悪役令嬢な眠り姫は王子のキスで目を覚ます

永江寧々

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胸の高鳴り

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「あー出たくない。あー出たくない」

 馬車の中でひたすら同じ言葉を繰り返すティファニーは窓から見える星空を見上げながら悪態を吐きたいのを我慢していた。
 その代わり「あー出たくない」を繰り返す。

「大体なんでパーティーなんて出なければいけませんの? わたくしそんなに暇じゃないんですのよ? もっと崇高な行為に身を捧げて行う事があると言うのにまったくどうしてわたくしがこんな……」
「到着しました」
「行きますわよ!」

 一人愚痴大会になっていた馬車の中。御者によってドアを開けられると気分を切り替えるように声を出して馬車から降りた。

「本当に一人で行かれるおつもりですか?」
「どこぞの父親のせいで婚約者がいないんですもの。何か文句ありますの?」
「い、いえ……ありません」

 貴族のパーティーは男女同伴で行くのがマナー。パートナーが見つからない者は行かないという選択肢を取る事が決まっているのだが、ティファニーは一人で会場に降り立った。
 パートナーがいないのは自分のせいではなく父親のせいだと自分に言い聞かせて怯える御者を無視して歩き出す。

「ティファニー? あなたがパーティーに来るなんて珍しいじゃない。どうしたの?」

 何故かいつも馬車を降りるとマリエットに会う。待ち構えているのか、そうじゃなければ運命だと嫌味の一つでも言いたくなるのを我慢し、仁王立ちするように腕を組んだ。

「コンラッド様がパーティーがあるからと誘ってくださいましたの」

 コンラッドの名前を出すだけでマリエットの表情が変わる。何度見ても面白い瞬間だと顔に出そうになる。

「言ったでしょう。コンラッド様はお優しい方なの。皆に楽しんでもらいたいから大勢の生徒に声をかけて回ったのよ」
「わたくしもその一人に入れていただけて光栄ですわ」

 うふふっと笑って見せるが表情ではマリエットの方が優越感を出していた。

「ごめんなさいね、ティファニー。今日はコンラッド様にエスコートしてもらうの私なの。あなたがそんなに喜んでるならあなたに声をかけるように言えばよかったわね」

 パパに頼んで誘わせたくせに白々しいと笑みなく目を細めて無言でいるとマリエットはワザと大袈裟な動きで何かを探すように左右を見回した。

「あなたのパートナーはどなた?」
「アーロンじゃない?」
「あんなおデブを誘うなんてよっぽど困ってるのね!」
「だって怠け者のティファニー・ヘザリントンなんて連れてたら皆に笑われちゃうもの」
「アーロン・デーブストンとのセットはお似合いよね」

 相変わらず後ろでキャンキャン吠える取り巻き達は無視しようと思ったが、幼馴染の名前を出されてバカにされたのでは黙っていられずティファニーは美しくセットされた髪を鷲掴みにして乱すように左右に揺らした。

「キャアアァァァアア!」

 悲鳴を上げて地面に倒れた取り巻きの前に思いきり足を下ろせばその場で仁王立ちをして顎を上げ、思いきり見下ろすティファニーの目には怒りが宿っている。

「アーロンは留学中なのをご存じありませんの? 優秀で他国から一年間勉強に来ないかとお誘いを受けたんですの。まあ、その空っぽの頭じゃ三歩歩けば忘れてしまうのもムリありませんけど、人の名前をバカにするのは絶対に許せませんわ!」
「ヒッ!」

 もう一度ヒールで地面を踏みつけると目をかっぴらいたティファニーの顔が取り巻きの女の顔に寄っていく。影が落ちるほど近くなる顔の迫力に女が思わず顔を逸らすと見えた耳に向かって思いきり息を吸い込み

「あの子の名前はアーロン・オールストンよ! 覚えときなさい!」

 耳に向かって思いきり声を張り上げた。

「マリエット、取り巻きはちゃんと教育しておかないとあなたが恥をかくことになりますわよ。足枷にならなければいいですけど」
「ティファニー、あなたパートナーは?」
「一人ですわ。他国の王子でも捕まえようと思って連れてきませんでしたの」

