の間で飛行機は速やかに発達し、実用の道具になった。そしてこの時期、フランスは実はアメリカやヨーロッパ諸国をさしおいて、航空の分野をリードする国だった。
 その全フランス的な飛行機のおかげか、アントワーヌは十二歳の時にはもう飛行機に乗っている。夏休みに、家の近くにあった飛行場に毎日のように通ううちに飛行士たちと親しくなり、母の許可を得たと言って、初飛行を体験した。もっとも母の許可は嘘だったのだが。
 その二年後に第一次世界大戦が始まった。戦争の悲壮と並行するように、飛行機は発達し、リヒトホーフェンのような空の英雄がたくさん生まれた。当時の飛行機の多くは一人乗りで、その戦い方は中世の騎士によく似ていた。つまり、飛行気乗りには最初からヒロイズムの雰囲気があった。
 アントワーヌが大人になる前には戦争は終わった。それでも彼は(相当に強引な方法で)パイロットになった。そして、戦争よりずっと健全なヒロイズムを目指して、郵便飛行士という職業に就いた。飛行機は郵便を運ぶのに向いている。飛行場さえ造れば、途中がどんなところだろうと二つの場所を結ぶことができる。はじめのうち飛べるのは陸地の上だけ、それも昼間だけだったが、やがて夜間も飛び、海峡や大洋を渡り、山脈を越え、という風に郵便飛行はサービスの範囲を広げ、信頼性を増していった。その過程を彼は「夜間飛行」に書いた。
 サンテクジュペリの文学にヒロイズムの色が濃いのはそのためだ。彼はまずもって飛行機という道具によって世界と人間を知ろうとした。そのいちばんの成果が、「大地はわれわれ人間について、万巻の書物より多くのことを教えてくれる」という文章で始まる「人間の大地」である。
 「星の王子さま」はその先にある。第二次世界大戦でフランスはドイツに占領され、サンテグジュペリは亡命のような形でアメリカにいた。彼にとってはとても辛い時期だった。混乱した生活の中から、生きるよすがのように作者の二人の分身の間の会話という形の作品の構想が生まれた。語り手のパイロットも「王子さま」も共にサンテックス自身である。ヒロイズムはもう影をひそめ、沙漠と化した地球で魂の渇きに耐えて生きるすべ、井戸を見つけるための知恵が語られる。その井戸には今も水が湧いている、というのが訳を終えた感想だった。
 自然に対して働きかけ、その過程を通じて真理の断片を得る。書斎で黙想する哲学者ではなく、外に出て働きながら考える思想家。これが彼の生きかたの基本姿勢であり、だから彼はパイロットという職業を持つ文学者になった。飛ぶことを通じて得たものを文学に持ち込んだ。
 そしてしばしば自分を農夫になぞらえた。空を開拓し、この広い畑を世話し、そこから収穫を得る。たまたま今ぼくはフランスに住んでいるが、この農業国にいると大地と人間の関係について彼が考えたことがよくわかる。人とはまずもって大地を耕すも愛するようになる。すべては、この働きかけから始まる。この自然への積極的な姿勢こそキツネは「飼い慣らす」と呼ぶ。
 二〇〇五年七月三十一日(彼の命日)那覇」

