悪役令嬢な眠り姫は王子のキスで目を覚ます

永江寧々

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彼の秘密

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「何事ですか!」

 慌てて階段を降りていく父親の姿を目で追ってはすぐマリエットにたどり着く。

「今回の処遇は知っているな?」
「ええ、もちろんです」
「なら話は早い。私達を支援してほしい」
「支援?」

 まだ落ちきってもいないのに落ちる前に何とかしようとあちこちの貴族の家を回っては同じことを言っているのだろう。天下のウインクル家当主が支援してほしいなどと口にするのも恥ずかしいだろうに今はなりふり構っていられないほど危機に立たされている。
 滑稽だと思わずにはいられないのは、二人が着ている服がまだ新しく美しいものだから。
 プライドを捨て、何もかも引き払い、貧しいながらも一から新しい生活をしていくとは思っていなかったが、それでもここにきてまだ新しい服を身につけ、自分達は何も捨てないまま人に縋りつこうとしているのかと何も変わらない姿に同情してしまう。
 腕を組み、仁王立ちで父親の後ろに立つマリエットに反省の色は見られなかった。

「ティファ……」

 探したのか上を見上げてティファニーに気付いマリエットが一瞬、笑顔を浮かべようとしたものの隣にいるクリストファーの姿を見て眉を寄せた。

「やあ、久しぶりだね」
「クリストファー王子……」
「コンラッド王子に首輪に繋いどけって言ったんだけど、繋がれるまでもなかったみたいだね。調教の必要はなし。君は自由だ。どこの地を這おうとね」

 クリストファーの言葉にはその場にいた全員が驚いた。
 品行方正で悪態とは無縁のような男が発した〝地を這う〟という言葉は皆にとって衝撃的だった。笑顔は相変わらず爽やかなのに、それに似合わない言葉を吐き出すクリストファーに全員が目を瞬かせ、注目していた。

「ふんっ、彼は最低な男ですわ。自分の兄の妻を愛しているんですもの。もう少しで騙されるとこでしたわ」

 いつその話を知ったのか、ティファニーは驚きを隠せなかった。コンラッドを欲しているマリエットはティファニーと違って相手の情報収集に力を入れている。女好きなだけなら誰もが見て知っているため問題はなくとも、その後、別のことで重大な問題が発生しては困ると探っていたのだろう。人の紅茶に毒を仕込むような女を王族が迎え入れるわけがないというのに執着しているのは王子と婚約できるかもしれないという立場にいたのが忘れられないから。その強がりも今では滑稽なだけ。

「人を欺き続けてきた君が言える事など何もないだろう。自分の欲のためなら誰をも犠牲には出来るんだから。人の人生をめちゃくちゃにしておきながら大した女だよ、君は」

 嫌味を口にするクリストファーは愛する者を傷つけられた怒りがまだ小さな種火として燻っていて消化できていないらしい。

「ティファニーほどじゃありませんわ。コンラッド様を誘惑しておいてまさかあなたに走るなんてね。人の人生めちゃくちゃにしたのはどっちよ!」
「マリエット……」
「アンタのせいで私の人生はめちゃくちゃよ! どうしてくれるのよ! 責任取りなさいよ!」

 マリエットの怒鳴り声が響き渡る。
 鬼の形相で睨み付けるマリエットに向けるティファニーの目には怒りではなく哀れみが宿っていた。
 公爵から侯爵や伯爵への格下げではなく、ウインクル家はもう貴族でもない。生まれながらにして貴族だったマリエットには耐えられないはず。これが自分が招いたことであってもマリエットは全てティファニーが悪いんだと責め続ける。
 自分で始めたヒロインごっこ。結果はヒロインではなく地に落ちた悪役のようになってしまった。王子の手を取ったのはヒロインであるはずのマリエットではなく悪役令嬢であるはずのティファニーだった。
 許せるはずがない。5歳の時から人生を賭けて演じてきたヒロインごっこが全て水の泡と化したのだから。
 それでも責任を取れと言われる筋合いのないティファニーは黙って首を振った。

「人を罵倒し、欺き、挙句の果てに責任を取れとわめく虫けらには血を這いずり回って生きるのがお似合いだよ」
「あなたは黙っていてくださる!?」
「僕もそうしたいんだけど、妻が辛い目に遭わされるのを見て見ぬふりなんて出来なくてね」
「妻だなんて偉そうに! 結婚もしていないじゃない!」
「それなら君こそもう貴族でもないのに伯爵令嬢に向かって偉そうだね」

 言葉に詰まったマリエットが悔し気に唇を噛む。
 肩を抱き寄せられたティファニーはその手に手を重ねてゆっくり息を吐き出した。

「マリエット、こうなってしまったのはとても残念ですわ」
「残念だと思うなら助けなさいよ!」
「全てはお父様が決めることですもの。わたくしには何の決定権もありませんわ」
「王子の婚約者でしょ! 困ってる国民に手を差し伸べる義務があるはずよ! ノーブレスオブリージュはどうしたのよ!」