 嘘。そんな自信はない。
 完璧な縦ロールに完璧なドレスで身を飾っても厚化粧を落としてしまえば顔は無地も同然。他国の王子を捕まえるなど考えた事もないのによくこれだけ口が回るものだと自分で自分に感心する。

「一人で寂しくない?」
「寂しいと言えばコンラッド様を譲ってくださいますの?」
「それは……」
「寂しいかどうかだけ聞くだなんてさすがですわ。わたくしを惨めな気持ちにさせてさぞかしイイ気分でしょうね」
「私はそんなつもりじゃ……」

 マリエットに命令されていた時のような悪役令嬢を演じていたのはそんなに前ではないはずなのに久しぶりな気がした。マリエットも同じ事を感じているだろう。
 あからさまな悪役令嬢の嫌味とそれを悲しむヒロイン。マリエットが望むのはそういう関係だ。悪役令嬢に悔しがらされるヒロインなど望んではいないのだ。

「一人で来る方が悪いんだろ」

 後方から聞こえた声にティファニーは無表情で近付いていく。

「な、なんだよ。こういう場にパートナーも連れず一人で来る方がおかしっ!?」

 無表情のまま思いきり膝で男の股間を蹴り上げると男は白目を向いて泡を吹きながら地面に倒れた。

「フンッ、ドレスが邪魔してくれたおかげでそこまで強く入りませんでしたわ。運が良いですのね。醜悪なパートナーを連れているわりには」
「な、なんですってぇ!?」
「あ、コンラッド様」
「え? あ、ちょっと待ちなさいよ!」

 まだ始まってもいないのに暴れすぎるのは良くないと、来てもいないコンラッドの名を囮にして足早に会場へ入っていった。

「ふう……入るだけでこんなに疲れるなんてパーティーは最悪ですわ。こんなのの何がいいんだか」

 休みの日にまで化粧なんかしたくないと思ったが、今日はその気持ちを抑えてドレスアップしてきた。
 ティファニーは普段からパーティーへは出席しないようにしている。面倒くさいのもあるが、大人達の前で悪役令嬢の態度を披露すると注意され、それに反発すると厄介な事にしかならないからだ。行くのはマリエットの命令の日だけだった。
 だが今日は違う。今日は作戦があってこうして面倒を押しきってやってきた。

「大恥をかかせてやりますわ」

 マリエットに恥をかかせるためだけにこうしてやってきたティファニーは絶対に成功させると意気込み、この日のためにコンラッドと綿密な計画を立ててきていた。

「でも遅いですわね」

 もうすぐパーティーが始まるというのにまだコンラッドは現れない。

「遅れて入って注目を浴びるつもりですわね、マリエット」

 マリエットの策略がわかったティファニーは「ははん」と声を漏らしながら向こうも対策を練ってきたかと頷く。遅れて入ってきて注目を浴びたところで計画に支障はない。

「存分に注目されるがいいですわ。どうせわたくしの手のひらで踊る事になるんですもの! オーッホッホッホッホ!」

 急に一人で高笑いを始めたティファニーを怪訝な表情で見つめる周りの公子公女達はサッとその場から一歩二歩と距離を取った。
 ティファニー・ヘザリントンは変人という噂を確かなモノにしてしまったと咳払いで誤魔化せば作戦開始までに腹ごしらえをするべく軽食を取りに向かった。

「他の女と入ってくるなんて事してないでしょうね……」

 パーティーが始まり男女が楽しいお喋りを始める。出会いの場でもあるパーティーは規律ある社交界と違ってフラットで若者が楽しめる場となっている。
 二人一組が暗黙のルールだからこそ適当な相手を誘い、本命は会場で見つけるのも暗黙のルールらしいが出会いに興味がないティファニーには関係なかった。