 このあとがきを読んだとき私は、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリという人物はやはり偉大だと思う。彼は最後のフライトを果たすまでに何度も飛行機の事故を起こし体がぼろぼろだったという。しかし、彼は空を飛ぶ事をやめなかった。理由としては、「星の王子さまミュージアム」でのドキュメンタリーで、彼はドイツに占領されたフランスのために飛び続けたという風にまとめられていたが、私は、このあとがきを読んで、もう一つの理由があると思った。確かに、祖国のためという理由もあっただろうと思う。しかし、このあとがきによると彼は自分を農夫としばしばなぞらえていた。空を開拓し、その開拓した空という畑を世話し、そこからまた新たな物語を作っていった。私は、彼はその空に対して「飼い慣らした」責任を果たすために空を飛んだのだと思う。それが、「王子さま」が「バラ」に対して責任を果たすために自分の星に帰ったように。
次に、「星の王子さま」の時間軸について説明すると、いくつかの章には時間の指標があり、
 第一章「六歳の時」
 第二章「六年前」「飲み水は一週間分」
 第四章「一九〇九年」「一九二〇年」
 第五章「三日目」
 第六章「四日目の朝」
 第七章「五日目になって」
 第二十四章「砂漠に不時着してから八日目」
 第二十五章「一年目の記念日」
 第二十六章「翌日の夕暮れ」「その夜」
 第二十七章「六年の歳月」
というようになる。
 これらの時間の指標は、語り手(パイロット)の視点からは、
 六歳の時(一九〇六年)「第一章」
  ↓
 砂漠に不時着、王子さまとの出会い(一九三六年)「第二章」
  ↓
 王子さまとの別れ(砂漠十日目の夜)「第二十五章」
  ↓
 語り手(パイロット)の現在(六年後 一九四二年)「第二七章」となる。
さらに、王子さまの視点からは
 バラとの出会い(?年)「第八章」
  ↓
 星を出発(?年)「第九章」
  ↓
 六つの星を巡る(?年)「第一〇章から十六章まで」
  ↓
 地球到着(一九三五年)「第十七章」
  ↓
 放浪(一九三五年から語り手と出会うまで)「第十八章から第二十三章まで」
 ↓
語り手(パイロット)との出会い(一九三六年)「第二章」
 ↓
地球を去る(語り手と出会って十日目の夜)「第二五章」となる。
つまり、王子さまと語り手は十日の間しか一緒にいなかったことになる。
語り手の現在を、物語の外、すなわち作者の生涯と関連づけるとそれは、作者が「星の王子さま」執筆時の一九四二年と仮定する事が出来、そこから「六年前」は、サン=テグジュペルのリベア砂漠での遭難の時とほぼ一致する。また語り手の「六歳の時」は、作者が六歳のときの一九〇六年とも一致する。このことが「星の王子さま」という作品が作者、サン=デグジュペリの実話なのでは?という考えが生まれた原因だと思うし、それが、この物語が、現在まで多くの国や人に読み繋がれているのだと思う。
次に、王子さまが地球に来るまでに出会った小惑星の住人達について、解説をして行こうと思う。王子さまは、自分の星を飛び立って地球に到着するまでに六つの星を訪れている。それぞれの小惑星には一人ずつ住人がおり、六人全員が大人の男性だ。その六人の内三人は職業を持っている(四番目の惑星のビジネスマン、五番目の惑星の点灯夫、六番目の惑星の地理学者)。後の三人は職業ではなく身分と性格、性癖である(一番目の惑星の王様は身分、二番目の惑星のうぬぼれ屋は性格、三番目の惑星の酒飲みは性癖を表している)。そのいずれの住人達も家族や恋人、子供や友人は居らずその小惑星で一人過ごしている。そして、各々自分の仕事や関心のあることをしている。そんな時に、王子さまが来ると小惑星の住人達は王子さまに対して様々な反応をする。王様は、家来として、うぬぼれ屋は崇拝者として、地理学者は、探検家として、王子さまを迎える。そこで、王子さまは小惑星の住人に対して様々な質問をする。しかし、小惑星の住人達はそんな王子さまの質問に対して自分の関心の範囲内でしか答えない。結果として、王子さまと小惑星の住人達は分かり合うことが出来ず、王子さまはそんな小惑星の住人達を点灯夫は除いて、「奇妙」な人、変な人たちという風に見ている。
 この、王子さまが小惑星の住人達とのふれあいは、失敗に終わる。原因としては彼らが王子さまを客として、もしくは、友として迎え入れなかった事、そして、誰もが王子さまとコミュニケーションを取ろうとしなかった事が原因だ。簡単に言ってしまえば、小惑星の住人達は自分勝手で、他者に対して思いやりに欠ける。王子さまと小惑星の住人達とのふれあいの場面は、そういった欲望に溺れた大人の愚かさを表している場面だ。では、その小惑星の住人達について説明していこうと思う。
 まずは、王様について説明すると、王様は、王子さまが最初に訪れる小惑星の住人だ。そこで、王子さまは王様に声を掛けられる。これは、王子さまを歓迎しているわけではなく、ただ、自分の権力を振りかざすための家来が欲しい為だ。王様は、自分が宇宙にあるすべての星を支配し自分の思うままに出来ると思っている。そして、家来が欲しい王様は様々な理由をつけて王子さまを引きとめる。そして、王子さまを「法務大臣」に任命していろいろ命令するが王子さまは、そんな王様にうんざりしてしまい、結局この星から出発してしまう。そのとき、王様は、