 マリエットの噛みつきについにはクリストファーがハハッ!と吹き出したように笑い出した。

「貴族として威張る事しかしてこなかった元公爵令嬢が言うじゃないか。ノーブレスオブリージュだって? 君がその言葉を知っていただけでも驚きだよ」
「何ですって!?」

 手すりに肘をついて見下ろすクリストファーの嫌味なほど明るい笑みにマリエットが睨み付ける。

「クリストファー王子が酷いんですのよ! お父様なんとか言ってください!」
「アルバート、助けてくれるだろう? 今まで散々目をかけてやったじゃないか」
「お父様!」

 クリストファーの言う通り、もう貴族ではない人間が王族に意見でもしようものならもう二度と貴族に戻ることは出来なくなる。ただでさえお先真っ暗状態で行き場もないというのに娘が馬鹿にされたぐらいでクリストファーと対峙するわけにいかないと判断したバージルは本来の目的を果たすためにアルバートに向き直った。
 しかし、その言葉に父親の肩が反応したのをティファニーは見逃さなかった。

「目をかけてやった? 目をつけてやったのは間違いでは?」

 こういう時の父親はヤバイと唇を引くティファニーが宥めに行こうと動くも肩に置かれているクリストファーの手に力が入り、それを許さない。

「見てなよ」

 父親がブチギレる所など見たくないと癇癪持ちの父親のみっともなさを知っているだけに苦い顔をする。

「なんだと?」
「自分の娘が可愛いと私の娘を犠牲にしたのは誰だったか、忘れたとは言わせませんぞ」
「そ、その分、お前の娘が咎めを受けずに済むように手配してやったのは私だぞ!」
「あなたが娘のとんでもないワガママを叶えようとしなければ私の娘は苦労することはなかったのです」
「怠け病は私のせいではないだろう!」

 大袈裟な動きを見せた肩。父親の腕は操られたように寸分の狂いも躊躇もなくバージルの顔めがけて放たれた。
 貴族として生きていれば聞く事はない音、そして痛み。それと同時に吹き飛び、ボールのように床を跳ねながら転がるバージルの姿。

「キャァァアアアア! お父様ぁっ!」

 悲鳴を上げながら駆け寄るマリエット。
 肩で息をしながら睨み付けるアルバートが一歩、また一歩とバージルに近付いていく。

「ひっ!」

 目の前で思いきり床を踏みつけるだけでバージルの口から悲鳴が漏れた。

「私の娘は、ティファニーは眠り病なのであって怠け病などではない! 口を慎め愚か者が!」
「お、お前こそ誰に向かってそんな口を利いているんだ! 私はあのバージル・ウインクルだぞ!」
「ああ、そうだ。お前はバージル・ウインクルだ。公爵でも何でもない、ただのバージル・ウインクルだ。これから虫けらのように地を這う男だ!」

 父親の怒鳴り声に二人が反論する事はなかった。
 一番驚いたのはティファニーで、驚きのあまり言葉が出てこず、クリストファーを見るとウインクをしてみせた。
 病気の事を一番疎ましいと思っていたのは他でもない父親だと思っていた。

(お前が病気でなければ)

 なんどそう言って貶されただろう。
 ずっと嫌だった。この病気も、病気を理解してくれない父親も。それなのに今、父親はバージルを殴ってまで病気について擁護した。嬉しいとか、感動とか、そういう感情より、どういうつもりだろうという疑問の方が強かった。

「ここはあなた達のような卑しい人間が来ていい場所ではない。お帰り願おうか」
「は、離せ! 貴様、恩を仇で返すような真似をしたこと覚えておけ! 私は必ず返り咲く! その時はお前を地獄の底まで落としてやるからな!」
「ありったけの塩を撒いておけ!」

 ドアが閉まると同時に階段を上るアルバートはようやくハッとした。

「お、王子……そ、その……こ、これは問題とも呼べないような事でございまして! 今後もう二度とこのような事は起こりませんので!」

 焦りを見せる父親が何を思っているのかティファニーには手に取るようにわかった。いざこざ持ちの家の娘を妻にしたくないとクリストファーが結婚を考え直さないよう必死なのだ。
 クリストファーという男はそんな器の小さな男ではない。クリストファー・ブレアを〝王子〟という肩書でしか見ていない人間が親である事が今、とてつもなく恥ずかしかった。

「立派でしたよ、お義父さん」
「お、お義父さんだなんてそのような呼び方! 身に余る光栄でございます」

 階段の途中で膝をつくみっともない姿に首を振ったティファニーはそのまま部屋へと戻っていく。
 父親が理解してくれていた事は素直に嬉しい。だが、それなのに傷つけるような言葉を吐き続けたのはそういう本音も抱えていたからで、心から喜ぶ事は出来なかった。