「そんなに男を漁って女を漁って何をするつもりですの? ふしだらですわね」

 軽食のサンドイッチを頬張りながら観察と独り言を繰り返すふしだらな考えを持ったティファニーはコンラッドとマリエットが現れない事に苛立っていた。
 このままではあっという間にダンスの時間が来てしまう。
 予定ではダンスの時にマリエットより先にコンラッドとダンスをするのだが、相手がいないのでは踊れない。

「美味しそうだね」
「んん、おい……ん?」
「一つ貰っても?」
「んん……」

 見知らぬ爽やかな男の登場にティファニーは静かにパニックを起こす。
 瞬きを異常な回数繰り返しては目を見開き、また異常な回数繰り返しては目を見開く。そして頬張りすぎたサンドイッチを咀嚼したかったが、瞬きのように繰り返したのではみっともないとそのまま細かく何度も飲み込みを繰り返した。

「家で食べてくるの忘れちゃってさ」

 山盛りに盛られたサンドイッチの中から一つ摘まんで口に運ぶ男が誰なのか知らない。学校の生徒でない事は間違いない。さすがに噂になっているだろうし、何より爽やかさから見てコンラッドより人気が出ていただろうから。
胸元にバッヂが付いていないため王子ではない。なら他国の公子かと上から下まで見るとなかなかにイケている事に気付いた。

「ん、このサンドイッチなかなかイケるね」
「ええ、美味しくって食べ過ぎてしまいますの。いつもはこんなに食べないのに食べ放題になると……」
「僕もそうだよ。食べ放題だと食べ過ぎちゃうよね」

 いつもはそんなに食べないが、食べ放題になると食べ過ぎるという主張は卑しく聞こえるような気がして途中で言葉を止めたが、男が同意してくれた事で救われた。
 良い人認定がティファニーの中で行われ、コンラッド以外の異性と話すのは久しぶりだと少し胸がドキドキしていた。

「パートナーを置いてきてよろしいの?」
「一人で来たんだ」

 同じ一人同士。これは……とよからぬ事を考える頭を冷静にしようと頭を振る。
 今日は他国の男を見つけに来たわけではなくマリエットに大恥をかかせに来たのだと目的を忘れないよう自分を戒めるが、不思議そうな顔まで爽やかに見える男に目がいってしまう。

「出会いを求めに?」

 胸が高鳴る。

「いや、マリエット・ウインクルを見に」

 パリーンとガラスが割れるような音がして急に何かが冷えたようにスンッと冷静になった。
 所詮、世の中はこうなっているのだ。偽ヒロインだろうとヒロインを目指した美人が男を手玉に取るように出来ている。他国からも王子がマリエットの顔を見に来ているのだからマリエットが知ればきっと部屋で高笑いが止まらない事だろう。

「君は知ってる? マリエット・ウインクル」
「幼馴染ですわ」
「そうなの? すごい偶然」

 少し怪しいと感じたティファニーは疑うような視線を向けるも口元には笑みを浮かべる。

「偶然って言葉に出すと怪しく聞こえますわね」
「ふふっ、そうだね。でも僕は君の名前も知らない。教えてくれる?」
「ティファニー・ヘザリントンですわ。マリエットを知っていてわたくしを知らないだなんてとんだモグリがいたものですわね」
「ごめんね。覚えておくよ、ティフィー」

 馴れ馴れしいと思いながらも嫌悪感はなかった。爽やかでいやらしさがないせいだろうかと不思議に思いながら愛称で呼ぶ事を拒否しなかった。

「でも残念ですわね。マリエットはコンラッド・グレンフェル王子と踊るのが決まっていますのよ」
「いや、踊るつもりで来たわけじゃないんだ」
「なら何をしに? まさか遠目から見て満足するなんていう女々しい事をしに来たわけではありませんわよね?」
「女々しそうってよく言われるけどさすがにそこまで暇じゃないよ」

 苦笑しながら自虐する様子にティファニーは首を傾げる。踊りに来たわけでもなければ眺めに来たわけではない。だがしっかり正装してパーティーに出席しているからには目的があるはず。

「もしかして……! いいえ、違いますわ。マリエットを見に来たのであれば手下ではありませんわね」

 悪役令嬢としての態度が気に入らないからとマリエットがティファニーに仕掛けた罠ではないのかと疑ったが、マリエットを見に来たのであれば二人の間に関係はない。だが、それこそ自分に接近する嘘かもしれないと眉を寄せるティファニー。