 「余の大使に任ずる」

といって、王子さまを見送る。その時の声はとても威厳があったと、書いてあるが、王子さまはその後に、変な大人と王様に対して思った。つまり、王様は自分の言う事を訊いてくれる他人が必要だった。それは当たり前のことで、いくら権力があってもそれに従ってくれる他者がいなければ結局は何も出来ないからだ。だから、この王様は、他の星から来た王子さまを引き止めることに必死になったのだと思う。
 次に、二番目の惑星のうぬぼれ屋について説明するとうぬぼれ屋は、自分を崇拝してくれる崇拝者を求めている。彼は王様とほぼ同じで、他の人がいないと自分の存在理由を持てない。
王様の場合は権力、うぬぼれ屋の場合はうぬぼれる事が出来ない。つまりは、他者がいないと彼らは何にも出来ない。しかし、せっかく相手をしてくれる他者が現れても彼らはその人と良い関係を築く事が出来ない。想像してみて欲しい。最初は好意的にその人物に対して接していたとしてもその人物は、自分の行動に対して、「それが当たり前」と受け取り感謝の言葉も投げかけてくれない。そんな人物に果たして今まで通り接する事が出来るだろうか?つまり、王様もうぬぼれ屋も自分本位な自己中心的な人物だということだ。そして、彼らはそれに気づくことなくずっと一人でその小惑星にいる事になる。
次は、三番目の小惑星にいる酒飲みについて説明すると、彼の場合は、王様やうぬぼれ屋のときとは違い王子さまのほうから声をかけている。彼はそのときにはもうアルコール依存症だった。なので、お酒があれば他は何にもいらない。つまりは、他人を必要としておらず、逆に邪魔だと思っている。そんな状況を変えることが出来るかもしれない王子さまにも少ししか話さないで彼はまた、自分の世界に閉じこもってしまう。
次は、四番目の小惑星の住人であるビジネスマンについて説明すると、彼は自分のことを「重要人物」と説明している。彼は星の数を数える事に五十四年もの年月をかけている。十一年前にリューマチになっても彼は星を数え続けている。それはなぜかと王子さまが尋ねると星を所有するためだといい、何のために所有するのか尋ねるとお金持ちになるためだと答える。そして、何のために金持ちになるのかと尋ねるともっと星を買うためだ。だと、答える。つまり、
星を所有する
 ↓
お金が入る
 ↓
また星を買う
といった、星を所有する事が目的になってしまっている。しかし、実際には彼が所有しているという星の所有権は誰にも認められてなくて、結局は彼の自己満足でしかない。それは、彼が他者と関わりを持っていないためだ。その星を所有しているということは例えば、王様が住んでいる星を所有していると認められたければ王様と話し合いをして、買取ったりしなければならない。そこで、王子さまは彼に向かってこう諭した。

 「ぼくは花を一輪持っていて毎日水をやります」と彼は言った。
 「ぼくは火山を三つ持っていて、週に一回は煤をはらいます。火山の一つは活動していないけれど、やっぱり掃除します。何が起こるかわからないから。こうして、ぼくは花や火山の役に立っている。でもあなたがしているのが星の役に立っているとは・・・・・・」