「ティファニー」

 追って部屋に入ってきたクリストファーの妙な上機嫌さにティファニーは目を細めて笑う。

「あら、虫けらを退治出来て上機嫌のようですわね?」
「あー…あれはほら、なんていうか……ね?」

 意地悪な言葉に焦り始めるも言い訳はしない事に決めたのか溜息をついてからゆっくり首を振ったクリストファーがティファニーの向かいに腰かけた。

「…僕は、爽やか王子とかキラキラ王子とか言われてるけど実際はそんなイイ人間じゃないんだ。爽やかなのは両親の遺伝子のおかげだし、キラキラは爽やかの効果音だと思ってる。恵まれた外見のおかげで常に好感度は高いよ。ありがたい事にね」

 地味な顔で生まれ、化粧をしなければ外も歩けないティファニーからすればその言葉は嫌味より酷いものだが、黙って聞く事にした。

「実際の僕はあの通り、口は悪いし腹も黒い。爽やかなんてイメージとは程遠い人間なんだよ。自分を偽って生きてきたんだ」
「偽るって……王子ですもの。自分がどんな人間であろうと王子らしく振る舞うのはおかしなことではありませんわ」
「爽やかじゃないのに爽やかを演じるのもおかしなことじゃない?」
「皆の期待を裏切らないようにしていたのでしょう? それをおかしいなんて誰が言いますの?」
「僕」
「じゃあおやめになったら?」
「今更?」
「と思うなら続けられては?」
「んー」

 いつだって頼りになる男は意外と悩み癖のあるような気がして微笑ましくはあったものの優柔不断ともとれる態度には真正面から顔を掴んで握り潰したい感情に襲われていた。

「……コンラッド王子はあなたのそういう一面を知っていました?」
「え? あーうん…まあ、ね。彼の前で見せたつもりはなかったんだけど、同じ匂いがするって言われちゃって」

 何故コンラッドがクリストファーはやめておけと言ったのか、ようやくわかったティファニーは思わず吹き出して大声で笑い始めた。

「ちょっと! 笑わないでくれるかな!?」
「だってそんなっ、あははは! ふふっ、ふふふふふっ、こんなおかしなことってありませんわ! 悪役令嬢を勤めていたわたくしの婚約者はわたくしにはもったいないほど爽やかで素敵な王子様だと思っていたのにまさか悪役令嬢の相手に相応しい性格をしていただなんて!」

 もっと大きな隠し事があるのかと思っていた。コンラッドのように誰かの代わりとか、実は家族には認めてもらってないとか、そんな大きな事だと思っていたのに、実際はとんでもなく小さいことだった。それをコンラッドがいかにもな言い方をしただけ。悔し紛れだったのだろう。
 こんな事でクリストファーはやめておけと言われて誰がやめるというのか。それどころか完璧ではないことを知って好感度は更に上がったと言える。

「そんなに笑われるとは思ってもなかった」
「だってこんなに嬉しいこと他にあると思います? あなたにずっとコンプレックスを抱いてきましたのにあなたったらこんなにも大事なことを隠していたんですもの。あははははは!」
「……幻滅したりしてない?」
「どうして幻滅しますの?」

 クリストファーは驚いた。考える様子も見せず、まるで本当に疑問であるかのような顔で見るものだから今度はクリストファーが笑いだす。

「何故笑ってますの?」

 眉を寄せるティファニーに手を伸ばして頬に触れると伝わってくる緊張に目を細め、顔を近付ける。

「ティファニー、僕は君への気持ち、遊びなんじゃないから。誰よりも君を愛し……ティファニー?」

 初めて重ねる唇。思った以上に柔らかいその感触にもう少し味わっていたいと思いながらも込み上げる気持ちも伝えたいと肩を掴んで気持ちを伝えようとしたクリストファーだが、ティファニーが顔を上げない事に嫌な予感がして顔を覗き込むと眠っていた。

「寝てる……」

 同じ気持ちを共有したいのにまだ上手くいったことがない。だが今日はそれを悔しいとは思わない。ティファニーの満面の笑みが見られて、自分がコンプレックスだった事も全て認められた。
 今回のことでマリエットが絡んでくることはもうないだろう。罪を犯した者に手を貸せば自分も危うくなってしまう。その危険を冒してまであのバージル・ウインクルに手を貸す者がいるとは思えない。
 これでようやく普通の生活を手に入れられるのだとクリストファーの方が強い安堵を感じていた。

「僕の眠り姫はいつ魔女の呪いから目を覚ますのかな」

 床やテーブルに倒れてしまわないよう抱きあげ、そっとベッドに寝かせる。
 穏やかな顔で眠るティファニーの額に口付けると頬を触って暫くその寝顔を眺めていた。
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