「何か難しい顔をしてるみたいだから言っておくけど、僕が彼女を見に来たのはどんな女か見てやろうと思ったんだ」
「どんな女かって……」
「来たみたいだね」

 言い方の荒っぽさに疑問を感じて眉を寄せたまま顔を向けようとした瞬間、会場に黄色い悲鳴が響き渡る。
 神道でも作るように中央が開き、そこをコンラッドとマリエットが歩いていく。
 黙っていればコンラッドは男前で、マリエットとお似合いだと言われていたのがよくわかる。
 マリエットの優越感に浸った顔は今まで何度見たかわからない。きっとデビュタントでも今と同じ顔で、いや、今よりずっと鼻が伸びた状態で歩くのだろうと容易に想像がついた。
 だが、ティファニーはふと考えた。自分はこのままマリエットの望み通り悪役令嬢を続けるが、どこまで続けるつもりだろうかと。

 マリエットはコンラッドと結婚するつもりだが、コンラッドにその気はない。この時点で婚約成立はありえないのだ。
 コンラッド曰く、親同士の仲が良いから仲良くしているだけで本人はマリエットを嫌ってさえいる。ならば邪魔をして婚約をぶち壊すというイベントはない。そもそも婚約事態ないのだから。ならどうする?

「ティファニー?」
「ハッ! な、なんですの? 今大事な考え事をしてますのに邪魔しないでくださいます?」

 男の声に強制的に意識が戻ると考えが途切れてしまった事に怒りを露わにするが、周りに状況に怒りは消えた。

「ダンス始まったよ」
「え? ええっ!? いつの間に始まったんですの!?」
「君が大事な考え事をしてる最中にだね」

 予定は完全に狂ってしまった。
 コンラッドがパーティーに遅れたせいで入場と共にダンスが始まってしまったのは痛手が大きい。マリエットに悔しがらせるどころか優越感たっぷりな表情でこっちを見ている。
 ティファニーと違って一流の仕立て屋が仕立てたドレスは美しく、マリエットによく似合っていた。
 自分だって精一杯のドレスアップをしてきたが、どんなに頑張ろうと基が美しいマリエットには敵わない。それが悔しかった。

「僕の友達が去年、マリエットにダンスを申し込んだけどね、こっぴどくフラれたらしいんだ。それで僕の友達を傷つけたのはどんな女か見に来たんだよ。悪女と名高いってホント?」

 ヒロインを目指しながらもそれを知らない他国の人間に『悪女と名高い』と本性バレしているとはマリエットらしいと嫌味を胸に笑いたくなった。
 他国の人間であればバレてもいいとでも思ったのか、それともあまりにもタイプじゃなかったのか。

「アーロンも酷い言われようでしたしね」

 アーロンはマリエットに興味はなかった。だがマリエットはアーロンをストレスのはけ口にするように外見をからかった。

『ちょっと太りすぎじゃない? 公子でそんな人は見た事がないわ』
『痩せるつもりはないの? シェフのお菓子が美味しいのはわかるけど、あなたが美味しそうに育つのはちょっとね』
『太ってることを恥ずかしいと思ったことはないのかしら? 私だったら人の目が気になっちゃうけどあなたはお菓子しか目に入らないのね』

 思い出しただけで腹が立つと身体が震えるのを感じて拳を作るも爽やかな顔が覗き込んでくることでそれも止まった。

「君って面白いね」
「ええ、よく言われますわ。わたくし面白いんですの」

 コンラッドにしか言われた事はないが、二人も言えば面白い人間で間違いないだろうと胸に手を当てながら自慢げに言うもすぐに顔が横を向く。

「嫌味じゃありませんわよね?」
「まさか。コロコロ変わる表情が面白い」
「ああ……そうですのね」

 コンラッドは性格だが、男は顔を見て言っているだけだった事に肩を落とせば弄ばれているような気分になって首を振る。

「それにしてもあの男……計画忘れてるんじゃないでしょうね。もし忘れてるようなら縛り首ですわよ」

 まるで本物の恋人同士のように見つめ合って踊る姿に不安になる。計画には全てコンラッドの協力が必要不可欠で、コンラッドがいなければ成功はありえない。
 マリエットより先にティファニーと踊る計画が倒れてしまったとしても目が合ったのだからニコリとでもすればマリエットは心穏やかにはいられないはずなのにそれさえもせず目を逸らした。