つまり、所有しているということは、その所有しているものに対して管理しなければならないということだ。例えば、不動産屋を経営していたとすると、ビジネスマンの場合は、ただ、物件を買っているだけで、それに対して定期的に掃除をしたり、修繕をしたりしないで、ただ買ったままずっと放置で、また別の物件を買っているといったものだ。しかしそうすると、その家は、埃だらけになったり、痛んだりしていってしまう。それを怠っているビジネスマンは、星を所有する資格が無い事を王子さまから言われ、そして、それに対して何も答えられなかった。
 次は、五番目の小惑星に住んでいる点灯夫について説明すると、彼は街灯をともす仕事をしている。彼が点しているのはガス灯で、この当時ではもう、エジソンが電球を発明しているはずなので、彼を象徴しているのは、世界の進歩と自分の進歩の拒否だ。彼は、昔の指名を大切に守っている(縛られている)。そんな彼に対して、王子さまは初めて大人に対して好意的な感情を抱くが、彼は、時代に取り残された悲しい人物だ。
 最後は、六番目の小惑星の住人である地理学者について説明すると、地理学者は、王子さまを「探検家」として、迎え入れた。その時に王子さまの星の話を聞いていたとき、火山の話は聞いたが、花の話はしなくてもいいと王子さまに言った。王子さまはそれが一番綺麗なものなのになんで話をしなくていいなんて言われたのかを聴くと、地理学者は、「はかないもの」だからと答えた。それを聴いた王子さまは、花はすぐに失われるかもしれないものなのと地理学者に聞くと地理学者はその通りだと答えた。そこで初めてバラを置いてきたことに後悔する事になる。そういった意味では、地理学者は、王子さまに大切な事を教えた人物だ。「はかないもの」についてはすぐにも失われるかもしれないものといっている。山は「不変なもの」と表している。これに対して地理学者はめったな事では変わることが無いものと答えている。そして、地理学者に王子さまは地球に言ってはどうかと進められる。こうして、七番目の星地球に王子さまはやってきた。
 次は、場所と空間について説明して行こうと思う。第一章では語り手が子供の頃に住んでいた家で語られたことで、第二十七章は、語り手が砂漠から帰還してからの語り手の現在からそれぞれ語っている。それ以外の第二章から第二十六章までは砂漠で話が展開していく。その中で王子さまの語りの中では、彼が住む星、地球にやってくるまでに通ってきた小惑星、そして、地球に降りてから語り手と出会うまでの王子さまの行動が語られている。
 その中でも、もっとも重要な場所として砂漠は挙げられる。なぜなら「星の王子さま」で、語り手と王子さまは、砂漠で出会い、お互いに理解を深め、そして、王子さまとの別れが砂漠であるからだ。砂漠という語は共示的意味として、不毛性や人間の不在を示す。遭難した語り手は、砂漠で死の危険にさらされるが、作者、サン=テグジュペリは、それを二人の人間の豊かな交感の場とする。語り手はそこで、王子さまに出会い、友情と理解を見いだす。王子さまという不思議な少年との出会いが無ければ、砂漠という場所は、語り手にとっては不毛の地であり、死の大地でしかなかっただろう。しかし、そこに王子さまというイレギュラーな訪問者が現れ、そこで、交流を持ったため、砂漠は語り手にとって生命を与えられた豊潤の大地となった。
 第二十四章と第二十五章では、井戸が筋立ての中心となる。砂漠での一週間が過ぎて、水の蓄えが底を尽き、王子さまが語り手を誘って、井戸の探索に出かける。一日中歩き通し、眠り込んだ王子さまを語り手が抱えたまま、夜が明ける時刻になって井戸を発見する。この本ではこの井戸はヤコブの井戸というイエス・キリストがサマリアの女に言った言葉に「私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ書 四)を想起させる。この水はすでに霊的な性質を帯びている。そして、井戸の水を汲み上げる行為は、宗教的な奉献であり、語り手と王子さまの友情の最終的な確認のための儀式である。心の渇きを覚えて井戸の水を飲む王子さまと、肉体の渇きを覚えて水を飲む語り手は、ここで共に蘇生するのだ、と書いてある。つまりは、語り手と王子さまはそれぞれ、渇きを訴えていた。語り手は、「肉体的」に、王子さまは「こころ」が渇いていて、それを癒すためにこの井戸は現れたのだということ。作者、サン=テグジュペリが一九三五年末にリビア砂漠に不時着し、四日後にベドウィン人によって救助された経験から「人間の大地」という作品の中の第七章の末尾に次の文章があった。

「水よ!水、おまえは、味も、色も、香りもない。おまえを定義することはできない。おまえが何たるかは知らずに、ただ飲むだけだ。おまえが生命(いのち)に必要なのではない。おまえは生命そのものだ」

つまりは、この井戸は「生命(いのち)」そのものだというのがこの本の解釈だ。しかし、この「生命(いのち)」の意味は二つあるということだ。まずは、身体的な「生命(いのち)」という意味。それは、語り手が「肉体」の渇き、つまりは生命の危機による渇きを回避するという意味で必要なもの。もう一つは精神的な「生命(いのち)」と意味。井戸池澤夏樹 新訳のあとがきの中に、サンテグジュペリがアメリカに亡命していたもっとも苦しい時期があり、その時に書かれたのが「星の王子さま」だった。その時のサンテグジュペリは「王子さま」のように「こころ」が渇ききっていたのだと思う。しかし、彼はその時にこの物語を書く事によりその渇きを癒す事ができたのだと思う。つまりは、「王子さま」にとっては、「語り手」が井戸で、サンテグジュペリにとってはこの物語が井戸になったのだと思う。もし、その渇きを癒す事ができないでいなければこの「星の王子さま」という作品は生まれていなかっただろうし、サンテグジュペリ自身も最後まで空を飛ぶ事ができなかったのではないかと思う。
最後は、大人と子供について説明して行こうと思う。「星の王子さま」で使われている「おとな」と「こども」は、現実の「大人」と「子供」とは別物だということ。
あるものの考え方がここでは「おとな」の考え方であるとされ、また別の考え方が「こども」の考え方であるとされる。「おとな」は利便性から「数値・数字」を手放す事ができないがそれが悪い事ではない。それは物語を充実させるためにはとても重要なものでもあるからだ。例えばたくさんの人がパーティを開くとしてそこで、何人来るかといわれたときに「たくさん」と言われても人によってその定義は違う。しかし、そこで具体的に数値で「十人」と言われれば私たちは理解しやすい。物語というのは、時には、「大人」として思考して、時には「子供」として思考していくことが必要となる。つまりは、バランスが大切だということだ。そのバランスが崩れてしまうことが問題だ(大人的な数値化ばかりだとその物語は人から想像力を奪うし、子供的な曖昧な言い方ばかりでは難解なものとなりそもそも読む人が限られてしまうか物語自体が破綻する)。
この本では、次のように説明している。

おとな/こどもの二対立は、冒頭に置かれたレオン・ヴェルトへの献辞においてすでに現れている。第一章では、おとなの無理解が強調されたあと、こども向けの話題である大蛇のボア、原生林、星、に対して、ブリッジ、ゴルフ、政治、ネクタイとおとな向けの話題が並べられる。これらはビジネスマン(おとな)が好む話題である。
第四章で、語り手は王子さまの星をB六一二だと説明したあと、読者に「君たち」と呼びかける。この「君たち」は明らかに「大人」に対立する「子供」である。読者の中には「大人」も含まれているだろうが、その場合には彼らは少なくとも物語を読んでいる間は、かつての「子供」にもどってしまう。ここで、語り手は読者を味方につけながら、同心の側に立って、「おとなたち」の数値化された世界を揶揄し、批判するのである。
「おとな」と「こども」の二項対立は物語の最後まで貫かれることになる。第二十七章の最後で、語り手はこう宣言する。

「おとなはだれひとりとして理解できないだろう、こうしたことがとても大事だということを!」

冒頭から何度も提示された「こども」対「おとな」の図式が、最後にもう一度示されて、語り手と読者の共同戦線から「おとな」を排除してしまうのである。

この本を読めば「星の王子さま」という本は子供の本だというように受け取る事ができる。私の意見としてもこの本の作者に賛同する。
ここまでの話を元に私は「星の王子さまは、大人の本か?子供の本か?」というテーマの答えとして、私は子供の本もしくは子供の心を忘れてしまった大人の本という答えに至った。「星の王子さま」という本は読者に向けた呼びかけは大抵が子供に向けている。後、小惑星の住人は大人の滑稽さ子供にそして、昔は子供だった大人に対して向けたものだと思う。子供に対しては、「君たちはどんな大人になりたい?こんな大人にはなりたくないよね」と大人の醜い部分をオブラートに包むことなく表現し、子供に考える事を促している。逆に大人に対しては「あなた達はこんな大人になっていない?そんな姿を子供の頃のあなたは想像できたの?そんな姿をあなたの子供に見せたいの?」と現在、自分がどんな大人になっているのかを考え直させる機会を与えているのだと思う。だから、私は、「星の王子さま」を子供の本もしくは子供の心を忘れてしまった大人の本と思った。
最後に、私はこの「星の王子さま」について一年間研究してきた。その感想としてはやはりこの物語は奥が深いと思った。同時に改めて面白いと思った。今後もこの物語についてズ分なりに考えて生きたいと思う。
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