「何ですの……」

ティファニーはコンラッドが何を考えているのかわからなくなっていた。

「コンラッド王子はイケメンだね。さすが悪女はお目が高い」

 男の言葉に顔を上げるとティファニーは「ふっ」と小さく笑う。

「あなたって性悪ですのね」
「性悪っていうか極端って言われるかな。八方美人にはなれなくてね。友人や家族、男女関係なく自分が好きだって思った相手には尽くす方だけど、嫌だなって思った相手には嫌な人間になる」
「自分を一言で表現するなら?」
「素直」

 迷わず答えた相手に堪えきれず吹きだしたティファニーは口を押さえながら肩を揺らして笑う。
 こんな爽やかな顔をしていながら嫌な人間になると言いきるのは気持ちがいい。自分を誤魔化す人間は好きじゃないティファニーにとって男は好感度の高い異性だった。

「笑いすぎだよ。自分で素直って言うの変かな?」
「いいえ、それこそ素直でよろしくてよ。ただ、あなたみたいな爽やかな人が自分を素直って言うのってなんだかおかしくて笑ってしまいましたの。ごめんなさい」

 自分でも何故これだけ笑ってしまったのかわからないが、涙が出るほど笑ったため大きく息を吐き出して呼吸を整えれば咳払いで元通りになる。

「大笑いした君は? 自分を表現するならどんな言葉を使う?」
「悪役令嬢」

 驚いた顔は予想通りで笑いはしなかったが、今度は男が笑いだした。
 優雅なダンスタイムを邪魔しないようティファニー同様、口を押さえながら笑うため「こんな思いでしたのね」と笑われた事に持った男の疑問に納得できた。

「あーごめん。笑いすぎだよね。でもあまりに堂々と言うものだからさ」
「レディを笑うなんて失礼ですわ」
「そうだね、ごめん。ふふっ」

 謝る顔は真剣だったものの、顔はすぐに逸らされ笑い声が漏れて聞こえた。

「でも残念ながらマリエットは悪女ではありませんわよ」
「そうなの?」
「ええ。彼女は一途なだけですもの。きっとコンラッド王子以外とは踊りたくなかったんだと思いますわ。あなたのご友人がどのような誘い方をしたのか知らないのであくまでもわたくしの想像ですけど」

 庇おうかどうしようか迷ったが、マリエットが傍にいない所で悪女だと認めてもつまらないと庇う事にした。
 悪役令嬢といえど賢く生きなければならない。小説に習うのであれば王子は悪役令嬢を悪役令嬢だと気付いていない。優しい女だと思わせる事に成功しているのだ。周りの好感度を上げておくのはヒロインだけではなく悪役令嬢にもいえること。学校の生徒にはもう性悪女だと知れ渡っているためどうしようもないが、他国の人間であればまだ知らない。名前さえ知らなかったのだからと友達思いの優しい女を演じるティファニーは笑顔を作った。

「下心ありの一途だね」
「好きな男性に良く見られたいという下心は大事ですわ」
「君は? 一途?」
「私が? いいえ。今日も明日も違う男を連れ歩き回すわ。悪役令嬢ですもの」

 笑いたいなら笑えばいいと目を細めて口元に弧を描くも男は考え込むように顎に手を当てて「なるほど」と呟いた。
 想像していた反応と違うと見つめていると顔を上げた男は爽やかな笑みでティファニーに手を差し出す。

「フリーなんだね」
「ダンスのお誘いでしたらお断りですわよ」
「ダンスは苦手かい?」
「ええ」

 嘘。苦手ではない。必要以上の事が出来るように父親に叩き込まれてきたためダンスは得意だ。だが、ここで男と踊るメリットはない。
 コンラッドと踊ってこそ嫌々ここに出席した意味があるというもの。
 どこの誰とも知らないそこらの男と踊ったからといってマリエットは悔しがるどころか〝コンラッドと踊れず他の男と踊る可哀相なティファニー〟と思うだろう。

「僕はリードするの得意だよ」

 誘い慣れている相手に断ろうかと思ったが、マリエットが友人とこっちを見ている事に気付いた。

「完璧でなければ嫌ですわよ」
「お手をどうぞ、お姫様」

 姫と呼ぶ男は二人目。それも純粋に。
 魔法にかけられたシンデレラストーリーに興味はない。王子とのダンスにも何の価値があるのかわからない。それでもティファニーは初めて胸がトキめくのを感じた。
 どこでも眠ってしまう事へのコンプレックスを知らないコンラッドはいつだってティファニーを『眠り姫』と呼ぶ。姫ではないし、姫になる事は一生ないとわかっている。
だが、今この瞬間だけは特別で、魔法にかけられた気分だった。

 男の手に手を重ねてホールの中央へと移動すると大勢が踊っているのに注目を浴びているのを感じた。その視線の中にはマリエットの視線も入っており、ティファニーは目が合った瞬間に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。これを強がりと取るかはマリエット次第だが、意外にも余裕めいた表情はなく、どこか悔しげに見えた。
 だが、視線はすぐ隣のコンラッドと絡む。時間にして三秒ほどだったが、黙って見つめ合っていると男の顔が耳に寄せられる。

「今は僕だけを見つめて」

 甘い囁きにティファニーの顔が発火したように赤くなった。
 免疫のないティファニーにとって男に囁かれるというのは小説の中のヒロインが受けるものであって自分のような嫌な女が受けられるものではないと思っていたのに……。

「ダンスが苦手って嘘ついたね」

 曲が終わって端へと移動する際中、男が放った言葉にティファニーは前に流れてきた縦ロールを後ろへ戻しながら振り返ると顔の赤みは消えていた。

「そう見えなかったのならあなたのリードが完璧だったおかげですわ」
「そういう事にしておくよ。ありがとう」

 小さなリップ音を立てて頬へとキスをした男にティファニーは拒否の言葉も動作も出なかった。頬を押さえ、口を開けっ放しにしながら必死に装った冷静さが崩れて顔が赤へと染まっていく。

「コンラッド様がまた踊るわ!」
「素敵! あの手に腰を抱かれたい!」
「見つめ合いたいわ!」
「囁かれたい!」

 コンラッドが躍るだけでそこまでハシャげるのかと感心しながらも異常な音を立てる心臓は元に戻ってくれない。呼吸さえ乱れそうな心境に咳が込み上げそうになり、思わず息を止める。

優雅に踊るコンラッドはマリエットと見つめ合って微笑んでさえいた。

「完全に忘れてますわね、あのバカ王子」

 目が合い、今度はすぐに逸らされなかったがどこか怒りを感じているような目つき。身に覚えのないティファニーは意味がわからず眉を寄せる。
 マリエットとは見つめ合って微笑むくせに共犯者である自分にはそんな厳しい目を向けるのかと怒りが込み上げる。
 この顔の熱さは怒りであって他意はないと自分に言い聞かせようとするも隣に立つ男を意識してしまって言い聞かせられない。

「キャー!」
「私にもキスしてほしい!」

 目が合うだけで微笑んでくれる男に心拍数は更に上がる。そのせいで二人のキスを見逃した。もし唇にしたのであれば完全に計画を忘れているし、頬なら上出来。
 だがもうティファニーはそれどころではなかった。
 興奮のあまり『倒れそう』と口にする女子生徒の気持ちを理解してしまう自分が嫌だった。

「ティフィー、もし君さえ良かったら庭でも歩かな……ティフィー!?」
「ティファニー!」

 二人の男の声が会場に響いた時にはもう、ティファニーの意識は夢の中へと落ちていた。


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